非正規で新聞社の校閲の仕事をしている主人公・ひの子は、思わぬ妊娠を経て、ひとり親として育てる決意をするが、年下の恋人とは別れており、40歳を目前に戸惑う。さらにコロナ禍で対峙する様々な困難――その日々をかつて育った炭鉱町で労働を担った女たちに心を寄せつつ、周囲の女性たちと連帯し乗り越えた先にまた絆が生まれる。静かだが、苛烈な炎をおこすがごとき物語が生まれた背景を著者に伺った。

自分自身の経験した困難を書き残したい

――まず、今作を書こうと思い立ったきっかけを伺えればと。

櫻木 自分自身が妊娠してひとり親になろうと決心して、でも流産するという経験をした時に、初めて知ったことがたくさんあったんです。妊娠や出産に関し、男女の両親がいて男性側が正社員であるという前提で制度が作られたまま、今の時代や社会の変化に制度が追いついていないと感じました。非正規雇用者に限らず、いろんな人がいると思うのですが、その前提から外れてしまうと、途端に困難になってしまう。

――少子化や育児の問題を声高に掲げながら、当事者の置かれた状況を知らない政治家も多いように思いますね。

櫻木 そうなんですよ。自分も経験するまでは知らないことも多かったので、具体的にどう困難かを書き残したいと思いました。

――主人公はコロナ禍での妊娠となり、さらなる困難にぶち当たります。

櫻木 初稿を書き終えた後にコロナの流行が始まって、これは設定から書き換えたいと思いました。コロナ以前でも、私は妊婦健診だけしてくれる病院を見つけることすらすごく大変だったので、コロナ禍で同じ状況の人はもっと大変だったんじゃないかなと。

――現在の作家が経験した2020年のコロナ禍のリアルは貴重です。ご自分の経験も踏まえ、辛い状況にある女性たちに手を差し伸べたい思いも?

櫻木 そうなればうれしいですけれど……。書き始めた時は、自分でもこういう話になるとはわかっていなかったんです。編集者の方から一番書きたいことを書いてくださいと言っていただいて、冒頭のシーンをまったくの想像で書き始めたのですが、気がついたら自分の経験を苦しみながら掘り下げていました。やはりそれが書きたかったことだったのでしょうね。

――主人公が関わる女性たちの連帯であり共鳴が温かく描かれますが、それも経験されたことですか?

櫻木 そうです。本の中では女性だけですが、実際には男性の知人がかけてくれた言葉もあります。いろんな方の言葉や情報に本当に助けてもらった。そのことが作中に反映されています。

明るく優しくたくましい、筑豊の女坑夫

――男女の不平等が問題視されていますが、それに対する怒りも代弁されている?

櫻木 そこはあまり……。例えば、女子大学生が公園で出産して遺棄した事件で彼女だけが刑罰に処されたことや、男性の承認がないと中絶ができない法制度の廃止を求める議論に対する現法相の答弁などには怒りを感じました。
 ただ今回の自分自身の経験に関しては、妊娠はすごくうれしいことで、相手が責任を取るべきだとか、男性はいいなとかはあまり感じなかったんです。だから「相手の男性がひどい」という感想は自分にとって意外なところもありました。そこに対しては、男性が負わされているものも大きいのだろうかと想像しています。

――確かに主人公は喜びを感じていますし、相手の男性の行動の善悪を判断せず、現実を受け止める女性の強さが印象に残ります。その強さを象徴するような筑豊の女坑夫たちを物語に入れようと思ったのも、書き始めてから?

櫻木 書いている最中、まったく偶然に友人で作家の古川真人さんから井手川泰子さんのことを教えてもらい、『火を産んだ母たち』(筑豊の炭鉱で働いた女性たちの聞き書き)を読んだんです。地元のことや筑豊の人のたくましさを書きたい思いが漠然とあったので、不思議な偶然でした。

――ご自分の出身地でもありますが、女坑夫のどこに惹かれたのでしょう。

櫻木 大変なことも笑い事にする明るさに惹かれました。自分が知っている地元の人たちもそうなんですけど、私はタイに暮らしたこともあって、タイに惹かれたのもどこか地元と通じる「地べたの強さ」というか、アジアの強さを感じたからでした。
 タイ人の親友がいて、彼女も寒村出身なのですが、明るくて優しくてたくましい。それが子供の頃に見ていた筑豊の女の人たちに重なりました。

――今作も契機となり『火を産んだ母たち』は約40年ぶりに新装版が出版されたそうですね。

櫻木 新装版の解説を書かれた井上洋子さんが本とお手紙を送ってくださって、『コークスが燃えている』に言及し、再版の後押しのひとつになったとも言っていただきました。また、書いた時は著者の井手川さんと面識はなかったんですけど、後にお会いできて。
 井手川さんは皆の苦しい話を聞いて書いたことに、後ろめたい思いをずっと持っていらしたそうです。でもこの作品を読んで、初めて聞き書きをしてよかったと思えたと、涙ながらにお話ししてくださいました。
 私自身も、井手川さんが聞き取ってくださったおかげでこの女鉱夫たちの言葉に出会え、また、それを書いたことで他の方や井手川さんにそう思っていただいたことに胸がいっぱいになりました。

わからないことを知りたいという思い

――『コークスが燃えている』という題名も初期に決まっており、実は筑豊や地元の女たちのことも無意識に物語の軸にあったのでは。

櫻木 きっとそうですね。けれどラストの一文は、書いていて出てきた言葉です。初稿の時は井手川さんの本の言葉が沁み入ったところで終わっていたのですが、編集者の方に自分の言葉でさらに書くよう言われ、この出来事は自分にとってなんだったのか再度考え、書き進めて、あの一文にたどり着きました。
 作品を書いている間、自分の傷をえぐっているような苦しさがあったけれど、書き終わった時は「これが書けてよかった」と思いました。

――ご自身の経験に向き合って表現をする作風ですが、それは社会に何かを訴えたいという思いでもあるのでしょうか?

櫻木 主張したいというより「わからない」ことが元にあって、それが自分にとってなんだったのかを知りたい思いが書くことにつながっています。
 私はショックを受けたり大きな感情が生まれたり、何かで傷ついたりした時、その出来事や感情がなんなのかということがすぐにはわからないのです。すぐに言葉にすることに抵抗があるのかもしれません。
 小説に書きながら考えることで、自分に何が起こったのか、この出来事はなんだったのかを把握している感覚があります。それをわかろうとして書いていると思います。

――書くことで感情に名前を付けている部分もあるのですね。では次作も日常での出来事が物語のタネになっているのでしょうか?

櫻木 今作と地続きの感じで、自分の中での大きな出来事を書いた『カサンドラのティータイム』が「小説TRIPPER」夏号に発表されています。

――やはり日々の思いから「書かなければ」という感情が湧き上がって……。

櫻木 はい。そういうふうに書いてきて、これからも生きていく中で得た衝撃や感触を書いていくと思うので、一生懸命生きていきたいです。

聞き手・構成=明知真理子 撮影=五十嵐和博