「週刊少年ジャンプ」で連載中の、あくた下々げげさんによる漫画作品『呪術廻戦』。人間の負の感情から生まれる呪いと、それを呪術で祓う呪術師との闘いを描き、多くの読者を獲得してきた。20年秋のテレビアニメ放送化をきっかけにさらに反響を呼び、この冬12月24日(金)には『呪術廻戦』の前日譚となる『劇場版 呪術廻戦 0』も公開される。 
 『呪術廻戦』は驚異的な身体能力を持つ少年、虎杖いたどりゆうが“呪い”に襲われた学友を救うため、特級呪物“両面宿すくの指”を喰らい、呪いの王である“両面宿儺”と肉体を共有することから物語が始まる。最強の呪術師であるじょうさとるの計らいで、虎杖は対呪い専門機関である「東京都立呪術高等専門学校」へと編入、同じく呪術を学ぶ同級生、伏黒ふしぐろめぐみ釘崎くぎさき野薔薇のばらと出会い、ともに闘いを重ねる中で成長してゆく――。 
 そんな『呪術廻戦』を漫画、アニメともにずっと注目してきたという湊かなえさん(芥見下々さんも湊かなえさんの『告白』を意識して描かれた場面があったと「呪術廻戦 公式ファンブック」では紹介されている)。人間の負の感情(呪い)を物語の駆動力とすること、『呪術廻戦』の作品世界の魅力について、テレビシリーズ、劇場版ともに監督をされたパクソンさんと対談していただいた。 

大反響の第七話の秘密 

 テレビシリーズの第一話からずっとオンタイムで放送を見ていました。 
 本当ですか! 嬉しいです! ありがとうございます。 
 録画だと、先にSNSを見て「ああ、もう五条悟が目を見せたんだ。どんなだろう」とやきもきしてしまうので(笑)。黒いアイマスクでずっと目を隠していた五条先生がついに目を出す。あの場面は原作ファンにとって「待ってました!」という回ですよね。 
 実は放送される前の日の夜は眠れなかったんです。視聴者の反応が悪かったらどうしようって。放送が終わってネットでの好評価を見たときには、本当にほっとしました。第七話は、主人公の虎杖悠仁にとっての先生であり、最強の呪術師でもある五条が圧倒的な力を持っていることを表現しなければならない回でした。それで僕が演出を担当したのですが、気合いを入れて作っただけに本当に怖かったです。 
 原作ではモノクロなので、五条の目はこんな色だったんだという驚きがありました。 
 最初は宝石っぽい感じにしてライティングで目だけが宙に浮いているように見せようかなと思っていたんですけど、何か物足りなかったんです。それで原作者の芥見先生に相談したら「瞳の中に空が広がっているんですよ」と教えてくださり。「空か! それだ!」ってなったんです。 
 ああ、瞳に空が映り込んでいると。ぐっとつかまれる感じの目でしたね。吸い込まれそうな。空が映っているからそんな感じになったんですね。 
 そうだと思います。もちろんこの場面だけじゃなく、シリーズ全体で原作ファンも納得できるような作り込みを心がけてます。 

第7話で五条 悟の瞳があらわに。演出にSNS上のファンは大興奮。©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会 

 私がまさに原作ファンで(笑)。二巻まで出ていたときに読んだんですが、最初は「少年ジャンプ」っぽくないなという印象だったんです。テーマが呪いで、全体に漂う雰囲気がちょっと暗いトーンで統一されていて、大人向けなのかなと思うくらい。でもすごく面白かった。最初につかまれたのが、呪術師が祓う呪霊も、もとはといえば人の思いから生まれたというところ。呪術師対呪霊といっても、単純な正義対悪ではないんですよね。  
 呪術師たち一人ずつにバックグラウンドがあって、ただ楽しく過ごしてきた人なんていない。それぞれ抱えているものがあって、人の悪意や呪いから出てきた呪霊と闘う。正義対悪ではなく、陰対陰みたいな構造が生まれてくる。その構造がもっとその奥を知りたいっていう引きになっているんですよね。呪術師たちがそれぞれどんな陰を内面に持ってるんだろうって。 
 主人公の虎杖悠仁は身体能力がとにかく優れているけれど、登場したときは普通の高校生。彼が、呪いの王である両面宿儺の死後、その死体が呪物となった特級呪物“両面宿儺の指”を食べてしまったことから物語が動き出します。自身の魂に呪いを宿し、呪術師になろうと、五条先生に誘われて呪術高専に編入するわけですけど、同級生や先輩、先生たちにもそれぞれ呪術高専に集まるまでの物語があるんですよね。敵として現れる呪霊は呪霊で、なぜ呪霊として生まれたかを知りたくなるようなキャラクターばかり。闇の部分の、さらにその奥を見たくてぐいぐい引き込まれました。 
 自分も原作を読んで湊先生と同じところにまず惹かれたんですよ。絶対的な善はないということと、善とは? 悪とは? と深く考えさせられる作品だなと思いました。 
 それに『呪術廻戦』は一人一人のキャラクターがものすごく生き生きしていますよね。映像を作る仕事をしているので、漫画や小説を読むときには、どういうキャラクターが登場するのかが真っ先に気になるのですが、個性が強い人たちばかりで、すごい作品だなと思いました。しかもその生徒たちを引っ張る、呪術高専の教師でもある五条先生の存在感が圧倒的ですよね。自分が原作を読んだのは監督を依頼されたときで、四巻が出た頃でした。読んですぐに、仕事としてというだけじゃなく、『呪術廻戦』の世界がこれからどう展開していくかを一ファンとして見届けたいという気持ちになりました。でも実はその前からうちの娘たちが原作を読んでいたんです。「えっ、お父さん、何で知らないの」って言われちゃいました(笑)。 
 最初の話に戻りますけど、善とは? 悪とは? という問いかけが、ちょうどテレビシリーズ一期の最終回、第二十四話にあるんですよ。虎杖が、呪い(実際には受肉したそう)たちの中にも「涙はあったんだな」と言う場面です。そのときの虎杖が自分の心の中を探って行って、心から漏れ出た言葉なんじゃないかなと思います。 

アニメならではの表現を追求 

 『呪術廻戦』のアニメは原作の世界観を損なうことなく作っていますよね。しかも色や音がついている分、アニメにしかできない表現もあって楽しい。たとえば主人公の虎杖の、飛んで、跳ねてといったアクション。原作で想像していた以上のスピード感で、虎杖の身体能力って本当にすごいんだな、と。アクションシーンが始まるとつい息を止めて見てしまうんですよ。動きが速くてまばたきするのももったいない。まばたきしてたら違う場面になっていそう(笑)。
 真剣に見ていただいてありがとうございます。おっしゃる通り、原作の表現をなるべく消さずに、どうやってアニメならではの映像表現をするかをスタッフと一緒に考えてきました。
 視聴者の方たちにはエンターテインメントとして見てほしいので、アクションシーンは何も考えずに楽しんでもらえるようにしたかったんです。それって実は映像表現をするうえでの自分のテーマでもあるんです。音楽に合わせたり、原作にはないカットを入れたりするのもエンターテインメントとして楽しんでいただくため。アクション・デザインというんでしょうか、そういうことを考えながら作っています。 
 爽快感があるんですよね。京都姉妹校交流会でのアクションシーンなんかまさにそう。虎杖と(呪術高専京都高の)とうどうあおいが一緒に特級呪霊のはなと闘うアクションに感動して、見終わった後にさっそくSNSのトレンドを調べました。どれだけ見た後にトレンド調べるんだ(笑)。興奮を多くの方と分かち合いたいんです。 
 あの場面こそ息がつけなくて、コマーシャルになったときに深呼吸するような感じでした。相手と自分の位置が入れ替わって飛んでっていう、東堂の術式と、虎杖のアクションの組み合わせが小気味よくて。 

虎杖悠仁と東堂 葵の共闘した第20話はアクションシーンも話題に。 

 虎杖と東堂が花御と対決する場面は自分もすごく好きですね。東堂が虎杖を「ブラザー」と呼びますけど、それも大好きなんですよ。というのは、実はいつも一緒にアニメを作っているスタッフさんたちみんなとの関係が「ブラザー」と呼び合っている感じなんですね。虎杖と東堂の場面は、夜中にフィルムチェックしながらそこにいたスタッフたちと笑い合っていました。楽しい思い出です。 
 それもやっぱり原作の力なんです。原作があって、原作に刺激されながらエンターテインメントとして盛り上げようとスタッフが一致団結して作る。物語の面白さ、キャラクターの魅力、アクション、そういうものすべてが入っているから、映像化しようとすると、もっともっとと盛り上げていきたくなる。それが『呪術廻戦』の魅力じゃないかなと思います。 
 オリジナルだったら、自分たちで考えてやっていきますが、原作がある場合は、原作者の先生に聞かないと出てこないものがあるんですよ。疑問があったら芥見先生に相談していますし、先生とちゃんとコミュニケーションをとりたい。週刊誌連載をされていますから、めちゃくちゃ忙しいと思うんですけど、ありがたいことにたびたび時間をとっていただきました。そしてこちらから質問させていただくと、いつも解決策を出してくださるんです。先生はアニメのことも大切にしてくださっていて、それがすごく嬉しいし、こちらも助かっています。 
 アニメを見ていて、本当に原作が好きな方々が作っているんだろうなって感じます。原作をリスペクトして、このコマがどういうことを表現したいかとか、このセリフがどういうことを言いたいかということがちゃんと伝わってくるのがすごくいいなあと思います。 
 芥見先生もアニメーションの現場を尊重してくださっているので、こちらからの提案に対しても、アニメーションでそう行きたいのであれば問題ないです、もっとやっても大丈夫です、と現場を励ましてくださって。「先生、大好き」って思っています(笑)。 
 私も原作者の立場なのでわかるんですが、本当にこの作品を面白いと思って映像化してくださってるんだなと思うときと、仕事だからなんとなくされているんだろうなと思うときがあってわかるんですよ。作品を面白いと思ってくださったうえでなら原作にないアレンジを入れてもらってもいいんですが、この人物はこういうセリフは言わないなみたいなことが入っているとちょっとがっかりしますね。 
 逆に、そうだ、この人のこの場面とこの場面の間にこういう出来事があったかもしれない、と思わせてもらえるときもあって。作品をちゃんと読み込んで、これを撮りたいと思ってくださったからこそできた場面なんだなと感じることもあります。それは原作者としても嬉しいんです。 
 どういう方たちに映像化してもらえるかは運だと思っていて、だから、いい方々に映像化してもらえて本当によかったと思うときもありますね。いいお相手に託せてよかった、と。『呪術廻戦』も、芥見先生と朴監督ほかアニメのスタッフのみなさんとの間に信頼関係が生まれているんでしょうね。 

虎杖の「黒閃」、五条の「茈」 

 虎杖は東堂と出会ったことで呪術師として一皮むけますよね。それまでは身体能力はすごく高いけれど、呪術師としては素人同然でした。それまでのアクションもすごかったけど、東堂と出会って闘うことで動きがどんどん呪術師になっていったんだと思います。アニメを見たときに、その一皮むけるところをファンとして見届けたぞっていう実感がありました。 
 京都姉妹校交流会で虎杖が東堂と出会う前、よしじゅんぺいと出会ったことが虎杖にとって最初の成長の機会だったと思うんです。順平は高校でいじめられていて、自分をいじめているやつらを呪う気持ちを持っていた。その気持ちは呪力としても強いもので、呪術高専と敵対するひとという特級呪霊がつけ込んで大事件になるんですけど、順平と出会ったことでまず虎杖が内面的に成長するんですよね。次に京都姉妹校交流会で東堂と出会って呪術の能力が開花する。虎杖は身体能力が秀でているというキャラクターだったので、東堂と身体能力で競い合うことで身体的にも、呪術的にも更に成長するんです。テレビシリーズ全二十四話(二クール)で考えていたのは、一クール目は精神的に成長する。二クール目は身体的にも成長して、最後はやっぱり呪術師としても成長するということだったんです。 
 虎杖の呪術の能力が目覚めて呪術師になった。その象徴が黒閃こくせんですよね。身体的な打撃と、呪力の到達時間をほとんど同時にすることで、ものすごい威力を発揮する難易度の高い技。その黒閃をついに使えるようになった。 
 そうそう、黒閃です。黒閃をアニメでどう表現するかもチャレンジだったんですよ。実は絵コンテのときには黒閃の描写は入ってなかったんです。でも、アニメーターさんがものすごく考えてくれました。空間がゆがむということを自分も考えて、こういう表現はどうですかとアニメーターさんに言ったら、「もうやってますよ」と(笑)。似たようなことを考えてはいたんですけど、担当アニメーターさんの表現は自分のイメージ以上でしたね。 

第19話、花御との闘いの中で、虎杖悠仁は「黒閃」を経験し、呪術師として成長する。 

 呪術の表現ということでいうと、五条悟の術式順転の「あお」と術式反転の「あか」、虚式「むらさき」もかっこいいですよね。 
 「赫」も難しかったんです。第七話で出てくるんですけど、五条が初めて技を繰り出すところでもあるので大事な場面でした。 
 周りに煙が出たりとかっていうありがちな演出ではないなと思っていたので、作画監督とかといろいろ話したうえで出た結論が、空間で表現しようでした。発動と同時に赤く変わっていくんですけど、その全体的な空間を赤と黒をベースに怖くして、五条はほかの呪術師とは格段にレベルが違うんだ、ということを意識して作ったんですよね。 
 「赫」も難しかったですけど、「茈」は更に悩みましたね。アニメって、漫画のコマに命を吹きこんでリアルに動かす仕事ではあるんですけど、どうしてもわからないときには原作の先生に聞くしかない。「茈」はどうやって完成するんですかと、このときも芥見先生に直接お聞きしました。 
 自分からは、青と赤を混ぜて紫になるから、水の中で溶けるという解釈をお話ししたんですけど、先生はぶつかるというイメージがあるっておっしゃるんですよ。じゃあ、両方を混ぜてみようと思って、「蒼」と「赫」がぶつかって溶け合って、最後に「茈」まで行くという解釈で行きたいと先生にお話ししてご了承いただいたんです。それでああいうかたちになりました。 
 音楽も五条先生の最高の技だから、シリアスな音楽よりも、ぐんぐん行く感じで行きましょうと、ちょっとテクノっぽい音楽で入っていく感じにしています。 
 かっこよかったですね。五条悟ファンにとっては、目を出した次の楽しみは「茈」ですから。 

 あそこを担当してくださったアニメーターさんもめちゃくちゃ有名な方なんですよ。ずっと前から声をかけていて、「茈」を描いてください、描いてくださいとお願いして、忙しい方なので調整が難しかったんですが、粘って粘って。制作スタッフが夜中に絵コンテを持って行ったりという苦労があったからこそ、あのシーンが豪華に仕上がったんだと思いますね。 
 五条が強いことは原作を読んでいても伝わってくるんです。みんなが追いつけないぐらい圧倒的にすごい人というのは。でも、理屈ではわかってても、感覚として実感するのとはまた別なんですよね。そう思ったのは、アニメの「茈」のときで、「来た!」って。理屈と感覚ががちっとかみ合ったような気がしたんです。 
 「蒼」「赫」「茈」の言い方も「声優さん、どんなふうに言うんだろう」って、原作を読んでいたときからずっと思っていたんですけど、朴監督はどうでしたか。 
 五条悟役の中村悠一さんがとにかくすごいんですよ。中村さん自身が五条先生そのものに思えるほどです。 
 コミックを読んでたときは、「茈」はたしかもっと気合いが入った言い方をイメージしていたんです。でも、アニメではわりとサラッとピシッと決めるという感じで「ああ、そうだったんだ」と。 
 それが五条先生じゃないかなという解釈でしたね。 
 五条にとっては必死に繰り出す技ではないですもんね。当然のように出せる技。だからサラッとピシッとなんだと納得しました。それまでコミックを読みながら自分の中で「蒼」「赫」もそれぞれの言い方があったはずなのに、アニメを見たら忘れてしまって。コミックを読み返したときの五条先生の言い方、しゃべり方とかも、もう全部中村さんの声になっていますね。ほかの声優のみなさんもそうなんですけど。もう戻れない(笑)。 
 それと、アニメですごいなと思ったのは、虎杖が、あ、いま呪術師になったんだという成長の瞬間がわかったところです。虎杖の呪術高専の同級生、釘崎野薔薇の成長も印象的でした。最初は虎杖と伏黒恵の男の子二人のメインの登場人物に、女の子キャラがほしいよね、という盛り立て役なのかなと思ったけど、最後にはちゃんと一人の呪術師としての立ち位置が確立する。それも、あ、ここで野薔薇も呪術師になったんだ、とわかるように演出されていて。 
 そうですね。テレビシリーズの最後で三人が街を歩くシーンがあって、原作にはないオリジナルシーンなんですが、それはおっしゃるような解釈の結果です。 
 伏黒はもともとちゃんとした呪術師なんですけど、第二十三話でさらに成長するんですよね。この三人が揃って成長して、これからそれぞれ一人前の呪術師として活躍していきますよ、という気持ちで描いたのがそのカットなんです。それに友達としてちゃんとチームになったという感覚を入れたいなと思って。 
 それまでは、三人とも呪術高専の一年生として同じ場所に一緒に派遣されるという感じだったけど、これからは一人ずつの闘いが始まる──そういう予感がありましたね。それに、あの場面があるから、それぞれが別のところで闘っていても、お互い信頼し合っていられる。自分がいまいる場所で、まず自分の役割を全うしようって思える。たとえ離れていてもお互いに信頼できる関係が築けたんだなということが伝わってきました。 

【後編に続く】 

(2021.10.25 神保町にて) 構成/タカザワケンジ 撮影/露木聡子

 

『劇場版 呪術廻戦 0』
幼少の頃、乙骨憂太(おっこつ・ゆうた)は幼馴染の祈本里香(おりもと・りか)を交通事故によって失った。「呪い」と化した里香に憑かれ苦しんでいたところに、東京都立呪術高等専門学校の教師であり、最強の呪術師・五条 悟が現れる。「呪い」を学べば「呪い」を祓える。乙骨は呪術高専で里香の呪いを解くことを決意するが──。

12月24日(金)全国東宝系公開
原作:「呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校」
芥見下々(集英社 ジャンプ コミックス刊)
監督:朴 性厚 脚本:瀬古浩司 キャラクターデザイン:平松禎史 
副監督:梅本 唯 制作:MAPPA
CAST:緒方恵美 花澤香菜 中村悠一 櫻井孝宏 ほか
© 2021「劇場版 呪術廻戦 0」製作委員会 ©芥見下々/集英社 
すばる2022年1月号表紙