2025年3月5日発売の新刊から、冒頭の10章を特別集中連載! 『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』の著者が忙しい現代人へおくる、優しい読書エッセイです。
改訂版序文:より勇気ある、より揺らがない人間に
2024年12月26日
二〇一七年にこの本を書きはじめたとき、二四インチのモニターに付箋を一枚貼っておいた。
本と親しくなる方法
仮につけたタイトルだった。どうすれば人は本と親しくなれるだろうか? 方法を考えてみた。どんな本を読めばいいかわからないなら、ベストセラーのリストを参考にしたらどうだろう。ページが進まない本と一週間以上も格闘しているなら、「完読」しなければというプレッシャーを捨ててほかの本に目を向けてみたらどうだろう。人生が不安なときは、不安の原因を本で探ってみてはどうだろう。絶望の日々を過ごしているなら、自分を救い出してくれる文章を本に求めてはどうだろう。時間がないなら、隙間時間に読んでみたらどうだろう。本に集中できないなら、タイマーをかけて読んでみるのはどうだろう。頭に浮かんだアイデアを順に並べ、それぞれA4用紙一枚前後の文章にまとめはじめた。
原稿を書いているあいだずっと、穏やかな幸せを感じていた。初めて本を書くことになった喜びと、それも自分の一番好きな「本」をテーマに書くのだという興奮が冷めやらなかった。刊行前にタイトルが『毎日読みます』に決まり、「本と親しくなる方法」の一環として、初版にはウィークリープランナーも収められた。
本が出たからといって、わたしの日常が大きく変わることはなかった。以前と同じく、「インドア派」の本分に忠実に、部屋で本を読んだり、ものを書いたりする日々を過ごしていた。とはいえ、以前と変わったこともいくつかある。一つは、これまでずっと「読者」として生きてきたわたしが「無名作家」に名を連ねたという点。もう一つは、著者として新たな経験をするようになったという点だ。
読者の方々からメールや手紙をもらい、ポータルサイトに書き込まれる心のこもったレビューを読み、わたしの本を課題本とする読書会の存在を知り、ドキドキワクワクのトークイベントに参加し、「作家さん」と呼ばれた。いずれも、本を書いていなかったらけっして味わうことのなかった、驚くべき、心満たされる経験だった。
でも、自分は作家になったのだとはっきり実感したのは、実は意外な瞬間だった。いつものように机に向かって何かを書いている途中、椅子を回転させ背後の本棚に目をやったときのことだ。数百冊の本がぎっしり詰まっている本棚。一角には「人生の本」と呼ぶにふさわしい本が並び、別の一角には、最近せっせとアンダーラインを引きながら読んだ本が並んでいて、また別の一角には、記憶はあったりなかったりだけれど、かつてわたしと一日を共にしてくれた本が並んでいる本棚。そんな本棚を眺めていたとき、ふとこんな思いが浮かんだのだ。
わたしの本棚にあるこの本たちのように、誰かの本棚にはわたしの本があるかもしれないんだな。わたしと同じく、その人も本棚を眺めて、今日はこの本を読んでみようか、とわたしの本を開いてみるかもしれないんだな。誰かの本棚に、ほかの本たちと肩を並べて収められているわたしの本。その様子を頭に描いてみると、なんだか胸が震えた。一読者から作家への第一歩をようやく踏み出したのだという気がした。
韓国で『毎日読みます』を刊行して三年が経った。その間にわたしはさらに二冊の本を出し、相変わらず「無名作家」に名を連ねている。もちろん、相変わらず本も読んでいる。本を読むことは、わたしとは切っても切り離せないものだ。人生で問題が起きたら、最終的には本に答えを求めるしかないのだから。世の中が、人生が、自分自身が、あなたのことが気になるとき、
理解できないとき、知りたいときは、やはり本を開くしかないのだから。
本が毎回明確な道を示してくれたわけではないけれど、手がかりは与えてくれた。どの道を行けば、求めている答えを見つけられるだろう、という手がかり。わたしはその手がかりを握りしめ、見知らぬ道へと足を踏み出した。そうやって本を読んでいるうちにわかったことがある。何も持たずに道を歩んでいくときよりも、誰かが丁寧に握らせてくれた手がかりを頼りに歩んでいくときのほうが、わたしは、より勇気ある、より揺らがない人間になれるという点だ。少しの勇気と、少しの強さを、わたしは本から得た。
改訂版刊行の提案を受け、初版の『毎日読みます』を久しぶりに読み返してみた。書いてからまだ三年しか経っていないけれど、これを書くに至るまで自分がいかに熾烈に本を読んでいたかがあらためて感じられた。社会人一年生のストレスや憂鬱に耐えながら、夢を追う人生で不安を背負いながら、一瞬一瞬の喜びや悲しみを味わいながら、ずっと本を手放さなかった自分がそこにいた。
本好きが高じてついに読書エッセイまで書いた過去の自分を回想していたわたしは、さあ今日はどんな本を読もうかと部屋の中を見回してみた。鉛筆が挟まったままの読みかけの本や、数日前オンライン書店から届いた本、町の本屋の読書会で読む本などがあちこちに散らばっている。さて、わたしはどの本を手に取るだろうか。
退屈で、物語が恋しくて、虚しくて、友だちに共感したくて、世の中に希望を持ちたくて、そして究極的には、ただただ何かが読みたくて、わたしは毎日本を読んできた。これからも読みつづけるだろう。
二〇二一年、ファン・ボルム
※本記事は、2025年3月5日発売予定『毎日読みます』の校正刷りから一部を抜粋した試し読み版です。実際に刊行される内容とは異なる部分がございます。
プロフィール
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ファン・ボルム (황보름)
小説家、エッセイスト。大学でコンピューター工学を専攻し、LG電子にソフトウェア開発者として勤務した。
転職を繰り返しながらも、「毎日読み、書く人間」としてのアイデンティティーを保っている。
著書として、エッセイは『毎日読みます』(牧野美加訳、集英社)のほか、『生まれて初めてのキックボクシング』、『このくらいの距離がちょうどいい』がある(いずれも未邦訳)。
また、初の長篇小説『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(牧野美加訳、集英社)が日本で2024年本屋大賞翻訳小説部門第1位を受賞した。
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牧野 美加 (まきの・みか)
1968年、大阪生まれ。釜慶大学言語教育院で韓国語を学んだ後、新聞記事や広報誌の翻訳に携わる。
第1回「日本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」最優秀賞受賞。
ファン・ボルム『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(集英社)のほか、チャン・リュジン『仕事の喜びと哀しみ』(クオン)、ジェヨン『書籍修繕という仕事:刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(原書房)、キム・ウォニョンほか『日常の言葉たち:似ているようで違うわたしたちの物語の幕を開ける16の単語』(葉々社)、イ・ジュヘ『その猫の名前は長い』(里山社)など訳書多数。
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