プロフィール
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武井 照子 (たけい・てるこ)
1925年埼玉県生まれ。44年、日本放送協会に入局。〈婦人の時間〉のアナウンサーを務めた後、教育課に移り、青少年幼児部チーフディレクターなどを務める。68年〈ピッポピッポボンボン〉で「日本賞」グランプリ、73年〈お話でてこい〉で「日本賞」文部大臣賞。77年詩人の谷川俊太郎らとともに「ことばあそびの会」を結成、楽しい日本語の普及に努めている。
武井照子『あの日を刻むマイク ラジオと歩んだ九十年』刊行記念エッセイ
何故この本を書いたのか
私は大正十四(一九二五)年、日本でラジオ放送が始まった年に生まれました。そして、太平洋戦争真っ只中の昭和十九年九月(一九四四年)、半年繰り上げ卒業を機に、NHK十六期アナウンサーになりました。出陣学徒壮行会が神宮外苑競技場で行われた翌年です。私は国内向けの番組や、真夜中の短波放送などを担当し、空襲警報の出るなかで懸命に働きました(五月にはNHK東京放送会館も焼夷弾攻撃に遭いましたが、みんなの力で延焼を防いだのです)。
敗戦となり、それから一カ月近くたった九月二十日、NHKはGHQ、民間情報教育局の指導のもとにおかれました。十月十日、新しい「婦人の時間」の番組がスタートし、私はそのアナウンサーに抜擢されたのです。
それまで、民主主義について無知だった二十歳の女の子でしたから、荷が重過ぎました。でも、やるしかなかったのです。番組には、婦人活動家の市川房枝、神近市子、プロレタリア作家の宮本百合子、日本社会党委員長の片山哲といった、錚々たる顔ぶれの方々が出演されました。私は、番組を進行しながら民主主義を学びました。そして結婚し、出産して母親となってからも働きました。
その頃の日本は貧乏でした。米も醤油も砂糖も味噌も配給制、家庭に冷蔵庫などはありません。働く母親は独楽鼠のように働き、職場へ行けば、男性上位の社会でした。
しかし、いろいろな出会いが、私を救ってくれたのです。女優で演出家の長岡輝子さんは、働く母親の悩みを受け止め、力づけてくださいました。作家の野上彰さんは、「黄金バット」のような緑のマントを羽織って現われ、楽しい雰囲気を持ち込んでくださいました。
ラジオは昔、録音技術が発達していないので、放送後は消えるのが当たり前でした。レコードに残す方法はありましたが、高価で、デイリーの放送には、利用出来なかったのです。
私は消えた昔のラジオのことが知りたくて、初期の頃の幼児番組を調べました。戦争が、どのように番組に入ってきたのか、子供に対する考え方がどうだったのかなど、いろいろ考えました。また、歌手の徳山璉夫人で、幼児番組出演者の徳山寿子さんや、「うたのおばさん」の松田トシさんから、昔のエピソードなどを聞きました。
そんな私の記録を読んだ集英社の飛鳥さんが、
「ラジオのことだけでなく、武井さんご自身のことを書いてくださいませんか?」と言われたのです。
自分のことを書くのは、個性のある重要な人物でなければならない、それなのに、私が書くなんて、と思いました。その上、私は、理論的にものを捉える人間ではなく、いつも感覚的なのです。迷っていると、飛鳥さんは、続けて言いました。「単なる、お年寄りの回顧録ではなく、あの時代を生きた、女性史のようなものにしたいのです」
私は暫く考え、ある方に言われたことを思い出しました。
「武井さんみたいに、感覚でものを書く人は、作家にもたくさんいるわ。そういう人は、たくさん書くといいのよ」
(この方は、講談社で、『窓ぎわのトットちゃん』をまとめられた編集者でした。)私は、彼女のことを思い起こし、とにかく書いてみることにしました。辛くて書けなかったこと、失敗したことなども、思い切って書いてみることにしたのです。
また、素晴らしい方に出会ったこと、その方からいただいた宝物のような出来事を書こうと思いました。
緒方洪庵の曾孫で血清学の権威だった、東京大学教授の緒方富雄先生、心理学者で、文化庁長官の河合隼雄さん、歌人で標準語の大家、土岐善麿さん、「ひょっこりひょうたん島」の作家、山元護久さん、語り手の香椎くに子さん、異能の女優、波瀬満子さん、私の心にある素敵な出会いを、一人の胸にしまっておくのは勿体ないと思ったからです。
そして、気づきました。
たくさんの方との出会いがあって今があるということ。
私は全体主義から民主主義へ、貧しい時代から豊かな時代へ、女性差別の時代から女性登用時代へという、変化の道程にいたのだということ、それが女性史の一ページになるかもしれない、そう思いました。
本を読んだ皆さんが、私がいただいた素晴らしい宝物を、私同様に味わってくださったらどんなに嬉しいでしょう。
私はそれを心から願っています。
「青春と読書」1月号より転載
担当編集より
応援コメント
頁をめくるたびに、私の生きてきた時間まで蘇ります。
武井さん、貴重な記録を書き残してくれて、ありがとう。──小山内美江子(脚本家)
ラジオ番組の制作者として、長年日本語の「声」を追求してきた武井さんの自分史が、公の歴史に埋もれずに、生き生きと描かれています。──谷川俊太郎(詩人)
一九四五年八月十四日。NHKラジオのアナウンサーだった著者の武井さんは、女子アナウンサーだけ集められた部屋で、こう上司に告げられたそうです。
「明日、日本は負けます。反乱軍がきて『この原稿を読め』などと言われても逆らわないこと。まず自分の身を最優先に考えなさい」。
“お国のために死ぬ”という考えや“アカ狩り”という言葉が当たり前のように共有されていたときに、この発言は危険思想の主として捕らえられてもおかしくなかったのではないでしょうか。
縁あって武井さんにお会いし、終戦前日にこんなやり取りがあったということを聞いた瞬間、「本にしてこういう人達が生きていたということを残したい」と強く思いました。
その当時の暮らしぶりや生活の変化、戦争をどう捉えていたのか、ご自身の言葉で書きませんか。武井さんにそうお伝えしてから実に四年。こちらの勝手なリクエストに粘り強く付き合って何度も改稿を重ねてくださった武井さんは、九十四歳になられました。
本書には、激動の時代を生きた一人の女性の目に映った日本の姿が綴られています。大正の終わりに生まれ、昭和、平成を生き抜き、令和へ。
物も心も豊かだった戦前から、太平洋戦争を経て、戦後、そして高度経済成長期、バブルの崩壊。家庭と職場を両立させながら、ラジオアナウンサーとして、ディレクターとして、女性として、母として、世の中の変化を見続けた彼女にしか語れない言葉があります。
様々な著名人との出会いやエピソードを交えつつ、優しい文体で描かれる武井さんの人生は、まさにラジオの歴史と共にあり、時を越えて私たちに“本当に大切なものは何か”を教えてくれている気がします。
目次
初めに ─ 7
一、自由でのびやかな子供の頃 ─ 9
二、事変、戦争の足音がする少女期 ─ 65
三、太平洋戦争勃発、繰り上げ卒業となる ─ 89
四、終戦直後の混乱期 ─ 109
五、ディレクターに転身 ─ 151
六、素晴らしい人との出会い ─ 185
七、忘れえぬ人 ─ 211
八、フリーになってからの私 ─ 245
後書き
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