入ってみると、新刊も置いてある古本屋で、書棚にならぶ本の趣味がとてもよい。雑誌でも小説でもそのほかの本でも、思わず手に取りたくなるものが多かった。夏には蜜がけのかき氷、冬には保温器に入れたあたたかな甘酒をついでのように売っていて、ちょっとしたカフェのようでもあるらしい。初めて訪れたこのときも、店内のテーブルで、子どもがドーナツをたべていた。それが有里子さんの息子の遼くんで、その奥のレジカウンターで、パソコンをひらいて作業をしていたのが有里子さんだった。
何度か本を買ううちに、話すようになった。有里子さんは婚約者だった男性と死別して、ひとりで子どもを育てている。地元のフリーペーパーや地域の個人事業主の広告、区のパンフレットなどの、グラフィックデザインの仕事を請け負いながら、この店をしているのだといった。ふたつ年上だったが、年齢とは関係のない、性質としての落ち着きを持ったひとに感じられた。
春生との破局にまいって立ち直れない心境でいた私は、有里子さんと知りあったことでずいぶん助けられたと思う。町のことを教わり、本のことを教わった。いっきに距離が縮まったのは、有里子さんが広告の仕事でなにかトラブルがあり、これから急きょクライアントのところに行かなくてはいけないというときに、私が遼くんの保育園のお迎えを買って出たことがきっかけだった。有里子さんから店の鍵を預かり、駅の裏手にある保育園まで遼くんを迎えに行った。コンビニに寄っておやつを買い、店でそれをたべながら有里子さんの帰りを待った。
「ひの子ちゃんありがとう、助かった!」
帰って来た有里子さんは、
「よかったら一緒に夕食行かない?」
と、誘ってくれた。それから、月に数度は一緒にごはんをたべるようになった。近所のファミレスに行くこともあったし、閉めたあとの店のなかで、カセットコンロやホットプレートを出し、鍋やお好み焼きをつくることもあった。
「有里子さんがけやき書店をしてくれてて、ほんとによかった。けやきがなかったら、孤独すぎたと思います」
「ひの子ちゃん、つきあってたひとのことを引きずってるっていってたよね。いまもそうなの?」
「そうなんです。自分でもどうしてこんなに引きずってるのかわからないんですけど、年齢もあるのかな。前に友だちにいわれたんです。身体の怪我と同じで、喪失感も年をとるほど治りが遅くなるって」
「なるほど。彼のほうは二十代なんだっけ」
「いま二十四で、来年二十五になるのかな。彼は私のこと、思い出しもしてないと思います」
(『コークスが燃えている』より一部掲載)