『できない男』刊行記念対談 脚本家・徳尾浩司×作家・額賀 澪
自信はなくても、決断はできる。

青春小説の書き手として知られる額賀澪さんが、20代終わり〜30代初めの働く男性たちを主人公に据えた『できない男』。
実は本作執筆の陰には、テレビドラマ『おっさんずラブ』シリーズ(※テレビ朝日系/2016年~2019年)の存在があった。
脚本家の徳尾浩司さんを対談相手に招き、感謝を伝えるとともに、小説と脚本の違いについて二人が語り合った。
「『できない男』には共感しかない!」(徳尾)。

構成/吉田大助
撮影/冨永智子

社会人としての物心がつくタイミングは
30歳手前くらいだと思うんです(額賀)

額賀 今回の対談が決まってから知ったんですが、徳尾さんは4月期の連ドラの脚本を書かれるんですよね(※TBS系『私の家政夫ナギサさん』)。めちゃめちゃお忙しいところ、今日はありがとうございます。

徳尾 こちらこそ、声をかけていただいて感謝しています。脚本の世界とは違う、小説の世界で活躍している方に、自分がやっていることに興味を持ってもらえるのはすごく嬉しいんです。

額賀 『できない男』の単行本化の作業をしていた時期が、『おっさんずラブ-in the sky-』(連ドラ版第2弾)が放送されていた時期と被っていたんですよ。編集さんと本の打ち合わせそっちのけで『おっさんずラブ』話で盛り上がっていたこともあり、駄目元でお声がけしてしまいました。

徳尾 『できない男』を読ませてもらったら、僕に声をかけてくださった理由がわかったというか、読みながらものすごく共感しました。共感しかないですね。

額賀 ホントですか!! 『できない男』は20代の終わりから30代初めの男性ばっかり出てくるお話なんですけど、書いている私は今年30歳の女なので、男性が読んだ時にどこまで共感したり、逆にちょっと違いを感じたりするのかなと思っていたんです。

徳尾 女性が20代の終わりになって、仕事のことや恋愛や結婚、いろんな決断に迫られて悩むというのは、ドラマでよく描かれるテーマなんです。『できない男』を読んで、そっか、男性も同じだよな、と思ったんですよ。男性も女性と同じように、20代の終わりに悩むし、「決められない」ってことに苦しんだりするよな、と。

額賀 人としての物心がつくのって、早い人だと小学校高学年から中学校ぐらい。でも、社会人としての物心がつくタイミングって、30歳手前くらいじゃないかなと思います。がむしゃらに働いていた状態をちょっと抜けて、周りが冷静に見えるようになってくることで、自分には何ができて何ができないのか、自分の今後もはっきり見えるようになってくる。

徳尾 病むのもだいたい、このぐらいの年齢と言われていますよね。

額賀 私のまわりもだいぶ、病んできてます(苦笑)。

徳尾 僕はドラマのために、30歳前後の働く女性の取材をしたことがあるんですけど、みなさん悩んでいますね。「もっとできるはずなのに」と、自分の理想と現実のギャップに苦しんでいたりする。「このままでいいんだろうか?」とか。

額賀 大学生ぐらいの時って、同世代で集まるとキャピキャピと未来の話をしてたんですけれど、今って将来の話をしてるんですよね。バラ色とは言わないまでも想像の先にある未来ではなくて、地に足のついた現実の先にある将来の話をしている。思い切って転職しちゃった人もいますし。

徳尾 僕も、28歳だったかな、会社員を辞めたんです。今の仕事との両立がうまくできなくて、会社にもうこれ以上は迷惑をかけられないな、と。でも、それは一時的に書くほうの仕事が忙しかっただけで。その仕事が終わるとしばらく何もない状態が始まって、また仕事が入ってまた何もなくなって、という状態が数年続きましたね。

額賀 私は26歳で会社を辞めたんです。デビューした時は兼業だったんですけど、書いていた本がちょっと難航して、しかも会社の仕事のほうも難航してしまって。思い切って会社を辞めて、小説に専念することにしました。ただ、その本を出した後にはやっぱり、オフみたいな時間ができる。家で天井を見上げながら、「これからは小説だけで頑張っていかなきゃいけないんだよな」って、焦った記憶が今まざまざと蘇りました(笑)。

徳尾 自分のやりたい方向に進んでいくのは、気持ち的にはラクになるんですけど、現実問題どうやって暮らしていくかとなると、うずくまっちゃいますよね。逆に会社員の時は、日々の暮らしは困らないけれども、「これでいいんだろうか?」って疑問は常にありました。

額賀 毎月決まったお金が入るって、すごいことですよね。

徳尾 固定給は尊いです。今でもそれは思います。

額賀 誰かに「会社を辞めて、自分がやりたい道に進もうと思ってるんですけど」って相談されたら「辞めないほうがいいと思うよ」って言いますもん。

徳尾 言ってしまいますね。「思い切って辞めちゃいなよ」とか、そんないい加減なことはちょっと言えない。

額賀 「何とかなるよ」なんて、口が裂けても言えない!(笑)

「いかに己が自立して生活をするか?」がベース。
恋愛ってその上に立つ存在でしかない(徳尾)

徳尾 『できない男』の主人公の荘介は、28歳の童貞で、地方の広告制作会社でデザイナーとして働いている。いろんな場面であらわになる彼の自己肯定感のなさが、ものすごくリアルだなと感じました。僕も自信は持てないほうなので、荘介が「自分なんて」と悩んでいる姿を見て、これまでの自分の人生を思い返しましたね。今の若い男の人たちなんて、時代や世の中の変化もあり、もっと自信が持てなくなっている気がするんですよ。昔のテレビドラマを観ていると、若い男の子たちが軽快にお金を使ったり、車に乗って女の子を口説いたりしていて、「その自信はどこから来ているんだろう?」と思うんです。

額賀 根拠のない自信って、今、持ちづらいですよね。

徳尾 今は全部の情報が目に見えるものになっちゃっていますから。過剰な自信を持てないというか、「俺はもっとできるんだ」なんてあんまり思えないんです。「できない」ことがわかっているから。

額賀 自信には根拠が必要、ということになっているんだと思うんです。若さの特権って、根拠がない自信を持てるってところだったはずなのに。

徳尾 本当にそう思いますね。だから、荘介の最後の「決断」は、見る人にとってはとてもちっぽけに思えるかもしれないけれども、自信が持てない今の時代のサイズ感で考えると、「大きな決断」。あの結末の付け方が、今っぽいなと思ったんです。

額賀 私はこれまで10代の子たちの話を書くことが多かったんですが、『できない男』ではグッと登場人物たちの年齢を上げたんです。最初は何を書きたかったかというと、恋愛だったんですよ。「額賀さんの小説には恋愛が出てこない」と指摘されることが多かったので、「やってみるわい!」と。タイトルも、確か『恋に疲れた僕たちは』だったはず。

徳尾 今とはだいぶ雰囲気が違いますね(笑)。

額賀 でも、実際に書き出してみたら、荘介は何事にも自信を持てない人だから、全然動かなかったんですよ。恋愛を主軸にするのをやめて、自分の生き方みたいなテーマに寄っていくことにした時に、自然と動かせるようになったんです。その時に思ったのは、この子は恋愛で悩んでる場合じゃなかったんだなと。

徳尾 恋愛は、彼が抱えている問題の一つではあるけれども、根本ではなかったってことですね。

額賀 そうなんです。「仕事ができない」ってことが、彼の自信のなさや、彼が抱えているあらゆる問題のスタート地点にある。そこに気づいてからは、最後までドドドドドーッと動いていってくれた感じですね。荘介にとって必要なのは、「仕事がちゃんとできる自分である」ことだったと思うんです。

徳尾 バブル時代のドラマは恋愛至上主義で、登場人物たちが恋愛ばっかりしていますよね。「この人たちは昼間、何をしているんだ?」と疑問に思ってしまう(笑)。今は男性も女性もバリバリ働いている時代だから、同じような描写をしたら観ている人から「仕事しろ」ってツッコミが殺到すると思います。今はじゃあ何が人生のベースにあるかと言うと、仕事なんですよね。「いかに己が自立して生活をするか?」がベースにあって、恋愛ってその上に立つ存在でしかないと思うんです。

額賀 仕事がうまくいくと、上に乗っているものもうまくいく。今の時代はその順番でしか、人生の悩みは解決しないのかなぁと思います。「恋愛がうまくいったから、仕事がうまくいく」というサイクルは、なかなか描きづらいです。

僕の台本は「えっ」「えーーーっ」とかばっかり。
それを小説でやったら、中身がなくなっちゃいます(徳尾)

額賀 私は最近、テレビドラマをよく観ているんです。観ている人を離さないための展開の工夫や、各話の序盤の入り方や終盤の引き、キャラクターの作り方が、勉強になるところが多いんですよね。そもそも小説って、読者が50歩くらい作者のほうに、作者は50歩くらい読者のほうに歩み寄って、お互いの真ん中あたりで物語が成立するものだと思うんです。でもテレビって、視聴者が歩いてきてくれるのって、3歩ぐらいの感覚なんじゃないかなと……。

徳尾 ええ。ほとんど、歩いて来てはもらえないのではないでしょうか。

額賀 歩かないんだ!

徳尾 映画や舞台はお金を払って、好きな人が作品を観に来るものなので、歩み寄りはあるものなんですが。テレビの場合は、視聴者はソファーから一歩も動かずベタ付きで、「何を観せてくれるんだろう? つまんなかったら替えるね?」みたいな。作り手も常にそういう危機感を心の隅に持っています。

額賀 その状態の人に物語を届けるのって、めちゃくちゃ大変だなと思います。だからこそ、勉強になるところは大きいんです。それで思い出したんですが、私は大学の時に、脚本を書く授業を取っていたんです。課題を読んだ脚本の先生から毎度言われていたのが、「登場人物が全部のっぺらぼうに見える」と。ここに地の文で心情とかをいっぱい書いていくと、登場人物たちは魅力的になるんだけど、脚本ってそれができないんだよ、と。ああ、私は脚本には絶対向いてないと思いました。

徳尾 僕も小説は好きなんですが、自分では絶対書けないです。

額賀 ホントですか!?

徳尾 小説って、脚本と違って地の文を書き込めるじゃないですか。例えばこの人物が驚いた時にどういう驚き方をしたかってことを、セリフじゃないところで、ちゃんと描写しますよね。僕、それができないんですよ。僕の台本を開くと、「えっ」「えっえっ」「えーーーっ」とかばっかりなんです。

額賀 目に浮かびます!(笑)

徳尾 脚本はセリフを書くものなので、「えっ」が具体的にどういうニュアンスの「えっ」なのかというのは、ト書きなどの説明文ではなく、前後の登場人物の心情や会話の流れから分かるように組み立てられている。難しい言葉はほとんど出てこないし、どこにでもあるありふれた日常会話だから、ドラマの脚本を読むと「自分でも書けそう」と思う人が多いみたいです(笑)。

額賀 小説の会話文って、日常会話ではないんですよね。脚本のセリフのように、役者さんが声に発して読みあげるものとしての会話文ではないというか。

徳尾 それを小説でやったら、中身がなくなっちゃいますよね。「えっ」「えーーーっ」とかって会話、小説で読みたくない(笑)。もうちょっと漢字で喋ってほしいというか、読み応えのある会話を求めている気がします。

額賀 確かに小説の会話は、積載量多めで書かないといけない。小説と脚本って、どっちも言葉だけで作られるものだけれど、だいぶ違うなって思いますね。連ドラの脚本とか、絶対書けないなと思いますもん。小説と違って予算とか、スタッフや役者さんの問題も関わってくるし、制約がいっぱいありますよね?

徳尾 制約しかない、ですね(笑)。僕はもともと舞台の台本を書いていたので、そこからテレビの世界に来た時に、制約だらけでものすごく窮屈だと感じたんです。でも、そういった制約というか作法を学んでいくうちに、その中で自由に遊ぶ術が身についてきたんですよね。

額賀 プロデューサーさんの存在もすごく大きいと聞きます。

徳尾 そうですね。プロデューサーを中心に何人かで話し合って、全8話予定なら8話分のストーリー全部の流れを決めてから、ようやく台本を書き始めます。ただ、会議の時って、ストーリー全体の流れを上から眺めている状態なんですよね。キャラクターを、人間ではなくゲームのコマのように動かしている。でも台本を書く時に同じモードで入っていったら、面白くならないんですよ。小説もたぶん一緒だと思うんですけども……。

額賀 一緒です!

徳尾 人物の目線で書いていかないと面白くないというか、人物の気持ちが本当の意味で動いていかない。上から俯瞰するのではなく、書き手も地面に降りないとだめですね。ストリートビューのような感じで。

額賀 「マップ」だと無理なんですよね。ストリートビューの感覚にならないといけない。

徳尾 事前にみんなで決めたストーリーを書こうとしてうまくいかない時、そこからが脚本家の仕事だなって思います。

額賀 私は基本的に、人物の視点じゃないと書けないんですよ。小説を書く前段階で、編集者に「プロットを提出してください」って言われても、最後まで書けないことがほとんどなんです。「そこまで辿り着いたら見えてくると思います」で押し通します。

徳尾 それ、小説のいいところですね! ドラマの脚本会議で「最終回の展開は乞うご期待!」と言ったら、クビになるかもしれません(笑)。

作家としての気概を試されるような時が
私自身にもいつか来るような気がしている(額賀)

額賀 実は『できない男』の荘介を書いていくうえで、『おっさんずラブ』の春田の描かれ方がとても刺激になりました。主人公ってついかっこいいところを書きたくなっちゃうんですけど、その人のダメなところとか、かっこ悪いところをしっかり書くのが大事だよなって。随所に現れる春田のダメなところが、人間性を引き立てるんですよね。かっこいいシーンよりダメなシーンのほうが、人間味が伝わってくるんです。

徳尾 ダメなところを見せることで、みんながかまいたくなるって感じですよね、キャラクターとしては。春田を演じた田中圭さんご本人の魅力とも近いところがあるかもしれないんですけれども、周りを引き寄せる力がある。ほっとけない、というか。

額賀 春田は、吉田鋼太郎さん演じる黒澤部長に「好き」って言われても、はっきり拒否しないじゃないですか。「拒否できない男」ですよね(笑)。

徳尾 僕の中では、彼はすごく優しいキャラクターなんです。人を傷つけたくないから、例えば好きじゃない人に「好き」って言われても、「でもこの人のこと、人間的には好きだからな……」と悩む。「いや、男とはつき合えないんで」と言える人ではないから、そうするとまた部長の勘違いがこじれていって、「どうしよう、どうしよう」となってしまう。でも、本当にそれは優しいかっていうと、はっきりしないのは罪だよという考え方も当然あるわけじゃないですか。優しさって逃げでもあるから、「自分が結局よく見られたいだけなんじゃないの?」と。断り切れないとか、はっきり言えないところは、かわいいところではあるけれども、結果的に周りの人たちを振り回してしまう。

額賀 お話を聞きながら、ドラマの興奮が蘇ってきました。私はファーストシーズンの最終回、冒頭の展開が大好きなんですよ。ネタバレなので内容は伏せますが、春田のあまりの拒否できないっぷりに、度肝を抜かれました(笑)。その過程では、描かれなかったいろいろなエピソードがあっただろうとは思うのですが……。

徳尾 春田という人物は、ドラマの主人公にしてはめずらしく受け身なキャラクターだと思います。『できない男』の荘介もどちらかと言うと受け身で、能動的にぐいぐいと、もがきながら進んでいくタイプではないですよね。最初は何がなんだかよくわからないまま、大きな状況に巻き込まれていく。巻き込まれていくためには、主人公のリアクションと、あとは状況をかき乱していく周りのキャラクターが大事。そのあたりも、楽しく読ませてもらいました。

額賀 周りにいる人がいろんなボールを好き勝手投げてくるのを、「無理だーっ」と言いながらひたすらキャッチして、投げ返せずにボールが山盛りになっちゃって「どうしよう……」ってなってる。そんな感じの主人公です(笑)。

徳尾 もう一人、東京のデザイン会社のアートディレクターで、32歳の裕紀というキャラクターが出てくるじゃないですか。彼もまた、悩んでいますよね。彼の場合、仕事はできるんだけど、「今のままでずっと進んでいっていいのか?」というところで悩んでいる。

額賀 裕紀の場合は荘介と違って、自分の今いる場所や今の仕事の仕方が性に合っているんですよね。でも、だからこそあえてそういう場所を出て、自分に自信や自己肯定感を持って、いっぺん勝負してみる必要があるのかもしれない。「お前は一段階上に行く気はあるか?」という作家としての気概を試されるような時が、私自身にもいつか来るような気がしているんです。そこで尻込みしちゃう自分をどう乗り越えるかということを、裕紀を通して私自身が追体験してみた感覚はあります。

徳尾 裕紀の決断も、「大きな決断」ですよね。

まずは「やる」と選ぶ。その後で、成功にするためには
どうしたらいいんだろうという順番で考えを進める(徳尾)

徳尾 決断って、間違っていたか正しかったかは、先にならないとわからないものですよね。だけど「決める」ってこと自体が、その人の人生にとってすごく大事なことだなと思うんです。極論を言えば、決断した先で失敗してもいい。もちろん失敗はしたくないけど、それ以上に「やらない」ことのほうが実は問題というか、そこからは何も生まれない。まずは「やってみる」ことが大事なのかなと思いながら、『できない男』を読ませてもらいました。なんていうか、清々しいんですよ。

額賀 やらなかった後悔ほど、重い後悔ってないなと思うんです。

徳尾 そうかもしれないですね。

額賀 思い切ってやったけど失敗しちゃったことって、意外と「たられば」がピンポイントなんですよ。明らかにあれが失敗の種だったから、あれさえやらなきゃよかったって、後悔の的が絞れる。やらなかった場合って「たられば」を考えるポイントが多過ぎるし、無限に想像が膨らんでしまうと思うんです。

徳尾 難しいですね、決断っていうのは。僕は自信もないし、うまくいくともあんまり思えないし。決断したことのうち、失敗したか成功したかで言ったら、失敗のほうが多い(笑)。でも、「変化をしなければいけない」という思いは常にあるんです。結果的には失敗になったとしても、自分が今の状態よりも、上であれ下であれ変わるなって方向に行ったほうが、面白いんじゃないかなって思うんですよ。だから仕事においても「これ危ない道だなあ」と思いながら、たいてい進むほうを選んでしまう。

額賀 確かに、「このお仕事をやりませんか?」と提示されて、明らかに自信はないんだけれども、「あっ、これは恐らく断ってはいけないやつだな」って感覚が働いて引き受けることはありますね。

徳尾 自信はないんですよね。自信はなくても、決断はできる。選ぶ前に、うまく成功させられるんだろうか、失敗しちゃうんじゃなかろうかって真剣に考え始めると、なかなか決断できないんですよ。まずは「やる」と選んだ後で、成功に「する」ためにはどうしたらいいんだろうという順番で考えを進めていったほうが、生産的ですよね。

額賀 失敗ではない結果に終わらせるために、何とかしよう、何とかしよう、となりますよね。『できない男』の2人も、最大公約数的な幸せって考えると、最後に決断しないほうがよかったような気もするんです。でも、彼らにとっては、そっちを選んだほうが幸せだった。読者の方にも、そう感じてもらえたら嬉しいなと思っています。あっ、最後にひとつ、お伝えしてもいいですか?

徳尾 は、はい。

額賀 『おっさんずラブ-in the sky-』の春田の決断、最高でした!

徳尾 ありがとうございます(笑)。

額賀 新しいドラマも楽しみにしています。ソファーでふんぞり返らず、正座で観させていただきます(笑)。

担当編集より

吹奏楽、競歩、駅伝……さまざまなテーマで、懸命に今を生きる若者たちの青春を描いてきた額賀澪さん。打って変わって今作はアラサー男子が主人公。とっくに大人なのに、未だに大人になりきれずにいる二人の「できない男」の物語です。

舞台は東京から高速バスで2時間、山と田圃に囲まれた“夜明けの来ない夜越(よごえ)町”。
食品メーカーと共同で、農業テーマパーク事業が立ち上がり、弱小広告会社のデザイナー
芳野荘介は、そのブランディングチームに地元出身枠として突然放り込まれることに。
超一流クリエイター南波仁志の右腕として活躍する河合裕紀とともに、一大プロジェクトに挑んでいくが──。

恋愛経験ゼロ、仕事も冴えない荘介と、仕事は有能でも、恋人に二股をかけられて以来、本気の恋愛に踏み出せないままの裕紀。

真逆な二人の「できない男」が、それぞれが抱えるダメさと格闘しながら成長していく姿が最高に愛おしい、大人による大人のための青春小説です。ぜひご一読ください。

【書評】青春小説以上に青春小説 評者:吉田大助

 青春小説の旗手が世に送り出した『できない男』は、著者初のお仕事小説でもある。選ばれた職業は、デザイナー。ともすれば説明が面倒くさくなりがちな職種であり、ましてやボスやチームメイトと組んで働く「社員デザイナー」の世界が舞台だから、お仕事描写だけで結構分量を食いそうなもの。が、総ページ数は二五六ページ。短いんじゃない。濃ゆいんだ。しかも、読み心地は軽やか。ベラボーに面白い。

 まず登場するのは、東京から高速バスで二時間のところに位置する田舎町で、地元密着な仕事ばかりを引き受ける弱小広告制作会社のデザイナー、芳野荘介。二十八歳で実家暮らしの彼は、恋愛が「できない男」だ。年齢=彼女いない歴ゆえの童貞あわあわ感が、仕事やら女性とのコミュニケーションに滲み出ている。でも、悲壮感がないところはチャーミング。そんな荘介が、地元に新設される農業テーマパークのブランディングチームの一員に抜擢され、東京の超有名デザイン事務所で働く三十歳の河合裕紀と仕事をすることになる。裕紀はモテるし仕事は「できる男」だったが、元カノに二股をかけられたショックで新たな恋愛に踏み出せず、二股をかけられていたもう一人の男・賀川尚之となぜだか仲良くなって、日がなサシ飲みを繰り広げている。

 二人目の主人公である裕紀に「覚悟が『できない男』」という設定を取り入れたことが、この小説にとって大きなブレイクスルーとなった。仕事が「できる/できない」という能力の問題とは違い、覚悟は本来「やる/やらない」という意思の問題だ。にもかかわらず「できない」の感情で塗り潰していたからこそ、河合裕紀は変われなかった。それは、芳野荘介も同じだった。賀川尚之もまた。

 この小説は、「できる/できない」の価値観に囚とららわれていた男たちが、「やる/やらない」の価値観へとシフトする物語である。そのシフトが問答無用の説得力を持って描かれているから、ベラボーに面白いのだ。実は、青春小説以上に青春小説です。
(よしだ・だいすけ/ライター)