担当編集より

愚直で必死な姿はいつまでも応援したくなる

サイエンス×忍者と申しましても、先行の某傑作的な科学忍法は登場しません。
眠らない少女が、持てる力をすべて使い尽くして、戦い、生き、もがく。
その葛藤は私たちと同じ。愚直で必死です。
読み進めるうちにどんどん主人公の史奈を応援したくなること間違いなし。
……などと、私が言葉を重ねますよりも、小説すばる連載時より応援し続けてくださった北大路公子さんの書評をご高覧いただきたく存じます。
作品を読む前にはすぐにでも読みたくなり、読んだ後にはより一層作品が愛しくなる、そんな素敵な解説です。では、どうぞ!

【書評】評者:北大路公子(ライター、エッセイスト)

忍者の末裔の少女、
生きる喜びと戦い

 わずか七日間の物語である。
 滋賀の山間に暮らす〈梟〉と呼ばれる人々。忍者の末裔とされる彼らの村が、ある夜、何者かに襲撃される。一人死亡、残り十二人の住民は全員行方不明。村の掟に従って風穴に隠れていた十六歳の史奈だけが、たった一人で取り残される。悲しみながらも、彼女は決意する。自分が仲間を探し出すのだと。
 冒険譚のような始まりの本書には、わくわくする仕掛けが随所にちりばめられている。「眠らない」という〈梟〉の特殊な性質。一族に受け継がれる高い身体能力。神社を使った秘密のネットワーク。「カクレ」や「シラカミ」といった意味ありげな符牒。それらすべてが史奈の強力な武器となり、物語を推し進めていくのだ。わくわくしないはずがない。
 だが、本書の魅力はそれだけではない。当初、史奈にとっての世界は二つにきっぱり分かたれていた。「梟」と「外」、「里」と「下界」、「味方」と「敵」。それは幼い頃から教え込まれてきた考え方であり、その考えが一族の存在と血を守ってきたといってもいい。史奈自身も「梟」の「里」で「味方」とともに生きていくのだと信じていたのだ。
 そんな彼女の目に、外の世界はどう映るのか。暴力的な環境の変化は、どんな歪みをもたらすのか。読者の心配をよそに、彼女はすべてを受け入れる。「外」の者との友情や愛情、隠してきた能力への科学的アプローチといった相反する価値観が、史奈という聡明な少女の中で無理なく一つに融合されていくのである。どちらか一方が正義なのではない。善悪や正邪を判断する必要もない。異なる存在をただ認めるだけで、生きる喜びが広がることもあるのだと、本書は史奈の姿を通して見せてくれるのだ。
 わずか七日間の物語と書いたが、眠らない〈梟〉にとっては、人生自体が長い長い一日のようなものなのかもしれない。悠久を見渡し、変化を包み込むような一冊である。

北大路公子(きたおおじ・きみこ)●ライター、エッセイスト

(「青春と読書」3月号より転載)