プロフィール
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荻原 浩 (おぎわら・ひろし)
1956年埼玉県生まれ。コピーライターを経て、1997年『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2005年『明日の記憶』で山本周五郎賞、2014年『二千七百の夏と冬』で山田風太郎賞、2016年『海の見える理髪店』で直木三十五賞を受賞。『海馬の尻尾』『それでも空は青い』『楽園の真下』など著書多数。
特別対談 こうの史代×荻原浩
“凡人”だから、物語を紡げる。
『人生がそんなにも美しいのなら 荻原浩漫画作品集』
愉快に笑ったあと、気づくとしんみりする。怖ろしそうなのに、なぜだか胸が温まる。
喜びとペーソスに満ちた作品で人気の小説家・荻原浩さんが、60代にして「漫画家」デビュー!
『人生がそんなにも美しいのなら 荻原浩漫画作品集』は、ハートフルでノスタルジックな筆致をベースにSFやホラー、社会風刺など、さまざまな要素を取り込んだ短編漫画8編からなる、珠玉の作品集です。
刊行を記念してお招きしたのは、映像化された『夕凪の街 桜の国』や『この世界の片隅に』、また、『ぼおるぺん古事記』や『日の鳥』など繊細かつ斬新な作品を次々世に送り出す漫画家・こうの史代さん。
以前から大ファンだという荻原さん、やや緊張の面持ちです。
構成=大谷道子/撮影=冨永智子
40年越しの「怨念」を込めて?
40年越しの「怨念」を込めて?
荻原 こうのさんの作品を以前から読ませていただいていました。もう、本当に素晴らしくて……。小説家に会うときはまったく平気なんですが、そんなわけで、今日はとても緊張しています。
こうの わたしも『海の見える理髪店』(集英社文庫)などの作品を読ませていただいて、こんな素敵な小説を書かれる方が漫画までお描きになられるなんて、すごいなぁと……。どうして描いてみようと思われたんですか?
荻原 漫画家になりたいと思ったのは、実は小説家よりも先なんです。今から40年以上前になりますが、大学4年のとき、会社に勤めたくないという、ダメなヤツの典型みたいな発想で、「よし、漫画家だ!」と。
こうの モラトリアムというやつですね。
荻原 ええ。わりと絵は得意で、周りからもうまいと言われていたんですが、これがぜんぜん描けなくて。鉛筆で下描きはできるんですが、ペン入れを始めた途端に……。これ、漫画家になりたい人間のつまずきの、初歩的なやつらしいですね。
こうの 下描きのとおりに描けない、ということでしょうか。
荻原 描けないですし、ペン先からこう、(インクが)ボタッ、ボタッと垂れて。
こうの ああ、まずペン先を拭かないといけないんですよ。保護の油が塗ってあるので、それを落とす必要があるんです。
荻原 そういうことだったのか……(苦笑)。いや、どちらにしても、まるで思いつきだけでしたから。小さい頃から石ノ森章太郎の『マンガ家入門』(秋田文庫)を読んでいて、憧れの職業ではあったんですけど、ちゃんと行動してこなかった、ただの自分探しダメ野郎でした。
こうの 小説家になりたいと思ったことも、少しはあったんですか?
荻原 文章はそんなに好きではなかったんですよ。卒業して広告業界に入って、一応文章の仕事をしていたんですが、まったくの筆不精でした。それでも独立して事務所を構えて、わりといい感じで仕事が来て、それなりに達成感もあったんですが、40歳くらいの頃、「俺の一生、このまま終わっちゃうのかな」と思って。何か違うぞと思って、急に小説を書き始めたんです。
こうの へぇーっ。
荻原 それで運よく20年やってきて、60近くになったときに、また「このままでいいのかな?」と……。だいたい20年周期で、そういう時期が来るみたいなんですね。
こうの フフフ。でも、漫画もすごく面白かったです。SFとか、懐かしい感じのものとか、いろんなタイプの作品があって。最初に描かれたのはどれですか?
荻原 「小説新潮」に寄稿した4コマ漫画「吾輩は猫であるけれど」です(『吾輩も猫である』新潮文庫に収録)。夏目漱石の没後100年・生誕150年記念の猫特集のときに、自分で売り込んだんですよね。「小説は無理ですけど、漫画なら描けるかもしれません」って。
こうの これ、大好き。かわいい猫のモデルが、明るいところに行ったりフラッシュを焚いたりしたら目つきが怖くなってかわいくなくなるのとか、最高ですよね。
荻原 ありがとうございます。とにかく、描けるものを描こうと思ったんですね。人間はダメでも猫や子どもなら描けるんじゃないかと。それまで自分のエッセイの挿絵を描いたことはありましたが、漫画は何十年も描いてなかったので、結局長編小説半分くらいの手間暇がかかりました。
こうの 今回の作品集に収録されている作品の中では「祭りのあとの満月の夜の」もいいですね。いちばん好きかもしれない。
荻原 「小説すばる」で連載したときの最初の作品で、4コマじゃないものはこれがはじめてでした。どんどん変化していく、びっくり絵本みたいな感じですね。
こうの 絵柄も、どんどんこなれていってますよね。いちばん新しい作品は?
荻原 「大河の彼方より」です。この単行本のために描き下ろしたもので。
こうの これも好き。諸星大二郎さんの読み切りと、ちょっと作風が似ていますよね。
荻原 諸星さん、大好きです! 「週刊少年ジャンプ」にはじめて載った「生物都市」(『諸星大二郎自選短編集 彼方より』集英社文庫所収)を読んで、「俺も手塚賞を獲りたい」と思ったことがあって……。実は、最初に話した、ボタボタの下描き数枚で終わったのはこの作品で、本当は手塚賞に応募するつもりだったんです。
こうの じゃあ、構想40年なんですね。
荻原 はい、技術も40年前で止まっている感じですが。描いているときは、もう気負っちゃって気負っちゃって……。
こうの 昔の自分に申し訳が立つように、ってことでしょうか。でも、今でも描きたかったということですよね。
荻原 そうだったんだと思います。40年って、ほぼ怨念ですね(笑)。まあ、ストーリーは成仏させてあげられたかなとは思いますが、やっぱり絵が……。
こうの でも、けっこういい形になっているんじゃないでしょうか。情報量がテーマに合っていて、ちょうどいい気がします。
荻原 そうでしょうか。こうやって本を出す以上は、読者の方に読んで驚いてほしい気もするんですが、一方で「あんまり読まないで……」と、本を抱いて消え去りたい気持ちもあるんです。
こうの でも、貴重な作品集ですよ。一編一編が読み切りで、しかも違う絵柄やシチュエーションを実験しながら大切に描かれた漫画って、なかなかない。今は、続きが気になる長編やスマホで手軽に読めるものなど、早く描けて長く続けられる漫画が多くなっている時代ですが、こんなふうにきちっと作られた短編集が世に出るというのは、漫画業界にとっても新たな希望になるんじゃないかと思います。
作品が、作家の想像を超えていく
荻原 ありがとうございます。その言葉を支えに生きていけそうですが、僕なんかよりこうのさんのお話を……。あのー、質問してもいいですか? 普段はつけペンで描かれているんですか。
こうの そうですね。でも、『ぼおるぺん古事記』(平凡社)を描いてから、ボールペンの面白さに目覚めまして。
荻原 すごい作品ですよね。いちばん描きづらい画材のような気がするんですが……。
こうの つけペンだとシャープな感じになるんですが、私、絵柄的にそんなにシャープなものを求めていないような気がして。その点、ボールペンはちょっと味があって面白いかなと思ったんです。愛用していたペン先や漫画原稿用紙が廃番になったりして、いろいろと模索していたときだったので、思い切って試してみました。1本70円、80円で買えて、安上がりですし(笑)。
荻原 チラシみたいな紙に描かれた作品もありましたよね。えーと、これだ(「古い女」『平凡倶楽部』所収・平凡社)。
こうの これ、本当にチラシに描いているんですよ。柄が透けるように、油絵用のオイルを塗ってその上から。編集さんが、それふうに重ね刷りしますよって言ってくださったんですが、ちょっとやってみたくて。
荻原 へえーっ。あと、『この世界の片隅に』(双葉社)では、主人公が右手を失ってからの背景を、左手でお描きになったと。
こうの はい。背景だけですけどね。1話ぶんだけすべて左手。残りは下描きは右手で、ペン入れを左手で。
荻原 しかもそのことを、とくに大きく打ち出してはおられないですよね。なぜそこまで?
こうの やっぱり、ちょっとやってみたかったんじゃないでしょうか。主人公の失ったものは、そう簡単に戻るものじゃないということを、自分の中でずっと心に留めておきたかったんだと思います。左手はとくに上手に使えるわけじゃないですから、しばらく練習はしました。でも、あんまり上手になり過ぎてもいけないから、途中でやめて……心配しなくても、そこまで上手にはならなかったですけど(笑)。
荻原 ああ……。お聞きして、だからああいう素晴らしい作品になるんだと、あらためて思いました。描き込みもすごい。漫画を描いていて行き詰まると、こうのさんの作品を読み返して……たとえばここ(双葉社刊『この世界の片隅に』の海苔を干す場面を示す)を見て、「お前はこんなふうに海苔の一枚一枚を描けているのか?」って。
こうの そう思っていただけたらうれしいです。
私、本当に描くのが遅いんですよ。お話を考えるのが、だいたいの目安として、ページ数と同じくらいの日数がかかるんです。16ページなら、ネーム(セリフや場面を大まかに示した絵コンテ)を作るのに16日くらい。で、作画に入ると、その7、8割くらいの日数が。
荻原 僕なんかはペースも何もないんですが、プロの方がサラッと描くネームも、僕の腕前だと誰も信用してくれないので、かなりちゃんと描き込みました。ひと月くらいかけて、人の顔までしっかり。
こうの (荻原さんのネームを見て)うわぁ、すごい。きれい。ここまで描き込まれると、作画に入ったときに落ち込みませんか? 「あのときのほうがよかった」って。
荻原 そうなんです! その通り。
こうの ネームを描きすぎると、「前のよさが出ていない」と落ち込んで、やる気が途切れてしまうんですよ。だから、ネームはちょっとデッサンが狂ってるくらいで止めておいて、ペン入れまで本気が続くようにするんです。編集さんに「まあいいですよ」と言われたら、心の中で「こんなもんじゃないんだ、今に見てろよ」って(笑)。
荻原 ハハハ。しかし、本番でも左手で描いてるんじゃないかと思うくらい、僕はうまく描けなかったですね。頭の中ではできているのに……。本ができた今でも、時間さえあれば全部描き直したいくらいです。
こうの 私もそうですよ。本になったときに「もうちょっと何とかしようがなかったのか」と思ってばかりです。でも、たまーにですけど、自分の頭で考えたよりもよく描けることもあるんですよね。物語も、思った枠にはまらないことは多いですけど、そういうときは想像を超えた、作家本人にとってももう未知の領域に入ったな、と思います。
漫画にできること、小説だからできること
荻原 小説も、まさにそうですね……って、いきなり自分のほうに引き摺り込んで、偉そうに言ってみたりして(笑)。
こうの でも、そこをお伺いしたかったんです。
荻原 最初からきっちりプロットを作ってその通りに書いても、面白いものは意外と書けないです。意外とどころじゃなくて、僕の場合はまったく、かな。ぼんやり決めて書き始めて、途中で「この人はこういう人間だから、きっとこういうことをやらかすだろう」ということがわかってくる。
こうの 「キャラが立ってくる」という状態ですね。
荻原 はい。そうするともう、後はその人に任せて、好きに動いてもらうと、作者がウォウ! と思うものができる……はい、小説側からは以上です(笑)。
こうの 荻原さんの中で、小説になる物語と漫画になる物語は違うんですか?
荻原 うーん、とくに小説にならない物語を考えて漫画にしたわけでもないんですが、結果的に、これは小説では書けなかっただろうなというものばかりになったということは、やっぱり違いはあるのかもしれません。たとえば、小説は情景描写をいくら細かく重ねても、それを読んだ人の頭の中の映像は、ひとりひとり違うんですよね。
こうの そうでしょうね。
荻原 皆で同じ本を読んで「これを映画化するとしたら、主人公は誰だろう?」とキャスティングごっこをすると、見事に皆、違ったりします。漫画も実写化されると違うなぁと言われることがあるでしょうが、小説はもうその比じゃなくて。
こうの 漫画は、何となく似た感じの人がキャスティングされますね。
荻原 主人公の顔も、ある程度描写はするんですが、僕はあまり書き込みすぎないようにして、読み手の方がそれぞれ思う人物や風景を想像してもらいます。その想像を喚起する装置として文章がある、というか。
でも、漫画の場合はまったく違いますよね。こうのさんの『ギガタウン 漫符図譜』(朝日新聞出版)を読んでいろいろ勉強させてもらいましたが、風のように目に見えない、形のないものの流れを一本の線で表現するとか、それで時間の経過や、コマとコマの間に何が起きたかを想像してもらうことができるとか……。
それから、この『夕凪の街 桜の国』(双葉社)が本当に大好きなんですが、とくに「夕凪の街」の終盤、主人公の意識が薄れていって、コマの中から絵が消えて言葉だけになる場面。が。
こうの ここ、編集さんは真っ黒にしたかったんですよ。コマが黒で、文字は白抜き。でも、黒はいくらなんでもかわいそうな気がするし、何が何だかわからなくなっていく状態は、やっぱり白だと。
荻原 原爆を落とした人間たちは自分が死ぬことによってまたひとり殺せたとちゃんと思うだろうか、という意味で、《嬉しい?》って言ってますよね。こんな言葉、思いつかないですよ。これまで、文章で表現できないものを漫画では全部表現できると思い込んでいたんですが、漫画は漫画で読者に喚起させるためのいろんな技や手法があって、それが小説とは違うんだと。自分でやってみて、はじめて気づきました。
こうの でも小説の、文章ならではの面白さというのもありますよね。たとえば、荻原さんの作品の中で「私」という人が出てきたとき、それが男性なのか女性なのか、いくつくらいの人なのかというのは、しばらくはわかりませんよね。漫画だと最初から絵で表現しなくちゃいけないんですが、あれが判明するまでの間の不思議な感覚は、小説ならではじゃないかなぁって。
荻原 ああ、なるほど。
こうの 私は逆に、小説は文章だけで済むから楽でいいよなと思ったりしていたんです。でも、こうして荻原さんが小説らしい小説と漫画らしい漫画をかかれるのを拝見して、私もはじめて「漫画にできないことって何だろう?」と考えさせられました。
荻原 どちらにしても、言葉はすごく大切ですよね。僕は小説を書くとき、情景描写にしても台詞にしても、なるべく無駄を省きたいと思っています。あえて無駄に書くときもありますが、それでも大切なものだけはスパッと短くというのが、絶対にいい文章ですから。漫画の場合はもう、断然、それだけしか求められない。吹き出しの中に短い言葉で、いろんな想いを込めるぶん、漫画のほうがより大切なのかもしれません。
普通を描けるのは、普通の人だ
こうの 今、大学で漫画を教えているんですが、漫画家に向いているのはどういう人か? というのを、学生たちに最初に必ず話すんです。ひとつめは、「文章が得意な人」。2つめは、「絵を描くのが好きな人」。そして3つめが「凡人」。
荻原 ほぉー。
こうの ひとつめは、やはり文章や台詞を簡潔にまとめなくてはいけないし、資料を読み解く力も必要なので、文章力や国語力は必要だろうと。2つめは、下手でもいいからとにかく描くのが好きであること。そうでないと描き続けられないでしょうから。そして3つめは、そのどちらも中途半端なくらいの能力の人、ということなんです。文章で全部語れる人は小説を書くでしょうし、絵ですべてを表現できる人はイラストレーターか画家になるでしょうから、どちらもほどほどの凡人がいいんですよ、と。
荻原 僕、全部当てはまりますよ(真顔)。文章はわりと得意ですし……。
こうの アハハ! めちゃめちゃお得意ですよね、それはもう。
荻原 絵も、今のところ文章書くより好きですし、プロじゃないから楽しんでますし。で、凡人でもあるわけですから、ピッタリですよ。俺、漫画家に向いてます。
こうの いやいや、ぜんぜん凡人じゃないですが……でも、漫画を描く人って確かに変わり者が多いんですが、自分で自分を変わり者だと思っている人って、意外とできるものが普通だったりするんですよね。
荻原 わかります。小説家も変な人が多いと言われますけど、あまりに天才だったり鬼才だったりすると、1本すごい傑作を書いてどこかへ行ってしまって、長くは続けられないような気がする。それに、普通に生活をしている人のほうが、やっぱり普通の生活を書き得るんじゃないかと。
創作は、こじらせるほど面白くなる
こうの 次の漫画作品は、もう計画していらっしゃるんですか。
荻原 いやぁもう、これが最初で最後と思っていたんですが……もうちょっとやりたいかなと。機会があれば、もう1回くらい。
こうの 長編はどうですか? あと、ご自身の小説の漫画化とか。『逢魔が時に会いましょう』(集英社文庫)の大学教授と女子大生の二人組、漫画にしたら面白そうです。4コマも、また読んでみたいし。
荻原 とりあえずはないということにして、あとはこっそりやります。人知れず。もしできたら、そのときは「海苔一枚から出直してこい!」って言ってください(笑)。こうのさんこそ、ぜひ小説を。
こうの 絵が描けなくなったらやろうかな、とは思っていましたけど……でも、荻原さんの作品を読ませていただいて、ちょっと書いてみたいなという気持ちも起こりました。なんだか血が騒ぐんですよ。私がもし小説を書いていたら、「この人のようになりたいな」と思って頑張っただろうな、と。もしくは「この人がいるからいいや」かもしれませんが……行こうとしているところの先にいる方、という感じがして。
荻原 とんでもないことです!
こうの ただ、今のところはまだ小説で書きたいテーマが見つかっていないですね。出会っていないからできないんだろうなと。「これは小説でしか書けない」というものを、荻原さんのように柔軟な目で見つけられたらいいなと思いますね。
荻原 僕もそうですね。次があるとするならば、「漫画でしか描けない」というものを新たに見つけてからだと思います。
こうの 漫画って、若い頃から描く人が多いですから、はじめの頃は興味もあるし、取材も少なくてすむ恋愛ものとか異世界ものとかが描きたいんですね。でも、そればかりだと同じことのくり返しになって、幅が広がっていかない。だから、あえて面倒くさいものを……そのときは面倒くさいと思っても、あとあといいほうに作用していくんじゃないかな、と。
荻原 小説も同じですね。自分が知らないことを一所懸命調べたり想像したりして書いたもののほうが、結果、面白くて。知っているものを知っているふうに書くのは1回きりで、あとは自分の中にある以上のものをお出ししないと、人様からお金はいただけないなと思います。
漫画を描いてみて、僕、ちょっと反省したんです。漫画でたったひとつのことを説明するのにこれだけの労力を使うのに、小説でこれほどの努力をしているだろうかと。楽なほうに流れたら、だめですよね。こうのさんがおっしゃるように、自分でこじらせるから面白くなる。
こうの そうですね。本当に。小説は、これから変わりそうですか?
荻原 うーん、もっともっと短くしようかな、と思っています。自分では無駄にしてきたつもりはないけれど、もっと言葉を節約したり、切り詰めたりできるんじゃないかと。漫画の台詞のように綴れば、ビシッといいものが書ける気がして。
こうの 私が長いものを描けないのは、たぶん体力があまりないせいだと思っているんです。でも、漫画でも小説でも、続いていることで重みや厚みを醸し出すこともあるんですよね。漫画の場合は絵である程度の重厚感を表現できますが、一見重みのない文章でも、ずっと続いていくと、その積み重ねが迫力になっていくような……。小説ではないですが、『ニーベルンゲンの歌』(前編・後編/訳・石川栄作 岩波文庫)なんかを読んだときに、そんなことをふと感じたりもしました。
荻原 長くても短くても、物語としていいものはいいですしね。漫画でも小説でも。
こうの 私も、小説を書いたら荻原さんに見ていただこうかな。
荻原 「明日までにもう300枚な」とか言って、突っ返したりして。
こうの うわぁ、厳しすぎる!
荻原 冗談です(笑)。ただ、たぶん小説は漫画よりは手に優しいと思いますよ。小説家でも手書きの方はよく腱鞘炎になりますが、漫画家ほど酷使はしないと思う。僕は慣れなかったので、描いていて本当に指がつったりしました。
こうの そういうときは、お灸をするといいですよ。肘を曲げてできるシワの先のところに「曲池」というツボがあるんです。あと、親指と人差し指の付け根の間。ここは「合谷」。(ボールペンで)印を書きましょうか……ここにお灸をするか、お灸シールを貼るといいです。
荻原 おお、ありがとうございます。しばらく手を洗わないでおこう。
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