火曜は脚の日だ。五台横に並べられた右端のパワー・ラックに陣取ると、まずはバーベルを引っ掛けているフックの高さを調整した。右のフックを、ずずずと二十センチほど低くする。左のフックも、同じ高さに合わせる。私の身長は、一五五センチだった。

 バーベルが肩の高さになると、肘をやや曲げ、バーベルを目の前に握った。ひんやりと手に冷たいバーベルを支えに、片足ずつ脚を前後にぶんぶん振る。一分足らずの、見様見真似のウォーム・アップだった。脚の付け根に、引っ張られる感覚が走った。

 屈み込み、バーベルの下に肩を添える。プレート(重り)をつけていないバーベルは二十キロだ。すっと立つ。直立すると、バーベルの下に入っていた親指を、他の指と同じ位置に添え直す。こうしないと、どういう加減か、最下点で踏ん張った時に手首が痛くなるのだ。このマニアックなアドバイスを私に施したのは、このジムの従業員だった。実際にやってみると、本当に手首の苦しさは解消した。

 脚幅を調整し、正面の鏡に顔を向けると、どこか澄ました表情の自分が、間抜けにバーベルを担いでいる。

 息をつくと、ひょこひょこと十回スクワットした。終わるとバーベルをフックに戻し、左右に五キロのプレートをつけ、スプリング・カラーで固定した。三十キロで、もう十回。さらにプレートを追加し続け、五十キロになった時点で、一度水筒の水を飲んだ。ここからが本番なのである。

 バーベル・スクワットはしんどいが、どうにも外せない種目だ。動員する筋肉が多いだけに、達成感もひとしおだからだろう。考えてみれば、筋トレというのは不思議な行為だ。大方誰にも頼まれていないのに、重りを持ち上げたり、引っ張ったり、振り回したり、特定の非日常的な動作を繰り返すのだから。そこだけ抜き出した光景には、何やら前衛パフォーマンスのようなシュールさが漂う。

 五十キロは、私の体重に等しい。おりゃっと担ぐと、真っ直ぐ立っているだけで、なかなかの負荷だった。バーベル直下にある骨と骨の間隔が詰まり、身長が縮む錯覚を覚えた。だが、ここで「重い」とか「止めよう」とか「できない」とか、余計なことは考えない。私は無慈悲な指揮官よろしく、スクワットを始める。深々と腰を落とす、スローモーションのスクワットだ。私の赤く上気してきた額には、てらてらと屋内の汗が反射する。

 職場と自宅の中間地点にあるGジムに入会してから、一年と三ヵ月が過ぎた。

 Gジムの唯一にして最大の欠点は、スミスが一台しかないことだ。スミスもといスミス・マシンは、バーベルの左右にレールがついたトレーニング・マシンである。レールがついているとバーベルの軌道が自ずと定まるため、バランスに気を使う必要がない。つまり、フリー(ダンベルないしはバーベルのみを使う筋トレ)では危なっかしいチャレンジングな高重量でも、スミスなら比較的安全に扱えるのだ。

 二十分後、バーベル・スクワットを終えた私は、ジムの端に位置するスミスの様子をチラと横目で窺った。視線の先ではネイビー・カットの三人組が、依然としてベンチ・プレスに励んでいる。私は、あのスミスで次の種目をやりたかった。ところが、あの三人組の様子では、あと百年はスミスを明け渡さないかに見える。三人組はプレートを増やしたり減らしたりしながら、順繰りにスミスの中で踏ん張っていた。所謂「合トレ(合同トレーニング)」だが、会社員の私は百年も待機するわけにはいかず、仕方なく予定を変更することにした。筋トレくらい、一人でやれよ。一匹狼の私は、胸の中で嚙みついた。

 パワー・ラックを離れ、混んでいないレディースのダンベル・エリアに向かう。混んでいないというより、そのエリアは無人だった。何年も前に貼られたに違いないピンク色のガムテープが、床に四角く「レディース・エリア」を縁取っている。やましい特別感と僅かな孤独を覚える、入口脇の三畳間だ。

 次の種目は、ブルガリアン・スクワットだった。今更だが、この業界では筋トレのことを「種目」と呼ぶ。Gジムに入会した頃の私は、この言葉遣いが妙に恥ずかしかった。もっぱら「筋トレ」と呼び続けていたが、最近になり「種目」と自然に口にするようになった。

 ブルガリアン・スクワットは、後方にセットした台座(トレーニング・ベンチ)に片足を乗せた状態で行うスクワットだ。片方の脚は台座から靴三つ半分ほど前に据え、もう片方の脚は足の甲を台座に置く。片足で全体重を支えるだけあって結構きつく、翌日は筋肉痛必至の効果的な筋トレ、いや、種目である。

 ブルガリアン・スクワットは国際的な知名度を誇る種目だが、その名が示す通り、ブルガリア発祥とされる。いや、ブルガリア人が最初にやったのだったか。同じブルガリアン・スクワットでも、細分化されると名前が長くなる。例えばバーベルで行うのであれば「バーベル・ブルガリアン・スクワット」。ダンベルなら「ダンベル・ブルガリアン・スクワット」。そして、スミス・マシンなら「スミスマシン・ブルガリアン・スクワット」。こうなるとバトル系少年漫画顔負けの技名ならぬ種目名になる。つまり、私がやりたかったのは「スミスマシン・ブルガリアン・スクワット」だったわけだ。

 やや妥協した気分で六キロのダンベルを両手に持つと、私はダンベル・ブルガリアン・スクワットを始めた。私がダンベルよりバーベルを好むのは、単にダンベルだと落としそうになるからだ。本来の目的である下半身が悲鳴を上げる前に、握力のほうが参ってしまうのである。もっとも、これは筋トレではよくある事態だった。部位Aを鍛えるためには、部位Bに最低限の筋力がなければならない。そうなると、まずは部位Aのために部位Bを鍛えるという、謂わば筋トレのための筋トレが生じる。懸垂のできない者が、懸垂をするためにせっせと腕立て伏せに励むのと同じだ。しばしば筋トレには、そうした戦略が必要だった。

 台座に乗せていないほうの脚を九十度に曲げた時、膝が爪先より前に出ると膝を痛める原因になる。足裏の位置とフォームに注意しつつ、私の頭は、無意識に「ブルガリア」なる土地に思いを馳せていた。とは言え、行ったこともなければ、今後行く予定もなく、ヨーグルトという極めて漠然とした連想しかできない国だ。世界地図の、一体どこに位置しているのだろう。

 休憩を挟みながら二十分間ダンベル・ブルガリアン・スクワットに取り組むと、私は次の種目で十秒ほど悩んだ。スミスは今なお塞がっている。何となく国際的な気分だったため、同じ下半身系の種目であるルーマニアン・スクワットをすることにした。これも台座を使う種目のため、ここから移動する必要はない。

 ルーマニアン・スクワットは片足を台座に乗せるところはブルガリアン・スクワットと同じだが、狙う筋肉は主に尻と腿裏だ(ちなみに、腿裏の筋肉には「ハムストリングス」というカッコいい名前があるため、業界的に腿裏の筋肉は「ハム」と呼ばれる)。ルーマニアン・スクワットではブルガリアン・スクワットほど脚を前後に開かず、やや膝を曲げたところで脚の角度は固定し、尻を蝶番のように動かす。可動域にこだわらず、しっかり尻および「ハム」に負荷が掛かっているのを意識しながら行うのがポイントだ。

 ダンベルは、六キロから八キロに取り替えた。背中を曲げると腰を痛める恐れがあるため、例によりチラチラと横の鏡を見ながら行った。この比較的上級のトレーニーが集結するとされるGジムの壁には、至る所に鏡がある。なお、トレーニーとは筋トレする人間のことだ。これも、私が最近使えるようになった言葉である。

 やはりルーマニアンというのだから、ルーマニア発祥なのだろうか。私は鼻先を流れる汗の痒さに耐えながら、つんと刺激の走る尻に力を込める。案の定どこにルーマニアがあるのかは知らないが、ブルガリアに近いところにある雰囲気だ。旧共産圏的な? そういえばGジムには「ケトルベル」なる道具があった。ダンベル、バーベル、ケトルベルの重量三兄弟である。ケトルベルは薬缶に似た形をした鉄の塊であり、ロシア発祥とされる。しかし「ケトル」は私が知っているくらいだから、英語じゃないのか。いずれにせよ、この業界にどういうわけか旧共産圏の気配が濃厚なのは、素人ながら実に興味深いことだった。何の脈絡もなく脳裏に「サイタマン・スクワット」なる新種目が思い浮かぶと、ダンベルを慎重に床に下ろしながら、私は小さく噴き出した。何を隠そう、私は埼玉県出身だった。しかし、どの筋肉にも響かなそうな種目名である。

 そうして私が一人ほくそ笑むという気持ち悪い感じになっていた時、レディースのダンベル・エリアには他の人がいた。振り返ると、スマホを全身鏡に向け撮影に励むS子がいた。例により、ブランドものの「ウェア」を着用している。何とかというブランドが何とかとコラボした、スポーツ・ブラとレギンスである。今日のスポーツ・ブラは「期間限定発売」の「チェリー・ピンク」で、レギンスは「新発売」の「スマート・アイボリー」だ。上下の合計金額は、蓋し私の所有する全服飾と同程度だろう。S子は熱心にポーズを変えながら、納得の一枚を追求した。

 お前、小馬鹿にする割には随分S子に詳しいじゃねえか。正しい指摘だ。こうしたストーカーじみた情報を、私はS子のインスタから得ているのである。入会の折、Gジムのアカウントをフォローすると、五千円也の入会金が半額になるという話だった。私は言われるがままアカウントを作成し、その場でGジムをフォローした。その後、Gジムの投稿を眺めている内に、偶然同じフォロワーだったS子に行き着いたのである。全く、怖い世の中ですね。そのためS子S子と馴れ馴れしく呼んではいるが、S子は私が一方的に知っているだけだ。S子のほうも、ああ、よくこの時間帯にいる地味な人ね、程度には私を認識しているだろうが、それだけである。

 筋トレ開始時、S子は必ず自撮り写真をインスタに投稿する。腹を薄く絞ったS子の撮影風景は、真剣そのものだった。グッと息を詰めながら、何食わぬ晴れやかな表情をキープしている。私と同程度の鍛え方をしており、腹に横の線は見えないものの、縦には薄っすら三本の線が入っていた。S子は、大手美容外科クリニックに勤める外科医だ。職業柄か傍から見ても美意識は相当に高く、偶に擦れ違ったりするといい匂いがする。しがない会社員の私からすれば、羨ましい限りである。

 しかし、ここは潔く認めるが、私は内心S子を下に見ていた。「多忙」な割には一時間に一度はインスタのストーリーに投稿するS子を、何かしょうもねえなと感じていた。投稿にスクロールできるくらい数多のハッシュタグがついていると、この八分の一くらいでいいのにと謎に物悲しくなった。早朝のウォーキング風景を、摂生したオーガニックな食生活を、出勤時の「コーデ」を、新しく買った各種商品を、大会に向けた「コンディショニング」を、毎日欠かさず五千人前後のフォロワーに披露するS子。もっとも、しょうもないのはS子というより、そういうS子からずるずる目を離せない私自身だった。

 私がS子の動向を追い続けるのは、手っ取り早く安心感に似たものが得られるからだろう。こういう雲の上にいるような人間も、ある程度は人並みの見栄や虚栄に翻弄されつつ生きているのだということ。なまじっかテレビの画面越しだけの著名人ではなく当人を目の前にする機会があったから、その実感は殊更生々しかった。

 とは言え、そんな実感に深い意味があるわけではなかった。その時私はS子の向こうにあるダンベル・ラックにダンベルを戻したかったため、一秒ほどS子の立ち位置を邪魔だと感じただけだった。S子を迂回する私の軌道は、ばっちり化粧を施したS子の覇気の前では死にかけた蚊のようだ。

 頭を切り替え、再度ジムの端に視線を飛ばす。

 果たして、そこだけ時間が進まなかったかのように、なおもスミスは占拠されていた。

 ああ、もうっ。私は五歳児だったら地団太を踏みたい気分だった。全く、誰も彼もスミスが好きなのはわかるが、今日は実についてない。最もハードな脚の日である今日は通常より一時間早く出社し、昼休みも手を止めず、辛くも定時で仕事を片付けてきたというのに。ダンベルでスクワット系の種目はこなしたものの、やはりスミスで追い込まないと、翌日の筋肉痛は手温いのだ。

 スミスが使えない状況自体は、特に珍しくなかった。スミスの人気もさることながら、いかんせん一台しかないのだ。その理由も明快だった。ただのフレームであるパワー・ラックとは異なり、レールのついたスミスは高価なのである。スミスをパワー・ラックのように五台も六台も揃えられないのは、このジムの財政的にも床面積的にも頷ける話だった。

 この日とりわけ私が憤慨したのは、何も生理中だからではなかった。占拠しているのが三人組だったからだ。スミスの利点の一つに、補助がいらないというのがある。スミスのバーベルはレールに沿って稼働し、かつ必要に応じてストッパー機能も使えるため、フリーでチャレンジングな高重量を扱う際に必須とされる補助が不要なのである。補助は重量に耐え切れなくなった時にふらついたバーベルを支えたり、取り落とさないよう脇から手を添える役割だ。バーベルなる二十キロの鉄棒は、ちょっと間違えると凶器になる。

 何が言いたいかというと、私にとりスミスは一匹狼のトレーニーのために存在するマシンということだ。無論、スミスでもバーベルを取り落とす危険がないわけではないが、仲間が三人もいるなら、マシンに頼らずフリーのベンチ・プレスをすればいいじゃないか。義憤に駆られ、私は鼻息を荒くした。この真理を、あの三人組に解説してやろうか。私は揃いの色違いタンクトップに身を包む三人組を、親の仇のようにきっと睨んだ。三人組は延々とスミスと戯れ、壁の時計を見上げると、かれこれ五十分近く使い続けているではないか。

 言うまでもなく、そんなことをする度胸は私にはなかった。代わりにスミスの隣にあるパワー・ラックに陣取ると、当初の予定にはなかったバーベル・ワイド・スクワットをすることにした。これは単に大股で行うバーベル・スクワットだ(ちなみに「ナロー・スクワット」もある)。隣に居座ることにより、三人組に無言のプレッシャーを掛ける魂胆だった。しかし、というか案の定、三人組がこちらに注意を払う気配は一切なかった。

 三人組のレッド(赤いタンクトップ)が、左右に五十キロずつプレートを引っ掛けたバーベルを、ぷるぷる踏ん張りながら持ち上げる。口を一文字に結んだ、思い詰めたような必死の表情だ。腕が伸び切った時、その上腕には破裂しそうな静脈が浮き上がる。規則的な荒い息遣いが、私の耳許まで伝わって来る。

「K野さん、あと三回っすっ」

「いいよおっ、いけるよおっ」

 BGMが如きグリーンとイエローの声援は、奮闘中のレッドの呼気に負けぬほど熱を帯びていた。イエローが景気づけのように、パンパンと手の平を叩き合わせる。触発されたのか、グリーンも分厚い手の平のシンバルを打ち鳴らす。

 この、猿どもっ。

 私も、スミス使いたいよっ。

 私が降参し、Gジムを後にしたのは二十分後だった。

【続きは書籍にてお楽しみください】