担当編集より

私は、読後にもたらされた深い感情を赦(ゆる)しと名づけたかった。──平松洋子

10月4日(金)に発売となった青山七恵さんの最新作『私の家』は、ある一族を三つの世代の視点から描いています。

恋人と別れて突然実家に帰ってきた娘・梓。
年の離れたシングルマザーに親身になる母・祥子。
幼少期を思い出させる他人の家に足繁く通う父・滋彦。
孤独を愛しながらも三人の崇拝者に生活を乱される大叔母・道世。
何年も音信不通だった伯父・博和──。

そんな一族が、祖母の法要の日に集うことに。

伯父と長年連絡がつかなくても「しかたない」ですませるようなところがある“クールな家系”なので、みな、自分の思っていることを全部話すわけではないし、家族だから分かり合えるとも思っていません。

祥子の、亡くなった母に対する思いは複雑です。

「お母さんが何を考えてたのか、あたしはいまでもよくわからない。子どもができたら、年とったら、お母さんの気持ちがわかるんじゃないかと思ってたけど……わかったような気もしたことがあるけど、やっぱり本当のところはわからない」

掴みがたい母の感情が生まれる心の土壌を理解しようとしたけれども、それが叶わず今も諦めきれない祥子に、彼女の姉の純子はこう言います。

「あたしたちにはわかんなくても、この子たちが大きくなったとき、ある日いきなり、お母さんの気持ちがわかるかもしれない。(中略)だってあたしたちが自分で発見したつもりになってるどんな気持ちだって、ほんとのところはあたしたちのおじいさんおばあさんとか、そのまたおじいさんおばあさんが、誰にもわかってもらえなかったその気持ちかもしれないんだからね」

また、それぞれの心がいつも帰っていく(あるいは囚われている?)「家」も、生まれ育った家だったり、子供の頃預けられていた母の実家だったり、自分が手に入れた今の家だったり、バラバラです。

博和はこう思っていたと言います。

「最初は家を出れば、もう苦しまないですむと思ってたんだよ。僕も母さんも苦しいのは、二人が家族だっていう以前に、家っていう場所、どっちかが待ったり待たれたりする、どうしてもこの地球上から消せない、家っていう一つの場所があるからなんじゃないかと思って……(中略)でもそうはならなかった。どんなに根無し草を気取ってみても、逃げてきた家とはまたべつの、見えない家があるって気づいたから。その家は僕にずっとついてくる。(中略)その家の窓を通してしか、この世のなかを眺められない……」

血縁とはいえ別な人間。心も思い出も赤の他人のようにすれ違うのですが、法要での再会によって、一族は、同じ家に暮らした記憶と小さな秘密に結び合わされていることを知るのです。

これまでも家族を描いてきた著者が、“パーソナルな部分が反映された作品”と語る『私の家』。
ぜひ、三世代の男女がそれぞれに胸に抱えている「家」という場所や「家族」という存在に対する一筋縄ではいかない思いに触れてみてください。

(編集H)