天野純希「青嵐の譜」

物語の舞台・壱岐の白川市長と緊急対談

すべては「お姫様のお墓」から始まった。

十三世紀の元寇を背景に、三人の若者の運命を活写する長編小説『青嵐の譜』。
テレビや雑誌など各メディアでの紹介も相次ぎ、刊行から半年以上経過した今も話題となっている力作である。
幸いなことに、物語の主な舞台である壱岐在住の方々の目にもとまり、このたび現市長・白川博一氏と著者である天野純希氏の顔合わせとなった。
壱岐の歴史や魅力から、作品の創作秘話にまで話は及び……。

壱岐市長・白川博一氏(右)著者の天野純希氏

壱岐市長・白川博一氏(右)著者の天野純希氏

 

白川

『青嵐の譜』で、壱岐を取り上げていただきまして、ほんとうに感謝を申し上げます。今回の小説は文芸業界内外で大変話題になっておりまして、おかげさまで壱岐市も知名度が高くなると非常に喜んでおります。
まず、最初にお伺いしますが、天野さんまだ三十歳だということでお若いですけれど、歴史小説家になろうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。

 

天野

父親が歴史小説好きで、昔から家にもたくさん歴史ものがあって、それを読んで育ちましたので、小説を書くとなると自然と歴史小説になったという感じです。

 

白川

なるほど、そのような環境が小さいころからあったわけですね。
そして、今回の『青嵐の譜』についてですが、あの小説を書こうと思われたきっかけ、また壱岐を舞台にしようと思われた理由を教えてくださいますか。

 

天野

壱岐に残る姫御前塚

壱岐に残る姫御前塚

日本、高麗、中国大陸と舞台が広がり、スケールの大きい話がつくれると思って元寇をテーマに選びました。作中に宋三郎という人物がお姫様を連れて逃げるというシーンがあるのですが、史実をいろいろと調べていたら、そのお姫様のお墓が実際に壱岐に残っているというのを知って、これは使えるなと。

 

白川

恥ずかしながら、そのお姫様のお墓が実際にあることを知りませんでした。

 

天野

壱岐の歴史のスポットを紹介したサイトなどで見たんですよ。

 

白川

それは私も勉強させてもらいます。
とにかく『青嵐の譜』はおもしろくて次から次へ読んだのですが、主要登場人物の次郎、宋三郎、麗花が、ほんとうに魅力的に生き生きと描かれておりまして、精いっぱい生きる三人の運命に一喜一憂いたしました。
また、小説すばる新人賞を受賞された『桃山ビート・トライブ』でも、藤次郎、小平太、弥介、ちほなど、人物をとても魅力的に書いていらっしゃいます。こういう描き方のコツはあるのでしょうか。

 

天野

あの人物たちは世代が自分に近いので、極力自分の感覚から離れないというか、リアリティーがなくならないようにしながら、ちゃんと個性も持たせて描くといったところでしょうか。

 

白川

少弐資時公の墓

少弐資時公の墓

それからまた『青嵐の譜』に話は戻って、小弐資時公は、物腰は穏やかで色白・細面の貴公子と描写されていますが、壱岐でも彼は英雄的な存在で、壱岐神社に祀られています。
今、主に戦国時代好きという歴女という人たちがいらっしゃいますが、時代は少々前ですけれど、人気が出てくれればと思っているのですが(笑)。
天野さんは、小弐資時公はどんな人物だったとお考えですか。

 

天野

彼は最初の蒙古襲来のときが初陣で、そのときに、敵に大笑いされたと資料にあります。
そのトラウマじゃないですが、やり返してやろうという気持ちはあったと思いますね。もうちょっと名前が広まれば、歴女の人たちも壱岐に行くのではないでしょうか(笑)。

 

白川

正直に申しますと、小説に出てきます船匿城についても最近知りましたほどで、本当によくお調べになっているなあと思ったんです。
壱岐は歴史のある島で、『魏志倭人伝』中の二千八文字のうち、五十七文字に壱岐のことが書かれています。いわゆる邪馬台国は、畿内説と九州説がございますが、邪馬台国がどこにあったとしても、壱岐は朝鮮半島からの通り道になっているわけです。
今年三月に「一支国博物館」というのがオープンするのですが、そこが建っているところに原の辻遺跡というのがございまして、ここは、静岡の登呂遺跡、佐賀の吉野ヶ里遺跡と並んで国の三つの特別史跡に指定されています。
また、奈良時代に派遣された遣新羅使・雪連宅満の墓や、足利尊氏が建立させた安国寺、豊臣秀吉が築城させた勝本城跡、松尾芭蕉の高弟・河合曾良の墓もあります。

 

天野純希氏

天野純希氏

一支国博物館外観

一支国博物館外観

原の辻遺跡復元建物

原の辻遺跡復元建物

 

天野

そのあたりは、私もまだまだ不勉強ですね。

 

白川

先ほども申し上げますように、天野さんは、壱岐で生まれ育った私も知らないようなことをお調べになっているし、『青嵐の譜』の中では、その当時の壱岐や博多の様子、生活様式などもまるで見てこられたような感じで書かれているわけです。
小説に出てくる風本浦-----今、勝本浦と言いますが、ここにも古い歴史があり、壱岐の観光の散策コースになっています。読みながら「あ、あの辺だな」とか、「ああいう感じだな」「あそこが書いてあるな」というのがほんとうに目に浮かぶようだったのですが、その辺もやっぱりサイトなどでお調べになったのですか。

 

勝本浦

勝本浦

勝本城跡

勝本城跡

 

天野

そうですね。まず資料をできるだけ丹念に読み込んで、あとは地図を見たりしながら書きました。

 

白川

作中の無人島は、どこのことでしょう。

 

天野

あれは勝手につくっちゃいました(笑)。

 

白川

辰の島

辰の島

そうなんですか。実は、壱岐を調べている方が撮られた辰の島の祠の写真を見て、まさにここだと思っていたのですが(笑)。あそこだと興奮したんですよ(笑)。勝本には二つ無人島があるのですが、辰の島は人が流れ着いたという言い伝えもあるようですし、そこまでお調べになるのはすごいと皆で話していたんです。

 

天野

そういうことでしたら、辰の島が舞台ということにしておきましょうか。

 

白川

壱岐市長・白川博一氏

壱岐市長・白川博一氏

すごい偶然ですね。てっきり伝説などもご存知でお書きになったのかと思っていました。
壱岐は『古事記』に「天比登津柱角」(あまのひとつはしら)という名前で、日本大八島の中で五番目に生まれた島と記されています。「あまの」つながりで、天野さんとは何か縁があるのではないかとも思っております(笑)。実際に辰の島をご覧いただきたいですね。
天野さんはお酒を召し上がるそうですが、壱岐は麦焼酎発祥の地なので、おいしい焼酎もたくさんあるんですよ。

 

天野

それは、ぜひ伺いたいですね、辰の島にも行きたいし、焼酎もいただきたいです(笑)。

 

白川

お待ちしております。

 

その後、市長が持参してくださった壱岐「一支国博物館」(2010年3月14日オープン)のDVDを鑑賞。荒々しい自然、遺跡や出土品の数々を目にし、壱岐の魅力を実感した天野氏。
物語の舞台を実際に訪れる機会も遠くないに違いない。

(2010年1月29日 於:都道府県会館)
人物写真 chihiro.
壱岐写真 壱岐市提供

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