『我は、おばさん』の著者・岡田育さんと、ポッドキャスト番組『OVER THE SUN』などを通じて、中年女性の生き方を軽やかに更新し続ける、コラムニストのジェーン・スーさん。
自分の人生を、自虐もせず謙遜もせず、堂々と好きなように生きていくための心構えについて語り合う特別対談です。
(単行本『我はおばさん』の巻末企画として収録されたものを一部転載しています)

撮影/Hal kuzuya 構成/綿貫あかね

 

おばさんという呼称を再定義

ジェーン・スー(以下、スー) この本、最初エッセイとかコラムだと思って読み始めたら、「え、論文!?」って爆笑して。

岡田育(以下、育) いやいや、論文じゃないですよ! 文芸誌の連載をまとめたものですが、一回ごとの文字数が多くて、今までのエッセイとは書き方が変わりましたね。

スー これ、参考文献とかすごい分量になりませんか。さまざまな作品に出てくるおばさんを、ここまで丁寧にピックアップすること自体が珍しいし、それをどう捉えるかを2020年代にしっかり書いておくのはすごく意義深いことだなと思いました。

我は、おばさん書影

岡田育『我は、おばさん』(集英社)

 ありがとうございます。題材として選んだものを、改めて読み返したり観返したりする作業が楽しかったです。

スー 「はじめに」で、おばさんになる「なり方」を教わっていなかったというのが書いてあって、それがすべてだと思うんですよね。たとえばフランスの女性には素敵なマダムというお手本がいて、マダムになる方法を教わっている。ところが我々は、当事者以外の人たちが勝手におばさんというものを定義し、なぜか「成り下がる」ものとして位置づけられていて、それとは別に、社会の中である程度の潤滑油みたいな、私利私欲のない形で存在することを求められたりしていて、散々だなと。それでようやく、ここに岡田さんや私がレコンキスタを始めるという。

 これまた血の気の多い表現を(笑)。

スー 国土回復運動ですよ。あと素晴らしいと思ったのが、ネガティブなおばさんイメージを下の世代に引き継がせない、自分たちの世代で止めるという弁慶マインドですね。「ここは任せて!」と敵前に立ちはだかり矢に刺されまくる、そのマインドは私には全然なかったので。

 今回あれこれ類書を読んだんですが、先輩世代には「自称はいいけど他称はされたくない」という声が多かったです。田中ひかるさんの『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(2011年・集英社新書)では、最後が「オバサンに学べ。でも『オバサン』とは呼ぶな」と締め括られています。同じ本には深澤真紀さんの「『おばさん』という蔑称より『中年』を使おう」という言葉も紹介されている。酒井順子さんは『おばさん未満』(2011年・集英社文庫)で、自分の年齢は自覚しているけれどまだ呼ばれたくないといった想いを綴っている。中年であることは引き受けてもいいが、その呼び名は嫌だ、と。でも、おばさんって、そんなに、そこまで、嫌な言葉なんだったっけ? 私はどうも感覚が違うし、うちらの世代で止められるのでは? と思って、この本を書きました。スーさんも「おばさん」を自称なさっていますよね。

スー 不適切であることを最初に明言しておきますが、おばさんという呼称を、私はNワード(黒人に対する差別的な呼称)のように捉えているところがあるんですよね。やっぱりおばさんとは呼ばれたくない。侮蔑語として成り下がったものを自分たちのコミュニティに取り戻し、楽しく温かみのあるものとして醸造し直そうとはしているんですが、それをコミュニティの外と共有する気はないんです。当事者だけが使える用語でもいいかなと。

 ヒップホップですね。私にとっては「腐女子」がそうだったな。あれは2000年前後にネット上で生まれた蔑称なんですが、私は逆手に取って自称を始めた者どもの一人です。そんなネガティブな呼称はとっとと死語にすべきだと主張する人もいますけどね。「おばさん」が厄介なのは、「腐女子」と違って、もともとは大変ニュートラルな一般名詞である点です。

スー おっしゃる通り。相手との関係次第ですよね。人間関係の関係値の近い人ほど慎重になって、こっちをおばさんとは呼ばない。逆におばさんと自称しているところにさっと乗ってくるのは、卑の定義をこっちが受け入れたと勘違いして、軽いノリでくる距離の遠い人たちだから、そこは正面から一撃でマットに沈める(笑)。

 私は将来的に「無敵のおばさん」になりたくて、早々に「修業開始!」って気分で名乗りはじめた。そこらの子供に「どれどれ、おばちゃんに見せてごらん」なんて話しかけてます。「おばさん」という呼び名を取り戻すんだ、という気持ちで自称を続けていると、他称も怖くなくなってくるんですが、上の世代はまだまだ抵抗あるようです。

スー すぐ上はレコンキスタマインドがない世代なのかな。再定義とか取り戻すという考え方自体が社会教育としてなかったのかもしれません。

 

岡田育さん


 そうか……。以前「あなたがおばさんを自称すると私まで老け込んだ気になるから、やめてくれ」と指摘されたときには、グサッときました。だって言ってきた先輩女性は、まさに私にとって「年齢を重ねると楽しいことが増えそうだな」と憧れていた相手だったから。実際はそうそう楽しいことばかりじゃない、この呼称がつらい過去を思い出させてしまうんだ、ということもあるでしょうね。どうにか拭っていけないんだろうか。私と同い年の男性が「おじさん」を自称しても、こんなふうには咎められないはずなんですよ。その非対称がスーさんの言う「卑の定義」の正体っぽいなぁと。だとしたら、そのオセロ、ネガティブからポジティブに、ひっくり返しておきたいんですよね。

スー そこまでにはいくつか段階が必要だと思います。言葉の定義を変えるより、まずは若い人に、おばさんになると楽しそうと思わせるほうが先かと。自ら率先して楽しんでいる様子を見せて、羨ましがられると、だんだんおばさんという呼称の持つ印象が変わってくる。そうすると自称でも他称でもそんなに嫌じゃなくなるんじゃないかな。時間はかかりそうですけどね。あと、この本って本当におばさんがたくさん登場していて、まるでおばさんアベンジャーズみたいになっているじゃないですか。

 我が強すぎて、一冊の中でおばさん同士が喧嘩しないか心配(笑)。

スー こんなにおばさんがたくさん出てきて、ここまで深掘りしたものは今までなかったと思う。おばさんというものに対してあまり真剣に考えたことがなかった人も、さすがにこれほど例を出されたら、自分とのぼんやりとした共通項や、託されている役割とかに気づくはずだから、おばさんと自分の正しい距離の取り方、客観的な目線みたいなものは、これでわかるようになる気がします。

 

『OVER THE SUN』と傭兵たち

 スーさんと堀井美香さん(TBSアナウンサー)のポッドキャスト番組『OVER THE SUN』、いつも楽しく聴いています。番組タイトルも最高だし、「オーバー!」「ご自愛ください」はじめ中年同士の頼もしい合言葉がどんどん醸造されるのも最高。配信開始された2020年10月、私はちょうどこの本の作業中で、「先を越された〜! 負けへんで!」とハンカチを噛みしめてました。きっかけは何だったんですか?

スー 番組の編成替えがあって、それまでやっていた金曜日の番組がなくなることになったんです。それで代わりにポッドキャストをやらせてほしい、という交換条件が通ったので始めました。金曜日は堀井さんと私で楽しい中年おばさんトークをしていたので、それを制限する枠のないところでやってみたいと。これは絶対聴いてくれるリスナーがいるだろうなと思っていました。女性がただダラダラしゃべるだけのラジオ番組ってあまりない気がしていて、そういう楽屋裏みたいな話がしたかったのかもしれません。始める前におばさんを自称したかったんですが、さっき言ったみたいに軽々しく乗っかってくる人がいると嫌だったので、それは排除する。けれど主張としては機能させたくて、『OVER THE SUN』で略したらおばさんだと、わかる人だけクスクス笑って聴いてくれればいいと思ってこの番組名になりました。

 私は自分が老人になったらNHK『ラジオ深夜便』を楽しみに聴くものだと思っていたのですが、あの番組の穏やかな空気に行き着くまでが、相当長い。その「ひとつ前」として、もうちょっとだけガチャガチャおしゃべりできる、大人の遊び場が欲しいと思っていました。コンセプトというか、これはやるけどこれはやらない、といった取り決めはあるんですか?

スー ないですね。実は放送作家も立ち会っていない。収録で堀井さんと私が一時間くらいしゃべって、行き過ぎだった場合はあとでディレクターが編集する。ディレクターは二十代の男の子なんですが、私たちはしゃべりたいことをガーッとしゃべるから、彼を炭鉱のカナリアにして、「ここはヤバい、放送できない」と判断したら切ってくれ、と頼んでいます。

 なるほど。VIO脱毛の話や、美容整形するならどこがいいかとか、結構際どい話題をスーさんミカさんお二人でうまくドライブさせているので、何か最低限の命綱はあるのかと思っていたんですが、ないんだ(笑)。リスナーは中年の女性が多いと思いますが、読まれるお手紙は三十代以下の人のも採用するんでしょうか。

スー 中年の失恋がテーマのときは、四、五十代に絞りました。二十代なら失恋がきつくてもまだやり直しが利く。それは我々、傭兵として体感的に知っているので。番組はフランス傭兵の集いみたいな感じですもん(笑)。

 お二人は、性格も違えば、歩んでいらした人生も違いますよね。それが大人になってからああやって楽しくおしゃべりできるって、希望の光です。四十まで生きてみると、中学校の教室では絶対に仲良くならなかったようなタイプと、意外と仲良くなれる。

スー 本当に。二十代のときだったら堀井さんとは友達になっていないと思うな。

 世代は違えど、リスナーたちがその尊さを理解して祝福している感じがあるのもいいですよね。

 

ジェーン・スーさん写真

ジェーン・スーさん

スー リスナーからのメールがすごく面白いんですよ。それから出版系の人も結構聴いてくれていて、めちゃくちゃ取材が多い。結果、私の番組『生活は踊る』(TBSラジオ)は知らないし、コラムも読んだことがない若い世代が、『OVER THE SUN』だけ聴いているという謎の現象が起きていて、今までとは異なる層にも届き始めている実感があります。四十七歳と四十八歳の女二人がしゃべっていて面白いと思われているなら、おばさんって面白くてカッコいいじゃんという方に、一歩踏み出せたんだなと。それは非常に嬉しいことですね。番組のハッシュタグで検索すると、「スーさんたちが楽しそうだから気が楽になる」と呟いてくれている人もいたし。

 私はこの本の中で、「たった一人でもいい、魂の姪ッ子と呼べるような下世代とのシスターフッドが紡げたら、それで御の字」というようなことを書きました。竿で一本釣り、みたいなものです。対して『OVER THE SUN』は、地引き網的。間口を限りなく広くとって、そして、さらった全員ごっそり抱えて太陽の向こう側へ連れて行く感じ。ここでなら私も安心してポジティブに「おばさんビギナーです」「おばさん予備軍です」って名乗れるわ、と思える場所作りに成功している。そうしてリスナーが育っていくコミュニティというのが、本当に素晴らしいし、羨ましいです。願わくは、この本もそんな場所の一つになれればと思います。

 

おばさんのロールモデルとは

 人類の寿命が延びて人生の中年期が長くなり、私たちはいつまでおばさんと呼ばれ続けるのか、という問題もあります。たとえばメリル・ストリープは「おばさん」の天井を上げ続けていますよね。彼女は今七十一歳ですが、まだ「おばあさん」ではない。一昔前なら四十代の俳優が演じていたような主演級の役を務め続けている。未踏領域を切り拓いていて見るたびにすごいなと思います。

スー 最近、おじいさんおばあさんのラブコメ映画やドラマも多いですもんね。

 ロールモデルでいうと、ビヨンセ様は私よりも年下だけど、本書で定義した「おばさん」の貫禄がすでにあって、女子の帝国を築いて後進を指導されておられます。

スー 「おられる」って……(笑)。全世界の女性のために働くビヨンセ様ですな。

 ここ数年のご活躍でもうタメ口きけなくなりました(笑)。あと、山口百恵ね。

スー 先日、引退コンサートがテレビで流れていました。

 まさにそれを観ていたんです。彼女は引退当時二十一歳で、それより年齢を重ねた姿は、まったく人前に晒していない。でも、その若い姿が「ついていきたい」と感じさせる貫禄なんですよ。結婚で引退なんて今の時代には正直ピンと来ないですが、MCの一つ一つが「死」を覚悟した人間の臨終の言葉のように聞こえました。子供の頃にマドンナ姐さんに憧れていた気持ちとまったく同じように、実年齢に関係なく「私のおばさんになってください」と言いたくなるアイコンが、年下にだって、いるんだなと。

スー どう定義するかによって変わってきますよね。

 スーさんは、あの人を目指していけば大丈夫、と思える灯台のような人はいますか?

スー 以前はバブル世代の人たちが目障りで、「楽しくしやがって」と思っていたんです(笑)。でもその人たちは未だに「まだ今日より明日のほうがいい日になるに決まっている」みたいなことを言うんですよ。この年になるとそれが、なんて明るい松明なんだろうと感じられる。野宮真貴さんや甘糟りり子さんと仲良くしてもらっていますが、二人ともすごく楽しそうで、頼りにしています。

 若い頃からずっとよく知っている身近な女性でも、改めて観察すると「とても素敵な年齢の重ね方をしているな」「大物になっても老害っぽさがない」「こういうところを真似したいな」と気づいたりしますね。

 

『我は、おばさん』巻末特別対談より転載
続きは単行本でお楽しみください!