木内昇『剛心』刊行記念インタビュー「幕臣の子で江戸への思いを捨てきれなかった建築家・妻木を通して、日本の近代化を書けそうだと思ったんです」
明治の建築家、妻木頼黄(つまき・よりなか)の半生を通して、維新後の国づくりを建築という側面から描いた小説『剛心』。
刊行を記念して著者の木内昇さんにインタビューしました。
急ピッチで進められる近代化、その中で執念を持ってものづくりに励んだ建築家や職人、そして信念の人、妻木。
この物語を通して、木内さんが伝えたかった「心」とは?
聞き手・構成┃タカザワケンジ
江戸への思いを捨てなかった建築家
――まずは、この物語を書こうと思われたきっかけを教えてください。
もともと建築が好きで、ヴォーリズが設計した京都の駒井家住宅を見に行ったり、前川國男や吉村順三が設計した建物を見に行くのが趣味だったんです。いろいろな時代の建築物に触れる中で、いずれは明治の近代建築を題材に書いてみたいとずっと思っていました。
――妻木頼黄は辰野金吾と迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)を設計した片山東熊とともに明治の三大建築家と言われているそうですね。知りませんでした。
あまり知られていませんよね。明治の近代建築と言えば東京駅を設計した辰野金吾が有名ですが、野心的な辰野の立ち位置がちょっと苦手で。それよりも明治維新の後に一気に進んでしまった近代化に悶々とした思いを抱いた建築家から、当時の街づくりを描いてみたい、と。
調べる中で以前から気になっていた妻木頼黄が浮かんできました。幕臣の子で江戸への思いをずっと捨て切れなかった建築家であり、当時の建築界で辰野金吾と両翼を担っていた。妻木を通して、日本の近代化がどういうものだったのかを書けそうだと思ったんです。
――幕臣の子ということですが、早くに父を亡くして、十代で単身渡米したそうですね。
そうなんです。あの時代にニューヨークに何のあてもなく行く行動力がすごい。それに、家族を早くに亡くしているせいか、彼には孤独な影がある。辰野金吾のようにグループをつくって人を従えるタイプではなく、信頼している職人はいるけれど徒党は組まない。孤高の人だという印象を持ちました。
――『剛心』の主人公は妻木ですが、妻木視点の一代記ではなく、最初に視点人物として登場するのは外務大臣の井上馨です。井上は、これから西洋にならった官庁街をつくろうとしていて、それを実現する若き担い手の一人として、いよいよ妻木が登場します。外務大臣に「まっすぐにこちらを射る目」を向ける印象的な場面です。
この作品は、主人公がなかなか出てこないんです(笑)。初めは「いいのかな」と思って、第一回の連載原稿を送ったときに「小説すばる」の担当編集者さんに「主人公が最後にしか出てこないんですけど」と相談したくらいです。
主人公だからもうちょっと早く出したかったのですが、もともと東京府の市区改正案があって、そこに井上が旗振り役だった政府の官庁集中計画が出てくる。政府と東京府とのせめぎ合いを書いておきたくてこうなりました。いまもそうですけど、国政と都政はいつもぶつかっていますよね。明治以来ずっと同じことをやっていたんだなと。それと、明治政府は薩長閥が牛耳っていました。もともと江戸に住んでいたわけではない、歴史や土壌をわかってない人たちが街をつくりかえようとしていたというところも描きたいなと思って。
井上馨のようにある程度読者が知っている人の視点で始まったほうがいいという理由もありましたね。それに、井上聞多だった頃の維新前の井上と、井上馨に改名した維新後ではがらっと変わってしまったということも書きたかった。長州の井上聞多だった人が、明治政府の井上馨になって近代化した都市をつくろうとしていたという意外性もあるので、導入部としては入りやすいのかなと。
あとは一代記として「妻木頼黄の人生」を書いてしまうと広がりがなくなると思ったんです。外郭から書いていくほうが彼を通して明治の近代化が見えてくるのではないか。その続きに現代の私たちがいるので。
――井上は明治維新前と後で大きく変わった人たちの象徴的存在なんですね。
維新前に「いい国をつくろう」と若者たちが燃やしてた火が、明治になると一気に鎮火して熱気がなくなっていく。言ってしまえば我欲にまみれていっちゃうんですよね。名を上げたり、思いどおり権力を振るおうとする。「いい国ってどういう国なんだ?」と考えるところから始まった攘夷運動が、その志から逸れていったのが明治維新後の近代化だと思うんです。
――外側から描くことで、妻木という人間がだんだんわかってくるところがこの小説の魅力だと思います。妻木の内面が描かれないので何を考えているかは行動から判断するしかありません。妻木という人物が一つのミステリになっています。
妻木は近代化の波には乗れていない人、素直に時代の流れに従っていけない人。主流から微妙に逸れたところにいる人なんですよね。たぶん、まわりからすると不可解な人だったでしょうね。
――『剛心』というタイトルも印象的です。妻木のことを表しているのだろうなと思いつつも、妻木は一見すると「剛」というキャラクターではない。ところが読み終えた後で「剛心」がぴったりだと腑に落ちました。
「剛心」は建築用語ですが、実は使われ始めた時期が、やや曖昧です。でも、妻木を表すには「剛心」だなと。造語と受けとってもらってもいいと思います。
「剛心」がふさわしいと思ったのは、人とつるまずに一人で立っているその姿ですね。人と一緒にいると楽ですが、何かを成し遂げる上で自分の意志を貫き、信念を持ち続けることがだんだん難しくなってきますよね。妻木は一人でいることで本心をずっと忘れなかった人じゃないかと思うんです。それって頑固ではあるけれど尊いことですよね。言動が地味でパフォーマンスをしないから小説的にはわかりにくい人ではありますが、そのわかりにくさがいいし、小説にすることに挑戦してみたいと思いました。
言い訳せずにやり通すメンタリティ
――妻木は建築家同士の横のつながりや、政治家や同じ官僚とのつながりは濃くありませんが、職人や後輩たちとの絆が固いですよね。とくに職人に対するリスペクトが印象に残ります。
建築物を建てるってすごく大変なことですよね。建築家はチームを信頼していないと仕事ができないだろうし、自分の発想以上のものをチームのメンバーから得たりすることもあるでしょうし。
昔に比べていまのほうが技術も進歩しているので、設計の自由度も上がっていると思いますが、建築に関わる人たちの「心」はどうなんだろうと思うんです。手抜き工事のトラブルがよく報道されますけど、もしかしたら「心」は昔よりも劣化しているんじゃないかな、と。
昔は建物の梁の見えないところに大工さんが銘を刻んでいたとか、黒子に徹してすごい仕事をしていた職人がいましたよね。いまは有名なブランドのマンションでも工事に手抜きが見つかったりする。それは職人だけの責任じゃなくて建築物に関わった人たち全員の問題ですよね。見えないところこそちゃんとやらなきゃいけない、誰かが絶対に見ているっていう感覚がなくなってきているのかなと思うんです。
――妻木は建築家として設計をするだけではなく、建物が完成するまでの責任を負っていますよね。妻木と職人たちの連携が見事に発揮されるのが第二章。広島の広島臨時仮議院の建設です。
あれはいまでも信じられないですね。議席も規模も、東京の議院と遜色ない建物をたった二週間で建てるなんて。記録を見ても事実だし、当時の写真を見ても立派な議院を建てているんですよね。残念ながらいまはもう残っていないですが。
――ネットで「広島臨時仮議院」で検索すると写真が出てきますね。立派な木造建築です。
すごいですよね。床の高さをちゃんと後方に行くにしたがって高くするようにしたり、清との戦争を議論する場だからと江戸時代の陣屋に使われた陣幕を模した布を壁面に飾ったりもしていて、「そこまでやらなくていいのに」と思うようなことまでやっています。取りかかったらちゃんとやる。言い訳せずにやり通す。妻木のメンタリティの強さ、仕事に対する意識の高さを感じますね。あの時代の精神かもしれません。
――二章では技術的なことも含めて、臨時仮議院ができるまでが実にスリリングに描かれています。
建築は技術的な要素が大きいので、どこまで詳しく書くかは迷いました。技術に寄りすぎるとわかりにくくなるし物語が止まってしまう。ある程度まで技術の話を入れながら─二章がたぶん一番技術的な話が出てくると思うんですが─議会の開場までに間に合うのか、そのドキドキ感をメインに書きたいと思いました。物語後半になると政治的な動きを書くことになるので、二章では「ザ・職人の世界」を描こう、と。
議院の設計にかけた思い
――『剛心』では広島の臨時仮議院のほか、旧日本勧業銀行(現在は移築され千葉トヨペット本社)や、日本橋の装飾意匠を手がけたエピソードが描かれています。そして、物語全体を貫くのが、仮議院のままだった国会議事堂の設計への執念です。
つくり直したりもしながら、なぜか明治時代はずっと仮議院のままなんですよね。その辺も明治政府の腰の据わらなさを表している気がします。
妻木に限らずあの時代の建築家は誰でも議院を設計したいと思っていたはずです。議院は政治を語る場なので、国民は新しい政治、新しい日本がどのようなものになるかという期待を持っていたのではないでしょうか。
とくに妻木の場合は最初に議院をつくるという仕事を与えられ、ドイツの建築家、エンデ・ベックマンのところで働いたという縁もありました。それに鹿鳴館のような外国のものを表面だけ写したものではなく、国のこれからの形を見定めた建築物を、という思いがあったのではないでしょうか。それも江戸から受け継がれたものが少しでも残ればいいな、という思いが。
明治の頃からこの国には大きな視点がないというか、街づくりについてもどんな街をつくっていこうかという明確なものがなかったと思います。だからヨーロッパに比べると街並みががちゃがちゃしている……。一方、妻木は建築家として自分の足もとを見つめて、そこから何をつくるのかを考えたかったんじゃないかと思います。自己表現としての建築というよりは、あるべき街の形を考えていた建築家なんじゃないかと。
――妻木にとっての「足もと」が江戸だったのですね。江戸から明治になって、すべてが変わって近代化したような印象がありますけど、人間が入れ替わったわけではなくて、江戸時代に生きていた人がやっているわけですから。
そうなんですよね。江戸幕府側にいた人たちは賊軍になってしまったから新政府には強く言えなかった。それに、山縣有朋を中心に軍政が敷かれて、強国になること、一等国を目指すことが最重要になってしまった。国民の生活が制約され、世の中が窮屈になっていきました。
女性は三歩下がって歩けというのも明治になってから言われるようになりました。江戸の市井の人たちはもっと自由だったし、多様性が認められていた世界でした。明治になってから、江戸を知る人たちの中には「こんな粋じゃない世界なんて」と思っていた人は山ほどいたと思います。妻木もたぶんその一人なんじゃないかと。でも、そういう人たちのことはいま、あまり描かれていませんよね。
時代が変わると文化が最初に潰されてしまうんです。いまもコロナ禍になって文化活動が後回しにされていますよね。幕末に外国人がやって来たとき、日本人があまりに明るくて、識字率が高くて本好きなことに驚いたと言います。文化に興味があって楽しく生きていることを知って、侵略するのをやめたという説もあるとか。江戸時代の文化がいくらかでもその後に残っていたら、どんな国になったのかなと思いますね。
「何を成すか」に集中できた時代
――先ほど建築に関わる人たちの「心」のお話をされましたが、建築家にスポットライトが当たることと、いい建物をつくることは必ずしも一致しないような気がしますね。妻木の生き方は、建築家として自分の名前を残すよりも、いい建物を残すことに徹した人生だったのではと感じました。
妻木は独立して設計事務所を構えることなく、ずっと官僚の立場で設計を続けました。でも、若い頃にいきなり海外に行ったりするような人なので、安定性を求めて官僚になったタイプではないはず。やりたい仕事に一番近いポジションをとっていただけだったのでは。
当時も名を残したいとか、一家を築きたいと考える建築家はいたはずですが、それが先に出てしまうのは違うという感覚もまだあったと思うんです。妻木だけじゃなく、少なくとも当時、真摯にいい建築物をつくろうと志していた人には、有名になることが先に来ていたという人はいなかったのではないかと思います。
――現代は情報化が発達したことで注目を集める人が次々に登場します。その代わり、すぐに忘れ去られてしまうような気がしますね。
声が大きい人が勝つというか、何をしている人かわからないけれどコメントが注目されるような人が目立ちますよね。SNSがあるからなのかなと思いますけれど。
妻木がいた時代はSNSもなかったし、発言だけでは注目されなかった。まず何をしたかということが大事だった。何をつくったか、何を成すか。そこに集中していたんじゃないかなという気はしますね。名前が出る、出ないというのは二の次で、こだわるとしたら次にどんな発注が来るか。どんな仕事ができるか。世間の人たちから「いいね!」がほしくてやっているわけではなかった。「いいものをつくるぞ」という気持ちはいまの私たちより研ぎ澄まされていたのではないでしょうか。妻木の半生を見ていくと、ものづくりとか、創作に臨む姿勢としてはそのほうが正しいのかなと思います。
■初出 「小説すばる」2021年11月号
撮影/織田桂子
プロフィール
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木内 昇 (きうち・のぼり)
1967年生まれ。東京都出身。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。2009年第2回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞を受賞。2011年『漂砂のうたう』で第144回直木賞を受賞。2014年『櫛挽道守』で第9回中央公論文芸賞、第27回柴田錬三郎賞、第8回親鸞賞を受賞。『茗荷谷の猫』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』『光炎の人(上・下)』『球道恋々』『火影に咲く』『化物蝋燭』『万波を翔る』『占』など著書多数。
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