【書評】

「読みごたえたっぷりの明治建築小説」

北上次郎

 明治初めの東京の風景が冒頭に出てくる。どこを歩いてもひと気は乏しく、たとえば江戸時代に賑やかだった日本橋も、ぬかるみだらけの地面を野犬がうろつく一帯と化し、空店では親に捨てられた赤子や幼子が餓死している。木内昇『剛心』は、そういう荒涼とした東京の風景から始まる。

 問題はその街をどう建て直すかだ。西洋に負けないように、石造りの欧風建築を建て、立派な街並みを作るために外国から建築家を招くというのが当時の方針だったが、そういうお雇い外国人(あるいはその弟子の日本人)たちの思想に、敢然と反旗をしたのが妻木頼黄だった。たとえば彼はこう言う。

「僕が設計するからには、新たな技術を取り入れながらも、この国の、自分たちの根源を忘れずに引き継いでいくような建物にしたいと思っている。そういう建物がいくつも建つことで、江戸のような、心地いい街並みがきっとできる。子供たちの、またその子供たちの世代まで、誇りになるような街がね」

 本書は、妻木頼黄とその時代を描く「明治建築小説」だ。相変わらず、木内昇はたっぷりと読ませて飽きさせない。

 広島の大本営の近くに仮の議院をたった半月で建てる挿話など、興味深い話が多いからどんどん物語に引きずりこまれるのだ。妻木頼黄の妻ミナ、職人鎗田作造の妻カネなど、物語の背景にいる女性たちが彫り深く描かれていて強く印象を残しているのもいいし、さらに、職人同士の喧嘩を妻木が止めるシーンでは目頭が熱くなってくる。こういう細部も絶品だ。

 そして終章が物哀しい。孤独に生きた妻木が亡くなり、野心満々の辰野金吾の天下になるかと思うと辰野もスペイン風邪で亡くなる。二人とも国会議事堂の建築家にはなれずにこの物語は幕を下ろしている。残されたのは、私たちの生きる現代の東京は、心地いい街なのか、誇りに思える街なのか、ということだ。その問いが残り続ける。

きたがみ・じろう●文芸評論家
初出「青春と読書」2021年11月号