純文学かエンタメか、議論を呼んだ「しゃもぬまの島」で小説すばる新人賞を受賞し、デビューした上畠菜緒さん。
受賞後第一作となる『イグアナの花園』は、動物とは心を通わせ合うのに人間社会には馴染めないそのが、婚活を通して成長していく異色のストーリー。
二年にわたる執筆期間に、自身の結婚観とも向き合ったという上畠さん。
今作を通して、何を見つめ、何を得たか、たっぷりとお聞きしました。

構成/清 繭子 撮影/江原隆司

「しゃもぬま」の次は「イグアナ」

――二〇一九年に「しゃもぬまの島」で小説すばる新人賞を受賞し、今回の『イグアナの花園』が二作目となる上畠さん。受賞作は初めて応募した作品だったそうですね。天国に連れて行ってくれる不思議な生き物「しゃもぬま」を取り巻く哲学的なお話で、これが初応募作とは驚きでした。小説はいつから書き始めましたか。

上畠 大学で総合文芸部という部活に入ってからなので、十八、九歳からです。それまでは読むばっかりだったのですが、部活のみんなが書いているのに触発されて。先輩も入部の時には「読むだけでいいよ」と言っていたのに、書き方講座を開いたりして、書かせようとしてくるんです(笑)。
 最初に書いたのは、ホラーめいたお話でした。幼稚園児くらいの女の子がアパートの裏で生きたゴミ袋と出会って、ご飯をあげたりするっていう……。

――『しゃもぬまの島』のファンタジーにも通じる、不思議なお話ですね。読んでいるのと実際書いてみるのとでは違いましたか。

上畠 大学では言語文化学科に入り、現代文の小説を読んで、構造やモチーフの意味を読み解いて論文にする、という勉強をしていたんです。だから自分で書く時もそれらを意識したのですが、全然うまくいかなくて。でも、書き終わった後に読み返すと、「これってこのために書いてたのか」と後から構造に気づいたり、無意識に張っていた伏線に気づいたりするんです。今まで研究してきた小説も実はみんなそうだったのかな、と。書くことの面白さに目覚めました。

――今作もとてもユニークなお話ですね。主人公・美苑は幼い時から動物の声が聴こえ、やがてイグアナのソノと心を通わせ、果ては婚活の相談をする仲に。「イグアナ」と「婚活」という驚きの掛け合わせですが、着想はどこから?

上畠 まず、「婚活」というお題があったんです。はじめは中編の予定だったのですが、「結婚とは」「家族とは」と考えているうちに長編になり、完成まで二年もかかってしまいました。
 「結婚とは何か」と考えた時、小学校の社会の教科書に「家族は社会の最小単位」と書いてあって、「じゃあ独り身は社会に属してないってこと?」とショックを受けたことを思い出しました。
 私は、社会って同じ土俵に属することだと思うんです。戦うにしろ助け合うにしろ、何かしら影響し合う範囲のこと。それでいえば、独り身も働いて周りに還元したり、誰かが働いた恩恵を受けたりするので、少なくとも社会人は社会に属していると言えそうです。
 じゃあ、いつから社会に属し始めたかを考えると、生まれた時点まで遡りました。子どもは親がいないと生まれてこないから、生まれた時点でもう「親子」という社会に属している。子どもにとって親との関係は社会の、そして家族の最小単位なんだ、と。人は成長するにつれ、親子という小さな社会から自立し、大きな人間社会に出ていく……。そこから「うまく社会に属せない人間が、婚活という手段を経て人間社会に属し直す」という物語を思いつきました。

上畠菜緒

コミュニケーションはなぜ難しい?

――前半、小学四年生の美苑がけがを負った蛇を助け、意思疎通できるようになる一方、クラスメイトとはうまく関係を結べません。

上畠 高度な言語コミュニケーションは人間特有のもの。人と人とのつながりの根幹となる重要なものだと思うのですが、美苑はそれを人間ではなく動物とできてしまう。だから人間ではなく動物のほうに傾倒してしまいます。

――どうして人間とのコミュニケーションが難しいのでしょう。美苑は「人間の言葉が苦手なんです」と言い、美苑の母は「人間の言葉は簡単で、軽く、そして鋭すぎる」と応じます。

上畠 言語は心の近くにあるけれど、心そのものではないからじゃないでしょうか。思考や感情を一番詳細に表現できるツールなのに、ものすごく扱いが難しい。ウソを言ったり、誤解を与えたりしてしまう。下手をすると自分の心も相手の心も傷つける凶器みたいな一面もありますよね。
 一方、蛇やイグアナのソノとの対話は心と同じ場所に言語があるイメージです。心で思ったことが相手にそのまま届くので、誤解やウソが生まれないんです。

――それだけで美苑が満足してしまうのもわかる気がします。でも、それだけではいけない、と美苑の周囲は心配するわけですよね。

上畠 やはり人間である以上、社会と関わらないと生きていけない。それは経済的なことだけじゃなく、精神的な面でも。考えたくないことですが、やはりたいていの動物は人間より先に死んでしまう。その時に社会に属していないと、本当に孤独になって、生きる気力を失くしてしまうじゃないですか。それは「なぜ人は結婚するのか」という問いに対する答えの一つでもありました。

「馬づら」は誉め言葉。動物は人間よりも美しい。

――前作は、天国へ連れて行ってくれるという架空の生き物「しゃもぬま」が登場しましたが、今作も動物がカギとなります。上畠さんが動物に惹かれるのはなぜですか。

上畠 美しいからです。美しいから好きなのか、好きだから美しく見えるのかはもはやわかりません。「人間の常識が通じないところ」「言葉がわからないのに信頼関係を築いたり、愛情を形成できるところ」など、他の理由も思いつきますが、私、アニメ映画の『ズートピア』が好きなんですよ。あれって、見た目が動物なだけで中身は人間ですよね。なので、やっぱり一番はルックスが好きなんでしょうね(笑)。「馬づら」とか「豚っぱな」とか人間の容姿を動物にたとえる言葉も、私からしてみたら誉め言葉なんです。

――面白い! いわゆる美人とかイケメンには惹かれないんですか?

上畠 いえ。アイドルの女の子を見て、きれいだなって思うこともあります。でも、その辺を歩いてるわんちゃんを見ると、もう、圧倒的に美しいと感じるんです。

――動物のどういうところに美しさを感じるんですか。

 合理的なところ。速く走るために足の長さが整えられていて、筋肉がこんなふうに発達しているのか、美しい……と。人間は脳の発達のために二足歩行になっただけで、自然から生まれた体の形ではないんですよね。

――その視点をお持ちだから作中の動物たちを生き生きと描写できるんですね。
 蛇を保護しようとした美苑に対し、父の友人で大学教授の
児玉先生は「世話をすることで、死ぬまでの時間を長引かせてしまうだけかもしれんぞ」「判断はすべて自分なのに、その結果はすべて動物に受けさせることになる」などと忠告します。上畠さんはペットショップにお勤めだった経験があり、今もインコと暮らしているそうですが、人間が動物を飼うことについてどう考えていますか。

上畠 食べることと同じだと、自分では思っています。強い種の特権。人間が強者だから食べるも飼うも相手を好きにできる。だからその分、責任も負う。食べる時は命を奪っていることをわかったうえでおいしくいただくし、飼う時は命を預かっているんだと自覚し、飼うからには絶対に幸せにするんだ、という思いで飼っています。うちの子はコガネメキシコインコという種類で、三歳児くらいの言語能力があると言われています。「飲み水、換えようか」と言うと、「ジャボジャボ」と水音を真似して応えるんですよ。なんのジェスチャーもしていないのに。この子は天才か? と、つい親ばかになってしまいます(笑)。

上畠菜緒

父が言い残した「さみしさ」を探して

――美苑は小学校の同級生から「さみしいやつ」と言われ、父から最後にかけられた言葉も「さみしいね」でした。これは美苑が「さみしい」とは何かを探していく物語でもあると感じました。

上畠 その通りです。同級生から言われた「さみしいやつ」という言葉は、人間の友達がいない美苑を憐れむ言葉であり、人間は人間とつながりたいと思うべき、という同調圧力でもあります。
 一方、父からの「さみしいね」は、美苑の心に自然に湧き起こった感情に寄り添った言葉で、美苑は物語を通して、父が言った「さみしいね」の意味を探していきます。
「人はなぜ結婚するのか」と考えた時に、「誰かと一緒にいたいから」という理由が浮かんできました。さみしいって、一緒にいたい人がそばにいないことですよね。「そば」にはいろんな種類があって、隣にいるのにさみしいこともあれば、離れてもさみしくないこともありますが、体なり心なり、相手とつながりたいと思う気持ちが「さみしさ」。だとすれば、美苑が結婚したい、もっと言えば、人間社会に属したいと思うためには、この「さみしい」と思う気持ちを知らなければいけないと思いました。

――やがて大学院生になった美苑は動物の研究に没頭する日々を送りますが、ある日、母から「半年以内に結婚しなさい」と驚愕の命が下されます。その結婚の条件が「ひとつ、相手は人間であること。ふたつ、共に暮らすこと」。人間であることはともかく、同居を結婚の条件にしたのはなぜですか。

上畠 結婚するうえでの最大の難関が「自分以外の人間と一緒に暮らすこと」だと思うんです。生活リズムを合わせ、家事を分担し、あいさつやコミュニケーションも取らなければいけない。価値観のすり合わせや許し合うことも必要になる。ふつうの人でも難しい試みを美苑にやらせることで、荒療治になって短期間で美苑を成長させられるのではと考えました。

――婚活なんて無理だ、と言う美苑にソノは「でも、結婚って制度でしょ。友達関係よりも、もしかして簡単なんじゃないの?」と答えます。美苑が変わるきっかけとして、「友達作り」ではなく「婚活」を選んだのはなぜですか。

上畠 美苑はイグアナのソノとは友達であると言えます。でもそれでは人間社会に属していることにはならない。ソノとの関係に閉じこもったまま生きていくことは不可能です。今回、美苑に婚活を通して試みてほしかったのは、「人間への帰属」みたいなことだったんです。友達という点において、美苑はソノとの関係で充足してしまっているので、それにはやっぱり「結婚」とか「家族になる」ということが必要でした。

上畠菜緒

相手を「家族」と思えば、それはもう家族

――そして婚活に頭を抱える美苑がソノと暮らすアトリエに、美苑の後輩・キキちゃんが転がり込み、疑似家族的な関係を作ります。

上畠 美苑の家族関係はちょっと複雑です。なので、美苑が人間社会に生まれ直すために、いったん、社会の最小単位である他の家族に入り直す必要がありました。疑似家族でもいいから、そこを糸口に社会につなげていかなきゃいけない。「キキ」という名前には、美苑の話を聞いてくれる存在、という意味を込めました。動物にしか興味がない美苑の話を聞き、人間社会へとつなげてくれる重要な存在です。

――美苑の母のお手伝いにきたつばめちゃんとも姉妹のような関係になりますね。血縁の家族とのつながりではなく、疑似的な家族のつながりを描いたのはなぜですか。

上畠 家族って、相手のことを「家族」だと思えばもう家族なんだと思うんです。離れていても家族だし、飼っている猫を家族だと思う人もいますよね。恋人のような一対一の関係ではなく、チームのようなもの。美苑は訳あって、血縁者とのつながりが消えていきますが、そうなっても、家族的なつながりは得られるはずという願いを込めて書きました。これは私自身の願いでもあります。

――美苑はキキちゃんのアドバイスのもとマッチングアプリを始めますが、これは上畠さんの実体験も下敷きになっているそうですね。

上畠 私も美苑と同じく結婚願望がないのですが、興味があって婚活パーティやマッチングアプリを試してみたことがあるんです。

――どうでしたか?

上畠 結婚を目的に会うと、かえって関係を築きにくいと感じました。婚活でなければ、出会って、まず友達になって、その中の一人から好きな人が出てきて、関係を深めていく、といった流れが多いじゃないですか。でも、婚活だと、会ってみて「この人と結婚はできないな」って思っちゃうと、もうそれきりで、友達にもなれない。はっきりと結婚したいと思っている人じゃないと向いていないシステムかもしれないですね。

――作品の中に生かした点は。

上畠 マッチングのシステムとか、どんなプロフィールがあるかなどは、リアリティを持って書けたかな。あと、ちょっとネタバレになりますが、マッチングして会ってみたら昔の知り合いだった、というのは地方の婚活あるあるです(笑)。

小説は「死」について考察する手段

――活け花の先生である美苑の母は、病に倒れ、花のように「最期の瞬間まで、美しく活け(生き)続ける。それだけ」と延命治療を拒否します。また、美苑は大切な人々と死に別れ、その回復もこの小説の軸だと感じました。

上畠 死生観はもっとも興味のあることの一つです。民俗的な死生観の違いを調べたり、よく友人とも話題にして日々考えています。私にとって小説を書くことは死を考察する手段でもあります。『しゃもぬまの島』は幻想味が強い死生観でしたが、今回は個人の生き方に根付いた素朴なものを書けたと思います。これからも追求したいテーマです。

――前作も死が大きなテーマとなっていましたね。前作より進化した部分はありますか。

上畠 一作目より現実味のあるものを書けたと思います。いつもストーリーの構造から考えるのですが、今回は、人と人が仲良くなっていく過程を書く時など、構造はひとまず置いて感情の流れを信用して書いていった部分も結構あって。こういうのもアリなんだ、と思えました。
 あと、自分はずっと朝型だと思ってたんですが、意外と夜も書けることに気づきました(笑)。今回、月一回の連載で書かせていただいて、そうなると、仕事から帰ってきて真夜中まで書く日もあったんです。インコちゃんが眩しくないように、ちょっと離れたところで一人でパソコンをパチパチ打っていたんですが、その合間にインコちゃんの「プピッ、ピッピッ」ていう寝息とか、身じろぎする音が聞こえて、幸せな気持ちになって。夜も悪くないな、というのは発見の一つでしたね。

――それこそ家族がいる幸せを感じる瞬間ですよね。執筆で苦労したところは。

上畠 美苑は動物と暮らしていて、その生活に満足しており、さみしさを感じていません。私も美苑と似ています。だから、結婚とは何かがわからない。そんな人間をどうやって「婚活」に向かわせるのかに、すごく悩みました。
 しかも美苑は行動が読めなくて……。訳はありつつも、急にクラスメイトの男の子に石を投げつけたり、かと思えば、マッチングアプリで出会った怪しい男を簡単に家に上げてしまったり、ある人に突然プロポーズしちゃったり。合理的なようで突拍子もないことをしちゃうので、何度もストーリーを練り直すことになりました。

「婚活」を書いて見えた、人とのつながり方

――「結婚とは何か」は上畠さん自身の問いでもあったと思いますが、その答えは見つかりましたか。

上畠 考え始めたころから変わらないのは、結婚は子どもを作りたい人にはメリットのある制度なんだなということ。結婚せずに子どもを作ることももちろん可能ですが、結婚していたほうが何かとサポートなどを受けやすいですよね。
 一方、子どもを望まなくても結婚したいという人もいるわけで。心のつながりとか、相手との関係性を名のある確固たるものにしたい、という理由もあるのかなと、この小説を書いているうちに思いました。あとは、一緒に住んでいる人がいる場合、「結婚している」と答えられると説明が一気に楽になるということもあるかな、と。

――ご自身の結婚願望に変化はありましたか。

上畠 美苑をあれだけ婚活に向かわせておきながらなんですが(笑)、一緒にいたい人ができたら一緒にいればいいし、一緒にいたくなくなれば離れればいい、という気持ちは変わらなくて。人になんと言われようとも気にならない性格なので、誰かとの関係を「社会に認められたい」という願望もないんですよね。

――この作品は婚活を描きながらも、いわゆる恋愛シーンはあまりなく、「やっぱ結婚っていいよね」と勧めるものでもないところが、現代的ですてきでした。

上畠 ありがとうございます。小説の受け取り方は各々だと思いますが、人とのつながり方も、家族の在り方も、それぞれであっていいという思いを込めて書きました。美苑が婚活の果てに何を掴むのか、楽しんでいただけたら嬉しいです。

「小説すばる」2024年10月号転載