二〇一八年。父が急逝し、突然お墓を用意する必要に迫られた北大路さん。そして、諸々の後始末に忙殺されるうち、新型コロナウイルスが大流行。さらには緊急事態宣言が発令されるなか、当たらないだろうと思いつつ、とりあえず応募してみた市営霊園の使用者募集でまさかの当選。お墓、買うの? 誰が? ……え? 私が!? 予期せぬ事態に翻弄されながらお墓購入に迷走する日々を綴った、笑いあり切なさありのゆるゆるエッセイがついに書籍化! 北国で巣ごもりを続ける北大路公子・初のリモートインタビューで、お墓購入計画の裏側と冴え渡るユーモアセンスの原点に迫ります!

聞き手・構成/吉田伸子 イラスト/丹下京子

墓を買うまでの長い道のり

――「小説すばる」での連載は、墓所でお父様が眠る姿を思い浮かべる、というところで終わっていますが、本書にはその一年後がエピローグとして収録されています。
北大路 石材屋さんを三軒ほど回った話ですね。先日、その一軒目の石材屋さんで対応してくれた若い男性から突然電話が来たんですよ。見積りの件だったんですけど、前置きも何もなしに、「俺、入院してたんすよ~」って。
――えっ?
北大路 思わず「そうですか、私もです」と言いそうになりましたよ。言いませんでしたが。
――(笑)。そこで墓石に文字を彫るというくだりが出てきますが、昔ながらの墓石しか知らない身には新鮮でした。
北大路 今どきの流行りらしいです。形は横に平たい洋型で、そこに「愛」とか「感謝」とか彫るんだそうです。サンプルには「ありがとう」というのもあって、故人に向けて言ってるのか、故人がお参りに来てくれた人に言ってるのか、どっちなんだろうと思いましたよね。
――本書の冒頭に「人が一人いなくなるのは大変なことである」とありますが、これは自分が当事者になってみるとすごく実感しますよね。
北大路 はい、本当に大変でした。
――お通夜やお葬式、初七日など、儀礼的なこともありますが、事務手続きが山積みで。
北大路 そうなんですよ。本書でも書きましたが、携帯電話の解約手続きが、もう、本っ~~~~~当に面倒臭かった。
――故人が設定した暗証番号がわからないから困っているのに、カスタマーセンターの自動音声の指示に従ってプッシュボタンを押していくと、最後の最後に「では暗証番号を入力してください」と言われてしまう。
北大路 某S社です!
――伏字の意味がない(笑)。銀行関係も大変じゃなかったですか?
北大路 父はATMの操作ができなくて、通帳と印鑑でお金を下ろしていたんですよ。それなのに、なぜか銀行のカードをいくつも持っていて、ネットバンキングの契約までさせられていたみたいなんです。そもそも携帯電話もろくに使えない人に、ネットバンキングを使いこなせるはずがないじゃないですか。それなのにその請求書だけは来るわけです。
 他にもそういうものがたくさんあって、何の請求なのかというところから、一つ一つ潰していかないといけない。そこに苦労しましたね。口座解約自体は、父個人の分と会社の分があったんですが、そんなに大変じゃなかったかな。住民票や戸籍謄本を取り寄せて、親子関係を証明しないといけなかったのは、ややこしかったですけど。
――戸籍は故人の出生から死亡時までのものを揃えないといけないんですよね。
北大路 そう。私はてっきり、父は今の本家がある町で生まれたと思っていたんですが、役所に問い合わせたら、「うちじゃないです」「うちは二番目です」と言われたんです。だから、本当の出生地までさらに辿らなければいけなかった。
――私も父が亡くなった時、戸籍を揃えるのが大変でした。あまりにも手間だったので、戸籍を揃える必要性を銀行に問い合わせたんです。すると、「申し上げづらいのですが、お子様があなた様以外にいないかどうか……」との答え。こちらは父が死んで間もないのに、まさかの隠し子調査をさせられていた(笑)。
北大路 そうそう。私の場合は「他に相続権のある子どもがいないことを証明しないといけないので」という言い方でした。でも、実際のところはわからないですもんね。私も父が死んでから、全然知らなかったことが出てきて、びっくりしました。
――それはどんな?
北大路 父は、高校卒業後に札幌で就職したんです。私は、新卒で入社した父が自分で会社を始めるまで、ずっと一つの会社にいたと思っていたんですが、年金事務所に行った時、謎の空白期間があったことを知りました。お父さん、無職だったの!? と驚きましたよ。母と結婚する前のことだったんですけどね。なので、隠し子もいないとは限らない!(笑)

❝妄想力❞のルーツは通学路に

――北大路さんのエッセイは読んでいて思わず噴き出しちゃうので、私は「電車で読むの禁止本」にしているんです。その魅力の一つは北大路さんの❝妄想力❞にあると思うのですが、本書でも、バスの中でスムーズにICカードのチャージができなかった時、スエズ運河の渋滞を思い浮かべてしまう、というエピソードが出てきます。
北大路 チャージでもたつくと、後ろに並んでいる人の舌打ちが聞こえてくるような気がするんですよ。もちろん本当にしてるわけではないんだけど、その状況がどうにもいたたまれなくて。
――なるほど。
北大路 スエズ運河が出てきたのは、たまたまその頃、実際にスエズ運河で起きたコンテナ船の座礁事故が頭にあったからかもしれません。
――ドラッグストアのレジでぎゅっと手を握ってくるお姉さんが、昔助けた雀の生まれ変わりではないか、という妄想もありましたよね。
北大路 だって、あんなふうに手を握ってくるのは、それ以外に理由がないんですよ。私が助けたことがあるのは雀くらいなので。少し前に、病気の治療でご飯が食べられなかった時は、あぁ、私は前世で貧しい民から容赦なく年貢を取り立てて、自分一人で美味しいものを食べていたお姫様か何かだったんだろうな、って真剣に思ってました。だったら、今食べられないのもしょうがないな、って。
――因果が巡ってきたというわけですか(笑)。
北大路 そう。あの時、みんなにも食べ物を分け与えて、全員で美味しい美味しいと言って食べていれば、あんなことにはならなかったのに。
――(笑)。北大路さんは思考が合理的なんですよ、きっと。何かつらいことがあった時に、自分で自分を納得させるための理由を見つけたいんじゃないですか。
北大路 そうかなぁ。原稿を書くために作っているわけではなくて、昔から自然とそんなふうに考えてしまうんですけどね。
――その❝妄想力❞のルーツはどこにあるのでしょう?
北大路 どうだろう。小学校が遠かったからじゃないですかね。通学に片道三十分くらいかかったんですよ。
――三十分!
北大路 子どもの足だったからかもしれないですが、体感としてはそれくらいありました。今歩いても二十分くらいはかかるので。空き地の間を延々と歩いていくような通学路だったんですよ。なので、頭の中でいろんなことを想像するしか楽しみがなかった。たまたま登校時間がずれたりして、通学路に他の児童を見かけなかったりすると、もしかして学校に何かあったのかもしれない、とか。
 帰りは帰りで、私は学区の一番はずれのところに住んでいたので、友だちと一緒に学校を出ても、最後は一人になってしまう。そして、もし家に帰って誰もいなかったら……、と想像してしまう。当時、宇宙人が地球を侵略する、みたいなドラマやウルトラマンが流行っていて、それに影響されたのかもしれませんね。
――北大路さんが小学生の頃だと、ウルトラマンAとかウルトラマンタロウですかね。
北大路 みんな宇宙人に攫われてしまったらどうしよう、とかよく考えていました。行きは行き、帰りは帰りで、小学生ながらいろいろ考えないといけなかったので大変でしたね。それもこれも、小学校が遠かったからだと思います。
――そこですか!(笑)
北大路 なんか、いろんなことを心配しながら歩いていたことを覚えています。心配性というのとはまた違うと思うんですが、宇宙人のこともそうですし、風邪で学校を休んだ次の日は、私がいない間に、掃除当番とか給食当番とか、あらゆる嫌な役割が自分に回ってきていたらどうしようとか。
――悲観的に考えてしまう。
北大路 そうですね。あんまり楽観的な想像はしなかったかなぁ。中学生の時は、学校から徒歩五分のところに引っ越したので、あまり考えることのない中学生になりました(笑)。バス通学だった高校生の時は、バスの時間の関係で帰りは二十分くらい歩いて帰ったんですが、何も考えていなかったと思います。なんでだろう? マンドリン部の活動に打ち込んでいたからかもしれません。

死んだ人について語ることは、生きている人について語ること

――本書のテーマは、人の生と死についてだと思うのですが、こんなに爆笑してしまうのに、そのテーマからは全くずれていないのがすごいですね。
北大路 コロナ禍で当初想定していた企画から大きく変わってしまいましたが、そのテーマはずっと意識していました。
――ところどころに哲学的な言葉も出てきます。たとえば、何十年と漬けてきた梅干しを黴びさせてしまったから自分はもう死ぬのかも、と口にした伯母様のくだりに書かれていた「人はどんなところにも死の影を見つけ、そして何があっても死ぬまでは生きるのである」という一文。
北大路 いいこと言った感、あります?(笑) その伯母、結局九十歳くらいまで生きましたからね。
――亡くなった友人の夢を見て、「せめてもう一度くらい会いたかったが、実際会ったとしてもやっぱり後悔はあるのだろう。人がいなくなるとは、そういうことなのだ」という文章も、しみじみと沁みました。
北大路 ありがとうございます。
――個人的には、しょんぼりしている梅干しの伯母様に、「梅干しだって黴びたい時くらいあるって」と言って慰めたお母様のエピソードもツボでした。本書全体に通じることでもありますが、しんみりしみじみ、で終わるのではなく、その後に笑いがある。いい話で終わることへの北大路さんの ❝はにかみ❞のようなものも感じます。
北大路 うーん、そういうこともあるのかもしれないですが、現実問題として、父の会社の後始末はまだ残っているんですよ。なので、しんみりしている場合じゃないよ、という気持ちですね。父は建築金物の卸売をやっていたんですが、もっと処分しやすいものを商売にしてくれればよかったのにと思います。
――あぁ、それでネジの在庫の話が。
北大路 そうなんです。不燃物の上に、小さいんですよ! そんなのが袋に小分けになっていて、山ほど残されているわけです。妹は「ネジ、売れるんじゃない? メルカリで売ろう」なんて言ってたんですが(笑)。
――他には?
北大路 紙類がどっさり残っています。未使用の請求書とか領収書はそのまま回収してもらえるかな、とは思うんですが。昨日も昭和五十八年度の帳簿が出てきて、そこからか! とがっくりきました。父のがんが判明したのは、七十七歳の時。普通、その歳で病気がわかったら、身の回りの始末とかしませんかね?
――確かに。

北大路 普通はするでしょ、と思って見ていたんですが、全然する気配がなくて。当初、ホルモン治療がすごくよく効いて、本人はもうすっかり治ったつもりでいたんだと思います。七年間の闘病のうち、最後の一年くらいで数値が悪くなったんですが、その時は抗がん剤が効いた。ただ、そのうちにヘルニアが悪化してきて、それで入退院を繰り返しているうちに最終的には抗がん剤の副作用で肺炎を併発して亡くなったんですけど。いずれにしても、会社を経営していたわけだから、もうちょっと先々のことを考えてくれていてもよかったんじゃないの? とたまに思い出しては腹を立てています(笑)。
――本書のなかに、亡くなったお父様に「元気でいてほしい」という言葉が出てきます。矛盾しているようですが、身内を亡くした身には実感としてわかります。亡くなってしまった人にはあちらの世界で元気でいてほしいし、生きている私たちも元気で生きていかなきゃということを考えさせられます。
北大路 そうなんですよね。死んだ人のためにあれこれするのは生きている人だし、死んだ人のことを思い出して、腹を立てたりしんみりしたりするのも、生きている人。とりたてて、生とは? 死とは? と大上段に構えるわけではなくても、父のことを書くと、必然的に死の影を書くことになるし、でも、死後の片付けをしているのは、生きている自分たち。死ぬことと生きることが対になっている、というか、死んだ人のことを書くと、生きている人のことを書くことになるんですよね。誰かを喪うことはつらいし、寂しいのは寂しいんだけど、生きていかなきゃいけない。
――生きていかなくてはいけない人間の傍らには、かわいい猫(はなちゃん)もいます。
北大路 年齢のこともあるので、もう面倒は見きれないかも、とずいぶん足踏みをしていたんですが、ひょんなことから十七年ぶりに猫との生活が始まりました。飼ったからには最後まで見てやらないと、と思います。動物の一生を背負うというのは覚悟がいることですが、でも、猫と過ごす日々はいいですね。
――本書でも、随所ではなちゃんとの幸せな生活ぶりが伝わってきます。そして最近、北大路さんは散歩を始められたそうですね。
北大路 はい。毎朝七時前くらいに起きて行っていますね。雪が降り始めたら行かなくなると思いますが。
――どれくらいの時間されているんですか?
北大路 一時間弱くらいですかね。さっき話した通学路のあたりを歩きます。今はもう、ずいぶん景色が変わってしまいましたが。
――散歩中に妄想は……?
北大路 します! 暇なので(笑)。

「小説すばる」2022年12月号転載