馬産地で有名な北海道浦河町出身の馳星周さん。 
直木賞受賞第一作となる本作は、故郷の浦河を舞台にした人と馬の物語。 
生産者、馬主、厩務員、調教師、装蹄師、騎手─、一頭の競走馬に未来を託した人々の生きざまを描くなかで、馳さんが伝えたかった競馬の世界の光と闇とは。 
聞き手・構成/タカザワケンジ 撮影/露木聡子 

気性の荒い馬をモデルに 

――執筆のきっかけから教えてください。 

 ステイゴールドっていう競走馬がいたんですよ。その馬が面白くて大好きだったから、その馬をモデルに何か書けないか、というのが最初ですね。 

――『黄金旅程』というタイトルがステイゴールドの中国名なんですね。ステイゴールドってどんな馬だったんでしょうか。 

 馬は基本的に騎手の言うことを聞くものなんだけど、中には気性の荒い馬がいて、ステイゴールドはその見本みたいな馬なんです。そういう馬は制御が難しいんだけど、その気性がレースで爆発すればものすごく強い。競馬を見ていると、そういう馬のほうが魅力的なんですよね。 
 ステイゴールドは一九九〇年代半ばから二〇〇一年まで活躍した馬で、僕が知ったときにはもう死んでいたんですが、いまはその子どもたちの時代。有名なのはクラシック三冠を制したオルフェーヴルとか、ゴールドシップっていう、ちょうどいま「ウマ娘」で人気が再燃しているGⅠを六勝した馬ですね。 

――『黄金旅程』ではステイゴールドをバスク語にした「エゴンウレア」という名前になっています。『殉狂者』でバスク地方をお書きになっている馳さんらしいと、ニヤリとする読者も多いと思います。『黄金旅程』の主人公の平野敬は装蹄師であり、引退した競走馬の養老牧場を始めて間もないのですが、ブラックブリザードという馬の面倒を見ています。この馬名は実在するみたいですけど。 

 実在の馬とは関係ないですね。サラブレッドは毎年七千頭くらい生まれていて、全部がデビューするわけじゃないですが、ほとんどに名前がついているので重複することが多々あるんですよ。細かいことを言うと、すごく大きなレースを勝った馬の名前は、たとえば十年、二十年使っちゃいけないとか規則はあるらしいんだけど。 

――そうなんですね。平野の牧場の向かいにある栗木牧場にいるカンナカムイとか、『黄金旅程』に出てくる馬の名前はどれもかっこいい。小説の登場人物の名前を考えるのが大変だと作家の方がよくおっしゃいますが、馬の名前はどうですか。 

 馬の名前は人物以上に大変ですよ。日本では九文字以内っていうルールだから、それに収めなきゃならないんです。好きなアーティストの楽曲のタイトルをつけていたりしますけどね。 

――エゴンウレアの父にあたるホワイトライオット。ザ・クラッシュの曲名ですね。 

 そうそう。あと、ビタレストピルっていうのは、ザ・ジャムっていうバンドの曲。馬をイメージしながら、「この曲がいいな」とつけたりしたから、そこは楽しいといえば楽しかった。ただ、「これいいな」と思っても九文字の壁があって「ビ・タ・レ・ス・ト・ピ・ル。あ、大丈夫だ」とか数えてね。 

――主人公の平野敬は装蹄師ですが、なぜ装蹄師を主人公に? 

 競馬を知らない人は、競馬に関わる人というとジョッキーしか知らないじゃない? でも、本当にたくさん関わっている人たちがいるんですよ。調教師さんとか厩務員、牧場の人たちとかね。そんな中にあまり知られていないけれど装蹄師さんがいる。レースをする馬は蹄を保護するために必ず蹄鉄をするから、装蹄師さんも競馬にとってなくてはならない存在なんです。 
 最近、夏は故郷の北海道浦河町ですごしているんですけど、浦河は競走馬の生産牧場や育成牧場の町でもあるんですよ。たまたまそこで装蹄師さんと仲良くなった。面白い仕事だし、そういう職業にスポットをあてた小説はこれまでたぶんないだろうと思ったんです。 
 あと、競馬に関わる仕事でだいたいの人が憧れるのがジョッキーなんだけど、狭き門なんですよね。JRA(日本中央競馬会)の場合、競馬学校の騎手課程に入れるのは毎年十人くらいで、入学試験も難しいし、中学卒業後の十五歳以上二十歳未満で体重が年齢によって45~48キロ以下と決まっている。騎手になりたくても体格で諦めざるを得なかった人が結構いて、その人たちが競馬に関わる仕事に就いたりもしているんです。それで、平野敬の場合もジョッキーになりたかったけれど身長が伸びてしまって叶わず、装蹄師になったということにしたんですよ。 

走るのは馬だが人の競技でもある 

――夏は故郷の浦河町ですごすとおっしゃっていましたが、『黄金旅程』の舞台がまさに浦河町で、十一歳までお住まいだったそうですね。しかも、日高地方の馬の生産で有名な町。でも、競馬が好きになったのは最近だそうですが。 

 子どものときは馬が嫌で嫌でしようがなかったんです。まわりに馬しかいないから(笑)。いまは衛生面とかいろいろよくなったけど、昔は、町なかでまだ農家さんが畑を耕していて農耕馬を使っていた。僕たちの子どものときはまわりが馬糞くさかったりして、馬のいないところに住みたいってずっと思ってたんです。 

――それがいまは夏をすごされている。 

 きっかけはNHKの番組のロケで行ったことでした。その頃には競馬にハマっていたので馬の生産地も見られるし、妻にも自分が生まれた町を見せたいしと思って引き受けたんです。ちょうど夏で、行ってみたら思っていたよりも涼しくてすごしやすかった。夏の間だけこちらに住むのもありだなと。食べ物も美味しいしね。 

――『黄金旅程』には平野以外にも、馬に愛情を注ぎ、夢を託す人々がたくさん登場します。 

 よく言うでしょ、「人馬一体」って。本当にそうなんですよ。競馬の世界も馬だけじゃ成り立たないし、人だけでも成り立たない。両方いなきゃだめなんですよね。一頭の馬に、ものすごく多くの人が関わっていて、その馬がレースに出て競い合うのが競馬なんです。 
 馬にとってもそう。今年の春に、ばんえい競馬で騎手が馬を蹴って、それが虐待じゃないかというニュースがあったけど、ああいう事件が起きると「競馬なんて廃止したほうがいい」という声が上がるんですよね。でもね、廃止になったら、いま生きている馬が全部死ぬことになる。それをわかって言っているのかと言いたくなるんです。 
 シマウマとか野生の馬は別として、いまの馬は人間がいないと生きられない。競馬があってお金を稼いでいるから馬を養える。何も知らないで「競馬をやめろ」って騒ぎ立てるなよと。 
 主人公が装蹄師で、なおかつ養老牧場をやるっていうのは、馬に関わっている人たちには、そういう気持ちを持っている人がいるんだということを書きたかったんですよね。 

――なるほど。『黄金旅程』には、テレビで見る華やかな競馬からはうかがい知れない裏側や、競馬に関わる人たちの事情が描かれていて、それも読みどころの一つになっています。 

 実際のレースなんて一分か二分で終わるけれど、そのために多くの人が何年もかけて手塩にかけた馬を送り出してるんですよね。スポットライトを浴びる馬はほんの一握り。日本で毎年生まれる約七千頭のサラブレッドのうち、重賞っていう大きなレースを勝つ馬は1%にも満たない。勝てないまま引退せざるを得ない馬もたくさんいる。スポットライトが当たる馬だけじゃなく、競馬ファンの中にはそうじゃない馬を応援している人たちもいる。走るのは馬だけど、人の競技でもあるんですよ。 

――『黄金旅程』の魅力もまさに馬に関わる人たちにあります。主要人物はもちろんですが、ちらっとしか出てこない人も印象に残ります。たとえばキサラギさんという名物馬主が出てきますが、この人も面白い物語を持っていそうです。 

 キサラギさんにはモデルがいて、松本好雄さんというすごく有名な馬主さんです。メイショウさんって呼ばれていて、毎年たくさん馬を買っているんだけど、大きな牧場からじゃなく、浦河とか日高の小さな牧場の馬を買っているんです。この人がいなかったら、浦河町の経済が成り立たないなっていうぐらいの人なんですよ。競馬関係にはそういう面白い人がいっぱいいるんです。 

――モデルがいたとは驚きです。競馬に関わる人たちという点では、主要人物の一人、エゴンウレアを産出した栗木牧場の栗木が、誰もいない馬房でエゴンウレアに一生懸命自分の夢を語りかけるところは読んでいて胸が熱くなりました。平野敬は「生産者はみんなああだよ」とさらっと言っていて、そこがまたよかったですね。 

 みんなそうだと思いますよ。自分が育てた馬がいつかGⅠを勝つ。そんなことは一握りしか実現できないんだけど。小説で書いたように、いまは大きな資金力のある牧場の一強状態で大半のGⅠはその牧場の馬が勝つんですよ。これはもうしようがない。それでも、年に何頭かは、日高地方の小さな牧場の馬が勝つことがあって、みんなそれを夢見てやっているんです。 

馳星周インタビュー2

ジョッキーと装蹄師 

――主人公の平野敬に絡んでくるのが、平野が継いだ和泉牧場の息子であり、覚せい剤で二度捕まった元スタージョッキーの和泉亮介。借金取りから追われていて、大丈夫かなとハラハラしながら読みました。 

 昔、有名なジョッキーが覚せい剤で捕まった事件があったんですよ。それに、ジョッキーは体重を維持しなきゃいけないのが大変なんです。武豊なんてすごくて、身長が170センチあるのに、五十代になったいまも50キロ前後の体重を維持してる。普通、ジョッキーの身長って160センチ台なのに。減量がきつくてやめる人もいるっていうから、クスリに手を染めてもおかしくないかなと思ったんです。 

――平野と亮介の関係性も面白いなと思いました。幼馴染で、かつては同じ騎手という夢を追っていて、かたやスター、かたや装蹄師になった。でも、スターになったほうが失敗して、また戻ってきて二人で一緒に暮らしている。 

 二人の関係よりも、さっき言った一強の牧場に、浦河の小さな牧場が太刀打ちするには何か武器がなきゃな、というところから考えましたね。元超一流ジョッキーが来て調教したらどうだろうか、くらいの。キャラクターの関係性ややりとりは書きながら考えているので、前もってこうしようとかは思っていないんです。だいたい、僕はいつもそういう書き方をしますね。 

――たしかに亮介はエゴンウレアを応援する人々にとっての強力な武器ですね。亮介がエゴンウレアに最初に乗る場面では乗り姿がくっきりイメージできました。 

 競馬を見るようになってから、いまも毎週土日、36レースぐらい見ているんですけど、このジョッキーは乗り姿がきれいだなとか、みっともない乗り方だけど勝つなとか、いろいろあるんですよ。ジョッキーによって乗り方に個性があるから、亮介だったらこうかなと思って書きましたね。 

馬や犬を擬人化しない 

――馳さんの作品を『不夜城』からリアルタイムで読んでいる読者は、『ソウルメイト』で犬と人間との関わりを描かれたことに驚いたと思うんです。『少年と犬』で直木賞を受賞されましたが、受賞第一作の『黄金旅程』では、馬と人の関わりがテーマ。馬をお書きになってみていかがでしたか。 

 犬と馬って似ているんですよ。というのは、どちらも人が手を加えた生き物なんですね。犬はもともとオオカミだったものを、人間が自分たちの都合のいいようにつくりかえた。馬も野生だったものを農耕や交通手段、競走馬としてつくりかえたんです。野生動物とは違って、人がいないと生きていけない生き物だから惹かれるのかもしれないですね。 

――犬も馬も人間が手を加えているから、人間に責任がある。その考え方は『ソウルメイト』や『少年と犬』などの作品と、今回の『黄金旅程』にも共通していますね。 

 そういうふうにしちゃったのは人間だからね。人間って罪深い種だなと思うんだけど、産業革命以降の技術の発展で、内燃機関の乗り物ができたら、それまで乗っていた馬なんて見向きもしなくなったわけでしょう。つくったんだから責任取れよっていう話なんです。 
 あとは、皆さんが食べている馬肉っていうのはレースで結果が出なかったサラブレッドだったり、ばんえい競馬の馬だったりすることが多い。それを知って「かわいそう」と言う人がいるんだけど、最初から殺して食べるために育てる牛や豚と何が違うのかという思いもあるんですよ。もちろん、僕だって、自分が応援していた馬が死んで肉にされるのは悲しいし嫌だけど、ありがたくいただくしかないと思うんですよね。 

――現実を踏まえつつ、それでも競馬に関わっている人たちが馬を愛しているということが作品からは伝わってきます。馬がその思いをどう受け止めているかまではわかりませんが。 

 僕は、犬の小説でも、今回の馬の小説でも自分に課していることがあって、それは、動物を絶対に擬人化しないこと。人の目から見た犬、人の目から見た馬しか書かないと決めています。擬人化する小説もあるけれど、絶対違うと思うんですよ。お前、本当に犬の気持ちがわかるのかよ、とツッコミたくなる。もう二十六、七年、犬と暮らしているけれど、犬たちが本当のところどう考えているのかはわからない。人間のように考えるわけないんだから。 

――エゴンウレアは、何を考えているのかわからないところが魅力でもあるんですよね。暴れん坊で御しがたい。しかしそのポテンシャルを周囲の人間たちが認め、登場人物それぞれが将来の夢を賭けるようになる。 

 エゴンウレアとしては「お前ら人間のことなんか知ったこっちゃないよ」みたいな感じだと思うんですよ。そういう馬の物語を書きたかったんです。 
 もちろん人の気持ちに応えようとする馬もいますよ。たぶん馬にとって調教とかレースってすごく苦しいことなんだけど、毎日面倒を見てくれる、いつも一緒にいる厩務員さんが喜んでくれるから頑張っちゃうって馬もいると思う。ただ、エゴンウレアのモデルにしたステイゴールドの場合は人間嫌いで気まぐれ。でもそれがとてもいいんですよ。 

――『黄金旅程』にはやくざが絡んでくるようなサスペンスやミステリの要素もありますが、最大の謎はエゴンウレアがいつ本気を出すのかだったのではないかと(笑)。『黄金旅程』は完成しましたが、今後も競馬について書かれる予定はありますか。 

 競馬に関してはまだ書きたいテーマがあります。来年また「小説すばる」で連載を始める予定なので、待っていてください。 

小説すばる2022年1月号 転載