一つ屋根の下で暮らすことになった二人のシングルファーザーを描く、白岩玄さんの新作『プリテンド・ファーザー』。
その刊行に際して、子育てや多様性について多くを発信しているryuchellさんとの対談が実現しました!
育児が「義務」と「当たり前」の間を揺れ動く父親と、自然に子育てをする父親。
その意識の違いは、どこにあるのでしょうか? いや、そもそも――

「父親」って、何?

撮影/露木聡子 ヘアメイク/megu《ryuchellさん》,千葉智子(ロッセット)《白岩玄さん》

父親は、母親とは「育てられ方が違う」?

――『プリテンド・ファーザー』のテーマは、ずばり「父親」。境遇の異なる二人のシングルファーザーが生活を共にしながら、それぞれが本当の「親」、そして「家族」になっていく物語です。白岩さんがこの作品を書かれるにあたって、ryuchellさんの存在が念頭にあったそうですね。

白岩 そうなんです。育児をごく当たり前にする男性の方が、以前からとても気になっていて。それで今回、お声がけさせていただいたんです。ご参加いただいて、ありがとうございます。

ryuchell(以下、ryu) とんでもないです、呼んでいただけて嬉しいです。

――早速ですが『プリテンド・ファーザー』、読んでみていかがでしたか。

ryu すごく考えさせられる物語でした。特にきょうへいというキャラクターが興味深くて。それまでやり手の営業マンだったのが、奥さんを亡くしてしまったことで、やったことのない育児や家事を一手に引き受けることになる。そのときの戸惑いが、とてもリアルでした。僕より少し上の世代の男性たちの中には、今の時代の子育てにちょっと疲れてしまったり、違和感を持ったりする方もいると思います。恭平も、男性である自分が育児をすることに戸惑いを感じていて、僕とは違う生き方をしている人物。けれど、そんな彼の背景に共感できたことで、多くの気付きをもらえました。おこがましいですけれど、素晴らしかったです。

白岩 そうおっしゃっていただけて、とても嬉しいです。恭平という、もともと仕事をバリバリやっている男性にも、感情移入してくださったんですね。

ryu 慣れない子育てをしながら、それをまだ「当たり前」だとは思えない恭平の葛藤が、スッと入ってきましたね。自分とは異なる環境で父親になった人の物語を、その人のバックグラウンドごと自分のもののように理解できたのは、貴重な体験でした。白岩さんがこのお話を書かれたのには、どんなきっかけがあったんですか?

白岩 僕は五歳と二歳の子供がいるんですけど、自分の書いた別の小説で、「いい父親のふりをしてるんじゃないか」という台詞せりふがあるのを見つけて。まるで自分のことを言われているみたいな気がして、その言葉がずっと心に引っ掛かっていました。なので、そこをスタート地点にして、小説を一つ書いてみようと思ったんです。

ryu 恭平が一緒に暮らすことになる高校の同級生のしょうは、自然に育児をしているけれど、恭平自身は、「父親になる」ことが大きな課題として描かれていますよね。

白岩 そうなんです。作中、僕を含めた多くの男性の中に存在すると感じる偏見を書いていて。恭平に、元同僚が「俺たちには(育児は)無理なんだよ。女とは育てられ方が違うんだ」と言うシーンがあります。この同僚や、子育てに直面したばかりの恭平もそうですが、男性がどこかで、結婚や家庭を、男女で作るもの、しかも女性が主体的に子育てに取り組むものと、無意識に思っている部分がある気がするんです。それが原因で、男性が育児を当たり前と思えなかったり、子育てにおいて男性同士が協力するという意識も薄まってしまうように感じます。その壁をどう越えたらいいんだろう、とこの作品を書きながら真剣に考えたんです。どうやったら、男性が他人と手を取り合いながら、自然に子育てができるような社会にしていけるのかな、と。多様化の意識自体は広まっているけれど、その一方で、まだまだ現実問題として、解決されていない部分も残っていると感じていて。

ryu 本当にそうですね。『プリテンド・ファーザー』を読ませていただいて、育児に対する他の男性の悩みを知れたのも良かったです。パパ同士の「横のつながり」はとても大事なんだけれど、どうしても、ママ同士より作るのが難しい気がします。僕も子供がもっと小さいとき、区の支援センターに行ったりして、近所にパパ友さんができたんですけど、最終的にはやっぱり、子供の話から仕事の話に行きついてしまうことがありました。――あ、でも、逆にお仕事からつながった方もいましたね。

白岩 仕事から子育てに。面白いですね。

ryu お仕事でつながったけれど、子育てや子供の学校の話とかもしたりして。少し勇気が必要かもしれませんが、お仕事以外でも、支援センターとか、保育園とか公園とかで声をかけてみて、パパ同士のつながりを作るのは、とても良いことなんじゃないかな、と思います。作品の中でも、恭平はかつての同級生だった章吾に、公園帰りのカフェで偶然再会していますよね。

白岩 そうですね。章吾がシッターなので、恭平は自分が会社に行く間、子供を章吾に預けて、代わりに章吾は恭平の家に住む――という形で、二人はお金や仕事を介してつながっていきます。作中ではプライベートなつながりがきっかけでしたけど、仕事をいちばん大事にしている男性であれば、その仕事を入り口に、父親同士でつながれることもあるのかも。それは、あまり言われてこなかったけれど、面白い着眼点だと思います。

父親は、母親と同じことをやると「えらい」?

白岩 恭平と章吾の関係性もそうなんですが、型にはまらない「父親」の可能性を、この本を書きながらずっと考えていて。「イクメン」という言葉がありますけど、その言葉によって育まれた部分もある反面、「父親は、とりあえず母親に並べばOK」、もっといえば、「手伝っていればえらい」というところで、議論が止まってしまっている気がするんですよね。「イクメン」という言葉自体が、一つの分かりやすすぎるゴールというか、「そこにたどり着ければ上がり」という型を作ってしまっているような。そうなると、社会の意識がそれより先に行かないから、「父親」という存在の可能性が狭まってしまう部分があると思うんです。

ryu 「イクメン」という言葉は本当に複雑ですよね。似たところでいうと、この前、息子が危ないことをしようとしているのに気付いて、慌てて止めた話をしたら、「パパなのに気付いてすごいね」って言われて、すごいモヤモヤしたんです。「パパなのに」って何なんだろう、って。

白岩 僕もそれ、私生活でよく感じます。家事や育児をしていると、それだけで褒められる。実をいうと最初は、モヤモヤするのと同時に、若干、嬉しくなる自分もいたりしたんです。でも嬉しがっていても意味がないから、耳をふさいで黙々とやるべきことをこなす。そのうちだんだんと、当たり前の育児をしているだけなのに、褒められるたびに居心地が悪くなることに、疑問を覚え始めて。逆に言うと、今父親が褒められている分、これまでは女性が「母親だからやるべき」という社会からの重荷を背負わされてしまっていたというのが実情で、それが今も続いていると思うのですが。

ryu そうだと思います。あと、育児と仕事の両立を体現しているロールモデル的な男性が、女性より案外少ない。それによって「母親と同じことをやれる父親が普通」という意識があまり浸透していないような気もしますね。

白岩 それはありそうですね。社会の全体的な雰囲気としても、男性は自分の子育てを、たとえやっていたとしても、あまり語りたがらないような気がします。世代が上の人に育児をしない人が多いから、それに合わせてしまうのかもしれない。

ryu 会社で男性が育休を申請すると、上司に「俺なんかとったことがない」と言われてねつけられるシーンが、この作品でも出てきますよね。自分たちの子供だから、育てるのが当たり前なのに、「育児に参加」とか「加入」という考えに無意識になってしまうのは、やっぱり昔の時代から引き継いでしまったものの名残だと思うんです。だから、それを違う方向に引っ張って、新しい「父親」を体現してくれる若い人や、そうした父親がたくさんいる社会を見られる機会がもっと増えれば良いな、と思います。

「プリテンド・ファーザー」白岩玄×りゅうちぇる対談

地方に隠れた子育てのヒント

白岩 ryuchellさんは自然に育児をしている父親の一人だと思うのですが、子育てに関して、pecoさんとの役割分担って、どんな感じなんですか。

ryu 白岩さんもご経験あると思うんですけど、子供が生まれてきたばかりのときは、昼夜問わず三時間おきに起きたりしたので、二人でやらないと大変で。完全母乳だったけれど、冷凍でストックも活用しつつ、役割をシェアしていました。でも成長するにつれて、子供の方が、パパとママの「使い方」を分けてくるんですよ。

白岩 子供って、親が思っている以上に大人のことをよく見ていますよね。

ryu 本当にそうで。ママはここで怒るけど、ここは優しい。逆にパパはこうで……っていうのを、ちゃんと分かっているんですよね。こちらがそれに順応しようと思って。以前は「パパだからこれやらなきゃ」と自分を追い込んでしまっていたけれど、今は僕たちも素直に、僕たち自身の個性を尊重して、子供に接するようにしています。そうしていくうちに、自分も親として自信を持ててきたような気がします。

白岩 子供によって、自分が変えられていったんですね。

ryu そうなんです。自分の方が子供に成長させられている感じがあります。子育てしていく中で、「親育て」されているな、と。白岩さんは、育児との関係性は、どんな感じなんですか?

白岩 そうですね。うちも共働きなので、基本的には子育ても分担しています。ただ、こんな小説を書いておきながらなんなんですけど、正直、僕自身が、父親として本当にしっかり自分の足で立てているのか、っていうのは、自分の中でいまだに大きな問いなんです。妻や周りの人がいないと、子育てが成り立たないと思うところも、お恥ずかしいのですが、まだまだあって。だからこそ、男性だけで育児に向き合わざるを得なくなる人物たちを主人公にして、この物語を書いたのですが……。ryuchellさんご自身の子育てへの意識がどこから生まれたのか、ぜひ知りたいです。

ryu 生まれ育った環境は、一因かもしれません。僕は両親が三歳の頃に離婚していて。基本的にお母さんの家にいて、週末にお父さんの家に行ったりする生活をしていたのですが、そちらのほうでは、パパが当たり前に家事をしている姿をずっと見ていました。だから、男性が家事をしたり、育児をしたりするっていうのが、僕にとっては当たり前で……。そういう意味でいうと、地方を見れば、いろいろな色や形の子育てが発見できるのかも。

白岩 ご出身の沖縄は、東京とはやはり、違うところがあるんですか。

ryu 小さな例ですけど、沖縄には男性トイレにおむつ替えの台とか、昔から普通にあったように思います。沖縄は離婚率が全国一位だったりして、そうした環境も作用しているのかもしれません。学校の授業参観には男の人がいるのが当たり前で。男性が育児や家事をする姿をよく見るので、東京に来たときには、感覚が違うんだな、とびっくりしました。

「プリテンド・ファーザー」白岩玄×りゅうちぇる対談

家族の形を考え直す

白岩 今、離婚という言葉が出たので、それに関係するんですけど。今の時代、夫婦はもちろん、家族そのものの形が、ずっと同じであり続けるっていうのは、なかなか難しいことだと思うんですよね。でも、その中でも子供は、生まれたら大人になるまで二十年くらい時間がある。その長いスパンの中で、家族の形というものも、子供を中心に据えつつ、もっと多様化していくべきだと思います。そうしないと、子供が健やかに育っていかないというか、自分の存在をうまく肯定できないのでは、という気持ちがあるんです。だから、家族の形がこれからどうバリエーションを見せていくのか、僕も興味があって。

ryu 子供を中心に考えるっていうのは、本当に大切なことですね。僕も「夫」という肩書は卒業させてもらったんですけど、僕が紛れもなく、息子の父親であること、てこ(peco)のパートナーであることは変わりない。僕たちの判断も、息子を軸にして考えたところがすごく大きくて。

白岩 これまで抱えてきたものを、ryuchellさんがpecoさんに告白されたときに、今まで本当にたくさんの本物の愛をくれたから、受け入れることができた、とpecoさんが書かれているのを拝見しました。夫や妻、父親や母親という肩書は置いておいて、家族に必要なのは、お互いへの思いやりと、それを形にした行為の蓄積だと、僕も自分の経験を振り返ってしみじみ思うんです。並ならぬ覚悟が必要だったと思いますが、ryuchellさんたちも、その行為の集積があったからこそ、「新しい家族の形」を作ることができたのではないかな、と勝手ながら思ったりして。

ryu ありがとうございます。てこと息子には本当に、感謝しかないです。同時に、「新しい家族の形」という言葉には、怖いところもあって。これって、本当に便利な言葉なんですよね。

白岩 確かに、「イクメン」と同じような両面性を持っている言葉かもしれませんね。

ryu そうなんです。なので、この言葉が広まるといいな、という気持ちは全くなくて。ただ人って、何かを捨てて、手が空いて初めて、他の何かを手にできる。だから、「この形、自分には合わないかも」と苦しんでいる人に、自分を苦しめているものを手放して、新しい何かを手に入れるきっかけになれば、と願っています。

「プリテンド・ファーザー」白岩玄×りゅうちぇる対談

父親たちが戸惑いを共有できる場

白岩 最近思うんですけど、父親の気持ち、特に育児や家事に直面したときの戸惑いを表現する人に、もっと出てきてほしくて。「父親たち、もっと話してくれ、自分の気持ちを教えてくれ」というのが、僕の今の社会に対する、いちばんの願いなんです。ryuchellさんは、そうした「父親の気持ち」をよく発信されていますよね。

ryu そうですね。戸惑いの部分は特に、強く発信するようにしています。例えば、ママは赤ちゃんがずっとお腹の中にいるけれど、パパはタイムラグがありますよね。ママのお腹にいるときは実感があまりないし、生まれた瞬間に父親の意識が目覚めてくれるわけでもなくて。徐々に、徐々に、じわーっと幸せを感じて、「ああ、パパになったんだ」という実感がわいてくる。

白岩 「父親になる」タイミング、本当にそうですよね。父親の自覚という点でも、僕は後れを取ってしまって。妻が復職する際に、息子を三ヶ月一人でみる経験をするまでは、やっぱりどこかで意識が低かったです。そうした「こういうとき、どうしたらいいんだろう」というような、リアルな男性の感情を、男性同士が共有できるようになるといいな、とつくづく思います。でも、その発言自体を、父親がしにくい、という部分もあるのかな。戸惑いや弱音を吐露するのに抵抗があったり、打ち明けたら母親たちに「まだそんなところにいるの?」と言われてしまいそうな気もして。そうした父親の戸惑いの言葉を、どうやって社会の言葉にしていくのか、というのは、これからの課題だと感じます。

ryu 僕もそう思います。その意味で、小説はもちろん、いろんな形の物語で「父親」というテーマが取り上げられるのは、きっかけ作りとして、とても大事な気がします。物語という形だから、みんなに届きやすい。『プリテンド・ファーザー』も、父親たちの迷いや葛藤が素直に、すっと自分の中に入ってきて、本当に素敵だな、と感じました。優しい言葉たちの中で、心に刺さるリアルな、現実の言葉がいっぱい綴られていて、いろんな角度で物事を考えさせられました。たくさんの気付きがある作品なので、ぜひ、いろんな方に読んでもらいたいです。

白岩 ありがとうございます。その言葉、大切にします。

「小説すばる」2022年12月号転載