【特別対談】直木賞作家・澤田瞳子と小説すばる新人賞受賞作『楊花の歌』が話題の青波杏。二人が眼差す“歴史小説の可能性”とは。
直木賞受賞作『星落ちて、なお』をはじめ、数々の歴史・時代小説を著してきた澤田瞳子さんと、小説すばる新人賞受賞作『楊花の歌』の著者・青波杏さんは、ともに京都暮らし、そして同世代。
さらに澤田さんは、青波さんの女性史研究者としての著作も偶然、手にしていたことが分かり……。
第二次大戦下、大阪松島遊廓から逃走し、上海、広州、香港、廈門……生きるために海を越え、生きるために諜報員となった、ある女性の闘いを描き出し、注目を集める青波さんのデビュー作『楊花の歌』を皮切りに、現代における歴史小説の可能性について語り合っていただきました。
構成/瀧井朝世 撮影/大槻志穂
ボーダーレスな歴史小説としての『楊花の歌』
澤田 今年の2月頃に「小説すばる」のインタビュー記事を読んでいて、小説すばる新人賞をご受賞なさった方が『遊廓のストライキ』(『遊廓のストライキ 女性たちの二十世紀・序説』著・山家悠平/共和国)の著者だと知って驚いたんです。あの本は刊行時話題になりましたし、私も小説のネタにならないかという下心で拝読していたんです。
青波 私は女性史の研究をしていて、あれは8年前に出した本です。ずいぶん時間が経っているのに憶えていてくださってすごく嬉しいです。
澤田 遊廓にいた一人一人の女性に複雑な人生がある部分を丁寧に掘り起こしていらっしゃるご研究で、すごく面白かったです。
ご受賞作の『楊花の歌』も拝読しました。これまで遊廓の女性が描かれる場合、遊廓を舞台にしたものが多かったと思いますが、その前の人生、その後の人生に焦点を当てていらしたのが新しいと思いました。
青波 遊廓の女性たちのその前の人生、その後の人生はすごく書きたかったところなので、そう読んでいただけて嬉しいです。あの小説は数年前に中国の廈門で生活していた頃に、1940年代の日本軍の諜報員の暗殺事件を知ったことがきっかけでした。その後、廈門のダンスホールという舞台を思いつき、かつて日本の遊廓にいた女性主人公の姿が出来上がっていきました。というのも松村喬子さんという1920年代に遊廓にいた女性が書いた小説に、借金を踏み倒して日本国内を転々として台湾までわたる同僚娼妓のエピソードが出てくるんです。それを読み、当時の女性たちが各地の遊廓やダンスホールなどを移動して働きながら生きているイメージが自分の中にあったんです。
澤田 青波さんは『楊花の歌』でも、「小説新潮」6月号に掲載された短篇「カリフォルニアの青い空」でも、日本人や日本に関与することでもボーダーレスな部分を描かれますよね。今後もそういう作品をお書きになっていくのでしょうか。
青波 そうですね。自分の生活をふりかえってみると、在日の友達や台湾系日本人の友達がいたり、LGBTQの友達がいたりと多様な世界が広がっていますし、近代史をひもといても、日本とアジアは複雑なかかわり方をしていることが分かる。日本はそうしたことがあまり日常的に話題に上がってこない文化だと感じるので、なるべく小説の中で書いて、距離が近くなるようにしたいんです。
澤田 最近は歴史の分野でも、たとえば平安時代を海外交流の側面から、ボーダーレスに捉えられる研究も増えています。小説でも川越宗一さんが『海神の子』で鄭成功を書かれたり、葉真中顕さんが『灼熱』でブラジル移民とその社会を書かれたりと、多角的に世界と日本を書く方が増えた気がするんですよ。青波さんの御作はまさに、我々歴史小説を書いてきた人間が今追いかけているところに位置づけられると感じます。
歴史小説は「翻訳小説」
青波 私がここ百年くらいの歴史を書いているのに対し、澤田さんはもっと幅広い時代を舞台に書かれていますよね。
澤田 私は自分が知らないことを知りたいだけで、関心の赴くままに書いているんです。でも、青波さんが書いていらっしゃる時代は、歴史・時代小説界がまさに今から書こうとしているところなので、それは羨ましいです。
青波 そうなんですか。
澤田 明治維新から150年を迎えた2018年頃、いろんなところで近代の総括をという話がなされるようになったんですよね。その頃から、歴史・時代小説でも明治以降をもう一度捉え直す、みたいなことが増えてきた気がしています。
青波 私は不真面目な研究者で、1920年から30年代にかけての資料ばかり読んでいたんです。なので、他の時代が書けなかった、というのが正直なところです。それに、もっと前の時代を書こうと思っても、人々がどういう言葉で話していたのかイメージがわかない、という壁にぶつかります。
澤田 私は歴史小説は翻訳小説だと思っていまして。たとえば鎌倉時代の人間が喋っていた生の言葉をそのまま小説に書いても読者は分からないわけです。なので現代語に直すんですけれど、あんまり直し過ぎてカタカナ語を喋らせるわけにはいかない。どれくらいの塩梅にするかは手探りですね。
青波 壁といえば、歴史研究をやっている頃には資料の壁がありました。資料に書かれたことから想像力を働かせるのは大事ですが、あまりに翻訳しすぎてしまってはいけない。でも小説は、資料をベースにしながらどんどん想像を膨らませていくことができる。それがすごく楽しいです。
澤田 今のお話、親近感がわきます(笑)。私も研究者志望でしたが、資料に対しての想像力が働きすぎて、教授から「澤田さんは考証が甘いんだよね」と言われていました。
青波 分かります。私も教授から、「この資料からここまでのことは言えないよね」と言われたことがあります(笑)。
澤田 私は歴史が好きで、一方で小説を読むのも大好きなので、両方のいいとこ取りをしたくて小説を書き始めた、という感じですね。
小説を書くのは家を建てることだと思っているんです。資料は柱で、まず柱と柱を立てて、それだけじゃ家が建たないので、この逸話を屋根飾りにしようとか、この歴史上の人物をこう加工しようとか、ここに想像で組み立てた家具を入れようといったことをして一軒の家を建てていく。それが楽しいんですよね。
「虐げられてきた」イメージを覆す、意志的に生きた女性たち
――澤田さんも遊廓の話ではないですが、『腐れ梅』では平安期の京都で表向きは巫女で、実は色を売っている綾児という女性を書かれていますよね。彼女が菅原道真の死霊を祭って金儲けをしようとして、思わぬ状況に巻き込まれるという。
澤田 あれはノワールものがやってみたかったんです。実は私の中で『腐れ梅』は超正統歴史小説です。北野天満宮の祭祀が最初は民間の運動として始まり、結局貴族や国家の祭祀として奪い取られ、最初に始めた庶民は排除された、というのは史実として存在していまして。それをなるべく生々しい色づけで書いたものです。
青波 そうだったのですか。登場人物のキャラクターが突き抜けていて、すごく活き活きと描かれているので物語の大きな流れも含めて創作だという印象でした。でも言われてみれば確かに歴史小説ですね。
澤田 ああいう巫女もいたと思うんですよね。あの時代と現代では身体を売ることの概念が全然違うので、私はあえて彼女を全然反省のない、エネルギッシュな人として造形しました。現代の我々が彼女を一種非人道的な人間と見てしまうこと自体がたぶんフィルタリングなので、そのギャップになるべく目を据えて書きました。
青波 近現代のものは女性に関する資料もあるかもしれませんが、もっと時代を遡った社会の女性については記録が少なくなるのではないですか。
澤田 日常的なことですら資料が残っていないので、想像で埋めなくてはいけない部分が多いです。前に『夢も定かに』という奈良時代の女官の小説を書いた時、想像で生理休暇があると書いたら、研究者に「どこに資料があったのか」と言われました。
ただ、たとえば奈良時代は表の政治的な儀式は男性役人が行いますが、天皇の周囲に侍り、その生の言葉を伝えるのは女官の仕事だったんですよ。貴族たちは夫婦が共に宮廷に仕え、政治を内と外から支えていたんです。そういった女性の立場が案外知られていない。日本の家父長制や男性優位社会は比較的新しいものだというのが最近の研究で明らかになっていますが、日本ではずっと女性は虐げられてきたと思っている方も多いので、それを小説でいかに覆していけるかは考えています。
青波 読者の歴史イメージに対し、実はそうでないというところを書いていくのは、すごく楽しそうです。
澤田 以前だと歴史小説に書かれる女性は、耐え忍ぶイメージが強かった。ただやはり時代が変わってきているので、近年は戦国時代に意志的に生きた女性も描かれるようになりましたね。
小説に込める想い
青波 私はいわゆる歴史小説と言われるものを書くことの責任の重さも感じるんです。私の小説を読んで、想像で書いた部分についても、「こんな数奇な運命をたどった人がいたんですね」と言われてしまったりするので。
澤田 歴史小説で学ぼうとなさる方は一定数いらっしゃるんです。「そうじゃないんだよ」と伝えていくのも、歴史小説の仕事かなと思っています。小説という、とっつきやすい、大きな網で読者さんの関心をつかんで、歴史って面白いでしょう、もっと知ろうと思ったらこういう入門書があるよ、などと紹介していく窓口も私の仕事かなと思っていて。歴史研究と歴史創作はふたつの車輪でありたいですよね。お互いいい影響を与えながら、歴史という共有財産を一般の方々に知っていただければ。でもなかなかうまいことパスがいかないことも多くて、ちょっともどかしく感じているんですけれど。
青波 私が『遊廓のストライキ』を書いた時から感じていることに、研究書のハードルの高さというのがあります。研究書だって実は結構面白いのに、どうやったら読んでもらえるか……。今のお話を伺って、確かに小説で窓口や接点を作るというのはいい方法だと思いました。
――今の時代において時代・歴史小説を書く際、昔の価値観と今の価値観の齟齬を感じることはありますか。
澤田 それは本当にいろいろ考えています。高齢の読者の方も多いので、そこに合わせて書くと昔の価値観で書かざるを得ない。でもおそらく、20年後、50年後にはそうした作品は読まれなくなる気がします。私たちは幸いにしてそうではない価値観を知っているので、であれば、やっぱりそれを受け入れて書いていきたいわけです。そういった葛藤は常にありますね。
青波 なるほど。
澤田 青波さんの作品は、過去に似た作品がないからこそ、読者さんは素直に読まれると思います。のびのび書かれて大丈夫だと思います。
青波 資料が極端に少ないジャンルをやっているアドバンテージがあるかもしれません。遊廓の女性たちの労働に焦点をあてた先行研究があまりないですし。
澤田 ひとつ、あまり本筋ではないことをお伺いしてもよいですか。文体についてですが、青波さんは過去形ではなく、現在形になさるじゃないですか。それはまたどうしてですか?
青波 しっかり意識はしていませんでしたが、クッツェーの小説の、過去のことも現在形で語るような語り口が好きだからかもしれません。あとは単純に、同じ響きの語尾が続くのが感覚的に嫌で、「~た」が続くと違うものを挟みたくなるからかもしれないです。
澤田 私も定期的に現在形を混ぜるんです。過去、過去、現在、時々体言止め(笑)。
京都で学び、書く暮らし
――おふたりは同世代で、同時期に京都の大学に通い、大学院に進まれていますよね。
青波 私は不真面目な学生だったので修士課程で初めて研究の入り口に立ち、これは面白いとなって京都大学の大学院に移り、今は大学で非常勤の仕事をしています。大学の図書館で学生に紛れて小説を書いたりしています。
澤田 きっと、どこかで繋がっているのではと思います。知り合いの知り合いが知り合い、とか。
青波 そう思います。この前も取材していただいた京都新聞の方と共通の知り合いがいましたし。
澤田 私も今大学で事務の仕事をしているので、アルバイトのカードで大学図書館を使っているんですよ。小説家って周囲が大事にしてくださるんですけれど、それはよくないなと思っていて。私が書きたいのは普通の庶民なので、自分もいろんなことを経験したいんです。大学でいろんな仕事をして、時に嫌な目に遭うことも必要だと思っています。
青波 私は一度仕事を辞めてしばらく廈門に行きましたが、帰国してまた大学で働いています。非正規の仕事だけしていた時は行き詰まっていましたが、小説を書くという別の柱が立ちつつあるので、非常勤をやっているのも悪くないかなと感じています。
澤田 京都は少し前まで結構小説家が暮らしていたんですけれど、引っ越された方がいたりして少なくなって、寂しかったんですよ。青波さんが京都にお住まいで嬉しいです。川越宗一さんにもお引き合わせしたいので、また改めてお誘いしてもよいですか。
青波 ぜひ。どうぞよろしくお願いします。
プロフィール
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澤田 瞳子 (さわだ・とうこ)
1977年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。同大学大学院博士前期課程修了。2010年『孤鷹の天』でデビューし、翌年に第17回中山義秀文学賞を受賞。2013年『満つる月の如し 仏師・定朝』で第32回新田次郎文学賞、2016年『若冲』で第9回親鸞賞、2020年『駆け入りの寺』で第14回舟橋聖一文学賞、2021年『星落ちて、なお』で第165回直木賞を受賞。他の著書に『腐れ梅』『泣くな道真 大宰府の詩』『吼えろ道真 大宰府の詩』『恋ふらむ鳥は』など多数。
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青波 杏 (あおなみ・あん)
1976年東京都国立市出身。近代の遊廓の女性たちによる労働問題を専門とする女性史研究家。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。2022年、「楊花の歌」(「亜熱帯はたそがれて――廈門、コロニアル幻夢譚」を改題)で第35回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
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