夫と離婚し、30年ぶりに帰国した主人公・おかは、伯父が住んでいた一軒家に暮らすことに。
「うらはぐさ」と呼ばれるその地域での生活の中で、沙希はチャーミングな人たちと交流し、その土地の歴史を緩やかに辿っていきます。
過去、今、そして未来と、街とともに生きていくためにはどうすればいいのか。
舞台のモデルの一つであり、中島京子さんと縁深い西荻窪にて、本作に込めた思いをうかがいました。

構成/青木千恵 撮影/大槻志穂 取材協力/ほびっと村、ナワ・プラサード

 カリフォルニア州の私立大学で日本語を教えていた田ノ岡沙希は、八歳年下の夫、バートと離婚し、日本語学科の閉鎖で仕事も失った。そんな折、武蔵野の面影を残す「うらはぐさ」にある母校から、二年間の任期で教員の話が舞い込み、帰国する。伯父が二年前まで住んでいた古い一軒家で、三十年ぶりの東京暮らしが始まる。

「私は杉並区の祖母の家で生まれて、東京近郊で育ち、大学が西荻だったので、吉祥寺、西荻あたりは、十代の終わりから二十代の初めぐらいに一番よくいた街でした。祖母の他界後、杉並の家は両親が住んでいたのですが、父も亡くなり、高齢の母を独りにしておけないので、家をリフォームして一昨年に杉並区に引っ越してきたんです。久しぶりに戻った街を歩くと、知っているところと知らないところが混在していて、すごく変わったな、ここは懐かしいなと眺める中で、街の話を書いてみようかなと思いました。東京中が今、再開発ですごく変わっています。変わるのは寂しい感じがするけれど、変わらないというのがどういうことなのかもちょっと分からない。家をリフォームしたときも、新しくするってどういうことなのかなとすごく考えたんですね。この小説の主人公は私ではないし、登場人物も架空ですが、私の日常や考えていることが予想以上に入った作品になりました。私は沙希のようにアメリカから帰ってきたわけではないけれど、私に近いところが強くある作品だと思います」

 五十二歳の沙希が一人で住むことになった伯父の家は、「うらはぐさ」という古い地名で呼ばれるあたりの住宅地にある。うらはぐさとはイネ科の植物で、「ふうそう」とも言う。花言葉は「未来」である。

「どんな地名にしようかと考えて、武蔵野らしい植物を探したらウラハグサがあり、そのときに花言葉も分かって決めました。ただの葉っぱのような地味な植物で、これが未来なのかと思って、可笑おかしかったんですけど(笑)。フウチソウの名のほうを聞きますが、私はどんな植物か知らなかったんです。舞台は武蔵野の一角で、郊外住宅地として造成された、私の今住んでいるところをイメージしています。西荻や吉祥寺や練馬や板橋の一部も入り込んで、私のイマジネーションの中の武蔵野地区という感じで出来ています。もっと具体的に西荻や吉祥寺を舞台にすることも考えましたが、なるべく制約のない形で書きたかったので架空の街にしました。JRの駅と私鉄の駅があって、梅園橋はここというような、勝手に作った地図が私の頭の中にあります」

 任期が秋から始まる沙希は、夏に引っ越した。キュウリのようなツル性の植物が、玄関わきで黄色いつぼみをつけているのを見つける。伯父の家には小さな庭があり、植物が生え、苔だらけの柿の木が一本立っていた。山椒が赤い実をつけ、柿が葉を広げ、梅や牡丹が咲く。四季折々の植物を目にしながら、東京で暮らす一年間が描かれる。

「五十代の女性主人公は書いたことがなくて、語り手が変わる、この街に住んでいる人々の群像劇のような連作を初めは考えていました。でも、一話目の『しのびよる胡瓜きゅうり』を書いたら続きが気になって(笑)、もうこのまま続けようと沙希を主人公にした長編小説になりました。『しのびよる胡瓜』というのは、『creeping cucumber』という英語の直訳なのですが、沙希が見つけた伯父の家のツル性植物が、どうもアメリカ原産の『creeping cucumber』ではないか、というところから物語が始まるんですね。うらはぐさの花言葉も登場します。そうして一話目を書いたときに、庭や植物、四季の変化を交えていけるんじゃないかと考えました。私自身、引っ越して暮らし始めてみると、庭、植物、鳥など、目に映るものたちの、日常に占める割合は大きいと気づきました。うちの庭にも周りにもたくさんあるので、自然に植物や鳥などをそれぞれの回に入れる形になったんです。沙希の一年間、その土地の人たちと関わる中での変化という漠然とした構想はありましたが、全体をきっちりと決めてはいなかったですね。長編は大体そうなんですけど、終盤に近づいてくると、『終わり方はこの方向だよ』と小説自体が教えてくれます」

中島京子
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「役に立つ本屋 ナワ・プラサード」
東京・西荻窪にある「ほびっと村」は、1Fに有機野菜を取り扱う「長本兄弟商会」、2Fにカフェ・レストラン「BALTHAZAR(バルタザ-ル)」があります。そして3Fにはフリースクール、「ほびっと村学校」と、書店「ナワ・プラサード」が。建物全体がゆったりとした空気に包まれた、魅力的なオーガニック・スペースです。オンラインショップ nawaprasad.com もやっています。
東京都杉並区西荻南3-15-3
TEL 03-3332-1187

 戻ってきて暮らし始めると、若い頃に知っていた街とは風景が違っていた。浦島太郎のような沙希の前に、いろんな人が現れる。伯父の友だちで、庭の手入れをしてくれていたあきばらさん。沙希が勤める大学の一年生、かめマサミ(マーシー)。近現代史が専門のくる先生らと出会っていく。

「どういう人に会うんだろう、この土地のどこへ行くんだろう、どんなものを食べるんだろうと、書いていくうちにイメージが転がるように出てきて。沙希を先生にしたので、学生さんは出したいと思ったんです。いつの間にか使わなくなったり、使うようになったり、言葉の変化にも興味があったので、変わった敬語を話す学生さんにしてみました。たとえば『させていただく』は、駄目敬語と言われながらもみんなが使っていますよね。使わないのが正しいと思っていても、受け取る側の人が『使ってくれなくて失礼』と思う可能性だってある。そういうふうに言葉が変わっていくのも、街が変わるのと似て面白い現象だなと思ったんです。これまで若い人をあまり書いてきませんでしたが、マーシーが変な敬語を使い始めた途端に、あ、この子なら書けると(笑)。マーシーの敬語がスタンダードになる日は来ないと思いますが、敬語の間違え方が面白くて、私も書いていて楽しかったですね」

 沙希の研究室に顔を出すようになったマーシーは、登壇者が三人だけの弁論大会に出て、『うらはぐさの歴史』を熱く語って倒れてしまう。毎日生活している街には、八十年近く前に終わった戦争の記憶が、そこかしこに息づいていた。

「その土地の記憶や変化は、未来にどう影響するんだろうと考えたんです。過去、現在、未来の流れは人の営みなんだけど、土地自体が持っている歴史や記憶は、地面から噴き上げてくるようにして、そこで暮らしている人の日常にふっと入ってきたりします。今回は、時間の流れだったり、足元にある歴史だったりを考えながら、土地自体を意識して書きました。『うらはぐさ風土記』のタイトルにしたとき、現代だけの話じゃないんだろう、その土地が昔どうだったのか、そんな話が入ってくるだろうなとは考えていました。特攻隊が出撃したのはらんだけじゃなくて、東京の光が丘にあったなります飛行場からも飛んでいたと知ると驚きますし、それほど時間がっていないのに、その頃のことをもう知らないですよね。戦争で大変な思いをした人たちがたくさんいたと思います。だから、戦場から戻って、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で市民生活を送るのに苦労した人のこととか、現在と未来につながる歴史の要素は入れたいなと思ったんです」

 コロナ禍の直前に九十六歳で亡くなった秋葉原さんの父親は、大正十二年生まれで、復員後、満月の夜になると「狼男」になって吠えていた。そして現在七十五歳になる秋葉原さんの住まいは、あけび野商店街だ。うらはぐさ、あけび野など草原だった頃の地名が残るこのエリアには、「東京」と聞いてイメージされるビル群や喧噪とは違う、のんびりした空気が流れている。二年前までここで暮らし、今は名古屋の高齢者施設にいる八十歳の伯父に、沙希はオンラインで面会する。

「東京の空き家率は十パーセントを超えているそうで、うちの周りも古い家の空き家が多くて、もったいないなと常々思っていました。親の建てた家が空き家になるのはよくある話です。私たちの世代だと、地方に残している親の家をどうしようかと悩んでいるという話をよく聞きます。そんなことが頭にあり、沙希が住むのは空き家だったところにしようと考えました。身内でも伯父さんのうちなら若干距離があるし、いいなと。伯父さんにはオンラインで登場してもらいました。私はおじいさんを書くのが好きで、昔からおじいさんやおばあさんが出てくると筆が進むんです。『いいもんにあれしなさい』と、伯父さんはどうとも取れる言葉を残します。私も父で経験したのですが、認知症の人って、けっこう話を合わせてくれようとするんです。その場その場の判断力は残り、目の前にいる人を安心させる応答をしようとするんですよね。そんなことを思い出しながら、伯父さんのシーンを書きました」

 伯父の使っていた家具の中で沙希は暮らし、街に親しんでいく。あけび野商店街で昔ながらの焼き鳥の店を見つけて、三十年ぶりに入ってみる。アメリカ暮らしが長かった沙希は、日本語を音として一度捉えて連想したりする。そんな沙希の視点から、街と人が描かれる。

「飲み屋さんで積極的に人に話しかける沙希は、私とは性格が違うなと思いながら書いていました。アメリカ暮らしをしていたから日本と距離ができて、視点や人の話を聞く感じがちょっとずれているところは、あってもいいかなと思いました。私自身が久しぶりに戻って“浦島感”がありましたし、私の姉はフランスで暮らしていて、少しずれているところが可笑しかったりするので、沙希にはそんな感じが入っていると思います。『自治体のゴミ出しルール』というのも独特ですよね。日本人は、外国人がゴミ出しルールを守れるかどうかをすごく気にするし。私自身、文京区から杉並区に引っ越して、ゴミ出しルール、こんなに違うのかとびっくりしました。久しぶりにこのあたりで日常を過ごすようになって、やっぱり変わったなと思ったのは街の風景です。吉祥寺はすごく変わって、西荻は九〇年代ぐらいからは割と風景を守っている感じがありますが、そうは言ってもお店は代が替わったりしていて」

中島京子

 JR中央線、西荻窪駅の近くにある『ほびっと村』は、中島さんが大学生の頃からよく出入りした場所だと言う。三階に書店があり、本や音楽CD、ポストカードなどを販売している。撮影はこの「ナワ・プラサード」で行われた。

「私が大学生だった頃は『プラサード書店』という名前でした。学校や他の本屋さんでは見つからないような、農業や環境、社会問題、女性史や女性運動関連の本があるところとして覚えています。『沈黙の春』を書いたレイチェル・カーソンの本や、多国籍企業のグローバリゼーションと格差の拡大を説いた、スーザン・ジョージの『なぜ世界の半分が飢えるのか 食糧危機の構造』(朝日選書)は、ここで買ったんじゃないかなと思います。ここが出版した本もあって、西荻では有名な、文化の拠点のようなところです。私が学生だった頃、二階のレストランは『ほんやら洞』という名前で、『遊々満月洞』、それから今の『BALTHAZAR(バルタザール)』という三つ目の名前になり、ずっと自然食のお店なんです。学生のときからゼミの仲間と集まるのは大体ここで、今もお祝いの会とか、集まる場所としてよく来ています」

〈七〇年代といえば、そのころにできた無農薬野菜と自然食品を売る小さな店も続いている。併設されたレストランも、名前と内装を変えながら生き残っている〉と、中島さんは『うらはぐさ風土記』に、名前や代を替えながら続いてきた『ほびっと村』を彷彿とさせる場所を登場させた。架空の街を舞台にしながら、本書には今の街の風景や、暮らす人の心象が入り込んでいる。

「『プラサード書店』は懐かしい場所です。七〇年代の後半にオープンしていて、私が大学に入った一九八二年の頃は、寡黙な感じの男の人が店主さんでした。『ほびっと村学校』というのが当時からあって、オーガニック農業とか、ヨガのクラスを開いていました。うらはぐさにある書店として作中に入れた〈書店〉のイメージは、どちらかというとこん書店さんですね。書店イベントなどでも有名な、選書もたしかな街の人気書店さんですが、昔から西荻にあって、しかも大学の通学路だったので、まあ、しょっちゅう行っていました。そこに本屋さんがあればやっぱり入っちゃいますよね」

 あけび野商店街は三十年前とあまり変わらないたたずまいで、ところどころに三十年、四十年続いている店がある。ところが、そんな商店街やうらはぐさのエリアでも、道路の拡張や再開発の計画が起きていた。〈「てい」が、まるあき店が、あけび野商店街が、「かつてここには」と過去形で語られ、梅園橋のように「どこにもない」ものに変わってしまうなんてことがあるんだろうか〉。計画の存在を聞いて、沙希はうろたえてしまう。

「沙希という人を考えると、アメリカで暮らしていくはずだったのに離婚をして、たまたま母校に仕事があったから、渡りに船という感じで来た人なんですよね。でも、いろんな人と会って、季節の変化を感じて、ここでもう少し生きてみようかなと思うようになる。そうすると、街との関わり方も変わってくるんじゃないかなと思います。お客さん的に二年くらい日本にいて、またアメリカに帰るというのと、そこでずっと暮らすのとでは、関わり方や感じ方は違ってくると思う。小説ではその先のことは書いていませんが、沙希の未来を想像していただくのもおもしろいかなと思っています」

 学生時代の思い出や、伯父の家とも結びついているうらはぐさは、沙希にとって大事な場所になっていた。街や家をどうしていくかは、とても大事な問題だ。

「ある物体のパーツすべてが置き換えられたときに、その物体は以前のものと同じものと呼べるのかという『テセウスの船問題』は、甥っ子に教えてもらって作中に書いたんですけど、街をどうする、どういうふうになっていったらいいんだろうなというのは、やっぱり自分でも考えますよね。ただ、小説は何かに答えを出そうとして書くわけではないので、考えや意見は書きませんが、再開発の動きはどこでも起きていて、直面していることというのは頭にありました。どういう未来を選択して、どういう世の中にするか。自分たちがどういうふうに生きていきたいのかを、誰もが考えないといけないんじゃないか。考えないうちに開発されて、同じような建物が並ぶようになったら。高層マンションも、何十年経ったときにどうするんだろう? と思います。廃墟のようなマンションが立ち並ぶ未来、というのを小説に書いたこともあります」

 こんな家に住んでみたい、この街がずっとあるといい。読むうちに読者にそう思わせる良さが、この物語の家や街にはある。魅力的な人たちのやり取りは温かく、ユーモアもちりばめられている。沙希は食いしん坊で、カレーに福神漬け、「伯父の酒蔵」から出した貴腐ワイン、庭で採れた柿などの食べ物の描写は、とても美味しそうだ。

「書きようによっては非常に深刻なものになりそうな話なんですけど、面白い、可笑しい、笑ってもらえるものを書きたいなという気持ちがありました。この小説の前に新聞小説を書いていて、入管行政という社会問題を題材にしたので、説明する要素がとても多かったんですね。やりがいのある仕事ではあったんですが、文章の可笑しさで笑わせるとか、語呂合わせや言葉遊びで楽しませるような、書いていて楽しいところを後回しにしなければならないところもあった。だから、この作品では、ただただ読んでいることが楽しい、というのを目指しました。小説の楽しさを味わいながら書き進めたので、読者にもそういう感覚を楽しみながら読んでいただきたいです」

 街はどうなっていくのだろうか。この土地と、どこかのんで人を大切にする沙希のテンポだからこそ、見えてくる未来がありそうだ。第一話から登場する秋葉原さんは、「丸秋足袋店」の一人息子で、あけび野商店街に七十五年間住み続けている。商店街のあたりにはビルがなく、店舗付き住宅の屋上からは商店街が見渡せる。〈なくしたくないなあ〉と、秋葉原さんの妻のゆみさんは言う。

「街は、興味を持って見ていくと面白いです。シャッター商店街のようなところが今はどこにもあって、どんなふうに生活しているんだろうと思うところがありました。秋葉原さんと真弓さんは、いいご夫婦でうらやましいと思いながら書いていました。今の七十代は若いから、出会ったら結婚ということもあるかなと。就職をしないで六十歳になった友達が、みんな定年退職の時期だから、今からは同じだねと言ったことがあって、確かに還暦ぐらいになると一周回って同じみたいなことになるなと思ってちょっと面白かったんです。そんな会話が、無職を選択してきた秋葉原さんという人物のバックグラウンドになっています。でも、秋葉原さんご夫妻も、やがては沙希もですけど、年を取っていくと、自分の力だけでは維持できない現実が立ち現れる。そうしたときにどうするかも大きな問題かなと思います。そんなことを考えながらお読みいただければうれしいです」

「小説すばる」2024年4月号転載

うらはぐさ風土記
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