
2025年3月5日発売の新刊から、冒頭の10章を特別集中連載! 『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』の著者が忙しい現代人へおくる、優しい読書エッセイです。
08:インターネットではなく本でなければならない理由
2025年02月13日
本を読むときだけはすんなり集中できていた。勉強を含むほとんどのことは、グッと集中するのは最初だけで、すぐに気が散ってしまっていたが、読書だけは違った。ひとたび入り込むと、何時間でも本の中で考えにふけっていた。本を読んでいるときは誰かに呼ばれても耳に入らず、近くで大声で呼ばれて初めて、びっくりして顔を上げるという具合だった。
ところが、いつのころからか、本を読むときも集中しにくくなった。早く本の中にどっぷり浸りたいのに、思うようにいかない。本にもなかなか手が伸びないし、読んでいてもすぐに「ほかの事」をしてしまう。読書は、わたしが自由自在に集中できるほぼ唯一のことだったのに、以前のように自由ではいられなくなったのだ。
「ほかの事」のほとんどはスマートフォンをいじることだ。メッセージが届いたわけでも、アラームが鳴ったわけでもないのに、意味もなく、習慣のように触ってしまう。そうやって5分、10分とスマホの中で時間を過ごしたあと、また本に戻ってくる、というのを繰り返す。しきりにスマホに気を取られてやりたいことができないので、自分に腹が立つことも多い。
今や読書が一種の勝負になってしまった。どうすれば集中して読めるか、あれこれ作戦を練り、戦略的に本と向き合う。毎回、ハラハラするような接戦だ。それでも、何日かに一度は完読の喜びを味わえるので、勝負をおろそかにすることはできない。勝利したあとの爽快感は何物にも代えがたく、一日に何度も、いそいそと勝負に挑む。
どうしてわたしは読書に集中できなくなったのだろうか。『ネット・バカ:インターネットがわたしたちの脳にしていること』でニコラス・G・カーは、それはインターネットのせいだと言う。インターネットの情報提供の仕方に適応すると、わたしたちの脳は散漫になり、表面的な思考をすることに慣れてしまうという。インターネットを使えば使うほど集中力が失われていくということだ。
生きているあいだ、わたしたちの脳には構造の変形が持続的に起こっている。変形は、肉体的、精神的な経験が繰り返された場合に起こる。これを脳の可塑性という。習慣が生まれたりなくなったりする理由、同じ状況でいつも同じ選択をする理由、午後3時になるとチョコレートが食べたくなり、夜10時になるとドラマが観たくなる理由は、いずれも脳の可塑性による。『ネット・バカ』の中でフランスの科学者レオン・ドゥモンは、脳の可塑性を「流れる水が掘った水路」と表現している。
流れる水は、より広く深くなるにつれてみずから水路を作り出す。時が経ち、再び水が流れるときは、以前掘ったその水路をたどる。それと同じく、外部の物体から何らかの印象を受けると、わたしたちの神経体系の中に、それに適した道がどんどん作られていく。そうした「生きている」通路は、しばらく詰まっていても、同じような外部刺激を受けるとよみがえる。
インターネットの経験が「流れる水」だとすると、インターネットを使えば使うほど、わたしたちの脳に「散漫さの水路」がより広く深く掘られていくということだ。散漫さの水路は、思考全般にわたって影響を及ぼす。読書や勉強のように集中力が必要なことをしようとすると、脳はわたしたちを妨害し、散漫さを誘発する。やがて脳はその意図どおりに、わたしたちを本から引き離す。散漫な脳が楽しく遊び回れるスマートフォンへと、わたしたちを誘導するのだ。
それゆえ、読まなければという意思だけでは、本を読むのは難しい。なぜ以前より本が読めなくなったのかも考えてみる必要がある。おもしろい「おもちゃ」が増えたという理由もあるだろうが、インターネットがわたしたちの集中力を奪っていったせいでもある。つまり、本と親しくなるにはインターネットを遠ざけねばならない、ということだ。本の中でニコラス・G・カーは、わたしたちの脳に「集中力の水路」を掘る方法も教えてくれている。ずばり、読書だ。本を読めば読むほど集中力が高まるという。
※本記事は、3月5日発売予定『毎日読みます』の校正刷りから一部を抜粋した試し読み版です。実際に刊行される内容とは異なる部分がございます。
※※本書に登場する書籍の引用箇所については、原書が日本語の書籍のものは当該作品の本文をそのまま引用し、それ以外の国の書籍については、訳者があらたに訳出しています。また、作品タイトルについて、原則として邦訳が確認できたものはそれに従い、複数の表記がある場合は一つを選択しています。
※※※邦訳されていない作品のタイトルについては、訳者と編集部が訳し、(日本語直訳)として表記しています。
プロフィール
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ファン・ボルム (황보름)
小説家、エッセイスト。大学でコンピューター工学を専攻し、LG電子にソフトウェア開発者として勤務した。
転職を繰り返しながらも、「毎日読み、書く人間」としてのアイデンティティーを保っている。
著書として、エッセイは『毎日読みます』(牧野美加訳、集英社)のほか、『生まれて初めてのキックボクシング』、『このくらいの距離がちょうどいい』がある(いずれも未邦訳)。
また、初の長篇小説『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(牧野美加訳、集英社)が日本で2024年本屋大賞翻訳小説部門第1位を受賞した。
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牧野 美加 (まきの・みか)
1968年、大阪生まれ。釜慶大学言語教育院で韓国語を学んだ後、新聞記事や広報誌の翻訳に携わる。
第1回「日本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」最優秀賞受賞。
ファン・ボルム『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(集英社)のほか、チャン・リュジン『仕事の喜びと哀しみ』(クオン)、ジェヨン『書籍修繕という仕事:刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(原書房)、キム・ウォニョンほか『日常の言葉たち:似ているようで違うわたしたちの物語の幕を開ける16の単語』(葉々社)、イ・ジュヘ『その猫の名前は長い』(里山社)など訳書多数。
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