読者から作家に転身した人は多い。読んでいると書きたくなるのだろうか?(わたしもきっとそうなのだろう) 確かに、おもしろい映画を一本ただけでも誰かに話したくてウズウズするのに、長い時間をかけて本を読んだ人が口をつぐんでいられるはずがない。つまり、読むことと書くことは一体なのだろう。読む人は書きたくなるものだし、書く人は読まずにはいられないのだから。

 そういえば、読書と執筆は似ている点が多い。パッと思いつくだけでも三つある。一つ、テレビやゲームのように即時的な快楽はもたらさない。読んだり書いたりする行為は、脳の快楽中枢に直接的な刺激を与えないからだ。それゆえ、意を決したからといって、読書や執筆の楽しさに一朝一夕に目覚めることはまずない。楽しむには時間が必要だ。読んだり書いたりするときに感じる快楽は、時とともに大きくなっていく。夕立のように一気に降り注ぐのではなく、霧雨に服がれていくようにじわじわと染みていく。

 二つ、したいと思っている人は多いが、実際にしている人は少ない。ナタリー・ゴールドバーグの『Wild Mind: Living the Writerʼs Life』(日本語直訳『ワイルドマインド:作家としての人生を生きる』)には、書きたいという気持ちはあるものの、難しいという理由で実際に書くには至らず、結局諦めてしまった人の話が出てくる。その人に必要な処方はただ一つ。「とりあえず書くべし」。これは読書にも言える。読みたいという「気持ち」から一歩踏み出して「読むべし」。

 三つ、どこでもできる。本はどこでも読めるし、文章もどこでも書ける。読書も執筆も、「とりわけはかどる場所」が存在するのは事実だが、それでもやはり、場所の制約をあまり受けないという点は同じだ。そしてまさにこの三つ目の特徴が、二つ目の問題を解決してくれる「カギ」だ。「気持ち」だけに終わらず行為を楽しむために(今あなたがどこにいようと)本を読み、文章を書いてみるのだ。そのために必要なのは、せいぜい本とメモ帳(またはスマートフォンのメモアプリ)くらいだ。

 朝家を出るとき、読みたい本をかばんに入れてみよう。いつでも取り出して読めるように。メモ帳も入れておこう。いつでも取り出して書けるように。ちょっと手が空いたとき、退屈なとき、待っているとき、読みたいとき、書きたいとき、かばんの中にスッと手を入れて本やメモ帳を取り出すのだ。毎日同じ行動を繰り返してみよう。最初のうちは慣れないだろうけれど、続けているうちに、本やメモ帳を持たずに外に出るのがなんとなく心細くなるはずだ。

 わたしも、いつでも文章を書く。いつもかばんにスマートフォンが入っているから。いつでも本を読む。いつもかばんに本が入っているから。わたしはとりわけ、やたらとかばんの中に意識が向かうような、時間ができたら即座に取り出して読みたくなるような強烈な本を持ち歩くのが好きだ。たとえば『非社交的社交性:大人になるということ』みたいな本。

 日本社会特有の集団主義に強く反発し、「濃密な人間関係」を憎むと堂々と明かしている中島義道はこの本で、イマヌエル・カントの人生と哲学を通して、「依存から抜け出し、かつ、いかに孤立せずにいられるか」を語っている。本のタイトルである「非社交的社交性」は、人間には「社会を形成しようとする性質」と「自身を個別化する性質」のどちらもある、とするカントの言葉だ。人間は、孤立したくないと願う一方で孤立したいとも願う、ということだ。他人と関係を結ぶのが苦手で他人を避ける人たちに、著者が伝えようとするメッセージはこうだ。

たった一つの絆でいいのだ。(……)あなたが本当に信頼できる人、あなたが生きていることそのことが励みになる人がいれば(……)あなたは生きていけるであろう。ただ、あなたを本当に必要としている人が見つかれば、あなたの「わがまま」を真剣に聞いてくれる人がいれば、あなたは生きていける。

 今日だけは思うままに、世の中の人を、人知れずかばんの中に本を入れて持ち歩く人と、そうでない人に分けてみる。たびたび本を開いて著者の話に耳を傾ける人と、そうでない人。わたしは、自分が常に前者でありたいと願う。だから、出かける前にはいつも本棚の前にたたずむ。今日一日を共にしてくれる本を選ぶために。

※本記事は、3月5日発売予定『毎日読みます』の校正刷りから一部を抜粋した試し読み版です。実際に刊行される内容とは異なる部分がございます。

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