
2025年3月5日発売の新刊から、冒頭の10章を特別集中連載! 『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』の著者が忙しい現代人へおくる、優しい読書エッセイです。
06:アンダーラインを引きながら読む
2025年01月30日
わたしたちは本を読みながら、昨日の自分の過ちに気づかせてくれる助言を得たり、人工知能が世界の勢力図をどう塗り替えるかを学んだり、資本主義に騙されないための知識を求めたりする。わたしたちが本を読むのは、情報や知識、知恵、感動を得るためだ。けれど、本を読み終わるとほどなく頭を抱えてしまう。時には本を閉じた瞬間に、多くは時間が経つにつれ、自分が本から何を得たのか思い出せなくなるからだ。
読書後の忘却。読書が虚しく感じられる理由だ。先週読んだばかりの本の内容も覚えているような、いないようなありさまだし、1年前に読んだ本は、タイトルも内容も霧に包まれたようにぼんやりしている。どうせこうなるのなら、いったいなぜ本を読まねばならないのか。時間ももったいないし、虚しさだけが胸に残る。
本で読んだ文章が一文残らず脳の長期記憶に残ってくれたらどんなにいいだろう。でもそれは無理な話なので、最低限の文章だけでもずっと覚えていようと苦心する。それでも結局は忘れてしまうので、せめて、覚えておきたいと思った文章だけでもあとあと見つけられるよう、何か手を打たねばならない。そこでわたしが活用するのが鉛筆だ。鉛筆でアンダーラインを引き、印をつけ、その横にメモを書き込む。いつか、本の内容を頭の中によみがえらせたいと思ったとき、鉛筆の跡をたどっていけるように。
必ずアンダーラインを引くので、わたしは、いくら本が読みたくても手元に鉛筆がないときは読まない。読んでいる途中、どうしても覚えておきたい内容に出くわすかもしれないので。そのため、部屋にはいつも鉛筆が3、4本転がっているし、かばんには鉛筆1本が必ず入っている。たまに鉛筆を忘れて本だけを持って出かけた日は、何も読まないまま帰ってくることになる。
もちろん、鉛筆でも解決できない忘却があることは知っている。先日こんな経験をした。アラン・ド・ボトンの『哲学のなぐさめ:6人の哲学者があなたの悩みを救う』を読みながら、アラン・ド・ボトン特有の文章の展開はおもしろいと感じつつも、一方ではこう思ったのだ。「ボトンもそろそろネタ切れ? 前にも、ソクラテスとかセネカ、ショーペンハウアーに関して書いてなかった?」いぶかしく思いはしたものの、繰り返し言及したくなるほど好きな哲学者がいるというのは悪いことではない。だから、読みながらせっせとアンダーラインを引き、いくつか文章の抜粋もした。
読み終わった本をきちんと本棚に戻し、当然のようにその本のことは忘れて過ごしていたある日のこと。ふと思うところあって本棚の前に駆け寄り、アラン・ド・ボトンの『젊은 베르테르의 기쁨』(日本語直訳『若きウェルテルの喜び』)を取り出した。急いで表紙をめくって目次を確認した瞬間、その本が『 哲学のなぐさめ』 と同じ本『The Consolations of Philosophy』であることがわかった。タイトルを変えて再出版された韓国語版の本を、初めて読む本だと思い込み、アンダーラインまで引きながら読んでいたのだ!
苦笑いしながら本棚の前にたたずんでいたわたしは、またもや思うところあって本を1冊取り出した。パトリック・ジュースキントの『Drei Geschichten und eine Betrachtung』(日本語直訳『三つの物語と一つの考察』)だ。パトリック・ジュースキントは、三篇の短編小説と一篇のエッセイからなるこの本で「文学的健忘症」について述べている。30年間本を読んでいるにもかかわらず覚えている本がないという彼は、こう嘆く。
ちょっと時間が経てばもはや記憶の影すら残っていない、ということがわかっているなら、
いったい何のために本を読むというのか?
そんな問いを抱えながら悩み抜いたジュースキントの出した答えは、読書においては「記憶」ではなく「変化」がもっとも重要だ、というものだ。
(人生においてと同じく)本を読むときも、人生航路の変更や突然の変化というのはそう遠くにあるわけではないのかもしれない。むしろ読書は、徐々に染みていく活動とも言える。意識の奥深くに入り込みはするものの、目立たず少しずつ浸透していくため、その過程を身体で感じられないのかもしれない。よって、文学の健忘症で困っている読者は、読書によって自身が変化していながらも、それを教えてくれる脳の批判中枢も一緒に変化しているため、そのことに気づけないだけなのだ。
「君は君の人生を変化させなければならない」それが、パトリック・ジュースキントが結論づけた、わたしたちが本を読む理由だ。わたしはその文章を頭の中で何度もつぶやきながら、もし1冊の本を読む前の自分と読んだあとの自分が少しでも変化していたら、たとえその本を読んだことすら覚えていなくても問題ないのだと自分を慰めた。
※本記事は、3月5日発売予定『毎日読みます』の校正刷りから一部を抜粋した試し読み版です。実際に刊行される内容とは異なる部分がございます。
※※本書に登場する書籍の引用箇所については、原書が日本語の書籍のものは当該作品の本文をそのまま引用し、それ以外の国の書籍については、訳者があらたに訳出しています。また、作品タイトルについて、原則として邦訳が確認できたものはそれに従い、複数の表記がある場合は一つを選択しています。
プロフィール
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ファン・ボルム (황보름)
小説家、エッセイスト。大学でコンピューター工学を専攻し、LG電子にソフトウェア開発者として勤務した。
転職を繰り返しながらも、「毎日読み、書く人間」としてのアイデンティティーを保っている。
著書として、エッセイは『毎日読みます』(牧野美加訳、集英社)のほか、『生まれて初めてのキックボクシング』、『このくらいの距離がちょうどいい』がある(いずれも未邦訳)。
また、初の長篇小説『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(牧野美加訳、集英社)が日本で2024年本屋大賞翻訳小説部門第1位を受賞した。
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牧野 美加 (まきの・みか)
1968年、大阪生まれ。釜慶大学言語教育院で韓国語を学んだ後、新聞記事や広報誌の翻訳に携わる。
第1回「日本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」最優秀賞受賞。
ファン・ボルム『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(集英社)のほか、チャン・リュジン『仕事の喜びと哀しみ』(クオン)、ジェヨン『書籍修繕という仕事:刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(原書房)、キム・ウォニョンほか『日常の言葉たち:似ているようで違うわたしたちの物語の幕を開ける16の単語』(葉々社)、イ・ジュヘ『その猫の名前は長い』(里山社)など訳書多数。
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