
作家・寺地はるなさんによるエッセイ連載。食べて眠って働いて……日々をやりくりしている全ての人に贈る、毎日がちょっと愉しく、ちょっと愛おしくなる生活エッセイです。
第10回:とれたてのぴちぴち
2025年02月14日
もしかして私ってそんなにお酒が好きではないのでは、と最近思いはじめている。
十月のおわりに、健康診断を受けた。先日その結果が送られてきたのだが、中性脂肪の値が、なんだか思っていたより高かったのである。いちおう基準値の範囲内ではあったが、気になった。そこで栄養学の本などを何冊か読んでみたのだが、どの本も要約すると「野菜を多めにね」、「青魚とか大豆、積極的にいこうぜ」とか「運動もしようね」「あんま酒飲むなよな」みたいなことが書いてある。
このうちもっとも簡単に達成できそうだったのが「あんま酒飲むなよな」だったので、とりあえず試してみた。具体的に言うと、毎晩のようにビールなどを飲んでいたのをやめてみた。
一か月近くお酒なしで過ごしているのだが、とくにつらいとも思わない。それで、「もしかして私ってそんなにお酒が好きではないのでは」と気がついたのだった。
とりあえず一年ぐらいの計画でゆるゆるとためしてみようかなと思っている。よい結果が出たら、またどこかで報告したい。報告がなかったら「なるほどね」と静かに納得してほしい。間違っても「ねえ中性脂肪マン……じゃなかった寺地さん」などと呼びかけないでほしい。泣いちゃうからね。
そもそもなぜ、私は毎晩のようにビールを飲んでいたのか。考えてみても、「なんとなく」以外の理由が見つからない。ほうっておくと起きているあいだずっと小説のことを考えてしまうので気分を切り替えたかった、というのもあったが、お酒以外の方法もあると思うし、酔っていても考える時はどうしたって考えてしまうのだから。
あと、酔っている時の自分が好きではないという気持ちもある。ただでさえ遅い頭の回転がさらに遅くなって、ずっと「えーっとほら、あれあれ。あれよ。あれ」ばかり言い、最終的に「眠くなったので帰ります」などと言い出し、会合の途中で帰り支度をはじめる。
どうせなら陽気になるとか、博愛主義者になるとか、部屋の掃除がしたくてたまらなくなるとか、そんなハッピーな酔っ払いになりたかった。
私の父は、非常に酒量の多い人だった。伯父も同じぐらい飲む人で、伯父が家に来ると、昼だろうがなんだろうが宴会がはじまった。彼らは酔いが最高潮に達すると、なぜか私に算数のドリルを持ってこいと言うのだった。
そうして私に算数のドリルを解かせ、できない問題があると(ほとんどできない問題ばかりだったのだが)父が解きかたを教えてくれるのだが、へべれけに酔っぱらっているため何を言っているのかさっぱりわからなかった。
間違えるたびに真っ赤な顔の伯父にゲラゲラ笑われるのが屈辱的だったし、なにより素面の時はおとなしい彼らが、勉強のできない娘(姪)のできなさをツマミに酒を飲んで気持ちよくなっているということがおそろしかったし、気持ちが悪かった。
最終的に伯父が「お前は今日からおじさんの家で育て直しだ」みたいなことを言い出し、泣いて抵抗する私を担ぎ上げて飲酒運転の軽トラックの荷台にのせようとする、という茶番が毎回繰り返された。
父も伯父も、もう十数年前に亡くなっている。私も四十七歳、泥酔するまで飲んだことだってあるし、それなりに苦い経験もしてきた。だから彼らの気持ちもすこしはわかるようになったのかというとまったくそんなことはなくて、今も普通に「いやあ、あれはクソだったな!」と思っている。子どもへの加害を肴に酒を飲んではいけない。あの時感じた恐怖も怒りも、今なお私の胸の内で鮮度を保ったまま保存されている。とれたてのぴちぴちぐらいの鮮度なのである。
プロフィール
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寺地 はるな (てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞、2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞、2024年『ほたるいしマジカルランド』で大阪ほんま本大賞受賞。『大人は泣かないと思っていた』『こまどりたちが歌うなら』『いつか月夜』『雫』など著書多数。
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