
作家・寺地はるなさんによるエッセイ連載。食べて眠って働いて……日々をやりくりしている全ての人に贈る、毎日がちょっと愉しく、ちょっと愛おしくなる生活エッセイです。
第14回:わしゃ気にせんよ
2025年03月14日
会社勤めと主婦業のかたわら、小説を書きはじめる。
私のはじめての単行本の著者略歴には、前述のような一文がある。その後の刊行の際にもその略歴は引き継がれ、私が「削ってください」と言うまでずっと残っていた。
べつに嫌だったから削ったわけではなく、単純に「もうええやろ」と思っただけだ。その時はもう会社勤めをしていなかったし、現状にそぐわない気もした。
「会社勤めと主婦業のかたわら」は、たんに私という人間をわかりやすく説明する言葉にすぎないと思っていた。だがこの要素に反応する人は、意外と多かった。へえ、主婦が小説書いてんだ! と。
ある男性から「自分も昔は小説を書いていましたが、執筆の時間が確保できずにやめました。あなたは家族を養う責任もないから気楽でいいですよね」と言われたことがある。また、本の感想かなにかに「仕事に家事育児に小説。家の中がぐちゃぐちゃにならなきゃいいけど(笑)」というようなことを書かれたこともあった。
「大きなお世話だ」とプンスカしたり、かと思えば散らかった部屋を見て「あいつらが言っていたとおりだ……」と落ちこんだりしていたのだが、今思えばまったくもって、なんで? という話である。なんで落ちこむ必要があるの?
落ちこむ必要なんか、ほんとうになかった。だって私にそれらを言ってきた人たちは、全員が全員とも、まったくの、まごうことなき赤の他人だったのだから。このさき仲良くなって家に呼ぶ可能性もゼロだ。
そのうえで彼らが私の家の散らかり具合を本気で気にしているとすれば、それこそが異常なことなのである。だって世の中には、他に興味を持つべき事柄がもっとたくさんあるはずだろ?
片付いた部屋のほうが快適。掃除は、自分がきれいにしたいと思った時にだけすればいい。
自分の心の声を聞け。
だが、問題がひとつある。その自分自身の声が、私に届かない場合があるということである。
心の声が「散らかってるな、掃除しよう」と言っているのに、身体が動かない。ついスマホとか触っちゃうよねーなんつって、どうでもいいゲームなんかやっている。床に落ちた謎のネジが一時間以上前から視界に入っているのに、ちょっとしゃがんで拾う、ということすらできない。そんな日が、年間二百五十六日ぐらいあるのだ。
これはまずい。私が私の声を無視しているなんて、そんなことがあってはいけない。
考えた結果、スマートフォンのアラームを駆使することにした。「七時二十分 ゴミ出し」「七時三十分 洗濯物干し」というように開始時間を設定し、それにあわせて行動する。もたもたしていると次のタスクのアラームが鳴ってしまう。
「九時 仕事開始」のアラームが鳴ると、パソコンの前に座る。なにも思い浮かばなくても、とりあえずそこに座って、なにかを書くことにしている。「十六時 夕飯をつくる」のアラームが鳴るまでは。
こんなにぎちぎちにやることが決まっているなんてあたし嫌だわ、と思う人もいるかもしれないが、私は今のところちょっとゲーム感覚というか、ミッションをこなすような感覚で楽しんでやっている。十分かかると思っていたミッションを八分で終えられるとすごくうれしいし、逆に十五分かかってその後の予定がずれたとしても、べつにとがめる人もいない。自分ひとりでやっていることなので。
でも、それでも、これを楽しいと思えなくなる日は、いつか来るだろう。それはもうほんとうに心に余裕がないということだと思う。だからそんな日は、あきらめてゆっくり休もう。なぁに、死にゃあせんよ、ちょいとばかり部屋が散らかったところでな、わしゃ気にせんよ。
プロフィール
-
寺地 はるな (てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞、2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞、2024年『ほたるいしマジカルランド』で大阪ほんま本大賞受賞。『大人は泣かないと思っていた』『こまどりたちが歌うなら』『いつか月夜』『雫』など著書多数。
関連書籍
新着コンテンツ
-
インタビュー・対談2025年07月18日インタビュー・対談2025年07月18日
窪 美澄×藤野千夜「団地を書くふたり」
団地を書き続けてきたおふたりに、団地に対する思いや互いの作品の印象、執筆の背景などを語っていただきました。
-
お知らせ2025年07月17日お知らせ2025年07月17日
小説すばる8月号、好評発売中です!
巻頭は荻原浩さんの新連載。特集〈ヒトがコワい〉では奥田英朗さん「家」シリーズ最新作の読切短編も!
-
連載2025年07月15日連載2025年07月15日
【ネガティブ読書案内】
第44回 ホリコシさん
「10分遅刻して卒論を出せなかった時」
-
インタビュー・対談2025年07月08日インタビュー・対談2025年07月08日
桜木紫乃「波風立てずに生きる器用さを、ちょっと残念だなと感じる大人に読んでほしい」
著者五十代の最後を飾る、集大成的な短編集である本作。仕事に対する現在の思いや、短編を書く面白さをうかがいました。
-
お知らせ2025年07月04日お知らせ2025年07月04日
すばる8月号、好評発売中です!
演劇界注目の劇作家・演出家ピンク地底人3号さんによる初の小説を掲載! 遠野遥さんの短期集中連載も最終回を迎えます。
-
インタビュー・対談2025年07月04日インタビュー・対談2025年07月04日
石井遊佳×藤野可織「魂を自由にする虚構の力」
ホラー愛好家を自認する藤野さんは石井さんの新作に詰まった四つの物語をどう味わい、そこに何を見つけたのか。