チンギス紀 十二 不羈
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チンギス紀 十二 不羈

チンギス紀 十二 不羈

著者:北方 謙三

定価:1,760円(10%税込)

内容紹介

 モンゴル国の鎮海城をあずかるダイルは、三千の守備兵を組織し、三つの砦に配置した。領土は拡がり、チンギス率いる十万の遠征軍は鎮海城とは逆の方角(東)に出撃している。チンギスが滅ぼしたナイマン王国の元王子グチュルクは逃亡し、モンゴル国の西に位置する西遼の帝位を簒奪していた。西遼が数万の兵を動員できると考えるダイルは、その懸念を雷光隊を率いるムカリに話す。
 一方、モンゴル国の侵攻を受けている金国では、完顔遠理が精強な五万の騎馬隊を整えた。また、先の戦いでモンゴル軍の兵站のいくつかを切ることに成功した耶律楚材が、政事の立て直しに力を注ぐ。南の潮州で暮らすタルグダイとラシャーンは、かつての部下ソルガフの遺児トーリオを息子として扱い、自分たちの商いについて学ばせようとしていた。
 治めるべき領土は急激に大きくなり、守るべき国境線も広がっている。チンギスはボオルチュと、戦の状況や物流など、国のありようについて話す。

プロフィール

  • 北方 謙三

    北方 謙三 (きたかた・けんぞう)

    1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部卒業。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。83年『眠りなき夜』で第4回吉川英治文学新人賞、85年『渇きの街』で第38回日本推理作家協会賞長編部門、91年『破軍の星』で第4回柴田錬三郎賞を受賞。2004年『楊家将』で第38回吉川英治文学賞、05年『水滸伝』(全19巻)で第9回司馬遼太郎賞、07年『独り群せず』で第1回舟橋聖一文学賞、10年に第13回日本ミステリー文学大賞、11年『楊令伝』(全15巻)で第65回毎日出版文化賞特別賞を受賞。13年に紫綬褒章を受章。16年第64回菊池寛賞を受賞。20年旭日小綬章を受章。『三国志』(全13巻)、『史記 武帝紀』(全7巻)ほか、著書多数。18年5月に新シリーズ『チンギス紀』を刊行開始し、23年7月に完結(全17巻)。[写真/長濱 治]

    北方謙三「チンギス紀」特設サイト

 なにかが、近づいてくる。それが敵だというのはわかっているので、なにか、などと考えるのはやめよう、とダイルは思った。
 問題は、どれほどの敵が、どういうかたちで攻めこんでくるか、ということだ。
 三つの砦は、すでに戦闘態勢をとっている。考え得るかぎりの防備は、整えたのだ。
 それぞれの砦に、七百近い守兵がいる。
 鎮海城の武器倉に、厖大な量の弓矢があった。直接攻められることになったら、チンカイは闘うつもりだ。以前は、人を守るために逃げると言っていたが、人も城も守るという考え方に変ったようだ。
 鳩を放ってスブタイに危急を知らせたのは、三日前だった。そろそろ、陽山寨に到着している鳩もいるだろう。すぐに援軍が出せるかどうかは、知りようもない。即座にスブタイが援軍を組織して進発させれば、五日で到着する。ダイルは、五日間はここを守り抜いて、鎮海城に敵をむかわせないつもりだった。
 ぎりぎりの事態だった。不測のなにかが起きれば、それで潰える。たとえ小さなことでも、潰える。
 一千騎で来ていたスブタイの部下が、三日前に鳩を放ったのは、いい判断だった。これも、ぎりぎりであろう。ダイルは早すぎると思ったが、こういう時の判断が、自分はいつも甘い。
 しかし、スブタイは援軍を出せるのか。数カ月前から、雪を衝いて西夏軍が不気味に動いているようだ。
 金軍も、騎馬隊を整え、歩兵も集めはじめている。連合しているわけではなくても、それぞれの動きを細かく見つめ、自分の動きを決めているのかもしれない。
 西の部族と西遼の動きは、それを見ていたと考えると頷ける。
 つまり、どこも手一杯なのだ。
 最も東にいるカサルの軍には余裕があるが、会寧府に数万の金軍が集結している、という情報もある。もしそうなら、大興安嶺の山なみを越えて、いつでもモンゴル領に侵攻してくるということで、カサルも手一杯になる。
 ダイルは、それ以上、援軍について考えるのをやめた。とにかく、五日だ。
 三つ並んだ、真中の砦にダイルはいる。騎馬隊の一千は離れていて、攻撃が厳しいところの敵を、崩すことになっていた。
「見事な防御ですな、ダイル殿」
 ヤクの声だった。
「私でさえ、教えられていなかったら、かかったかもしれませんよ」
 砦のまわりには、思いつくかぎりの罠が仕掛けてあり、外へ通じる道が、二本作ってあるだけだ。
 罠にかかったとして、最も大きなもので十数名、小さなもので一名、殺せるぐらいだろう。全体から見ると、わずかな数だ。
 砦をかためるだけかためてしまうと、あとはやることがなく、周囲に罠を作った。部下と一緒に智恵を出し合ったが、高が知れていた。
 戦としての罠は、埋伏とか奇襲とか、そういうものを言う。もともと軍人ではないダイルには、知識も経験もなかった。
「陽山寨のスブタイへの連絡が、鳩とはな。俺たちは、ずいぶんと通信網を作ってきたつもりだったが、それ以上に、領土は広くなっていたのだな」
「鎮海城が、おかしな位置にあるのですよ、ダイル殿。謙謙州をやがてとりこむことを考えれば、絶好の場所ではあるのですが」
「おまえも俺も、歳をとった。通信の拠点をもっと作ろう、という根気もなくなった」
「私はともかく、ダイル殿は忙しすぎましたね。逃げるようにして、この地へ来られた」
「実際、逃げてきたのさ」
「ならば、虎の毛皮の上で酒でも飲んでいればいいものを」
 虎の毛皮は、ダイルのわずかな贅沢のひとつだった。片手の指で数えられるほどしか、贅沢はしていないが、それでも気後れはあった。
「狗眼は、もう若い者の時代だろう。おまえが頭領を退こうとしないから、力を出しきれていないのではないか」
「そうかもしれませんね。しかし、私は退きませんよ」
「なぜだ。なにが、おまえをそうさせる?」
「面白いのですよ」
「戦がか」
「いや、チンギス・カンという人が。近すぎて、ダイル殿は気づいていないのです。あなたも、私と同じはずです」
 チンギス・カンが面白い。そんなことが考えられるのか。テムジンのころは、どこまで大きくなるのか、面白がっているところがあったかもしれない。それも、若いテムジンのころだ。
 いまは、測りきれない。気づくと、心の中にいる。それはすさまじいことだ。そばにいるのではなく、心の中にいるのだ。


(『チンギス紀 十二 不羈』「風を見る 二」より一部掲載)

前巻までのあらすじ

モンゴル族キャト氏の長イェスゲイの長男であるテムジンは、10歳のときにタタル族の襲撃で父を喪った。同じモンゴル族でタイチウト氏のトドエン・ギルテが、テムジンの異母弟ベクテルを抱き込もうとしたため、テムジンはベクテルを討って13歳で南へと放浪の旅に出る。テムジンは、のちに優秀な部下となるボオルチュと出会い、金国の大同府で書肆と妓楼を営む蕭源基のもとで正体を隠して働いた。その時期に「史記本紀」を読んだことが、テムジンに深い影響を与えた。一方、モンゴル族ジャンダラン氏の血気盛んなジャムカは、テムジンと同齢であり、トクトア率いるメルキト族と対峙していた。さまざまな経験を積んで草原に戻ったテムジンは、ジャムカと出会い、お互いを認めて友となる。そんな折、草原に精鋭の50騎を率い、最強ともいえる老年の男が現れる。玄翁と呼ばれ、岩山に住んで傭兵のように雇われる男だった。テムジンは、ケレイト王国のトオリル・カンと表面上の同盟を組み、モンゴル族タイチウト氏のタルグダイらに対抗する。ある戦いでタルグダイ側に雇われて戦った玄翁は、テムジンとの一騎討ちの過程で命を落とすが、テムジンに衝撃的な事実を告げ、吹毛剣を与えた。テムジンは金国とケレイト王国とともに、タタル族との戦いに挑み、父の仇敵を壊滅する。テムジンとトオリル・カンは金国の側に立ったが、ジャムカは金国が草原に干渉することを嫌い、その出兵要請にも動かず、反金国の立場を貫いた。ついにジャムカはテムジンと袂を分かち、テムジンに対抗しようとするタルグダイ、トクトアからメルキト族の長を引き継いだアインガと組んだ。草原が、ケレイト王国とテムジン、ジャムカたち三者連合の、二大勢力に分断されることとなる。そして草原の行く末を決める一大決戦が起き、激闘のすえにテムジンたちが勝利し、ジャムカ、タルグダイ、アインガはそれぞれに逃れた。ジャムカは北のバルグト族のもとに密かに身を寄せ、アインガはメルキト族の領地に戻り、タルグダイは南へと向かう。敗れたジャムカの息子マルガーシは、事件で母を失い流浪することとなる。ケレイト王国のトオリル・カンが、味方であるはずのテムジンを騙し討たんとするが、異変を察したテムジンは逆にケレイト王国を滅ぼした。トオリル・カンの末弟で禁軍を率いていたジャカ・ガンボは逃される。草原に大きな対抗勢力がいなくなり、モンゴル族統一を果たしたテムジンは、ついにチンギス・カンを名乗った。一方、逃れたジャムカは、チンギスとナイマン王国との戦において、ホーロイ、サーラルと共にナイマン軍のなかに潜み、チンギス・カンの首を狙う。チンギスは大軍を率いて少数のジャムカ軍を包囲して結着がついた。その後、母ホエルンを亡くしたチンギスは、今後の戦いを見据えて歩兵と工兵を整備していく。ジャムカの息子マルガーシは流浪のすえ森に住むトクトアと出会い、苛烈な修業を積む。一方、ホラズム・シャー国の皇子ジャラールッディーンは、護衛のテムル・メリクとともに10歳にして旅に出ていた。チンギス・カンは、弟や息子たちと共に金国に大軍で遠征し、攻城戦をおこなっていく。対する金国は、定薛を総帥とする防衛軍を組織し、福興が軍監に就く。ホラズムの皇子ジャラールッディーンは、ジャムカの息子マルガーシらと共にサマルカンドに戻る。マルガーシはアラーウッディーンに謁見を果たした。そしてチンギスは任城に進軍した際、旗を出さずにある場所へと向かう。そこにはかつて漢たちが集まった湖寨があった。

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