虎思斡耳朶(フスオルド)から西進すると、オトラルである。

 オトラルの守兵は三万になり、周辺に五千騎の騎馬隊が八隊いる。

 ジャラールッディーンは、その配置をサマルカンドの本営で知った。もう子供扱いをされることはなく、武将のひとりとして、発言もさせて貰えた。

 各地の城郭の近くに、二万単位で軍がいる。堅固な砦を築いているところもあれば、砦の守備兵と外の騎馬隊が、連携して構えるかたちをとっているところもある。

 オトラルに兵力を集めてしまうと、ほかのところから侵攻されてしまう、というのはよくわかった。しかし、これほど兵力を散らしておくのが、正しいのだろうか。

 どういう戦を展開していくかは、父とイナルチュクが、細かい可能性まで綿密に話し合っているはずだ。

 イナルチュクは、何度もサマルカンドにやってきたし、父も一度、オトラルへ行った。

 サマルカンドとオトラルの間が、鳩の通信になったのは、モンゴル軍が動きはじめた、という知らせが届いた時からだった。

 知らせは、次々に入ってくる。以前から、虎思斡耳朶まで、ずいぶんと人が配置されているのだ。

 先頭で進軍してくるのは、スブタイ、ジェベの二将軍だった。次に長男のジョチがいて、チンギス・カンがいて、二男のチャガタイ、三男のウゲディが続く。

 歩兵の四万は、違う道筋からオトラルにむかっている。

 「いまのところ、全軍でオトラルにむかっています」

 皇子軍の営舎の部屋で、テムル・メリクが言った。

 マルガーシは、木を削り、人形を彫っている。掌に隠れるほどの、小さな人形だった。すでに二体は作っていて、三体目なのだ。なんのためかは、わからない。

 モンゴル軍の動向の予測については、まったく口を挟まないが、営舎にいることは多かった。

 ワーリヤンとサロルチニは、調練の時以外は、ジャラールッディーンのそばにいる。はじめから諦めているのか、マルガーシに意見を求めようとはしない。

 営舎の中央では、小さな火が燃やされていた。いまは暑い季節なので小さな火だが、寒くなるとかなり大きな火になっている。串に刺した肉や魚を、将校たちはそこでよく焼いていた。

 部下を二人連れて、バラクハジが入ってきた。戦闘がはじまってしまうと、忙しくもなくなるのだろうが、いまは兵糧の手配などで忙しい。馬匹の担当の者も増やしていた。

 皇子軍は遊軍だから、どこにいるかわからないことが多く、中心の兵站線からははずれてしまうことが多い。

 兵站は自らなすべきである、とジャラールッディーンは考え、バラクハジと相談を続けていた。

 兵站部隊を作り、運ぶのは難しい。皇子軍の移動は、頻繁なものになるはずだ。

 自領であることの利を生かし、かなりの部分を、方々に隠しておくことにした。特に、秣の量が多くなる。皇子軍は、全員が引き馬を連れているのだ。

 「サマルカンドと、ブハラの間、ブハラからウルゲンチの間は、兵糧が不足することはない、と思います」

 バラクハジは文官だから、手配などということについては、お手のものだった。

 兵糧を隠した地点を書き記したものを、ジャラールッディーンに数度渡した。テムル・メリクが、それを三人の隊長に配った。みんな懐に入れたが、マルガーシは、多分、部下の将校に渡してしまうだろう。

 日に日に、モンゴル軍の進軍のかたちは違ってきた。

 ジョチとスブタイ、ジェベの軍が左右に分かれるように進み、チンギス・カンと麾下二千数百騎が、中央で先頭というかたちになってきた。その後方が、歩兵である。

 オトラルの大要塞とむき合うのは、歩兵部隊だろう。

 どういう攻め方をするのか。攻囲するのか。一点を突破しようとするのか。四万騎のホラズム騎馬隊が、攻城を妨害し続ける。たやすく陥ちるとは、思えない。

 ジョチの二万騎が、オトラルの南を回りこむような進路をとった。すると、目指すところは、ここサマルカンドなのか。

 サマルカンドは、死守しなければならない都であるが、同時に、オトラルを後方から支える役目も持っていた。

 父のもとにいる四万騎は、自在に動くことになる。

 ジョチの軍の動きが、速くなった。大軍から、一隊だけが抜け出した、という感じである。すでに、斥候の報告も入る距離になっていた。

 出動は、不意だった。それも、寄せ集めの軍二万騎を、父が直接率いていく。

 「明らかに、ジョチ軍との遭遇戦を狙っておられるが」

 テムル・メリクが言う。三名の隊長も部屋の中にいた。マルガーシは、相変らず、人形を彫っていた。

 「なぜ、精鋭を率いて行かれないのか、ということだな」

 「行こうぜ、ジャラール」

 マルガーシは、彫りかけの人形を、大事そうに懐に収った。

 「しかし、出動命令が」

 「皇子軍に、出動命令などがいるのか」

 「それはまあ、遊軍だから、いらない」

 「しかし、陛下はなぜ」

 テムル・メリクが言う。

 「緒戦で、あの寄せ集めを馴らしておこう、というのだろう。あの二万が、一緒に闘うのは、はじめてだろうから」

 「同兵力だ。負けかねないと思う、マルガーシ」

 「負けないぎりぎりのところを、計算しているはずだ」

 「戦だぞ。計算だけで決まると思うか」

 「それは、敵のジョチにも言えることさ。二万騎の出動は、すでに摑んでいるだろう」

 「ホラズム軍は、緒戦で負けるわけにはいかない。決定的に勝てる、という軍を投入すべきだ」

 「それは、おまえの親父様に言え」

 「マルガーシ。これからはじまるのは、調練ではなく、実戦なのだ。私にわかるように、言ってくれないか」

 「普通の計算だと、負けかねないどころか、負ける。普通の計算では追いつかないところに、皇子軍がいるのだ」

 「待てよ、なにか、いますっと肚の中を通ったものがある」

 「陛下の計算には、皇子軍が入っていて、ジョチの計算には入っていない。そういうことになりませんか、殿下」

 テムル・メリクが言い、サロルチニとワーリヤンが頷いた。

 「これからは、実戦だぞ。あとから考えてわかるということはない。あとから考える自分などはいないのだ。死んでいるからな」

 マルガーシが、口もとで笑いながら言った。

 「出動。皇子軍、出動。長い行程ではない。引き馬は、馬匹の者が別に運べ。ジョチ軍の前を、のんびりとうろついてやるぞ。百騎ずつなら、ちょっと多い斥候というところだ。だから、疾駆などをして、馬のほんとうの力を見せてはならない」

 ジャラールッディーンは、一気にそう言っていた。

 サロルチニとワーリヤンが、駈け出していった。テムル・メリクは、次の指示を待っていた。

(『チンギス紀 十四 萬里』「血肉のみではなく 三」より一部掲載)