チンギス紀 十四 萬里
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チンギス紀 十四 萬里

チンギス紀 十四 萬里

著者:北方 謙三

定価:1,760円(10%税込)

内容紹介

 完顔遠理との戦いで重要な将軍を失ったチンギス・カンは、使節団を襲撃したホラズム国へと進軍する。スブタイやジェべらの将軍が率いる騎馬隊はもちろん、ボレウの歩兵部隊やナルスの工兵隊も戦いに参加させていた。チンギスの四人の息子、ジョチ、チャガタイ、ウゲディ、トルイも召集され、兵站も確保している。長子のジョチは、シル河下流のジャンドへと向かう。
 対するホラズム国では、帝アラーウッディーン、その母トルケン大后、皇子ジャラールッディーン、イナルチュクらが、モンゴル軍の進攻に備えていた。勇猛なカンクリ族に加え、皇子が率いる遊軍には、若き日のチンギスのライバルだったジャムカの息子マルガーシがいる。マルガーシは流浪と厳しい修業のすえ、屈強な男へと成長していた。十分な兵力を持つ軍が、モンゴル軍を迎え撃つ。
 総力戦がはじまる好評第14巻。

プロフィール

  • 北方 謙三

    北方 謙三 (きたかた・けんぞう)

    1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部卒業。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。83年『眠りなき夜』で第4回吉川英治文学新人賞、85年『渇きの街』で第38回日本推理作家協会賞長編部門、91年『破軍の星』で第4回柴田錬三郎賞を受賞。2004年『楊家将』で第38回吉川英治文学賞、05年『水滸伝』(全19巻)で第9回司馬遼太郎賞、07年『独り群せず』で第1回舟橋聖一文学賞、10年に第13回日本ミステリー文学大賞、11年『楊令伝』(全15巻)で第65回毎日出版文化賞特別賞を受賞。13年に紫綬褒章を受章。16年第64回菊池寛賞を受賞。20年旭日小綬章を受章。『三国志』(全13巻)、『史記 武帝紀』(全7巻)ほか、著書多数。18年5月に新シリーズ『チンギス紀』を刊行開始し、23年7月に完結(全17巻)。[写真/長濱 治]

    北方謙三「チンギス紀」特設サイト

  虎思斡耳朶(フスオルド)から西進すると、オトラルである。

 オトラルの守兵は三万になり、周辺に五千騎の騎馬隊が八隊いる。

 ジャラールッディーンは、その配置をサマルカンドの本営で知った。もう子供扱いをされることはなく、武将のひとりとして、発言もさせて貰えた。

 各地の城郭の近くに、二万単位で軍がいる。堅固な砦を築いているところもあれば、砦の守備兵と外の騎馬隊が、連携して構えるかたちをとっているところもある。

 オトラルに兵力を集めてしまうと、ほかのところから侵攻されてしまう、というのはよくわかった。しかし、これほど兵力を散らしておくのが、正しいのだろうか。

 どういう戦を展開していくかは、父とイナルチュクが、細かい可能性まで綿密に話し合っているはずだ。

 イナルチュクは、何度もサマルカンドにやってきたし、父も一度、オトラルへ行った。

 サマルカンドとオトラルの間が、鳩の通信になったのは、モンゴル軍が動きはじめた、という知らせが届いた時からだった。

 知らせは、次々に入ってくる。以前から、虎思斡耳朶まで、ずいぶんと人が配置されているのだ。

 先頭で進軍してくるのは、スブタイ、ジェベの二将軍だった。次に長男のジョチがいて、チンギス・カンがいて、二男のチャガタイ、三男のウゲディが続く。

 歩兵の四万は、違う道筋からオトラルにむかっている。

 「いまのところ、全軍でオトラルにむかっています」

 皇子軍の営舎の部屋で、テムル・メリクが言った。

 マルガーシは、木を削り、人形を彫っている。掌に隠れるほどの、小さな人形だった。すでに二体は作っていて、三体目なのだ。なんのためかは、わからない。

 モンゴル軍の動向の予測については、まったく口を挟まないが、営舎にいることは多かった。

 ワーリヤンとサロルチニは、調練の時以外は、ジャラールッディーンのそばにいる。はじめから諦めているのか、マルガーシに意見を求めようとはしない。

 営舎の中央では、小さな火が燃やされていた。いまは暑い季節なので小さな火だが、寒くなるとかなり大きな火になっている。串に刺した肉や魚を、将校たちはそこでよく焼いていた。

 部下を二人連れて、バラクハジが入ってきた。戦闘がはじまってしまうと、忙しくもなくなるのだろうが、いまは兵糧の手配などで忙しい。馬匹の担当の者も増やしていた。

 皇子軍は遊軍だから、どこにいるかわからないことが多く、中心の兵站線からははずれてしまうことが多い。

 兵站は自らなすべきである、とジャラールッディーンは考え、バラクハジと相談を続けていた。

 兵站部隊を作り、運ぶのは難しい。皇子軍の移動は、頻繁なものになるはずだ。

 自領であることの利を生かし、かなりの部分を、方々に隠しておくことにした。特に、秣の量が多くなる。皇子軍は、全員が引き馬を連れているのだ。

 「サマルカンドと、ブハラの間、ブハラからウルゲンチの間は、兵糧が不足することはない、と思います」

 バラクハジは文官だから、手配などということについては、お手のものだった。

 兵糧を隠した地点を書き記したものを、ジャラールッディーンに数度渡した。テムル・メリクが、それを三人の隊長に配った。みんな懐に入れたが、マルガーシは、多分、部下の将校に渡してしまうだろう。

 日に日に、モンゴル軍の進軍のかたちは違ってきた。

 ジョチとスブタイ、ジェベの軍が左右に分かれるように進み、チンギス・カンと麾下二千数百騎が、中央で先頭というかたちになってきた。その後方が、歩兵である。

 オトラルの大要塞とむき合うのは、歩兵部隊だろう。

 どういう攻め方をするのか。攻囲するのか。一点を突破しようとするのか。四万騎のホラズム騎馬隊が、攻城を妨害し続ける。たやすく陥ちるとは、思えない。

 ジョチの二万騎が、オトラルの南を回りこむような進路をとった。すると、目指すところは、ここサマルカンドなのか。

 サマルカンドは、死守しなければならない都であるが、同時に、オトラルを後方から支える役目も持っていた。

 父のもとにいる四万騎は、自在に動くことになる。

 ジョチの軍の動きが、速くなった。大軍から、一隊だけが抜け出した、という感じである。すでに、斥候の報告も入る距離になっていた。

 出動は、不意だった。それも、寄せ集めの軍二万騎を、父が直接率いていく。

 「明らかに、ジョチ軍との遭遇戦を狙っておられるが」

 テムル・メリクが言う。三名の隊長も部屋の中にいた。マルガーシは、相変らず、人形を彫っていた。

 「なぜ、精鋭を率いて行かれないのか、ということだな」

 「行こうぜ、ジャラール」

 マルガーシは、彫りかけの人形を、大事そうに懐に収った。

 「しかし、出動命令が」

 「皇子軍に、出動命令などがいるのか」

 「それはまあ、遊軍だから、いらない」

 「しかし、陛下はなぜ」

 テムル・メリクが言う。

 「緒戦で、あの寄せ集めを馴らしておこう、というのだろう。あの二万が、一緒に闘うのは、はじめてだろうから」

 「同兵力だ。負けかねないと思う、マルガーシ」

 「負けないぎりぎりのところを、計算しているはずだ」

 「戦だぞ。計算だけで決まると思うか」

 「それは、敵のジョチにも言えることさ。二万騎の出動は、すでに摑んでいるだろう」

 「ホラズム軍は、緒戦で負けるわけにはいかない。決定的に勝てる、という軍を投入すべきだ」

 「それは、おまえの親父様に言え」

 「マルガーシ。これからはじまるのは、調練ではなく、実戦なのだ。私にわかるように、言ってくれないか」

 「普通の計算だと、負けかねないどころか、負ける。普通の計算では追いつかないところに、皇子軍がいるのだ」

 「待てよ、なにか、いますっと肚の中を通ったものがある」

 「陛下の計算には、皇子軍が入っていて、ジョチの計算には入っていない。そういうことになりませんか、殿下」

 テムル・メリクが言い、サロルチニとワーリヤンが頷いた。

 「これからは、実戦だぞ。あとから考えてわかるということはない。あとから考える自分などはいないのだ。死んでいるからな」

 マルガーシが、口もとで笑いながら言った。

 「出動。皇子軍、出動。長い行程ではない。引き馬は、馬匹の者が別に運べ。ジョチ軍の前を、のんびりとうろついてやるぞ。百騎ずつなら、ちょっと多い斥候というところだ。だから、疾駆などをして、馬のほんとうの力を見せてはならない」

 ジャラールッディーンは、一気にそう言っていた。

 サロルチニとワーリヤンが、駈け出していった。テムル・メリクは、次の指示を待っていた。

(『チンギス紀 十四 萬里』「血肉のみではなく 三」より一部掲載)

前巻までのあらすじ

 モンゴル族キャト氏の長イェスゲイの長男であるテムジンは、10歳のときにタタル族の襲撃で父を喪った。同じモンゴル族でタイチウト氏のトドエン・ギルテが、テムジンの異母弟ベクテルを抱き込もうとしたため、テムジンはベクテルを討って13歳で南へと放浪の旅に出る。テムジンは、のちに優秀な部下となるボオルチュと出会い、金国の大同府で書肆と妓楼を営む蕭源基のもとで正体を隠して働いた。その時期に「史記本紀」を読んだことが、テムジンに深い影響を与えた。

 モンゴル族ジャンダラン氏の血気盛んなジャムカは、テムジンと同齢であり、トクトア率いるメルキト族と対峙していた。さまざまな経験を積んで草原に戻ったテムジンは、ジャムカと出会い、お互いを認めて友となる。そんな折、草原に精鋭の50騎を率い、最強ともいえる老年の男が現れる。玄翁と呼ばれ、岩山に住んで傭兵のように雇われる男だった。テムジンは、ケレイト王国のトオリル・カンと表面上の同盟を組み、モンゴル族タイチウト氏のタルグダイらに対抗する。ある戦いでタルグダイ側に雇われて戦った玄翁は、テムジンとの一騎討ちの過程で命を落とすが、テムジンに衝撃的な事実を告げ、吹毛剣を与えた。テムジンは金国とケレイト王国とともに、タタル族との戦いに挑み、父の仇敵を壊滅する。テムジンとトオリル・カンは金国の側に立ったが、ジャムカは金国が草原に干渉することを嫌い、その出兵要請にも動かず、反金国の立場を貫いた。

 ついにジャムカはテムジンと袂を分かち、テムジンに対抗しようとするタルグダイ、トクトアからメルキト族の長を引き継いだアインガと組んだ。草原が、ケレイト王国とテムジン、ジャムカたち三者連合の、二大勢力に分断されることとなる。そして草原の行く末を決める一大決戦が起き、激闘のすえにテムジンたちが勝利し、ジャムカ、タルグダイ、アインガはそれぞれに逃れた。ジャムカは北のバルグト族のもとに密かに身を寄せ、アインガはメルキト族の領地に戻り、タルグダイは南へと向かう。タルグダイはのちに妻のラシャーンと海運業を営む礼忠館を建て、かつての部下の息子トーリオを跡継ぎとする。敗れたジャムカの息子マルガーシは事件で母を失い流浪の旅に出た。

 ケレイト王国のトオリル・カンが、味方であるはずのテムジンを騙し討とうとするが、異変を察したテムジンは逆にケレイト王国を滅ぼした。トオリル・カンの末弟で禁軍を率いていたジャカ・ガンボは逃される。草原に大きな対抗勢力がいなくなり、モンゴル族統一を果たしたテムジンは、ついにチンギス・カンを名乗った。逃れたジャムカは、チンギスとナイマン王国との戦において、ホーロイ、サーラルと共にナイマン軍のなかに潜み、チンギス・カンの首を狙った。チンギスは大軍を率いて少数のジャムカ軍を包囲し結着がつく。

 チンギスは、今後の戦いを見据えて歩兵と工兵を整備していく。ジャムカの息子マルガーシは森に住むトクトアと出会い、苛烈な修業を積んでいた。チンギス・カンは、弟や息子たちと共に金国に大軍で遠征し、攻城戦をおこなっていく。対する金国は定薛を総帥とする防衛軍を組織し、福興が軍監に就く。しかし、モンゴル軍は燕京を制圧し、金国の帝は開封府に逃れた。金国の完顔遠理はモンゴル国に密かに抵抗する影徳隊を組織する。チンギスは、かつて漢たちが集った湖寨を訪れた。

 ホラズム・シャー国の皇子ジャラールッディーンは、護衛のテムル・メリクとともに10歳にして旅に出た。ジャラールッディーンは、ジャムカの息子マルガーシらと共にサマルカンドに戻り、マルガーシは帝アラーウッディーンに謁見を果たす。チンギスは西遼を制圧し、ホラズム国のサマルカンドに向けて使節団を派遣するが、その途上、オトラルで襲撃を受けてしまう。オトラルを統治していたのは、帝の叔父イナルチュクだった。

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