怖い患者
怖い患者

怖い患者

著者:久坂部 羊

2020年04月03日発売

「我ながら毒気の強い作品ばかりで、あきれます」と、書いた本人もため息。現役医師の作家・久坂部羊が描く、強烈にブラックな短編集!

ISBN:978-4-08-771708-2

定価:本体1,600円+税

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プロフィール

  • 久坂部 羊 (くさかべ・よう)

    1955年大阪府生まれ。医師、作家。大阪大学医学部卒業。外務省の医務官として9年間海外で勤務した後、高齢者を対象とした在宅訪問診療に従事。2003年『廃用身』で作家デビュー。以後、現代の医療に問題提起する刺激的な作品を次々に発表。14年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞、15年『移植屋さん』で第8回上方落語台本優秀賞を受賞。著書に『破裂』『無痛』『虚栄』『老乱』『院長選挙』『老父よ、帰れ』等多数。

試し読み

天罰あげる

1

まだ元気で区役所に出勤していたころ、女子トイレの中でこんな声を聞きました。
「地域振興課の宮城(みやぎ)さんて、なんか頭、悪そうじゃない」
「ああ、あの、いかにも仕事ができなさそうな子」
 わたしのことです。わたしは個室の中で動けなくなり、このまま全身が乾いてミイラになってしまうんじゃないかと思いました。
 その少し前、昼休みに自分の席で新書を読んでいたら、先輩の女性職員からこんなことを言われました。
「あんた、そんなむずかしい本読んで、意味わかるの」
 笑ってごまかしましたが、あとはいくら集中しても、一行も頭に入ってきませんでした。今から二年ほど前のことです。

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【書評】描写のリアリティが空恐ろしい
評者:千街晶之(ミステリ評論家)

 2003年に『廃用身』でデビューした久坂部羊は、医師と兼業の作家である。
 海堂尊や知念実希人など、現役医師にしてデビューを果たしたミステリ作家は珍しくないが、その中で著者の際立った特色と言えるのは、作風にかなり毒気の強い要素が含まれている点だ。
 デビュー作『廃用身』からして、患者の動かなくなった手足(廃用身)を切断する療法というかなり異様な発想に基づく小説だったし、ミステリ色の濃い『テロリストの処方』は「勝ち組」医師を狙った連続殺人を描くサスペンス小説である。中でも『嗤う名医』は、誰にとっても無縁ではない人生の陥穽を医師や患者の立場から描いた、ブラックユーモアたっぷりの短篇集として印象的だった。
 さて、著者の新作短篇集である『怖い患者』は、タイトルからして『嗤う名医』と対になっていることは明らかだろう。医療現場に関連するトラブルの数々が描かれる点は共通している。
 多くの医者にかかっても、自身の症状をパニック障害だと診断されることに納得できない愛子。ようやく信用できる医師にめぐり合ったものの、今度は彼の問診の意図に疑いを抱く。医師のもうひとつの顔を知った彼女は……(「天罰あげる」)。外科医の涼子は、患者の不幸に内心密かに悦びを覚える性格。そんな彼女にTV出演の誘いが来た(「蜜の味」)。妊娠中の真実子は、夫のもとに自分を誹謗する手紙が届いていたことを知った。手紙を書いたのは幼稚園のママ友か、それとも夫の家族か(「ご主人さまへ」)。医師の九賀は、自身の経営するクリニックに老人たちのためのデイサービスを併設した。公平であれという綺麗事で塗り固められた彼の無為無策が原因で、老人たちのあいだのトラブルはエスカレートしてゆく(「老人の園」)。懇親会の最中に突然倒れた大学職員の希美。ミシュリンというヘルペスの抗ウイルス剤が原因なのだろうか。希美は、ミシュリンの副作用を告発しようとする社会運動に巻き込まれてゆく(「注目の的」)。
 タイトル通り患者の視点で描かれる話も、医師が主人公の話もあるが、他罰的性格、被害妄想、事なかれ主義などが巻き起こすトラブルの描写は絶妙なリアリティがあり、空恐ろしい気分にさせられる。「注目の的」を除く各篇が一人称で綴られているため、冷静な第三者からは見える筈の主人公の心の歪みが、本人の意識の中ではあの手この手で正当化されてしまっている点が生々しい。主人公と周囲の人々、あるいは医師と患者のあいだの意識の断絶も、著者の小説ではよく見られる描写である。著者の作品中でも、毒気の強さでは屈指だろう。

(小説すばる 2020年5月号より転載)

『怖い患者』刊行記念対談 吉村萬壱×久坂部 羊

ハッピーエンドはとても書けない

久坂部羊さんの短編集『怖い患者』が刊行されます。
いくつもの病院を渡り歩く“ドクターショッピング”に走る女性を描いた「天罰あげる」、心地よく利用者に過ごしてほしいと心を砕く介護施設で起きた予期せぬ争い「老人の園」、注射の副作用を疑い始めた女性が一躍時の人となる「注目の的」——。
現役医師でもある久坂部さんが描く5編の作品はどれも強烈にブラックで、そして、現実と地続きの世界です。
刊行に当たり、吉村萬壱さんをお招きし、対談していただきました。純文学とエンターテインメントと、活躍の舞台は異なりますが、互いに共通点を感じていたというお二人。それはどんな点なのでしょうか。二人の出会いから、対談は始まりました。

構成=砂田明子/撮影=HAL KUZUYA

読後感最悪小説集です

久坂部 昨年(2019年)の二月、朝井まかてさんの司馬遼太郎賞受賞の祝賀会の二次会で、初めてお目にかかりました。

吉村 はい。黒川博行さんから久坂部さんがいらっしゃっていると聞いて、ぜひ、挨拶させてもらおうと。

久坂部 僕はお顔は存じ上げていたけど、芥川賞作家さんですから、こちらから声をかけたらいけないと思っていて。そうしたら萬壱さんから挨拶に来てくださって、感激したんです。

吉村 僕が芥川賞をとったのは2003年で、その後、老人小説を書こうという話がある出版社と進んでいたんです。なかなか書けないでいたら、久坂部さんの『廃用身』が出たんですよね。読んだら素晴らしくって、もう絶対かないませんと、白旗を揚げました。それでも編集者に書けといわれて書いたんですが、1500枚くらい、全没になりました。

久坂部 えっ。それはひどい……。

吉村 以来、久坂部羊さんという作家にはかなわないと刷り込まれて、意識していたんです。

久坂部 僕は『ハリガネムシ』と『ボラード病』をまず読んで、はまりました。『前世は兎』もそうなんだけど、僕が純文学を目指していた頃に書きたかったような小説なんです。不条理で、妄想もエロも入っていて、なおかつ哲学的だったりもする。合っているかわかりませんが、カフカとつげ義春をまぜて発酵させたような、ものすごく好きなテイストで、今、ご本人を前にして、羨望を感じているところです。

吉村 もともとは純文学志向だった?

久坂部 はい。萬壱さんがとられた文學界新人賞にも何度か応募して、三回、最終候補になっているんです。それでも受賞できなかったから、萬壱さんは憧れの道を歩いていらっしゃる人。

吉村 でも、書いていることはあまり変わらないと思います。

久坂部 ほんとうに。似てるなと思います。嗜好や、向いている方向が。

吉村 そうですね。

久坂部 世の中と逆を向いている。特に今回の作品集は、出してもらう集英社さんに申し訳ないくらい、読後感最悪小説集という感じ(笑)。好き放題書かせていただいた短編集です。

吉村 なるほど。僕の場合、短編は長編に比べて、やりたいことができます。

吉村萬壱さん

久坂部 『前世は兎』はそうでした?

吉村 はい。書き逃げみたいな。長編だと、広げた風呂敷を畳まなければいけないという意識が出てくるんだけれど、短編は、広げっぱなしで逃げていい。

久坂部 後は読者に感じてもらえばいいと。純文学はそれができるんですね。

吉村 そこはエンタメと違うのかな。

久坂部 一応オチをつけないといけないという気持ちはありますね。こういう話です、というのをわかりやすく読者に出さないといけない。僕は小説で人間を書きたいんだけど、それ以上に、ストーリーを書かなければいけない。

吉村 確かに、今回の短編も話がどんどん展開していきます。エンタメにはセオリーがあるんでしょうね。純文は動かない人間や情景を延々と書きますから。だから僕のは没になった(笑)。

優しすぎる世の中に対する
アンチテーゼを

吉村 久坂部文学は事実を書いていますよね。ひどい話だけどリアル。でも事実を知らされると、人間は考えますよね。読者を絶望させ、不快にさせるだけじゃない。

久坂部 医者をしていると、何の罪もないのに病気で死んでいく人をたくさん見るんです。かわいそうな状況とかね。そういう現実があるのに、ハッピーエンドの小説はとても書けない気がする。『ドクターX』は、ドラマとしては面白いけど、そんなにうまくいくはずないよと。世の中にはどちらかというと明るい話が溢れています。そういう話も必要だけど、現実の厳しさや悲惨さを描いたものにも、それをエンターテインメントで描いたものにも、意味があると思っているんです。そういう作家は少ないから。

吉村 少ないですね。でも、久坂部さんの小説が読者を獲得していらっしゃるということは、やはり皆、薄々わかっているんですよ。これが事実で、事実を言い当ててくれるから気持ちいいと。今回の作品集もどれも面白かったんですが、「注目の的」に出てくる「疾病利得(しつぺいりとく)」という言葉は、本当にあるんですか?

久坂部 あるんです。病気になることによって得る、心理的、社会的、経済的な利益ですね。これは近代病だと思います。病人は労いたわってあげなければいけないんだけど、そうした親切を悪用する連中が出てきた。この短編では優しすぎる世の中に対するアンチテーゼを書いてみたかったんです。

吉村 例えば就職できない人とか、引きこもりの人とかが、手っ取り早く自己肯定感を得るために、病気になって同情してもらう。そういう方向に行くことはあるだろうと思いました。

久坂部 日本の豊かで自由な状況が生み出したものですね。内戦中や飢えている国ではあり得ないですから。

吉村 「老人の園」も怖い話で。入れ墨をした女の人とかアクの強い人が、これでもかというくらい、次々に出てきます。

久坂部 最初は「老人リンチ」というタイトルだったんです。デイサービスが舞台で、ヤクザの元情婦もいれば、「ボケがうつる」と言ういやらしいおっさんもいる。彼らにはモデルがいるんです。

吉村 実話なんですか?

久坂部 登場人物のモデルは、私がやっていたデイサービスで出会った人たちですね。ここで書きたかったのは、弱い年寄りでも人数が集まると反逆のパワーが生まれるということです。そしてデイサービスの医者は善意でお年寄りを診ているんだけど……、だからといって、うまくいくわけではない。一生懸命やれば、笑顔でやれば報われるとよく言われるけれど、そうではないんだということを書きたかった。

久坂部羊さん

吉村 なるほど。よく伝わってきます。

久坂部 現場で真面目に医療や介護をやっている方に否定的なことばかり言うつもりはないんだけど、識者とかコメンテーターがきれいごとを言うでしょう。ああいうのにムカつくんですよね。

吉村 それはわかります。僕、教員をやっていましたから、クラスを一つにまとめようと言われても、絶対無理ですわと。一つになったら逆に気持ち悪いですよ。

久坂部 ああ、それはファシズムだ。

吉村 そう。だから一つになる必要はないと、声を大にして言いたい。

久坂部 今はテレビでちょっと過激なことを言うと、すぐに炎上、謝罪に追い込まれるから、つまらない、同じようなコメントばかりになっています。本当のことをあっけらかんと言う世の中になってほしい。それができるのが文学です。

医者にとって患者とは?

吉村 この作品集は「患者」がテーマになっているわけですが、実際、お医者さんから見て患者というのはどういう存在ですか?

久坂部 真剣に医者をやっていればいるほど、患者さんが亡くなると自分を責めるし、悩むものです。でも、医者がのたうちまわっていると、次の患者さんを診られないんですよね。患者さんからしたら、医者には親身に診てほしいと思うでしょうけれど、医者からすると、人間として惚れこんだり、共感していたら大変だよという気持ちはあります。

吉村 そうでしょうね。それから、憎たらしい患者もいるでしょう?

久坂部 はい。「天罰あげる」には医者を翻弄する患者を書きましたが、現実では、プロは患者を憎らしいと思ってはいけないんです。命の差別につながりますから。

吉村 そうですね。

久坂部 だから目の前の患者さんを救うことだけに医者は一生懸命になるわけですが、救ったために、ご本人や家族が不幸になるような患者もいるわけです。今一番問題になっているのは超高齢者です。95歳の認知症の心臓弁膜症の患者の手術をすべきなのか。

吉村 死にかけの人が点滴をされると、余計にしんどいと聞いたことがあります。

久坂部 そうなんです。心臓にも肝臓にも負担がかかりますから。無理やり食べさせられるのもしんどいんですね。欧米では虐待になります。でも救急隊は呼ばれたら、95歳の意識のないこの人はこのまま家に置いておいたほうがいいのではと思っても、病院に運ばなければいけない。病院も患者が運ばれてきたら、検査して治療をしなければいけない。
 最近は、延命治療よりも、平穏死や在宅死を望む人が増えてきて、病院で死ぬ人が減り、在宅死の割合が上がってきました。医療が自らにブレーキをかけて、要らないことをしないのは望ましいと僕なんかは思うんだけど、それはある意味、医療の発展の妨げにもなるし、医者の自己否定にもつながるんですね。

吉村 なるほどね。一生懸命やっている医者ほど、自己否定感を覚えるでしょうね。そういう難しさがある。

裏をかいた反戦小説

吉村 久坂部さんは一貫して医療小説を書かれていますよね。

久坂部 私が医療小説以外を書いてもどこの出版社も出してくれない(笑)。もちろん好きでもあるし、自分の優位性を生かせるのは医療小説だとわかっています。それに、今の医療って、いくらでも問題点があるんです。皮肉なことに、医療が進むと、その分、新たなトラブルや矛盾、不条理が露(あら)わになる。人間相手ですから、テーマが尽きない分野です。
 その点、萬壱さんは毎回違うものを書かれているから、大変でしょう?

吉村 全然大変じゃない(笑)。テーマはずっと変わらないんですよ。いいことをすればいいことが起きるとか、奇跡は起きるとか、そういうことは全部噓っぱちだと。

久坂部 起こらないから奇跡なんですよね。萬壱さんの小説はアナーキーなところがあるから、今の話はよくわかります。

吉村 もちろん努力によってそれなりに結果が出ることはありますけれども、頑張っていてもある日、交通事故で死ぬかもしれない。結局、偶然と運だと。
 もともと戦争や虐殺、粛清とかで、理不尽に人が殺されていくこと、あるいは理不尽に人を殺すことに対して、強い恐怖があるんです。多分、母親の体罰から来てると思うんですけど。子供の頃、めっちゃ殴られたんですよ、母に。その経験が自分の中に根強く残っていて、さらに大人になって、映画を見たり本を読んだりしますよね。例えば映画『キリング・フィールド』を見て、カンボジア内戦における虐殺を知ったり、本でナチスの虐殺などを知るに及んで、本当に怖いなと。と同時に、そういう現実がこの世の中にはあるんだと。存在するんだと。だったら、それをなかったことにして生きていても仕方ないと思ったんです。

久坂部 そこが似ているんですね。僕も病院でつらい現実を見て、それはいつ、誰の身にも起き得ることだというのを、伝えたいんですよね。
 僕は萬壱さんの小説を読むことは、一番の戦争抑止力になると思っているんです。寓意性が高く、戦争とか独裁を、必ずしもストレートには描かれないんだけれども、なんていうのかな、裏をかいた反戦なんですよね。それがかえってずしんと来る。それから萬壱さんの小説には、悲惨さプラス、ユーモアがあってね。言葉の面白さも好きなんです。「キムチクなる」とか。

吉村 ああ、気持ちよくなったことを。

久坂部 そう。他にも「イーッてなる」とか「じゅみません」とか。悲惨な状況が書いてあっても、プっと吹き出す場面や言葉が出てくるんですよ。あれはやっぱり持って生まれたセンスなのかなあ。

吉村 でもやっぱり人間って、必死なときほど面白いですよね。

久坂部 そういうときに滲(にじ)み出るユーモアはありますね。

吉村 そう。悲惨が極まると笑い出したくなるような。残酷さと笑いって隣り合っていると思うんですよ。だから酷い状況でも、面白い光景というのは存在するだろうと。そこをちゃんと見たいし、言葉にしたいなと思っています。

底を打ったところから
どう生きるのか

久坂部 具体的に、どういうときに、書くものを思いつかれるんですか?

吉村 うーん、どうだろう。何か腹立つこととか、嫌だな、不自然だなと感じることがあったときですかね。例えば『ボラード病』を書いたのは、当時、「絆」が叫ばれていた空気に違和感があって、それが書く原動力になりました。

久坂部 そこに、吉村萬壱流の加工と発酵をさせている感じがします。

吉村 なんだろうな。僕、哲学が好きなんですよ。哲学って物事の根本を問う学問じゃないですか。だから何か嫌なことを感じたときに、哲学書を読むと、わからないなりにヒントになるし、着想が湧いたりしますね。

久坂部 例えばどんな哲学書を?

吉村 一番好きなのはニーチェで、ハイデッガーや、サルトルも読みますね。

久坂部 西洋哲学を。

吉村 そうですね。全く理解できないけど、ドゥルーズを読んでみたりとか。何かすごいことを言ってるみたいだぞという、その感じが好きなんです。あと、ふだん自分が使っている言葉とは全く違う言葉で書かれているから、発想が飛ぶ。発想が自由になる気がするんです。そういう影響はあるかもしれません。

久坂部 なるほどね。萬壱さんに書いていただいた『黒医』の文庫解説の中に、エミール・シオランが出てくるので読んでみたら、僕でもこんなひどいこと言わないわ、というくらい徹底的にペシミスティックな思想家でした。

吉村 本当に落ち込んだときは、シオランくらいしか読めないですよね。

久坂部 わかります。僕も哲学は好きですし、先ほどユーモアの話をお聞きしましたが、やっぱり小説は面白くないといけないと思っているんです。この我ながら不快な、嫌らしい小説だって、面白いと思って書いているんです。人間、底を打ったところからどう生きるのか、と。

吉村 はい。面白くて、読みながら快哉を叫んでいました。

久坂部 今日は本当に励まされました。ありがとうございました。

(青春と読書 2020年4月号より転載)

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