
内容紹介
人は人でしか作られないのだと、あらためて思うーー。
「故郷」の先生■高木幸忠先生 金先生 林先生 又野郁雄先生 マー坊先生
「世のなか」の先生■島崎保彦先生 細貝修先生 いねむり先生こと色川武大
「遊び」の先生■長友啓典先生 光安久美子先生 銀二先生 岡田周三先生
「作家」という先生■城山三郎先生 黒岩重吾先生 久世光彦先生 伊坂幸太郎先生 黒田清先生 本田靖春先生
「友」という先生■ビートたけし先生 高倉健先生 武豊先生 松井秀喜先生 セシル先生 大村俊雄先生
「家族」という先生■亜以須先生 ノボ先生 父という名の先生 母という名の先生
プロフィール
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伊集院 静 (いじゅういん・しずか)
1950年山口県生まれ。立教大学文学部卒業。CMディレクターなどを経て、81年短編小説「皐月」で作家デビュー。91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞受賞、14年『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』で第18回司馬遼太郎賞受賞。16年紫綬褒章受章。
1 高木幸忠先生
「スケッチに行こう」
夏休みが終わったある日、
オール1の私に
先生はそう声をかけてくれた。
ずっと、劣等生だった。
このことは、ことあるごとに話し、あるいは書いてきたので、ご存じの方も多いと思う。
まず、幼稚園には、ほとんど行っていない。
正確にいうと、一日で行くのを止めた。
登園した最初の日、私を含む子どもたちは、皆で切り紙をさせられた。鋏で紙を切り、広げると何かの模様になるという、あれである。私には、初めての体験だった。紙は手元で、みるみるうちにボロボロになった。
それを見た隣の少女が、ひと言、私にこう言った。
「あんた、バカね」
その場で、席を立った。
「女子どもにバカと言われて、平気でいる男がいるか」
父の言葉を思い出した私は、それを実践したのだ。それからは、近所の悪ガキたちと野っ原を駆け回って遊んだりと、好きなことだけをして過ごした。父も母も、そんな私の行状を、とくに咎めだてたりはしなかった。
そんな前歴があったから、小学校への通学も危ういものだった。
二日目から、家は出たものの、授業が始まる時刻になっても学校に辿り着かない。家の者たちが捜しに行くと、通学路の途中にある鍛冶屋の前で、鍛冶屋の親父の仕事の手元を飽かず眺めていたという。家の普請中は、やはり大工の手元に夢中になっていた。
それが私、西山忠来という少年だった。
そんな調子であったから、一学期、最初の学期末にもらった通信簿の評定は、はたしてオール1であった。
「タダキ君は、学校というものが何なのか、まったく理解できていません」「毎日来るようにはなりましたが、くれぐれもご家庭でよくよくご指導ください」と、添え書きがしてあった。
さすがに、大人たちも怒り出した。
「おまえ、何考えてるんだ」
「義務教育なのよ」
「こんなふうでは、とてもまともな社会人にはなれません」
しかし私自身は、ガミガミ叱られたところで「何を言ってるんだろう」くらいにしか思っていなかった。
「タダキ君、勉強してる?」
母が、ことあるごとに私に訊く。
「うーん」と、私は答え、一応、考えるふりをする。
そのうち、いつもの面々がやってくる。
「タダキくーん、あーそーぼっ!」
途端、「はぁーい!」と飛び出していく。
オール1もむべなるかな、である。
そこから私を掬い上げてくれたのが、当時の担任教師の高木幸忠先生であった。
書評
我が師の師
阿川佐和子
おもしろい。かつてこれほど読み飽きない履歴書があっただろうか。自らの来し方を、師とあおいだ人々との思い出に託して語るという企みのなんと魅力的なこと。
本書は著者、伊集院静氏の故郷山口での腕白少年時代に始まって、歳を重ねるにつれ訪れた地、過ごした場所において運命的に出会い、人生の珠玉を得た人々との交流記である。
なぜ伊集院さんの言葉が多くの読者の胸に突き刺さるのか。なぜ氏が記した『大人の流儀』(他社の刊行ですが)が多くの人の手に取られるのか。本書を拝読して合点がいった。
それにしても伊集院さんの脳みそに保存されているエピソードの豊かさには敬服する。私にも、親を始め先輩諸氏から与えられた大事な教えがたくさんあるはずだ。が、根がボーッとしているせいか、その瞬間は「大事」と思っても、まもなく忘れてしまう。そう、伊集院さんは、「これは肝心」と直感した言葉の前では決してボーッとしない。どんなに酔っ払っていても永久に保存する。一度師と決めたら、たとえその人が世間で非難されるようなことがあっても、世の風潮に流されて評価を違えることはない。
「いや、私はお世話になったから」
伊集院さんの心棒の頑強さは並みではない。その人のためならば、どれほど原稿の締切を抱えていても東奔西走して救い、なぐさめ、闘う方なのだ。
伊集院さんは武士である。ときに酒に溺れ、あちこちに携帯を置き忘れ、身体を壊すこともある。しかし武士たる矜恃を捨て去ることはない。
だいぶ昔、伊集院さんが珍しく泥酔し、気づいたら銀座の路上に横たわっていたことがあったという。警察官が通りかかり、「もしもし、大丈夫ですか?」と声をかけた。目覚めた伊集院氏はゆっくり身体を起こしながら答えたそうだ。
「大丈夫だ。それより君たちは大丈夫か?」
どんなにヨレヨレになろうとも相手を思いやり、その人の後ろにいる家族の存在に思いを馳せる。私はこの話が好きだ。今、父亡きあと、伊集院さんの鋭いまなざしを感じるたびに背筋が伸びる。伊集院さんは私の師である。
あがわ・さわこ●エッセイスト、小説家
「青春と読書」2022年5月号転載
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