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「ねえ、ドッグス買ってよ」

 女は掴んだ何かサムシングをおれに突き出した。周りに喰い物屋台は無いし、女はたったひとり。連れは見当たらない。ゴミとセメントで作った豚の直腸みたいな露地で、こいつは裾に泥のへばり付いた何シーズン前まではワンピースと呼べた布を巻き付けている。裸足。足の爪は割れ。

「ドッグスって、そいつはホットドッグだろ……たぶん」

「ふぁっく、びっち」女は干からびた蕎麦のような、ぼそぼその髪の隙間からニッと笑った。歯はチョコでも塗ったような色。おまけに学級閉鎖並みに出席数が少ない。顔は黄色い見づらい。「ねえ。買ってよ、ドッグス。買うべきよ、あなたは。特にユーは!」

 畜生、なんでこんなザマになってるんだ……おれは強くスラムのアスファルト地べたを踏む。午前二時を少し回った処、寝た奴以外は誰も彼もがウンザリする時間。そもそもマンズが電話に出ないのがいけない。おれは片手でもう一度コールする。世界中から嫌われているはずの女声が〈おかけになった電話番号は現在電波の……〉と云った――もう五回目。

 ゴミ缶がそこら中でひっくり返り、潰され、中身を吐き出している。しかも、この露地でカラフルなのはそこだけだ。後は煉瓦の壁とコンクリートの階段、電球を割られ何の為に通電されているのかわからず〈ジジ……〉と鳴るだけの暗い街灯。タイヤどころか、バッテリーからラジエーター、ドアまでが追い剥ぎされている廃車。

 露地は腐った土の臭いで覆われている。降ってもいないはずなのにスラムの道はいつもベタついていて、あらゆるものが腐っている――とりわけ人間がひどい。

「じゃあさぁ。なになのさ。ふぉれい」露出狂がコートを広げるように女はふにゃふにゃでベロのデカいポーチからアルミホイルの包みを取り出した。「これはこれなのね」そう云ってホイルをはぐると、またさっきと同じホットドッグ。が、今度のはソーセージが銀色にペイントされている。「どう? どうなの? わくわく? わくわくさん? わくわくさんになったろ、おまえ。げっは」女が咳き込むように笑った。女の口から届けられた牛乳を拭いた雑巾の様な臭いがおれの鼻をつ。

 おれは自分の仕事を嘆くことは少ないがたまに死にたくなるのはこういう貰い事故のようにイカレポンチの相手をしなくちゃならないときだ。普通の人間ならこんな時間にスラムをほっつき回ったりはしない。しないから、この手のジャンキー崩れに絡まれることはない。温かく柔らかなベッドで寝息を立てている奴らが心底、羨ましい。

 くさくしつこいやつの首は細く、幅はおれの膝小僧ほどもない。耳下の一撃で頸骨はけるだろう。

 明かりの点いている窓はなく、周囲に人目もない。

――るか。

 一歩、足を引いた途端、表通りから逆火バックフアイアー

 女がビクッと首をすくめる――それを見てやめた。殺し心が萎えたのだ。

「ばくだん? ねえ、ばくだんかねえ? いまの? さっき?」  

 ダーのメモを確認する。それによると、おれが立っているこの浮浪者やジャンキーの巣穴に使われるような目の前の鉛筆アパートがショップそれなのは間違いがない。それが証拠に玄関には刑務所の独房並みにがっしりした保安扉が付いている。

 十分ほど前になるがマンズの応答がないので、おれは鍵穴を確認してから道具を選び、解錠ピツキングを始めた処で、このホットドッグ売りの女、、、、、、、、、、に捕まったのだ。

 銀のソーセージを突きつけた女はおれが無言なのを悟ると、もう一方の包みも出した。それも同じようにホイルで包んである。「じゃあこれ。そらそら、ほらほら」ホイルを指先で摘まみ摘まみ、開いたなかには金色に塗ったソーセージ。

 おれは口をあんぐり開けている自分に気づいた。

「じゃ~ん」女は嬉しそうにおれを見ると大声を張り上げた。「さてさて、あなたはこの金のドッグスと銀のドッグスのどちらを戴きたいでしょうか? しょ、しょう~か!」

 おれは札入れから一枚取り、突き出した。「せろ」

 女はもう一本指を立てた、舌打ちしてもう一枚渡す。この辺りなら四回は楽しめる額だ。

「せんきゅそまち」女はそう云うと札を丁寧に折り畳み、股の間に押し込んでいる――きっと一番、盗まれない安全な場所なのだろう。そこが奴の財布なのだ。――おれは偉人と呼ばれる奴がジャンキーのアソコに詰め込まれるのを見て、僅かながら心が温かくなった。

「はい」しまい終えた女がおれに〈ドッグス〉を差し出す、しかも二本。

「要らん。どっか行ってくれ」

「だめだめ。私は乞食じゃないんだ。これでもちゃんとした立派な人間なんだ。人の施しは受けねえ! 宵越しの銭は持たねえ!」

 最悪にも女が急に喚き出した。ふところならぬアソコろが温かくなり、気が大きくなったのだな。

 おれは女に無言で近づくと手刀の届く位置で停まり、五まで数えることにした。数え終えた処で女は死ぬ。それをこいつは知らない。

〈いち……に……〉

「なによ! 男はいつもそうなんだから! そういう手はずなんだから! 私は真っ当な……」

 背後で錠を外す重そうな音がするのと女の口が閉じるのとが同時だった。

 振り向くと博物館に飾れるぐらいのデブがいた。

 画家か内装屋のように色々に汚れた前かけをしている。おれを見ると、うんざりした様子でドアにもたれた。

 綿菓子を載せたように髪の毛が空に向かってもじゃじゃけている――マンズだ。

「ガス」奴は兵士を真似て顔の横でチョップを切る。「ぶりだな」

「何故出ない。電話」

「デート中なんだよ」マンズはチュッと唇を鳴らした。変態だ。「まあ、入れ」

「ちょっとこれ」女がホイルを突き出したので、おれはなんとなく受け取り、そのままドアをくぐる。と、マンズが声を荒らげる。

『おまえは駄目だ。ダム』

 背後でそう云う声と不満を漏らす声が重なり、ドアが閉まる。薄暗い店内は狭く、左に箱の詰まった硝子ケース、壁の棚にも箱が並んでいる。工具ツールの部品や工具、工具に付ける付属品や付属品が完備された工具などだ。

 マンズはDIY道具屋だ。おれたちの注文によって色々にカスタムした工具を用意オーダーメイドする。

 偶に小遣い仕事もすると噂では聞いていたが、〈デート〉だというのなら事実のようだ。

「それは何だ?」

「なに?」

「さっきダム、、から受け取った物だよ」

「だむ?」

「あの女は自分をノートルダムと呼べとポン中半キチの頃、よくそう叫んで回ってたんだ。暫くして全キチになったんで、みなは望み通りの【脳取る畜生〈ダム〉】になれたなってお祝いの意味を込めてそう呼ぶようになった」

 おれはホイルを開けた。金のドッグスが現れた。 

「喰うのか」マンズが訊いてきた。

莫迦ばか云え」

「そうしろ。ソーセージに見えるが、そいつは彼女の糞だ」

 おれはホイルを傍らの缶に投げ込んだ。

「うちのゴミ箱だぞ。誰が片付けると思ってんだ」

「すぐに応答しないおまえが悪い。何分待ったと思ってるんだ」

 ちっ、と舌打ちし、マンズはまた歩き出した。

「オマエ、奴をろうとしたろ?」

 マンズが奥に通ずるドアに手を掛けた。

「やらなくて正解だ」

 おれは奴が開けたドアを先にくぐる。

「何故」

「ああ見えて滅法足が速い。しかも神出鬼没。ゴキブリ並みの生命力だし、口はガバガバに緩い。しくじったら厄介の極みだ」

「なるほど」

 ドアの向こうは狭い事務所になっていて、その壁一杯にも骨組みだけのシンプルな棚がある。その手前に跳ね上げ式に床が持ち上がっていて、地下への階段になっていた。マンズは身を屈めるようにして降りて行く、おれも続いた。その木製の階段は一部の締め込みが緩くなっていてギシギシと音を立てる。不意のちんにゆうしやしらせる工夫だ。地下室は倉庫兼〈作業場、、、〉になっていた。壁は防音効果も期待しての煉瓦造り、隅にバーカウンターがあって棚には酒瓶、足下には冷蔵庫もある。真ん中には改造屋らしく万力なぞが固定された作業台がある。壁にそって工具用の棚、その隣には壁掛け式に工具が吊されていた。埃っぽい床のあちこちに段ボール。

 奥の壁際に男がひとり座らされて、、、、、いた。胴を椅子の背ごとくくられ、口にタオル。半分取れかかった耳からはじくじくと血が沸いて肩から腹を汚していた。ギンガムチェックのペラいシャツの下に白いTシャツ。その正面に映画〈ゾンビ〉のフライボーイの緑がかった死人面が印刷されている。首の傾げ方と云い、恨めしそうな目付きと云い、耳欠け野郎は〈フライボーイ〉に似ていた。

 おれはそいつの顔をもう一度、眺め、知っている男に似ていると思った。が、おれが知っている男はそいつの倍は、太っていなくてはならなかった。

 何か云い掛けそうなおれの顔を見たマンズが頷いた。

「そうだよ……チャフだ」と頷いた。

 おれは目を剥いた。

「チャフ? こいつがか? えらく痩せたもんだな。別人かと思ったぜ」

「ああ、俺も。が、そうじゃなかった。こいつがビッグ・ファット大デブの・チャフだ」

「信じられんな。どんなダイエットなんだ」

「本人に訊くと良いさ」

 マンズがチャフの口に詰まっていたタオルを引っこ抜く、大きく息を吸い込んでから立て続けに咳き込んだ。「く、くそやろう……」

「おいおい。おまえはまだらされちゃいないんだ。強気に出るのは死んでからにしたほうが身の為だぜ」マンズがカウンターからプリングルズを掴み、口に二三枚放り込む。「俺を不快にさせた分、おまえは苦しむ」マンズが千切れたほうの耳を引く。〈ギッ〉と甲虫が踏まれたような音をチャフはさせ、次におれを見上げた。

「ずいぶん、痩せたじゃないか? 見違えたぜ。チャフ」

「ああ。気苦労が多かったからな」

「どうやったのか教えてくれないか?」

「なぜ?」

「知り合いに物書きがいるんだ。そいつに書かせてダイエット本を出せば金になる」

 マンズが口笛を吹き、プリングルズの粉をズボンになする。

「そんなに知りたけりゃ、俺を逃がしてくれるのか?」

「構わんが、マンズは?」

 マンズが唇をへの字に曲げ、首を振る。

「銭がいる」マンズは鼻を掻いた。「女にオーロラを見せてやるって約束しちまった。スウェーデンのキルナまで行かなくちゃ」

「なんでまたそんな厄介な約束したんだ」

「すげぇべつぴんなんだ。露助とどっかとの合いの子なんだが。とにかくえらい別嬪で。色んな男が云い寄ってる。で、そいつがあたしにオーロラを見せてくれた人なら付き合ってあげても良いって宣言しやがってさ。それで俺はノッた」

「だが、チャフが懸賞金マトになってる話は聞かんぞ」

 チャフはおれを向いた。「ガス、なんとかならないか? こいつ、女でドたまがイカレちまってるんだ。第一、モノ喰いながら人をあれこれいじくり回すんだ。よくないよ。こいつのやってることはよくない。行儀が悪すぎるぜ」

「狩った獲物をどう扱おうが、俺の勝手だ」

「具合が悪くて寝込んでた処を襲いやがって何が〈狩った〉だよ。ベトベト駄菓子の粉の付いた手で耳を切ったり、途中で止めてまた駄菓子に戻ったり汚えんだよ! 切るのか、喰うのかどっちかに集中しろよ! なあ、ガス。こいつには美学ってものがまるですっぽ抜けてんだ。云ってやってくれよ。せめてちゃんと、、、、やれって」

 おれは肩を竦めた。

「気の毒だが、奴は普段は裏方だ。おれたちみたいな表のプロじゃない。美学なんて身につける気もないのさ。それにおれは人の餌鉢や流儀に口を挟むのも趣味じゃない。おまえのその激痩せネタでダイエット本を作ったらどうだ? あの手のものは随分と売れるらしいから。そいつを渡したらオーロラ行けるんじゃないか? マンズ」

「ダメ。女は来月にはマカオに商売バイ打ちに流れるのさ」

「なんだ……淫売か」

「まあな。でも別嬪だぜ。合いの子のすげぇ別嬪。こっちで銭の道さえ付けときゃ、バイが終わったら、戻ってきて一緒にキルナって寸法よ。むっほほほ」

 マンズは自分で股間を揉んだ。

 チャフは溜息を吐いた。「こいつは俺が兄貴をかくまってるって云うんだ」

「ソフティーか?」

「ああ。全く莫迦げてる。もう二年も行方をくらましてるってのによ!! 俺が知るわけがねえじゃねえか!」

「怒鳴るな。デフじゃねえんだ」

 いきなりマンズが小型ドリルの先をチャフの太腿に当てた。モーター音がするとチャフが叫ぶ、ジーンズを喰い破るドリルの先端シヤンクから血が膨らむとすぐに脇に流れ、内側から早送りされた木の芽のように生地の混じった肉片が外に伸びてきた。

 マンズはチャフが悲鳴をかみ殺したのを知ると穴開けを止め、先端に絡んだ肉と生地を指で器用にむしるとドリルをカウンターに置き、またプリングルズを喰った。マンズもかつてのチャフほど今は太っている。こいつは昔、細かった。

「ソフティーにはゴージャスの処とベロベの処で二千かかってる」

「もうそんなにあがったのか?」

「ああ。ゴージャスが先に懸賞金をかけた。それでも埒が明かねえんでベロベも乗ったのよ。あの一家もソフティーにゃやられてる」

 マンズは半分入ったペプシの缶を飲み干すと次にコーラ缶を開けて口に流し込み、しばし躯の要求を待つと盛大にゲップをした。

「俺はそれで世界で一番別嬪な女と世界で一番美しいものを見るのさ。抜群の神秘体験ができると思わないか? ガス」

 おれは手近にある椅子を引っ張り出すと座面にうっすら積もった埃を手で払ってから腰かけた。

「さあな。ゴミ溜めの世界と外道稼業で暮らしてきた此迄これまでが、充分おれにとっちゃ神秘体験だったからな。今更、興味はないね」

「味気ない男だね、全く」マンズは〈コンソメパンツ〉とロゴがある新しい袋を手にし、力強く引いた。奴の顔が桃饅ももまん色になる手前で袋は裂け、中身が半分ほど散った。乾いた芋の破片を奴は靴で粉々に踏み付け、ウィンクした。「分け前を作ってやらにゃ、ここには」

「ゴキブリがいるんだろ。おまえの仲間が」悔しげに顔を歪めたチャフがうめく。

 マンズがニコニコわらってチャフに近づき、顔の横を撫でた。予想外の悲鳴をチャフが上げたので、おやっ? と思うと奴の耳がさっきよりも大きく頭を離れ、しかも周囲の皮もごっそりと抉られていた。

「なにをしたんだ?」

 マンズがおれに向かって右手を見せる。小さな四角い木箱のようなものがあった。

かんなさ。削り口を見た目よりも大きくとって喰いを滑らかにしたんだ。刃が削った皮膚はするすると外に吐き出されて詰まらない。見た目よりも使えるんだ。特に一気に殺しちゃ不味いような自白や拷問には打って付けさ、六万七千円。今なら半額にしてやるぜ、ガス。切れ味は今、見ただろ?」

「いらん。おれは手間のかかるネタは受けない」

「リヴーがそんな贅沢を許すのか?」

「何故かおれにはな」

 ふうんとマンズはキング・クリムゾンのジャケットにあるようなデカい鼻の穴に指を入れると掘り出した。ぐったりしているチャフは更に顔が青白くなっていた。マンズが自分を殺すのはわかっているはずだ。兄貴のソフティーの居場所を知っているのなら、もうそろそろ自白ゲロっても良い筈だ。そのほうが楽に逝ける。

 チャフの義理の兄貴だったソフティーもおれたち同様にバラしを稼業にしていた。しかし、数年前から不意に業界から姿を消した。否、それだけなら珍しい話じゃなかった。られても死体が揚がらない奴や本気で何処かに蒸発ふけちまう奴は僅かながらることには在る。が、ソフティーが特別だったのは〈稼業〉を続けていることだった。しかも、それはリヴーを含む、他の首長くびちようあずかり知らぬ処でやっている――つまり、公式声風に云うと〈内職しよくない〉だ。他の稼業ならいざ知らず、おれたちの業界で内職は存在しない。元ネタとの繋ぎ、標的の依頼の真偽、り手の選別、報酬の授受、情報の秘匿つぶし……これら以外にも様々な要素がキチンと納まるべき場所に安全に填まっていないと業界自体が成り立たない、、、、、、のだ。

 当然、表の顔と裏の顔の両方を使いこなす必要があり、単独では不可能だ。素人トウシロウ幸運フロツクに守られた一回こっきりのやっつけならまだしも、二発三発と〈内職〉を続けた奴は今迄いなかった。が、ソフティーはそれを今もやってのけている――という噂だった。これは業界全体を激震させる由々しき事態であり、放置すれば組合ユニオンけんに関わると各首長達が躍起になって行方を追っていた。特に先に名の上がった首長ふたりはソフティーに標的を横取りされ、メンを思い切り潰された恰好になっており、それ故、名誉挽回も兼ねての法外な賞金を積んでいた。

「カレー喰うか? レトルトだが」マンズが云った。

「いらん」おれは手を振った。代わりにダーから預かった物をカウンターに置いた。

「なんだそりゃ」マンズが呟いた。

だ」おれは麻雀牌ほどの【卵】の彫刻を眺めた。彫刻とは云ったが表面にも何の装飾もない、見ればただの卵にしか見えない代物だった。「録音装置のようなものだが。こいつの向こうにLIVE-リヴ―がいる。そう思って貰って構わない」

 リヴーと聞いてふたりの顔色が変わった。ときが来れば、リヴーは標的になったチヤフにも、ならなかったマンズにも同等に〈死〉となる――少なくともこの業界では誰もがリヴーに狩られる可能性を感じつつ稼業に精を出している。

「触っても良いか?」

 マンズの言葉におれは頷いた。

 奴の指が卵に触れた。一瞬、何かに怯えたように奴は手を引いた。

「なんか動いたような気がしたぜ、はは」マンズは自分の反応を照れ隠すように云い、卵を持った。「なんだこれ? まるで軽いぜ。羽毛のようだ。こんなのに機械が入ってるってのか?」

「リヴーはそう云ってる。何かの骨で出来ているとも」

 マンズは天井の裸電球にを透かした。「確かにそんな感じだ……だが」奴は胸元から鑑定用ルーペを取り出すと卵の表面をまた念入りに眺め始め、暫くして呻きとも溜息ともつかないものを発して、卵をカウンターの上に戻した。「不思議だ……」

「なにが?」

「確かに骨かもしれない。しかし、軽すぎる。つまり中が、がらんどうだ」

「確かに軽すぎるな、それはおれも感じていた」

 マンズはおれの返事に納得しないのか、いいやと首を振った。

「なかがからなのは骨を抉ったか、彫るかして中を抜いたからだ。これでどうやってリヴーは話を聴こうって云うんだ? だが、本当に不思議なのはそこだけじゃない」

「何が云いたいんだよ」顔を半赤に染めたチャフが怒鳴る。

 マンズはそっちに顔を向けようともせずおれに云った。

「こいつには継ぎ目、、、がない。どころか穴を思わせるキズ一つない。これはどういうことだ。骨の中身をこれだけくりぬくのには、どうしたって」

「ルーペが安いんだろ」と、チャフ。

「こいつはダイヤの鑑定士が使ってる代物よ。毛筋ほどのキズだって見逃さねえ」

 マンズは首を振り、スツールに頼りなげに座ると、しげしげと卵を見つめだした。

「リヴーの奴、いったい何て物を持ってやがる。国が国なら国宝級だぜ」

「貰えるかもしれんぞ」

「え」こっちを向いたマンズのりょうびんの毛が逆立っているようだった。「本気マジか?」

 おれは頷いた。「ああ、口を利いてやってもいい。但し、リヴーの求めるモノを渡すならば……だ」

 マンズの口が開いた。「リヴーの求めるモノ……なんだそりゃいったい。俺如きがあの人に渡せるものなんかねえぞ……っ! あ、命を盗ろうってのかおまえ!」マンズが立ち上がり、ドリルを掴んだ。「冗談じゃねえぞ! 俺は何もしてねえし! 合いの子とオーロラ行くんだ! 別嬪の合いの子とよぉ!」

 返事の代わりにおれは胸ポケットからペティ・アップマン葉巻を取り出し、カッターで先端を落とすと、ゆっくりとライターで炙って、初めの一服を吐き出すまで見せつけることにした。マンズは口を利かず、ただそれを見守っていた。

 おれは奴の態度に感心した。

「その気なら、おまえはもういない。つまり我々に、その気は今の処ない……」

「じゃ、じゃあ」マンズが長い溜息を吐いた。顎を撫でたマンズの口にチップスのだいだいの粉が付いた。「なんで、リヴーが……俺に」

「怖い話だよ」

 目の前で耳を裂いていた奴と裂かれていた奴が薄莫迦同盟ユニオンのように顔を付き合わせ、それからおれに戻った。

『あんだって?』ふたりが同時に云う。

「怖い話さ。幽霊とかなんやらかんやら。そいつを聞いてこいとおれは命じられたんだ」

 信じられないという表情を顔に貼りつけたままふたりは固まっている。

 先に金縛りを解いたのはマンズ。奴は皮肉っぽい笑いを浮かべた。

「おい。よせよ。冗談だろ」

「いや」おれは首を振った。「リヴーの辞書に冗談という項目はない。おれの知る限り」

 チャフは大袈裟に溜息を吐いた。「莫迦莫迦しい。そんなことをして何になるんだ」

「おれは何かを命じられた時、リヴーに説明を求めたりはしない。故にまだこの惑星に居られる。少なくともそう信じている」

 マンズは途端に落ち着きを無くし、カウンターの裏からまた新たなプリングルズとコーラ、山崎のボトルを取り出した。前掛けのへりでグラスを拭ってから山崎を注ぎ、コーラを足し、コークハイを作ると一気に呑み、それを更に二度くりかえしてから、プリングルズをさっきより多めに〈多分、四五枚固めて〉口に詰め込んで噛み砕いた。その間中、奴の目はおれにずっと向けられたままだった。

「さて怖い話は、あるのかないのか?」葉巻を抜くとポッと唇が鳴った。

 マンズの目玉がぐるぐると忙しそうに動き、ハッと停まった。「あれか!! リヴーはあれを知ってるんだな? それでカマをかけてきたんだ」

「……何をだ」

 マンズはグッと息を詰めると爪を噛んだ。答えは返ってこなかった。

「おまえには云えない」

 おれは唇をへの字にすると焦らずに首を振った。

「ならおれにはお手上げだな。話すのか? 話さないのか?」

「話さなきゃどうなる?」

 おれは返事の代わりに上着のポケットから拳銃を出した。小型で掌に隠れてしまうモノだがプラスチックでできていて、おまけに蛍光色のペイントがされているのでどう見ても子どもの玩具おもちやにしか見えない。が、こいつの弾に詰められているのは馬でも倒す麻酔だ。ある程度の距離ならおれは標的を外さない。こいつを喰らえば、相手は倒れる頃には四肢の自由は失っている。後はおれが好きにできる。

を持って来いと云われている。それだけだ。皮を剥いだら帰る。後は勝手にしろ」

「か、勝手にって……、皮なしで、どうしろっていうんだ」

 マンズの喉仏がゴクリと鳴り、大きく動いた。

「へへ」と、チャフが嗤う。「ガスはナイフの達人ナイフイストだ。きっと濡れたルビーみたいな骸骨スカルにしてもらえるぜ」

 マンズが山崎を掴んで立ち上がると思い切り、チャフの頭に叩き下ろした。硝子が砕け散り、おれの足下には割と大きめの底の部分が転がってきた。ウィスキーを浴びたチャフはがっくりと首を垂れたまま気絶してしまった。

「なんてことするんだ。山崎は高いんだぞ」

「こいつ、偉そうによ」

「それにいいのか? ソフティーの居場所を聞き出せなくなるぞ」

「なに、あとで銅線を亀頭にぶっ込んでコンセントに繋ぎゃあ、火付けの猫みたいに飛び上がる。後はペラペラ油紙よりよく燃えるぜ」

 おれは葉巻の灰になった部分だけ削るようにカウンターの板木に擦りつけ、火を消した。それから別に付いてもいない埃を払うように手をはたくとマンズを向く。

「で?」

 頷きながらマンズは即答した。

「……やる。ただ、これが普通に怖いかどうかはわからねえけど」

 おれは卵の頭を優しく撫でた。

『相手が話し始めたら優しく撫でろ、、、、、、』と、リヴーに云われていた。

 指先に軽く卵の振動が伝わった――空なのに。