アメリカの海洋研究所に勤めるイーサンとノアが、
他種動物とコミュニケーションがとれる天才シャチ・セブンとともに、
とある極秘ミッションに挑む海洋冒険ネオファンタジー『コーリング・ユー』。
第34回小説すばる新人賞を受賞した本作について、
著者の永原皓さんと、葛西臨海水族園の園長・錦織一臣さんをお迎えして、
海の世界や生き物の魅力、執筆の裏側を語っていただきました。
お二人の間にあるのは感染対策用のアクリル板─と、
錦織園長が持参してくれたシャチのミニチュア!?

撮影/露木聡子

生き物として、海に驚く

永原 今日はよろしくお願いします。専門家の方と対談をさせていただくということで、とても緊張しているのですが……。シャチのミニチュア、とっても可愛いですね!
錦織 今日の対談のために持ってきました(笑)。こちらこそ、今日はよろしくお願いします。
永原 (錦織園長の手元にある『コーリング・ユー』の原稿を見て)うわあ、いっぱい書き込んでいらっしゃる、どうしよう(笑)。
錦織 『コーリング・ユー』、とても面白かったです。思わずたくさん書き込んでしまいました(笑)。実は、特急電車の待ち時間に読んだりしていたのですが、そうしたらあまりに引き込まれてしまって、気付いたら目の前を電車が出発していて……。次は一時間後……。―ですので、この小説、魔物です。危ないです(笑)。
永原 何だかすみません(笑)。
錦織 いえいえ、とんでもないです。でも、電車に乗る前は読まない方が良いって、注意書きに書いておいた方がいいかもしれないですね。本当に乗り損なっちゃうから(笑)。
永原 それだけ物語の中に入っていただけて、とても光栄です。ありがとうございます。
錦織 この作品では、人間と動物や、動物同士の繫がりが描かれていますが、読んでいて、何がきっかけでこの物語を書かれたのか、気になりました。
永原 昔、旅行で海外に行ったときに、海に出たら、イルカの大群に出会えたことがあって。そのとき、何故だかわからないのですが、思い切り泣いちゃって。あれは何なんでしょうね……。人間の理解を超える何か大きなものが、身体にダイレクトに来た感じがしました。そうした体験などが、もとにあるのかもしれません。
錦織 クジラとか海の動物に遭遇して涙を流す人、私も見たことがあります。泣き方が、しくしくとか、ワンワンじゃなくて、そのままツーっと涙が頰を伝っていく感じで。もしかすると、本人も気付いてないのかもしれない。そうやって動物に出会うと、何か動かされるものがあるのでしょうね。
永原 そうですね。最近、すごいなと思ったのは、ジャーナリストの辛坊治郎さんが、ヨットで太平洋横断をされたときのことをTVで話されてまして。数千メートルの深海の上だと水深計は働かないそうなんですが、それが突然表示を始めて。それはつまり、ヨットの真下からクジラかシャチが浮上してくるということらしく、遠くの安全なところからクジラを眺めるのとは全く違って、恐怖を感じた、とおっしゃっていたんです。自分ではとらえきれない何かの存在、そうしたものへの畏怖というのは、本当にあるのだろうなあと思いました。
錦織 そういうときには本当に、「人って小さいな」と実感すると思います。全く無力ですから。乗っている船が巨大でも、どうにもならないこともたくさんありますし。私は水産の調査研究員をしていたことがあって、その頃は年中、海に出っぱなしだったのですが、海に出ると、昔の表現で言うならば「板子一枚下は地獄」というような感覚がありますね。放り出されてしまったら、人は生きていけない。そういうところで、人の小ささと、海の大きさを感じるんでしょうね。
永原 私は海のない長野県で育ったので、それだけに海の何かに出会う度にびっくりしてしまうんです。例えば体験ダイビングをしたときに感じた、宇宙遊泳をしているような感覚や、潮の満ち引きの強さ。どこかにつかまっていなければ、流されて行ってしまうくらいの水の強さには、本当に驚きます。生き物として、海の持つ力に驚く、というか。
錦織 海のないところで育つ方がむしろ、海への憧れや、海そのものを強く感じることができるのかもしれませんね。冒頭の海の描写、とても印象的でした。特に奇岩の群れを「中空の何かを切望しながら沈んだ黒い巨人の指」と表現されているところ。昔、周りに何もないところで調査船に乗っているときに、突然、岩だけが視界に入ってくることがあったんです。そのときは、何か生き物の跡のようなイメージがあって、まさに巨人の指のようでした。今まで言葉でうまく表現できなかったのですが、この描写を読んでとても共感して。何もないところや、厳しい海の中に聳える岩に出会ったときに感じるのは、まさにこんな感じだなあ、と。非常にリアルに感じました。
永原 自分で直接見たわけではないのですが、カムチャツカを調べたときに、「スリーブラザーズ」という通称を付けられた、三つの岩が立ち上がっている景観の写真を何枚か見たんです。そのイメージが頭にぼんやりとあって。それをそのまま描写したわけではないのですが、自然の荒々しい中に美しさが感じられる場所で物語が始まってほしい、という気持ちがあったので、そのように描きました。

永原皓対談

グラノーラ・バーのリアル


錦織 『コーリング・ユー』では、食べ物が結構出てきますよね。特に美味しそうなのは、タラバガニのバター・ソテー・サンド。これ、いいですよねぇ。
永原 ありがとうございます。「美味しいだろうな~」と妄想しながら書きました(笑)。
錦織 しかも「新鮮なタラバガニ」って書いてあるのがまた食欲をそそります。あとは、そうそう、たくさん出てくるグラノーラ・バー。イーサンは研究に没頭するあまり、食べるのを忘れてグラノーラ・バーばかり食べている。研究者の方が見たらすごいリアルだと思うんじゃないでしょうか。
永原 実際に、知り合いの研究職の方が仕事にとても打ち込んでいらっしゃるのですが、その人も集中して働いているうちに食事のことを本当に忘れてしまうんです。だから、そういった「ザ・研究者」みたいなタイプの人は現実にいるという実感を持ちながら書いていました。
錦織 リアルに思ったことで言うともう一つ、セブンの訓練をするときに、飼育員室の壁に工程表を張り出すじゃないですか。今の時代、仕事の情報は全部PCやネットワークで共有されているけれど、忙しいみんなが確実に見られるようにするとなったら、最後はアナログに戻って、張り紙になるんですよね。それも読んでいてとてもリアルに感じました。
永原 なんだかんだ仕事を続けてきていると、現場と管理部門の仕事の仕方の違いや、軋轢も目にしたりして。何とかみんなで乗り越えていくには、形にとらわれずに、やりやすい形を模索する必要があるという実感が、個人的な経験からもありました。
錦織 素晴らしいですよね。ご自分の体験から想像を膨らませて書かれていて。この話では、人間サイドで描かれるパートの主役は科学者のイーサンと、飼育員のノアで、その二人の関係も本当に魅力的に書かれているし、個性が良く出ていて、読み応えがありました。
永原 ありがとうございます。この作品では、シャチのセブンは他種動物とコミュニケーションをとる能力を持っているという設定で、イーサンやノアとも心を通わせています。錦織園長は水族園でお仕事をされている中で、人間と動物とのコミュニケーションを、どうご覧になっていますか?
錦織 日常の生活だと、ペットを除けば、私たちは同じ種の間だけでやりとりしています。ですので、動物とのコミュニケーションというのは実は結構難しいのですが、動物園や水族館の飼育職員は、動物とわかり合おうとする必要があるんですね。その中で感じるのは、動物とのコミュニケーションのとり方というのが、動物や飼育する人間によって、多様なのだということ。中でも、鯨類のイルカなど、人間に近いレベルの知能や、そもそもコミュニケーションを楽しむ性質を持つ動物は、特別ですね。そうした特別な動物とのコミュニケーションに、『コーリング・ユー』は触れているのではないかと思いました。葛西臨海水族園には、シャチやイルカなどはいないのですが、水産の調査研究員をしていたときは海に年中出っぱなしなので、イルカやクジラをたくさん見ました。イルカとかは本当に、一緒に泳いでくれますね。
永原 好奇心が旺盛って言いますよね。人間を見ると、「この生き物は何だろう」って来るんでしょうか。
錦織 そうかもしれませんね。特に子供のイルカは本当に好奇心があって、近くにいくとすぐに絡んで、まとわりついてきます(笑)。

緩やかに繫がり合う生命


錦織 『コーリング・ユー』を読んでいて、連想する人がいるかもしれない、と思ったのはホロビオントという概念です。生き物は、どこからが「個体」なのか、わからない場合もあるんですね。いろんな生物が合わさって、一つの生命体のようになっている場合がある。一番イメージしやすいのは造礁サンゴでしょうか。サンゴは自分で栄養を取り込むけれど、光合成によってもエネルギーを得ています。藻類などと一緒でなければ暮らしていけない。なので、ひとかたまりに見えるサンゴだけを取り上げて「個体」と言って良いのか、微妙なんです。どこからどこまでが「個体」なのか、わからないから。
 そして実は、ほかの地球の生命体についても、緩やかなホロビオントを形成している可能性があります。例えば私たちは、陸の人間の世界と海の世界を区別したりします。しかし今の地球の生物の捉え方から見ると、そうした線引きは明確にあるわけではなく、それらは何らかの形で、ゆるく繫がりながら、一つの生命体を形成している可能性があるんです。なので海の世界は、完全な異世界ではない、と言うことができるんですね。永原さんご自身は『コーリング・ユー』を書かれているとき、陸の世界と海の世界というのは、どのように捉えられていたんでしょうか。
永原 ホロビオント、とても面白い考え方ですね。そうですね、書いている間は、二つの完全な別世界、とは考えてはいませんでした。やはり地球という一つの環境がベースとしてあって、その中できっと、繫がり合っているものがいろいろあるのだろうな、と思っていました。同時に、まだわかっていないこともたくさんあるんだろうな、と。なので、物語の中で重要なキーとして出てくる発電菌などは、「遺伝子改良の研究がされるくらいだから、人間が作るまでもなく、より効率的な発電のできる遺伝子を持った菌が、実はすでにいても良いのでは?」と思って話の中に組み込みました。もちろん、あらゆる面において素人だったので、本当にツッコミどころはたくさんあると思うのですけど……。
錦織 発電菌でいうと、この『コーリング・ユー』という作品は、非常に専門的な領域を扱っているところがあって、その部分をどうやって調べたのか、とても気になっていました。発電菌だけでなく、生物多様性条約や国連海洋法、海洋物理の話で海中の乱流とか、そうした話が普通に出てくる。しかもこうした言葉を正しく使いながら、うまく物語の中に織り込んで話を進行させていくのが見事で。「一体、この永原皓さんという方は何者?」と気になっていました(笑)。
永原 そうおっしゃっていただけて恐縮です。素人なのでお恥ずかしい限りですが……。一つの資料を調べると、そこで紹介されている資料をさらに追って、枝分かれしていくように調べものが進んでいくんですね。そうすると、調べものの領域がどんどん広がっていくので、その中から小説に使える知識を集めて、物語の中に組み込んでいくようにしました。

錦織園長対談

答えはみんなで探そう

錦織 永原さんご自身は、作品のテーマに繫がるような、動物とのコミュニケーションの原体験みたいなものがおありなんですか?
永原 大した経験はあまりないのですが……。ものすごく個人的な経験なんですけど、私は長野の小さな町の出身で、子供の頃には家で犬や小鳥を飼っていました。進学を機に上京してそのまま就職したのですが、東京の「人の多さ」や都会での生活にもすっかり慣れた頃に六本木あたりを歩いていたら、向こうから犬を散歩させている方が歩いてきて。それを見た瞬間に「犬だ!」とものすごく驚いてしまったんです。久しぶりに人間以外の動物を見た衝撃というか……。今ならお散歩中の犬を見るのは普通で驚くこともないのですが、当時はまだ、ワンちゃんを連れてお散歩している方をあまり見ない時代だったので、本当にびっくりしてしまって。「あ、私ってこんなに簡単に、ふだん動物のことを思い出しもしない感性になっちゃうんだ」と愕然としました。ですので、水族館や動物園といった、ほかの動物の存在をリアルに感じられる場所というのは、とても大切なものなのでは、と個人的にも感じています。特に、子供たちにとってはそうなのかも……。
錦織 子供の頃に動物に触れておくというのは、本当に大切だと思いますね。例えばちょっとした磯場に行って、そこでいろんな生き物に出会う。岩をひっくり返すと、カニを見つけて「あ、動いた!」と小さな驚きを胸にとどめる。大人があまりに積極的に触れさせようとすると、子供の方も拒否感を覚えてしまうでしょうから、そうしたちょっとした体験で十分なのだと思います。葛西臨海水族園でも「いきもののミカタ」プロジェクトという、生き物そのものを伝えるプロジェクトをやったりしています。子供が自分の身体と五感で、動物に触れる体験を積んでおくのは、やはり重要でしょうね。
永原 本当にそうですね。いくら口で「動物を大事にしよう」と言われても、動物を生で見たときの「あ、本当に存在しているんだ」という、ダイレクトな感覚は、日常的に味わえるものではないし、それゆえに、もろく壊れやすいような気がします。そのことを考えると、今の時代、水族館や動物園といった施設は、議論の多い、複雑な立場に置かれているようにも感じますが、たとえばその形態が変わっていくことはあるかもしれなくても、この先も在り続けてほしい、と思っています。
錦織 動物園や水族館というのは、不思議な施設で。おっしゃる通り、特に東京のような場所では、動物には触れにくい。いろんな種類の動物がいて、見て、触れて、感じることができる場所というのは、やはり動物園や水族館になるわけです。
 ところで永原さんは、『コーリング・ユー』をお書きになっているとき、人間と動物との付き合い方に対するメッセージなどを考えていらしたりしたのでしょうか。
永原 考えてはいましたが、完璧な答えを私が提示しようという気持ちはなくて……。基本的には、「答えはみんなで探そう」というスタンスでした。世界は、いろんな立場の、いろんな目的や事情を背負った人たちによって成り立っている。そんな、白黒では簡単に解決できない世界の一つの形を提示してみたい、と考えながら『コーリング・ユー』を書きました。その複雑な世界の中で、私たちはどうしていったら良いのか、という思いを込めて。
錦織 それは、とても大事な視点ですね。先ほどの動物園や水族館の話に戻りますが……。『コーリング・ユー』の中で動物の解放の話に少し触れている箇所がありますが、解放について発信する人々が、どこでその考えに至ったかというと、たいていはまず、動物園や水族館なんです。そこで動物を見て、彼らの生態や置かれている環境について学ぶのと同時に、彼らを何とか逃がしてあげたいと思ったりする。特にシャチやイルカのような鯨類だと、野生状況で見るという機会はほぼないですから、私たちがイルカなどを思い浮かべるときのイメージは多くの場合、水族館で見たときに培ったものなんです。動物園や水族館の意味というのは、そういうところにもあるのかもしれないですね。飼うというのはいろいろな問題があるかもしれない。一方で、飼わなければ伝えられないものもあるかもしれない。
永原 そうですね。イメージができないと、気遣うこともできない、というのは、どこかに必ずあると思います。
錦織 全てを体験することはできないけれど、自分の手持ちのいくつかの経験を結び付けてイメージしてみるというのは、非常に大切な考え方ですよね。その意味で小説は、まさに疑似体験の場です。あとは実際に、フィールドで見てもらえると、なお良いですね。
永原 水族館でのお仕事のことなのですが、先日、錦織園長が監修・編著をされたご本を読ませていただきました。そこに、水族館で働いていらっしゃる方の手のお話などが書かれていて。ずっと冷たい水に触っているから手肌は荒れるけれど、ハンドクリームを付けられない作業もある。包丁ダコのできた手は、毎日、飼育している動物の餌を包丁で切っている人の手。そうして飼育員さんたちの手は傷がついていくけれど、それは素晴らしい、働く人の手なのだ、とお書きになっていて。本当にそうなのだろうなあ、と。
錦織 読んでいただいてありがとうございます。水族館でいうと、水槽に見える魚の向こうでは、水をきれいに保つため、濾過槽に微生物を飼っていたりするのですが、これは皆さんからは見えません。けれど水族館も、水槽も、その他のこともそうだと思いますが、裏方がいて成り立っている。みんなが一生懸命、それぞれのパートをやることで初めて、皆さんに見てもらっている水槽が、良い状態で見えるんです。
永原 今日、この葛西臨海水族園を訪れて園長のお話を伺って、本当に今おっしゃられた通りだと思いました。改めて最前線で働く方々のご努力の重みを感じました。
錦織 永原さんはこの先、いろいろな作品を書かれることと思いますが、これから小説の道をさらに極めていかれるのを、とても楽しみにしています。次回作以降も期待しています!
永原 そうおっしゃっていただけて、ありがたい限りです。私の方も、今日はいろいろなお話を伺うことができて、勉強になりました。本当にありがとうございました!

永原錦織対談1
撮影後、園長が部屋の隅から取り出したのは……
カニとナマコのかぶりもの!

「小説すばる」2022年3月号転載