恥ずかしい時、悔しい時、モヤモヤする時……思わずネガティブな気持ちになったときこそ、読書で心をやすらげてみませんか? あの人・この人に聞いてみた、落ち込んだ時のためのブックガイド・エッセイです。
第32回:ポジティブ思考が羨ましくて仕方がない時
案内人 浅倉秋成さん
2024年07月12日
基本的には常時、何かに落ち込んでいる。
小説を書き上げれば、あぁ、とんだ駄作を書いてしまったと落ち込み、誰かから称賛の言葉をもらったとしても、世辞を言わせてしまったと勝手に落ち込む。たぶんもう、どうにもならない。
これは肩こり腰痛よろしく、折り合いをつけて飼い慣らし、騙し騙し一生付き合わねばらぬ疾患なのだろうと諦めている私だが、ポジティブな人間に憧れてしまう瞬間というやつは、どうしたって存在する。というわけで前頭葉にメスを入れる性格矯正手術を――というわけにもいかないので、私は概ね2つのステップで心の均衡を図ることになる。
まずは「一見してポジティブに見える人間の内実を見極め」、そして「本当の意味でネガティブを失ったときに何が起こるのか」を冷静に捉まえるのだ。

『#塚森裕太がログアウトしたら』浅原ナオト/著(幻冬舎文庫)
画面上でキラッキラの笑顔を見せてくれる芸能人やアイドルたちは、悩みなどひとつもない生粋の楽天家だから笑えているわけではない。彼らには彼らなりの地獄がある。
バスケ部のエースである塚森裕太くんは、ある日のインスタグラムで自身がゲイであることを爽やかにカミングアウトする。誰しもに愛されていた好青年の告白は部員にも友人にも快く受け容れられ、セクシャリティの違いなどほんの些細な問題だと多くの人が笑みを浮かべる。しかし本当に、誰の心にも細波は立たなかったのだろうか。繊細な筆致で描かれるセクシャリティを中心に据えた群像劇に、読者は「きれいごと」の向こう側にある、確かな質量のある「現実」を見据えることになる。
ポジティブに見える人は、ポジティブに見える人でしかないのだ。楽天家に憧れるのは自由だが、いつだってその向こう側にある地獄を推し測る努力を、忘れずにいたい。

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー/著、中村妙子/訳(ハヤカワ文庫)
列車が来ない。やることのなくなったジョーンは、仕方なく半生を振り返る。私はよき妻で、よき母で、よき人間であったはずだ。自身の今日までに太鼓判を押そうとしていた彼女であったが、しかし長大な内省の中でいよいよ人生の真実に気づいてしまう。
本書を読めば、我々はいとも簡単に気づくことができる。ネガティブは財産に他ならないのだ、と。私の持っている定規の寸法が最も正確だと胸を張り始めた途端、世界を見つめる視界は音もなく曇り始める。やがて世界に見放される。
「ネガティブ万歳!」と飛び跳ねることができないからこそ、ネガティブな人間なのだが、最悪を想定してしまう慎重さは愛してしかるべき武器だ。締め切りに遅れたらどうしよう。そんな弱い心を持つ人間だからこそ、私はこの原稿を期日の2週間前に完成させることができている。胸は張らずともよい。しかし適量のネガティブを決して手放すなかれ同志諸君。
根が暗い人間の未来は、きっと明るい。
プロフィール
-
浅倉 秋成 (あさくら・あきなり)
1989年生まれ。2012年、『ノワール・レヴナント』で第13回講談社BOX新人賞Powersを受賞しデビュー。2019年、『教室が、ひとりになるまで』で第20回本格ミステリ大賞〈小説部門〉候補、第73回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編部門〉候補。2021年に刊行した『六人の嘘つきな大学生』は、2022年の本屋大賞にノミネートされ大きな話題となる。他の著書に『九度目の十八歳を迎えた君と』『俺ではない炎上』『家族解散まで千キロメートル』などがある。
新着コンテンツ
-
インタビュー・対談2026年10月05日
インタビュー・対談2026年10月05日神永学「こうあるべきという枠に収まらない、さまざまな友情を描きたかった」
10年以上にわたって書き継いできた人気シリーズがついに幕を下ろします。完結編についてたっぷり語っていただきました。
-
お知らせ2026年09月30日
お知らせ2026年09月30日第39回柴田錬三郎賞が辻村深月さん『ファイア・ドーム』に決定!
辻村深月さん『ファイア・ドーム』(小学館刊)が今年度柴田錬三郎賞に決定しました。
-
連載2026年09月30日
連載2026年09月30日だれにも僕らを見つけられない
大前粟生
十七歳の春井は、弟のユウを一人残して家を抜け出した。行先もなく夜の街を歩き回っていると、道路に寝そべる謎の人影を見つける。
-
インタビュー・対談2026年09月17日
インタビュー・対談2026年09月17日神尾水無子「炎が映し出す相剋と相生」
小説すばる新人賞を受賞した『我拶もん』は江戸中期の陸尺が主人公でした。今回は幕末の火消しの物語。作品に託した思いをたっぷり伺いました。
-
インタビュー・対談2026年09月16日
インタビュー・対談2026年09月16日AKIRA×川村壱馬×平沼紀久「ふたつのフェーズ、『新世界』へ」
『HiGH&LOW』の衝撃から十年――。数多の熱狂的なファンに支持され、無限の広がりを見せるこの世界はどこへ向かうのか。
-
お知らせ2026年09月16日
お知らせ2026年09月16日小説すばる10月号、好評発売中です!
『HiGH&LOW』10周年祭りに刮目せよ! 豪華執筆陣によるオリジナル小説、エッセイ、コラムと盛りだくさんでお届けします。