『いい子のあくび』刊行記念対談 高瀬隼子×ひらりさ「〈いい子〉の向こう側へ」
「おいしいごはんが食べられますように」で第一六七回芥川賞を受賞した高瀬隼子さん。先月、受賞第一作となる『いい子のあくび』が刊行されました。表題作に加えて二作の短編が収録され、いずれも女性主人公の一人称の語りによって、日々蓄積されていく違和感や行き場のない感情が描き出されます。
女性として生きることを深い眼差しで見つめ思考するエッセイ集『それでも女をやっていく』を刊行されたひらりささんをお相手に、互いの作品の感想から社会や周囲の人間に対して抱く感情についてまで、広く語っていただきました。
構成/編集部 撮影/藤澤由加
ひらりさ 小説を読んでいると、書いた作家その人に対して怖さを感じることがあります。読んでいる自分の浅いところややましいところを見透かされているような気持ちになるというか……。高瀬さんの新刊『いい子のあくび』も人間の複雑な内面が書かれた作品なので、今日は怖いなと思いながら対談の場にやってきました(笑)。
高瀬 ありがたい気持ちと悲しい気持ちが同時に湧きました(笑)。
ひらりささんには『群像』で『おいしいごはんが食べられますように』の書評を書いていただいて、その節はありがとうございました。でも、当時はまだお会いしたことがありませんでしたね。
ひらりさ そうですね。
高瀬 初めてお会いしたのは、たしか去年の十一月の文学フリマの時でした。ひらりささんがブースを出されていたので、喜んで買いに行ったら売り切れていて……。
ひらりさ そうです、そうです。しかも高瀬さん、その時に名乗ってくれなかったんですよね。いきなりお名前を伺うのも失礼かと思って「出店されている方ですか」と聞いたら「そうです」と。「どちらのブースですか? ああ、『京都ジャンクション』。それなら、高瀬さんですよね?」と私が問い詰めた経緯がありました(笑)。
高瀬 こっそり買いに行けば、ばれないと思ったんです(笑)。その後、違う日に二人でお茶をしました。読書の話やひらりささんが行っていらしたイギリスの大学院の話など色々喋った記憶があるのですが、今日改めてお互いの作品について話せるのがうれしいです。
まだちゃんと怒っている
ひらりさ 「いい子のあくび」の初出は二〇二〇年の『すばる』五月号ですよね。書き始めたのはいつ頃だったんですか?
高瀬 二〇一九年の秋に「犬のかたちをしているもの」ですばる文学賞を受賞したのですが、その年の末に第一稿を書き上げました。その後編集者とのやり取りを重ねて、載ったのが二〇二〇年の五月号でした。
ひらりさ 今回の単行本刊行が決まる前から、書評家の倉本さおりさん経由で「いい子のあくび」が面白いという話は聞いていたんです。私は『水たまりで息をする』で高瀬さんを知ったので、読みたい……と歯軋りしていました。「ぶつかったる。」から始まるやばい小説があるよ、とだけ聞いてて(笑)。高瀬さんは一体どんなふうにして「いい子のあくび」を書き始めたんでしょうか。
高瀬 そうですね……。当時、無事にデビューはできたけれど、このまま二作目を出せずに消えるのではないかという強迫観念がありました。デビュー作だけが本になって、刊行点数1の作家になるに違いない、と。だから何とかして書かなければと思って、ひとまずテーマや粗筋を決めずに書き始めたんです。書きながら考えていた。そういう書き方をしていたせいで、日常のむかつきが作品に組み込まれて膨らんでいったのだと思います。毎日「まじ歩きスマホ死ねよ」と思っていたので(笑)。
ひらりさ 高瀬さん、一度自分の身に起きたことは忘れなそうですよね。
高瀬 そうなんです。一度何かにむかつくと、執念深くうらみ続けるタイプですね。絶対許さない、来年も許さない(笑)。
ひらりさ 来年も許さないっていいですね。昔、村田沙耶香さんと漫画家の米代恭さんの対談を構成したのですが、その時お二人が「嫌な人のことをすごく考えてしまう」という話で盛り上がっていたのを思い出しました。「嫌な人」ってほんとうに嫌なんですけど、創作をする上では貴重なイメージソースでもあるように思います。
高瀬 そうかもしれないです。この間ネットで「人生の時間は有限だから、自分の大切な人や好きなことについて考える時間を増やしたほうがいい」という記事を見ました。その通りだなと思ったと同時に、いや、自分には絶対できないなそれ、と(笑)。一日の起きている時間の七、八割くらいは嫌なことを考えている気がします。
ひらりさ 個人的に、高瀬さんの作品のうちでは『おいしいごはんが食べられますように』が初めにピンと来て、それをきっかけに他作品の見え方がクリアになった感覚がありました。「いい子のあくび」が雑誌に載ってから単行本化するまでには三年ほど間が空いて、その間に何作も書き続けてこられたわけですが、今回読み直してみていかがでしたか?
高瀬 まずは当時の自分の文章の下手さに衝撃を受けました。「言った」と「思った」ばかりで、これはやばいぞと。ゲラで細かく修正しました。ただ今回単行本化するにあたって、内容自体は大きくは変えていません。三年前の自分の怒りを受け取って、「ああ、私はまだこのことに対してちゃんと怒っているな」と思い返しながら読みました。
ひらりさ それはほっとした感じですか。
高瀬 いえ、「しんど」という感じです(笑)。この二、三年の間にさらに別の怒りも蓄積されているのに、三年前に抱えていた怒りもしっかり自分の内に残っているから、しんどいぞと。
ひらりさ しんどい思いはしてほしくない……と一応言いつつ(笑)、その二重のしんどさが功を奏している作品だとも感じました。デビュー後一作目というよりも、すでにキャリアを重ねた高瀬隼子だからこそできる表現、を味わえる小説だなと。
〈正しさ〉と〈まっとうさ〉
高瀬 ひらりささんが今年出されたエッセイ『それでも女をやっていく』、ほんとうに面白く拝読しました。「女であること」をめぐって生じる葛藤や悩みに、ご自身の実体験を通して真正面から向き合おうとする一冊です。
たくさん付箋を貼ってきたのですが、正しさやまっとうさについて書かれた一文が特に印象的でした。「自分が女であるのを疑っていない以上、まっとうな女であることを目指す必要がある」という部分。分かるー! と思いながら読みました。ひらりささんが書かれた「『みんな』や『あの子』と同じでいたかったから」という理由とは少し違うかもしれないのですが、まっとうな女をやってしまっている自分、目指してしまっている自分、目指すと決意したわけではないのにそれを選ばされている自分、という被害者意識が自分の内にあるというか……。三十五歳になるのに幼いなとも思うのですが、それでもやはり、「まっとうな女」を選ばされていることに対する怒りがあります。
ひらりさ 読んでいただいてありがとうございます。
高瀬さんと正しさやまっとうさについて話すなら、私たちの都会育ち/地方育ちの差は無視できないと思っています。私は東京育ちの私立女子校出身なのですが、十代前半から「正解が正義」という思想を植え付けられてきた自覚があるんです。正解すると褒められるし、成績によって評価されることで「自分は間違っていないんだ」と安心できる。裏を返すと、他人の物差しがないと自分が分からない人間に育ってしまったなあと。
一方で高瀬さんの『水たまりで息をする』や、今回収録されている短編「末永い幸せ」には、地方の小さな人間関係の中で暮らしたことのある人物が出てきますよね。彼女たちは息苦しさを感じているけれど、でも実は、東京に来たからといってその苦しさから抜けられるわけではない。東京には東京の小さいコミュニティがあるし、ご近所や会社のみならず、友達や夫婦というのも一つ一つコミュニティですよね。高瀬さんは、それぞれの場の〈正しさ〉〈まっとうさ〉を纏い適応しようともがいている人の物語を書かれているんだなと、今回拝読していて強く思いました。
高瀬 伺っていてなるほどと思いました(笑)。
ひらりさ 人間がその場に応じて振る舞いを切り替える様が、『いい子のあくび』では顕著に描かれているように思います。主人公の直子がまさにそうで、友人の圭さんに「圭さんの結婚式、素敵だった」と言ったそのすぐ後で、別の友人・望海に向かって「結婚式ってする意味分かんない」と発している場面があったり。SNSや様々なチャンネルを通じて、自然に皆が「私」を切り替えているこの社会の在り方に、高瀬さんはすごく敏感だなあと思いました。
高瀬 そうなんですよね。主人公の直子は全方面に対していい顔をするというか、いい子をしてしまう。でもそのいい子は清廉潔白なわけではなく、あくまで目の前にいるその人にとってのいい子でしかない。違う方向を向いたらまた別のいい子をする、切り替えをしまくる人間だと思います。
ひらりさ 先ほどお話しされていた「まっとうな女」を選ばされることへの怒りにも通じるかもしれないのですが、高瀬さんご自身も普段はいい子ですか?
高瀬 私自身もいい子ですね(笑)。特に職場ではとてもいい子。一年前に作家業がばれてからは化けの皮が剥がれつつあるのですが……。それまでは、まっとうに仕事を頑張っている、残業も文句言わないでやる、いつもにこにこしている、飲み会で下ネタを言っても嫌がらない、おじさんの隣に座らせても大丈夫、そんな〈いい子〉をやっていたと思います。
でも最近は、意識的にいい子をやらないようにしています。かつて自分がいい子をやってしまっていた分、下の世代に負債を残してしまったなという後悔と罪悪感があるので。ただ、後悔と罪悪感を持つと同時に、当時の自分はいい子をやらざるを得ない状態にあったとも思うので、どうしたらよかったんだろうなとも……。
ひらりさ まずは個人として生き延びるのが第一ですよね。私は正論と正解は別だと思っています。その場で怒ったほうが全体にとって良く作用する場面があるのは確かですが、それはあくまで正論。正論ではなく、その時々にその人が選びとれる正解を選んでしまうのは仕方がないことだと思います。自分自身もそうしてきましたし。ただそうして正解を選びとった後、少しでも自分の地位なり生存なりが安定した段階で、視野を広くして正論に目をやるのは大事だと思いますね。高瀬さんの場合、その場で上司を殴るより小説を書いたほうが結果的に大きい効果があるでしょうし(笑)。
高瀬 そうかな、そうだといいんですけど。
ひらりさ もちろん、その場で上司を殴る人もめちゃくちゃえらいんですけどね。
高瀬 かっこいいと思う! 自分はできなかったから、よりかっこいいと思います。
社会に要請される〈女〉
高瀬 ひらりささんが書かれた「わたしが『女』になる上で大きな役割を果たしたのは、もっとぼんやりとした細かな出来事に、相槌を打ち続けさせられる日常そのものだったと思う」という部分、ここもほんとうに印象深かったです。少しも共感できないことに対して「そうですよね」と相槌を打ち続けさせられる経験って、きっと男性より女性のほうが多いと思うんです。今日も会社でやってきたし、明日もするんだろうなと。
あと、私はもうすぐ三十五歳になるのですが、「三十代半ばの女性が求められていること」「二十代半ばの女性が求められていること」というふうに、世代に応じた女性の理想像があるように感じてきました。小学生女児だったときは「天真爛漫でパティシエを目指している」みたいな女の子像が求められていた。
ひらりさ わかります、パン屋さんとかケーキ屋さんですよね。
高瀬 お花屋さんを目指すことを社会から要請されている、と受け取っていました。その後も女子中学生、女子高校生、女子大学生でそれぞれ違う項目を求められ続けていたと思うんです。そして多分この先も、四十代、五十代、六十代とその歳の女性として求められる項目が変化していく。
果たして男性は社会から、こんなふうに年代別の理想像を課されているのだろうか? と思いました。もちろん男性には男性の大変さがあります。それでも、求められる項目が三歳刻みでどんどん更新されていく女性のような状況には置かれてはいないのでは、と。社会に要請される〈まっとうさ〉の項目を前にずっと相槌を打ち続けることで、自分は社会的な女になっていったんだと思います。
ひらりさ 少しずれた例えかもしれないのですが、女性誌を見ていても年齢によってかなり細分化されていますよね。『いい子のあくび』の中でも、「自分の未来はほとんど想像できる。この後、圭さんに子どもができて疎遠になる」「望海の転勤が決まる。(…)結局、望海もいなくなるのだ」というふうに、直子は自分の人生を俯瞰して眺めていますよね。結婚や出産をはじめ、規範やイベントに沿って自分の人間関係が規定されているという感覚を、男性は、女性ほどには感じずに済んでいるのではないでしょうか。
高瀬 変わらない自分のままでいられるって強いし、羨ましいしずるいなと思ってしまいます。
ひらりさ あと、ジェンダーという区分けで考えると、女性のほうが言いたいことを言えない場面が多いように思います。歴史的には長いこと「公的な発言」ができる主体として認められていませんでしたし、現在も、女はそういうことを言うべきではないという押し付けがあったり、相手を怒らせると加害をされる恐れがあったり。自分の発言に対して敏感にならざるを得ないというのはありますよね。
高瀬 そうですよね。私はいつも「女性の苦しみやむかつきを書いているね」と言われるし、自分でもそう思っているのですが、実は書き始めるときは「よし、女性のむかつきを書くぞ」とは思ってはいないんです。むかつきや嫌なことは男性も当たり前に抱えているし、大変じゃない人なんていない。それでも物語に女性を出すと、そこに勝手に苦しさ・つらさ・しんどさがついてくるんですよね。
例えば『いい子のあくび』には主人公の直子の恋人・大地が出てきます。大地は教師という大変な仕事をしているのですが、彼が生活している姿を書いても、日常における不条理な苦労はパッとは出てこない。電車に乗っただけで女性は嫌な目に遭うけれど、大地さんはその苦労がない日もあるんじゃないかなと。その違いはあるように思います。
ただ、今の自分の人生としては、小説のネタになるので女でよかったと思いますね。自分が男性に生まれていたら書けないことのほうが多かったと思います。あと、自分の中にうっすら存在している加害性、人に危害を加えたいという感情が身体的に強い男性になった時に外に出てしまったら、即ニュース速報になってしまいそうなので(笑)。そこへの恐怖もある気がします。
犬と人間と言葉のずれ
ひらりさ 以前、友人と高瀬作品の話をしたときに「高瀬さんは動物以外好きじゃないと思う」という指摘があって、深く納得したことがありました(笑)。高瀬さん、人間は好きですか。
高瀬 ひらりささんの『それでも女をやっていく』の中で、「世界中の男がうっすら嫌いだ」という一文があります。自分は「女」に興味があって「女」であることが好き、だからそれでも女をやっていく、という流れの中での一文です。でも私は、「世界中の男がうっすら嫌いだ」という部分を読んで「たしかに」とうなずいた後、「いや、女もうっすら嫌いだな」と思ってしまいました(笑)。世界中の人間がうっすら嫌いなんですね。動物は好きです。犬>人間の図式はどうしたって覆りません。
ひらりさ 犬と人間の違いってどこにあるんでしょうか(笑)。
高瀬 愛おしいか、愛おしくないか。問答無用で愛せるかどうかですね。
ひらりさ 伺っていてふと、言葉で干渉しあえる前提があるかどうかがポイントなのかなとも思いました。先ほども女性の理想像についての話がありましたが、ジェンダー的な要請もある種、言葉によって刷り込まれるものですよね。『いい子のあくび』に限らずですが、高瀬さんの小説には、一〇〇%心から思ってはいないけれど、自ら言葉に出して言うことによって、言ったことそのものを信じようとするシーンが多いように思います。言っていることの七割ぐらいはたしかにそう思っているけど、心の底から十割で思っているわけではない。その発言と心のずれに、登場人物たちも高瀬さんご自身も敏感だなと。自ら発した言葉を信じることで人間をやっている感じがあります。
高瀬 人間をやっている感じ。
ひらりさ その場での正解を口にして、十割はそう思っていない自分を感じつつも、口にすることで八割まで自分を追いつかせている感覚を書いているというか……。
高瀬 自分はそういうことを書いているんだなと、言われてはじめて分かりますね。『いい子のあくび』の三篇の主人公たちに対しては、書き終えて時間が経った今読み返してみると、みんなちゃんと思っていることを言えばいいのにという気持ちはあります。でも同時に、自分自身も思うことを十割で言うことができないから、彼女たちのような人物を書いているんだと思います。
ひらりさ 高瀬さんは、発される言葉と思っていることがずれ続けることの気持ち悪さをずっと意識されているように感じます。だから、言葉を介さない犬のほうが信用できると思っているんじゃないかな(笑)。
男性を書く/女性を書く
高瀬 本が出るのはうれしいです。でも、ひらりささんも後書きに書かれていましたが、知り合いに読まれるのが嫌だという思いがこの本に関しては強くあって……。「いい子のあくび」と「末永い幸せ」では結婚式のことを、「お供え」では職場のお土産のことを、それぞれの主人公が相当悪く言っています(笑)。作中に出てくる結婚式場なんかは、見る人が見たら「もしかしてあそこがモデルなのかな」と考えてしまうと思うんです。
ひらりさ 書いちゃったものはしょうがない。大丈夫です!
高瀬 ひらりささんも覚悟を持って書かれたんですよね。「みっともなくても書くべきだと思うことがたくさんあった」という一文を覚えています。でも私、書いているあいだはその葛藤がすっぽり抜けてしまうんです。友達の顔なんて全然思い浮かばない。
ひらりさ それこそ作家の素質だって私は思いますよ。私は周りに自分のことを相談するのが趣味、悩むのが趣味の人生なので……(笑)。人から承認や反応を得たいという欲求が先にあって、血迷ってものを書いているという自己理解なんです。だから常に反応を見越して「書くべき」ことを探している。おこがましいですが、高瀬さんは常に、自分が書きたいものを書いていると感じています。
高瀬 どうなんでしょう。書く「べき」とは思っていないかもしれません。自分が書かなくても世の中には良い本がいっぱいありますし……。それでも、書きたい。書きたいと思って書いていますね。
ひらりさ やはりそうなんですね。ただ私も、「べき」から抜け出したいと思ううちに自分自身が書きたいことも出てきて。結果として『それでも女をやっていく』という変な本ができました(笑)。
高瀬 めっちゃいい本だと思います。ここは自分とは違うけれど、違うのに分かる、と勝手に思いながら読みました。共感とも違うんですよね。この本を読んだ人は皆、ひらりささんの人生を読みながら自分の人生を読み返すんじゃないかなと思います。
ひらりさ ありがとうございます。かなり排他的なタイトルにしてしまったのですが、男性記者さんが熱い感想とともにインタビュー依頼をくださったのは嬉しかったですね。今は、もっと男性が手に取りやすい本にしてもよかったかなと思っています。高瀬さんは、面白いと思う男性読者の方からの感想はありますか?
高瀬 ありました! SNSだと性別がはっきりとはわからないので、アイコンから勝手に想像した範囲での男性の感想ですが、「自分は男として生まれて育ってきたから分からない感覚だけど、勉強になった」というような言葉があって。
ひらりさ 勉強……。
高瀬 その人は本当に私の小説を読むまで、女性の苦しみや割に合わなさを想像せずに生きてこられたのかな、とも思ったのですが……。
ひらりさ どうしてもジェンダー的な枠組みとして、男性として生き続けるというのは、違和感を覚えず、小骨が引っかからずに済み続けてしまう可能性が高いということですよね。小骨に気が付けないままでいるのは不幸だとも思います。
高瀬 そうですよね。自分を変えなくても、太く大きい道を胸を張って進んでいけるというか……。男性でも小骨が引っかかる人は絶対に増えてきていると思うのですが、『それでも男をやっていく』を誰か書けるかな。
ひらりさ 杉田俊介さんの『男がつらい!』などはそれに近いことを書かれていると思って、勝手ながら応援しています。ホモソーシャルについての男性発の議論がやっと出てきたところだと思うのですが、ホモソーシャルが崩壊する小説って、見かけたことがない気がする。
高瀬 ホモソーシャルに苦しめられる女性主人公の話はあるけど、ホモソーシャルがクラッシュするような作品は確かに、ぱっと思い浮かばないですね。
ひらりさ 注意深く文芸誌をウォッチしたいと思います! 話が戻りますが、高瀬さんの小説はちゃんと男性の視点人物もいて、性別問わず読みやすいのではないかと思っていました。
高瀬 『おいしいごはん~』は、「男性を書くのが下手だよね」と友達に言われて、それなら男性主人公にしてやると思って二谷視点で書いたんです(笑)。今後も男性主人公は書きたいですね。あと、先ほど女性を書くと勝手にしんどさがついてくるという話をしましたが、男性を書くと勝手に加害性がついてくるのかなと、今話しながら思いました。『犬のかたち~』の郁也も、『いい子のあくび』の大地もそうですし。男性個人の資質というより、社会の中に置かれた男性に付与される加害性を勝手に書いてしまうのかなと。
ひらりさ 高瀬さんって、「誰がどう見ても有害」ではない、人によっては「男性らしくて素敵」と評価してしまうような加害性を言語化する天才だなって思います。
私、『いい子のあくび』の大地が浮気をしていたのはいいことだと思いました。何も悩んでいないように見えてそうではない、しっかり人間らしさがあるというか……。言葉にするのが難しいのですが、この二人がくっつかなくてよかった、結婚したら地獄に向かってしまっていただろうと思いました。ある意味、高瀬さんの小説は意地悪だけど優しいですよね。
高瀬 なんと、褒められました。
ひらりさ 直子は、途中まで大地のことを舐めていたと思うんです。つまらない男だというメタな認知があるというか、自分は大地という男性のことを把握し切っていると思っていた。彼女はその把握を基準に微調整を繰り返していたけれど、想像もしない事件が起こったことによって、二人の関係性が直子の想像の外に出ていく。その関係性の書き方が、私はすごく面白いなと思いました。
『おいしいごはん~』でも二谷は芦川さんのことを舐めているけれど、最後はその外側に着地しますよね。勝ったり負けたり、男女の関係性の折り合わなさが拮抗しながら終わる感じがとても好きだなと思います。分かっていると思っていた相手が、ちょっと未知の存在になって終わるというか。
高瀬 デビュー当初から言い続けているのですが、私、いつか王道の恋愛小説を書いてみたいんです! ひらりささんの本にも出てきましたが、私もかつては少女漫画を筆頭にロマンティックラブが大好きでした。十六歳で結婚するんだ、恋をすると女は強くなれるんだ、みたいなことを思っていた。今ではもう幻のようですが(笑)。当時の自分の思考回路が全然理解できないくらい、違う人間になったなと思います。中学生の時は分かりやすく走るのが速い野球部の男子が好きだったのですが、高校・大学ぐらいで「こんなんじゃだめだ」とはっとしました。
ひらりさ 何がきっかけで転換したんでしょうか。
高瀬 何だったんだろう。野球部的な集団に、女の顔ランキングを作っていそうなホモソの気配を察知したんでしょうか……。
〈いい子〉の外側へ
ひらりさ 前半の話に戻りますが、高瀬さんはいい子であろうとする登場人物たちをこの先も書いていきたいと思いますか。
高瀬 書こうと思って書くかは分かりませんが、そのタイプの主人公や脇役はこの先も出てくるだろうなと思います。働いていたり、プライベートで友達と会ったりしていても、露骨に「嫌な子」ってあまり見かけない。みんないい大人なので、基本的にいい子の顔をして社会と向き合っています。いい子というか、うまくこなしている人、うまくこなしてしまっている人を書くと思います。
作品ではなく個人の話になってしまうのですが、私、日常ではめちゃくちゃ嘘をついているんです。一ミリもいいとは思っていないのに、毎日「いいですよね」と言ったり。でも小説の創作に関わる場面では、みじんも思ってないことは言わないようにしたいと思っています。作者「いい子やめたい計画」実施中です! 多分、いい子をやめると悪い子ではなく、嫌な子になると思うのですが。
ひらりさ 嫌な子じゃないと面白くないですよね。
高瀬 私も嫌な子のほうが好きなんです。世界に対する暴言を吐くというか、ずばずばずけずけ物を言う人と話すほうが楽しい。社会の規範から外れたことをやったり言ったりする人に惹かれがちです。なので本当は、嫌な子になっても自分のことを好きだと言ってくれる人は残るはずなのに、そんなことはない、自分が嫌な子になったら全員が自分から離れていくと思い込んでしまっていて……。今は嫌な子部分は小説で書いていますね。ひらりささんはどうですか?
ひらりさ どうなんでしょう、難しいな……。おそらく現在の私は世間的ないい子に見えない人間ではあるんですが、逆に「ものを書く女は突飛なほうがいい」というような、何かしらのステレオタイプに合わせて反応している可能性があります。そんな自分を受け入れるところからなのかな。いい子から抜け出すべきとも思わずに好き勝手をやる、いい子であるかどうかももうどうでもいいや、くらいの感じがいいのかもしれませんね。
高瀬 先ほど話した、知り合いに『いい子のあくび』を読まれたくないという話も、実は対談用に用意した言葉ではないかと自分で疑い始めました。だって、結局は読まれたい欲があるから書いているわけです。
ひらりさ お互い、自意識がマトリョーシカみたいになってきましたね(笑)。
高瀬 本当は知り合いにも友達にも読んでほしいけどな、と。ここでも〈いい子〉をやってしまっていたんですね(笑)。
(2023・6・15 神保町にて)
「すばる」2023年9月号転載
プロフィール
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高瀬 隼子 (たかせ・じゅんこ)
1988年愛媛県生まれ。東京都在住。立命館大学文学部卒業。「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞。「水たまりで息をする」が第165回芥川賞候補に。『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞を受賞。著書に『犬のかたちをしているもの』『水たまりで息をする』『おいしいごはんが食べられますように』がある。
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ひらりさ (ひらりさ)
文筆家。1989年東京生れ。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして活動を開始後、インタビューやエッセイ等、幅広く執筆を行う。単著に『沼で溺れてみたけれど』『それでも女をやっていく』、劇団雌猫としての編著書に『だから私はメイクする』など。
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