岩井圭也×木爾チレン×須藤古都離×渡辺 優 新春書き初め&座談会 「世界の中心で、未来を書き初める」
小説すばるの創刊年でもある一九八七年に生まれた作家四人がこの日、書き初めをするために集結した。
『われは熊楠』で直木賞候補となり、現在は本誌にて「風車と巨人」を連載中の岩井圭也。
女子高が舞台のデスゲーム小説『二人一組になってください』が話題沸騰中の木爾チレン。
メフィスト賞受賞デビュー作『ゴリラ裁判の日』でいきなりスマッシュヒットを放った須藤古都離。
本誌の新人賞出身、現在連載中の最新作「女王様の電話番」で新境地を切り開いた渡辺優。
書き初めのお題は二〇二五年の抱負。
同世代ならではの共通体験や「手書き」にまつわる記憶、作家としての未来像など、四人がどっぷりと語り合った。
構成/吉田大助 撮影/江原隆司
――書き初め、いかがでしたか?
一同 楽しかったです!
須藤 大人になっての書き初めって、なかなかない経験じゃないですか。ずっと昔、子どもの頃に学校でやったはずなのに、筆を動かすのってこんなに難しいんだなとか、墨ってこんなに使うんだなとか、いちいち新鮮でした。
木爾 確かに、パソコンで文字を書く時に、インクは使わないですもんね。文字を書くたびに、墨が少しずつ減っていくのは面白かったです。
岩井 記憶の底をくすぐられて、小学生に戻ったみたいな感覚もありました。
渡辺 並んで書くというのも、なんとなく小学校とか学園祭を思い出しますよね。私も、今日は楽しかったんですけど、自分の書いた字を人が見るというのが恥ずかしかったです。自分が描いた絵を見せるくらい恥ずかしい……。
岩井 でも、漢字めっちゃうまかったじゃないですか。一番うまかった。着物姿の須藤さんは、書き初めが一番似合ってました(笑)。
須藤 ありがとうございます。四人の中では一番の新人なのに、恐縮です(笑)。
木爾 筆で書いていると、文字が正しいかどうかわからなくなってきませんでしたか?
渡辺 スマホで漢字を調べて、それを見ながら書いたのに何度も間違えてしまって、書き初めの怖さを知りました。
岩井 いつも見ている字なんですよね。絶対書ける字なのに、書いていると「あれ?」とわからなくなっていく。
木爾 私は、自分の名前すら間違えてしまいました(笑)。
渡辺 間違えたら最初からやり直しだって思うと、それもすごいプレッシャーでしたよね。
岩井 同じ字ばっかり書いているとハイになってくる感じもあって、時間が経つのが早かった。全員書き終わるのに、一時間かかりましたよね。
木爾 でも、あっという間でした。
須藤 紙が大きかったじゃないですか。あのサイズで文字を書くこともなかなかないから、目測が狂う感じがしました。パソコンで文章を書いている時とは、書く姿勢も違いますし、書くことから生じる物理的な刺激も違う。言葉としては同じ「書く」だけど、いつもと全く違うことをしていたんだと思うんですよ。面白かったです!
岩井さん、木爾さんの抱負
――では、みなさんが書かれた来年(二〇二五年)の抱負について、ご説明いただければと思います。
岩井 途中で文言をガラッと変えたりもしたんですが、結局最初の案に落ち着きました。「核を創る」。僕は二〇一八年にデビュー(第九回野性時代フロンティア文学賞受賞作『永遠についての証明』)したので、二〇二五年で作家生活七年目になるんです。二〇二四年に直木賞にノミネートしていただいた『われは熊楠』という評伝小説であったり、ミステリーだったり青春小説とこれまでいろいろなタイプの小説を書いてきたんですが、「岩井圭也の書く小説ってこれだよね」という自分の代名詞になる、核になるような作品を二〇二五年は作りたい。
須藤 核って大事だなと僕も思います。いろいろなジャンルを書いてると、自分がどこにいるかわからなくなります。
岩井 須藤さんも一作目(第六四回メフィスト賞受賞の『ゴリラ裁判の日』)、二作目(『無限の月』)では作品の雰囲気が全く違いますもんね。
須藤 三作目はゾンビ小説になる予定です(笑)。これからも違うものを書いていくつもりなので、どこを目指せばいいかも、自分がどこにいるかもわからなくなってしまいそうで。岩井さんはいろいろなジャンルを書く先輩だと思っていたので、やっぱりな、それだよな、と。
岩井 自分の核は何なのかを、ジャンルで決めるのは違くないかなっていう気はしているんですよ。本格ミステリーを極めるって方ももちろんいらっしゃるし、ホラーを極めるっていう方ももちろんいらっしゃると思うんです。ただ僕の場合は、何か一つのジャンルを選んで、これでずっとやっていくという覚悟を決めることが、核を創ることではないな、と。例えば浅田次郎さんは、時代小説の人とか、現代小説の人とかって言われないですよね。でも、「浅田次郎らしさ」としか言えないものがあり、それがどの作品にも通底している。そういった意味での核を創りたいと思っているんです。
渡辺 完全同意です。
岩井 完全同意が得られた(笑)。
渡辺 私もジャンル問わずに書きたいタイプなんですが、今後もいろいろなジャンルに手を出しつつ、私の本を前に読んでくれた方をがっかりさせないような、新しい作品を作りたいなと思っていました。ずっと新人ヅラしていられると思っていたら、デビュー(第二八回小説すばる新人賞受賞の『ラメルノエリキサ』)してからいよいよ年数が重なってきたので……そこはもっと意識してやっていかなきゃな、と。
――みなさん同い年ですが、デビューした年は、岩井さんは二〇一八年、須藤さんは二〇二三年、渡辺さんは二〇一六年。木爾さんが一番早くて、二〇〇九年に第九回女による女のためのR-18文学賞優秀賞を受賞し、二〇一二年に単行本デビュー(『静電気と、未夜子の無意識。』)しています。木爾さんが書いた来年の抱負は?
木爾 「傑作量産」です。私は売れなかった時代というか下積みがすごく長くて、二〇二一年にやっとヒット作(『みんな蛍を殺したかった』)を出せたんです。そこからたくさん依頼をいただくようになったんですが、今までだったら一年に一作やっていたらよかったけど、それじゃあ死ぬまでに間に合わんぞ、と。
岩井 それ、めっちゃ思いますね。死ぬ時に「あれも書けんかった」「これも書けんかった」となりたくなくて、ゼロにはできないにせよ悔いを一個でも減らしておきたいから、今一生懸命書いている。
木爾 同じ年齢だからみなさんわかると思うんですけど、三七歳って結構、中途半端な年齢ですよね。まだ若いとも言えるし、若くないとも言える。担当さんもみんないい方ばっかりで、相談にもたくさん乗ってくれるんですが、出版社って異動があるじゃないですか。何年も順番をお待たせしていると、作品が一緒に作れなくなる。一作でも早く書くのに越したことはないから、量産しないとって思いが自分の中で最近強まっているんです。でも、量産するだけではダメで。周りからの評価も大事ですけど、自分の中で「これは傑作だ」と思えるものを出していきたいんですよね。
渡辺 完全同意です。
木爾 私も完全同意、いただけた!(笑)
渡辺さん、須藤さんの抱負
――渡辺さんが書き初めに書かれた言葉とは?
渡辺 私は、「無病息災」です。木爾さんの年齢の話が身に染みてたまらなかったんですが、私は最近、眼精疲労がひどいんです。趣味もゲームとか漫画で、仕事でも目を酷使しているので、目の疲れが全く取れなくて。これまで、自分は健康だと思ったことがなかったんですけど、「違う。健康だったんだ」と。健康じゃなければ小説も書けない。
岩井 僕もこの間、心房細動の手術を受けたんです。予防的な手術なので大ごとではないんですが、確かに健康を考える年齢になってきたなと思っていました。整体にも通い始めています。
渡辺 私は、先々月からはりに通い始めました。無病息災って、穏やかに暮らしていたら訪れるもの、自然と得られるものだと思っていたんです。でも、これからは健康をちゃんと意識して、自分からその状態を積極的に取りにいかなきゃいけない。運動して野菜をいっぱい食べるというのが、今の年齢の目標かなと思いました。
須藤 長時間椅子に座っていると、腰の痛みがなかなか引かないですよね。最近、スタンディング・デスクを導入したりして、腰がつらくない体勢を探っています。ただ、僕はデビューしたばっかりなので、死ぬ時の後悔とかはまだ考えていなくて(笑)。今後こういうふうになっていくんだなっていう、背中を見させてもらいました。
――須藤さんは四人の中で一番の後輩ですが、どんな抱負を書かれましたか。
須藤 「鮭」です。一年だけの目標ってあまりイメージができなくて、これからの作家生活を考えて、これにしました。
岩井 まず、みんなで意図を予想しますか(笑)。鮭は故郷の川に帰ってくるものだから、旅をして、その後で人生の原点に、みたいな……。
須藤 その通りです。
木爾 当たっちゃった(笑)。
須藤 作家って自分にしか書けないものを書きたいって、多くの人がそう思っている気がするし、僕もそう思っているんですが、自分と作品との間に繋がりを感じられないんですよ。本を作る、小説を作る、それを誰かが読んでくれる。そのサイクルの中で、自分はどこにいるんだろうってことがわからなくて……。もしかして、誰でも書ける小説になっているんじゃないかなと常に不安なんです。どうやったら自分だけの小説になるのか、自分だけの物語になるのか、と。
岩井 『ゴリラ裁判の日』を書いた人から、まさかそんな言葉が出るとは。あれは、須藤さんしか書けないと思いますよ。
須藤 僕は、どこかから物語を探してくるだけなんです。僕と物語との関係性が希薄というか、距離感が掴めていないというか……。自分が日本人であること、自分がこの時代に生まれてこの社会で生きているということが、作品の中で多層的に描けていたらな、と。鮭が自分のルーツから出発して海を回流して、戻ってきて自分の故郷で産卵する。僕も、まだ海に出たばかりなので時間が相当かかりそうなんですが、いつか自分のルーツにあるものが作品に出るといいなと思っているんです。
木爾 それってすごい才能だなって思います。私は、自分と同じ世界の、自分と似たような話しか書けないんです。
須藤 木爾さんとは人間的な何かが大きく違うと思うんですよ。僕は、僕を出してもつまらないと思うから、自分の外側で物語が発生してほしいんですよね。でも、僕がすごいなと思う小説って、作品の中にその作家を感じるんです。その作家のルーツとか、その国の社会とか、その歴史とかがどっかに匂い立ってくる。カズオ・イシグロだったりとか、クッツェーとかもそうで。死ぬまでに一個でも、そういう作品が作れたらいいですね。あとは、美味しいから(笑)。鮭はみんな好きですよね?
初期衝動とモチベーション
岩井 須藤さんの話を聞いていて、三人に質問してみたいことが出てきました。みなさん、どういうモチベーションで小説を書いていますか? 小説を書き出した初期衝動はどんなものだったのかな、と。そこが、須藤さんが今おっしゃった悩みともリンクしていくんじゃないかなと思うんです。まず僕の話をすると、自分が読みたいものを書くっていうのが、基本スタンスなんです。小学生の頃に、自分が好きだった小説の連載が終わっちゃって読めないから、じゃあ自分で書くしかないと思ったのがきっかけだったんですよね。そこからすぐに書いたわけではなくて、なんやかんやで二五歳まで持ち越しになったんですが(苦笑)。ただ、原体験的にはそれで、自分が面白いと思うものを一番うまく書けるのは自分だから、書いている。
須藤 それで言うと、僕はモチベーションが低いんですよ。アートに関わっている、今世の中にないものを作り出しているという意識はほのかにありつつ、仕事として頑張りたいなと思っている。僕はもともとサラリーマンで営業の仕事をやっていたんですが、それが合わなくて辞めて、代わりに何かでお金を稼がなきゃいけないとなった時に、言葉を使う仕事ならできるんじゃないかなと思って小説を選んだんですよね。物語を書くこと自体には抵抗がなかったんです。二〇歳ぐらいの時にmixiにハマって、日記を書いたりしていた時期に、SNSでちょこちょこっとショートショートを書いてはいたんですよ。もう一回やろうかな、みたいな。頭の中に、ストーリーがあったんですよね。ただ、「めっちゃ面白いから、これを出したらめっちゃ売れるでしょ!」みたいなノリで出したら、全然そこまでのことにはならずで(苦笑)。これでお金を稼がないと奥さんに怒られちゃうんですけど、奥さんが頑張って仕事してくれているので、そこまで頑張らなくても生きていける。そうなってくるとなおさら、小説は自分にとって仕事なのか、アートなのか。
渡辺 私は、翻訳家を目指していたんです。二五歳ぐらいの時に専門学校に行っていたんですが、翻訳の課題を先生に出したら「渡辺さんは英語力はちょっとあれだけど、訳出した日本語はすごい上手ですね」と。それが嬉しくて、じゃあもう翻訳家は諦めて小説家を目指そう、となったのが最初のきっかけでした。もともと妄想癖があるというか、空想が好きだったので。私は三作目でデビューだったんですが、そこで落とされていたら挫けて、諦めていたような気がします。デビューできなくても小説を書こう、という粘りは私の場合にはなかったと思う。そう考えると、いい作品が書けた瞬間の嬉しさは間違いなく自分の中にもあって、仕事としてのモチベーションは大きいですね。
岩井 我々三人に比べると、木爾さんのデビューの早さが際立ってきましたね。
須藤 書き始めてから長いんですか?
木爾 中学生の時から書いています。当時、同人小説のメルマガを配信していて、メルマガをまとめているサイトで一番人気だったんですよ。読者さんからは「神」と呼ばれていました(笑)。
岩井・須藤・渡辺 すごい!!!
木爾 それで私、才能あるのかもって思ったのと、もとから本が好きで、書くことが好きだったので、小説家になる以外は考えられない。大学生の時も就活せずで、明日からどうしようと思っていたら、卒業した次の日に受賞の電話がかかってきたんです。今も、自分の小説が一番面白いと思っているし、小説を書いてないと生きている意味がないと思っている。私にとっては小説を書くことが生きることなので、生きるモチベーションという感じです。
岩井・須藤・渡辺 すごい……。
木爾 でも、三年前まで全然売れなかったんですよ! 頑張りました。もうちょい早く売れたかった(笑)。ただ、売れない時期が長かったおかげで、本を出せるだけでありがたいって気持ちは今後も消えないと思います。それはよかったな、と。
二〇〇〇年に中学一年生
――須藤さんからはmixi、木爾さんからはメルマガのお話が出ました。みなさんが青春時代に使ってきた表現ツールや、カルチャーの共通体験などを伺ってみたいです。
岩井・須藤・渡辺 携帯を持ったのは高校一年生の時でした。
木爾 私は中学生で持ってました。ポケベルは、ぎり使ってなくて。
岩井 先端的な人たちは、大学の終わりぐらいにスマホを使い始めていて。「そんなんでインターネットなんかできないよ」と思ったのを覚えています。
渡辺 インターネットが身近になるのと一緒に、大人になってきた印象があります。
岩井 二〇〇〇年に中学一年生ですもんね。
木爾 パソコンでインターネットをするには電話線が必要だから、家で電話ができなくなる。アナログとデジタルの間を縫って生きてきました。
渡辺 中学生の時は、2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)とかをめちゃめちゃ見ていました。きっと自分しか見てないな、これは、と思いながら(笑)。
岩井 僕も中学の頃、「このスレッドを見ているの、周りで俺だけだろうな」と思いながら見ていました(笑)。「Welcome to Underground」みたいな、中二病丸出しの痛いコピペとかも大好きで。高校の頃、『電車男』(二〇〇四年、2ちゃんねるへの書き込みから派生したラブストーリー)の元のスレッドを探して見に行きました。
木爾 私も見に行きました。本も買った。
渡辺 オタクも今みたいには受け入れられてはいなかったですよね。まだ息を潜めてこそこそやっていた時期だった。それが自分の中で、芯になってるかなって思うんです。内に内にため込む、暗い人間になりました(苦笑)。
岩井 「推し活」なんて言葉もなかったですもんね。
木爾 まだ恥ずかしかったですよね、「推し」がいるのが。でも、その頃からオタクをやってきたからこその、サブカル魂はありますよね。
岩井 大学生の頃が、ヴィレヴァン(ヴィレッジヴァンガード)が一番盛り上がっていた時期かもしれない。ヘンな写真集を買ってみたりとか。
木爾 めちゃくちゃ行ってました。おしゃれな本を買うのが嬉しい、みたいな。
渡辺 音楽は、サブスクとかなかったので、同じCDをずっと聴いていました。
須藤 そうですよね! 今みたいに簡単にいろいろな曲が聴けなかったから、お店でCDのジャケットとにらめっこしながら選んで買って、同じCDを何回も何回も聴いて。
岩井 TSUTAYAに行って、CDをレンタルしまくってましたね。今はもうお店でレンタルすることもあまりないですもんね……。
木爾 最近思ったんですけど、アルバムをフルで聴くっていうことが、サブスク時代の人ってなくなってくるんじゃないかなって。私たちの時代って、CDを買うか借りなきゃいけないから、アルバムをフルで聴くじゃないですか。
須藤 聴かないと、もったいない(笑)。
木爾 今より集中して音楽を聴いていましたよね。でも、今は一曲だけ、好きな曲だけを聴けちゃう。これってアルバムを作るアーティストさんの側にとっても、大きな変化だと思うんです。
渡辺 アルバムの中の、隠れた名曲ってありましたよね。そこになかなか辿り着けなくなっているのかもしれない。
岩井 隠しトラック、みたいな演出もありましたよね。曲は全部終わったはずなんだけど、CDがまだ止まらないぞと。しばらく待っていると、ブックレットに載っていない曲がおもむろに再生されるんですよね。
木爾 あった! めっちゃ思い出した。
岩井 でも、CDをパソコンに取り込んじゃうと、最後の曲だけ再生時間が異様に長いのが一瞬でわかって、すぐバレる(笑)。
木爾 それもめっちゃ覚えています(笑)。今はもう、ない文化ですよね。
須藤 逆に今、アナログのレコードが売れていたり、テープが売れ始めたりしているじゃないですか。文化は行ったり来たりするものなのかなあって思いますね。
「みんなが読んでいる」本があった
――同時代の小説は、どのあたりを通ってきましたか?
岩井 僕らが大学生の時に、伊坂幸太郎さんがぐわっときて、森見登美彦さんも『夜は短し歩けよ乙女』(二〇〇六年)を出したぐらいの時期で。
木爾 あと、「セカチュー」世代ですよね。『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一、二〇〇一年刊行、二〇〇四年に映画化&ドラマ化)。
渡辺 一〇代の頃は、「ハリー・ポッター」シリーズもまだ新刊が出ていました。携帯小説も流行っていました。
木爾 『恋空』とか、『Deep Love』とか。実際に読んではいないとしても、内容はみんなうっすら知っていた。
渡辺 中学生の時は、『バトル・ロワイアル』(高見広春、一九九九年)も好きでした。映画(二〇〇〇年公開)が学校ですごく話題になりました。
岩井 当時ネットで、オリジナルの『バトル・ロワイアル』がいっぱい書かれてましたよね。写真まで使っているような、手の込んだやつもあったりして。
木爾 私がこの間出した本(『二人一組になってください』)は、「バトロワ」のオマージュ的作品でもあります。デスゲームが好きすぎて、一回書いてみたかったんです。
岩井 「出席番号何番、誰々」って、書いてみたいですよね(笑)。
渡辺 読者として好きだったものを書いてみたい、という思いは私も強いです。『私雨邸の殺人に関する各人の視点』(二〇二三年)は、クローズドサークルで人がどんどん殺されていくというシチュエーションを、自分でもやってみたくて書いたんです。「ハリー・ポッター」みたいなファンタジーもいつか書きたいです。
木爾 「みんなが読んでいる」とか、「みんなが知っている」本が、私たちの世代の中にはあったと思います。今もあるのかもしれないけど、昔ほどではないかもしれない。
須藤 僕は、小説を全く読んでこなかったんです(苦笑)。小学校の時にミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を読んで、これはすごいなと思ったりはしたんですけど、読むのは主にノンフィクションばっかりでした。中学校の頃から音楽を熱心に聴くようになったんですが、それも古いロックとかが多くて。今よりもっとあまのじゃくな人間だったので、みんなが好きなら俺はいいや、となりがちだったんですよね。誰も知らないようなものを自分で探して、「自分だけが知っている」と思うと、心が動く、みたいな。よく覚えているのは、高校の時に図書館で(ハワード・フィリップス・)ラヴクラフトの「クトゥルフ神話」を見つけて、「これは俺しか知らない!」と思って読んだんですけど……。
岩井 ヴィレヴァンにめっちゃ並んでましたよ!(笑)
須藤 後で「あれ? みんな好きなんだ」と気づいた瞬間、ラヴクラフトはちょっと違うな、となって読むのをやめちゃいました。
木爾 こじらせてる(笑)。
岩井 ここにもいましたよ、中二病が(笑)。でも、今のお話を聞いて、須藤さんの小説のことを思い出しました。須藤さんの作風がああなるのは必然だった気がする。
須藤 社会との関係性が遠いというか、遠ざかりたがっている。今も、ニュースとか全然見ないんですよ。ノイズになりそうなものを、自分の中にできるだけ入れたくないんです。もっと社会と結びついたほうがいいんじゃないか、自分と社会が結びついた時にどういう物語が生まれるのか。でも、ここからどうやって出ればいいのかと暗中模索状態です(苦笑)。
渡辺 社会との結びつきがなくなっていく感覚は、私も年々強くなっています。家で小説を書いているだけだと、あまりにも社会との関わりがないので、アルバイトを始めようかなと思ったり。「おはようございます」とか「お疲れさまでした」とか、社会的なあいさつがしたい(笑)。
木爾 確かに。だって、家でずっと書いているから……。
岩井 オフィスが欲しいなとは思ったりしますね。出勤してリズムを作りたいな、とか。単なる仕事部屋ではなくて、シェアオフィスとかどうなのかなぁと。
渡辺 作家ばっかり集まるシェアオフィスがいいです。雑談とか、めっちゃしたい。
岩井 そこで編集者と打ち合わせもできたりして。僕が終わったら、じゃあ次は須藤さんで、とか。
須藤 いいですね。
木爾 新宿あたりに誰か、作ってください!
――ちなみに、漫画でハマった作品は?
須藤 僕は、一番ハマったのは『SLAM DUNK』ですね。
岩井 僕は、『すごいよ!!マサルさん』(『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』)かなぁ。
木爾 私は、『ジャガーさん』(『ピューと吹く!ジャガー』)。
岩井 ジャガー派ですか。うすた京介さんは最高です。
木爾 女の子がみんな読んでいたのは、『花より男子』とか。私は『カードキャプターさくら』が好きでした。好きな漫画の最新刊の発売日が待ち遠しくて、本屋さんに行くのが楽しかった。今は電子で、ポチッと買えて読めちゃいますけど。紙の本の良さを実感できる世代だったなぁと思うんです。
渡辺 一冊買ったら、何回も何回も読み直しましたよね。私は『HUNTER×HUNTER』が大好きなんですが、いまだに『HUNTER×HUNTER』だけは紙で買っています。
手書きの良さは……
――執筆の際はみなさんパソコンを使われていると思うのですが、メモなどで手書きをする時もありますか?
木爾 話を考える時は絶対、手書きですね。
須藤 僕もプロットとかは、キャンパスノートに手書きです。パソコンでやったこともあるんですが、なんか違うなぁと。キャラクターから書いたり、核となるテーマから書いたりと毎回出発点は違うんですが、とにかく一番最初に出てきたものを一行目に書いて、次に出てきたものを次に書いて、また次を書いて……と、雑多に書いていく。そのほうが、頭の中にあるものがスムーズに出てくるんです。
木爾 私も、雑多に書いてます。だから、他の人は読めないんですよ。私もたまに読めないけど(笑)。頭の中にあるものをとりあえずアウトプットして、頭を整理するために書いていくイメージです。
渡辺 私も、一番最初のプロットはノートに手書きです。強調線を引いたり、矢印を引いたり。パソコンでは、ラフに引けないですよね。
木爾 矢印、便利ですよね。パソコンよりも、手書きのほうが自由度が高い。
岩井 僕はメモも完全にデジタルです。パソコンじゃないとできないんですよ。編集者と連載の打ち合わせをしていて、「この問題はどうクリアします?」となっても、解決策は絶対にその場で思い付かないんです。持って帰りますねとなって、家に帰ってパソコンを開いてワードを立ち上げて、そこで考え始めるとようやく出てくる。パソコンがないとプロットも書けないですし、小説の作業が一切できないんです。
木爾 北方謙三さんと逆ですね。ペンを持たないと書けない、とおっしゃっていました。
岩井 “デジタル北方謙三”です(笑)。
木爾 宮沢賢治とか文学者の博物館に行くと、メモやノートが展示されていてかっこいいじゃないですか。あれに憧れがあるんですよ。自分が死んだ時に、メモが残っていたほうがかっこいい(笑)。
岩井 確かに! 将来、郷土に岩井圭也文学館が設立されたとしても、飾るものがなくて困るな……。
渡辺 ノートパソコンとか?
岩井 それ、見たい?(笑)
須藤 でも、昔の作家が使っていたタイプライターとか残っているじゃないですか。その作家もたぶん「みんな同じもんを使ってるよ」とか思っていたはずなので、きっと残るんだと思いますよ。「あの時代はこれで書いていたんだ」と驚かれる。
岩井 みなさん、ネタ帳とかメモも紙ですか?
木爾 私は、全部iPhoneです。アイデアっぽいものが降ってきた時に、一番早くメモできるので。
岩井 嬉しい(笑)。僕も完全にデジタルなので。
渡辺 私は、紙とデジタルの両方ですね。
須藤 僕もです。このテーマいいなとか、この名前いいな、というキーワード的なメモを携帯に書き留めています。
渡辺 私は本当にとっ散らかっているので、あの時メモしたやつはどのファイルに入っているんだっけとか、紙で書いたのかスマホに入れたのか自分で忘れちゃって、「もう二度と辿り着けないんだろうな……」と。領収書とかレシートの裏に書いちゃったりすると、見つからないんです。
須藤 ありますねぇ。家の意外なところから、だいぶ経って出てきたりして。
渡辺 もっとちゃんとしなきゃなと思っています。
須藤 でも、レシートのメモからいい作品が生まれたら、文学館にレシートを飾れますよ?
渡辺 それ、かっこいいですね(笑)。
――執筆以外で、手書きされる機会ってありますか?
岩井・須藤・渡辺 執筆以外……。
木爾 サイン本かサイン色紙か、手紙か、ですかね。
岩井 手紙って書きます?
木爾 めっちゃ書きます。
岩井 素晴らしい。僕は正直、全然書かないんですよ。
木爾 私は、夫に書きますね。誕生日とか記念日とかに、ちゃんと便箋と封筒を買って、手書きで。向こうにも「絶対ちょうだい。便箋もちゃんと選んでね」と言っています。あと、交換日記もたまにします。この人はこんなこと考えているんだ、というのがわかってすごく楽しいです。
渡辺 手紙も交換日記も、手書きですか?
木爾 手書きですね。手書きってちょっと面倒くさいぶん、一生懸命書くじゃないですか。
須藤 僕は最近、語学の勉強を始めて、手書きする機会が一気に増えました。妻が中国人で、ずっと中国語を勉強しようと思っていたんですよ。子どもが二歳になって、そろそろ中国語を勉強させなきゃなって時期になり、まずは僕がやらなきゃダメだなと。毎日、子どもが寝た後にノートに手書きで、かりかりやっています。そういえば昔は勉強する時、いつも書いてたなと思って。
岩井 確かに。
須藤 書き始めたら、これ楽しいぞ、と。勉強を習慣にするのって難しいじゃないですか。「勉強」じゃなくて「書くこと」をするんだ、と思ったほうが継続しやすいんじゃないかなという意識でやってみたら、一ヶ月間は一応続いています(笑)。
渡辺 私は、年賀状くらいです。市販の年賀状を選ぶ時も、手書きのスペースが狭い、絵が大きめのを選んじゃいます。去年、友達の結婚式で手紙を書いたんですけど、それも全部いったんスマホで文面を打ってから、それを手で写すやり方だったので。ゼロから手書きするのって、仕事のメモぐらいです。
岩井 僕は年賀状も出さないので、プライベートで手書きする機会は本当にゼロかもしれません(苦笑)。この間、石川県内の「うつのみや」という書店チェーンさんに、「うつのみや大賞」という賞をいただいたお礼の手紙を書いたんですが、それも仕事の延長と言えば延長ではあるし……。
木爾 その手紙、文学館に飾れますね(笑)。
岩井 ホントだ(笑)。僕の手紙、お店に飾ってくださっているらしいんですよ。メールだったら、飾れないですもんね。
まさかの仲違い、勃発!?
――冒頭で来年の抱負を伺いましたが、最後に、作家人生全体に関する抱負を伺えたらと思います。
岩井 もっと手書きするようにします(笑)。それはそれとして、僕は死ぬ直前まで小説を書いていたいんです。「核を創る」という抱負を立てたのも、その目標のために、ずっと書き続けるために必要なことだと思ったからで。平たく言うと、ジャンルではなく、名前で買ってもらえる作家になりたい。宮部みゆきさんの本はミステリーだから買われているわけじゃなくて、「宮部みゆきの作品」だから買われてるわけで、そういう作家に僕もなりたいんです。
渡辺 私も、「渡辺優の本だから買った」と言っていただけるのが理想です。私は、小説家になる前から、ジャンルにこだわらず何でも読むのが好きだったので、書き手としても何でも書いていきたいんです。でも、読者さんをがっかりさせないようにしたい。
木爾 私は今まで、少女の痛みをテーマにずっとやってきて、これからもそれは書き続けると思うんです。いろんなジャンルでいろんな視点から、このテーマを書けたらいいなと思っているし、別のテーマにも挑戦したりしながら、一作ごとに過去の自分を超えていきたい。読者さんの期待を裏切らず、上回るような作品を書き続けられたらなと思っています。
須藤 僕は、最終的には故郷に帰ってくることを目標にしたいんですけど、今はまだ帰ってくることは考えずに、突き進んでいけばいいのかなと。デビュー作が「ゴリラと人間」の組み合わせだったので、次は「魚と人間」の話を書こうかなと思っています。ジャングルみたいな、人の手が付いていないというか、まだ誰も入ろうとしないところに入っていきたい。未開の地を目指す探検家でありたいなと思っています。
木爾 私は、筆が遅いのが悩みなんです。一作書くと燃え尽きちゃうタイプなので、できるだけ燃え尽きる期間を短くして、たくさん書けるようになれたらなと思っています。
渡辺 岩井さんは、すごい量を書かれていますよね。
木爾 そう! SNSを見ると、いつも違う新刊のお知らせが出てきます。
岩井 いや、違うんですよ。いろいろな事情で、二〇二四年は後半に刊行が重なっちゃったんです。前半だけ見ると、そんなでもなかったりするんですよ。
――二〇二四年は、トータルで何冊出されたんですか?
岩井 トータルで言うと、単行本四冊と、文庫本五冊。
須藤 えっ!?
木爾 文庫も、書き下ろしのものが多いですよね?
岩井 文庫オリジナルが三冊です。たまたま、いろいろ重なっちゃったんです。
木爾・須藤・渡辺 …………。
岩井 なんですか。今日めっちゃ仲良くなったと思ったのに、なんでみなさん引いてるんですか!
一同 (笑)
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