『森羅記 二 揺籃の塵』刊行記念対談 北方謙三×美村里江(俳優)「海が紡ぐ物語」
待望の第二巻が刊行となった北方謙三さんの『森羅記』。
今回のゲストは、『チンギス紀』の文庫解説でも北方作品について熱く語ってくださった俳優・美村里江さん。
美村さんが読み解く『森羅記』の魅力とは――?
惹かれるキャラクター、好きな表現、演じてみたい場面、そして、共通の趣味である海釣りの話題まで。
縦横無尽に広がるおふたりのトークをご堪能あれ。
構成/砂田明子 撮影/藤澤由加 ヘアメイク/白川いくみ (美村担当) スタイリスト/渡辺実希 (美村担当)
美村:ワンピース ¥77,000(税込) /ADORE (ADORE 六本木ヒルズ店 TEL 03-3475-5915)
リング(ダイヤ) ¥77,000 (税込)、リング (黒蝶真珠) ¥107,800 (税込)、イヤリング ¥82,500(税込)、イヤリングに通したピアス ¥57,200 (税込) /shinkai (shinkai flagship shop KURAMAE TEL 03-5829-8206)

こんな付箋を見たのは初めてです
美村 役者の仕事はほとんど緊張しないのですが、今日は緊張しています。昨日からそわそわしていました。まず私から、感想をお伝えしてよろしいでしょうか。
北方 お願いします。
美村 『森羅記』第二巻、すごく楽しく拝読しました。先生があるインタビューでおっしゃっていましたが、『森羅記』は群像劇であると。その言葉のとおり、登場人物一人ひとりに大きな存在感があって、一冊とは思えないボリューム感、満足感でした。
もう一つ嬉しかったのが、「海」が主人公として出てくることです。私は海なし県の埼玉育ちなので、海への憧れが強いんです。海釣りも大好きで、船乗りに憧れてもいます。『森羅記』を読みながら、海に癒やされたり、美味しそうな海の幸を食べたくなったり、海をいかに制するかを考えるのが楽しくて。だから、先生が最後の長編とおっしゃるこのシリーズは、集大成にして最大濃度。すごい! と思って読んでいたら、付箋がこうなってしまいました。
北方 ありがとうございます。いろんなかたと対談をしてきましたけど、目の前でこんなに多くの付箋を見たのは初めてです(笑)。
美村 ちょっと恥ずかしいので減らそうと思ったのですが、なかなか減らせなくて。付箋は色分けしてあるんです。文章として素敵だなと思った箇所に「緑」、帝王学などの知らなかった知識や感銘を受けた哲学的な言葉には「青」、役者として演じてみたい場面や表現に「オレンジ」、そして美味しそうなものに「黄色」です。緑の付箋が切れて、途中で紫に変わったりもしていますが。

北方 この付箋は大変なものです。美村さん、評論家になれますよ。それから感想を伺って、おのずと作品の本質を摑んでおられると思いました。
美村 本当ですか?
北方 この先、私は元寇を書きます。元寇は、ほとんど陸上で戦っていません。海の上で敵を迎え撃ち、撃退する。だからこれは海が主役の物語なんですね。
美村 合ってた。嬉しいです!
北方 それから元寇は大陸からやってくるわけですが、大陸にはたくさんの民族がいます。対する日本はそうではないんだけど、この時代、陸奥の山奥とか九州の端っこで生きている人間は、「日本人」という意識を持っていません。戦うために日本を一つにすることが、北条時宗の課題になるんです。二巻では時宗はまだ子どもで、父の時頼が中心ですが。
美村 なるほど。それで日本という言葉や、日本人を意識させるシーンが何度も出てくるんですね。
北方 しつこく書いています。
美村 『チンギス紀 八 杳冥』の文庫解説にも書かせていただきましたが、私は先生をサービス精神の塊だと思っています。読者にとっての読みやすさをとことん考え抜かれていて。読者が物語の旨みの根本を味わえるように、いいところでガイドを入れてくださるし、息継ぎのしやすい文章はさくさく読めて、長編であることを感じさせません。とくに印象的なのは、戦闘シーンこそ、文章が短くなることです。
北方 努力しましたよ。最初は長い文章を書いていたんです。だけれども、「風が変った」の一言で、読者はその場を想像できるんじゃないかと。
美村 はい。情報量が多いと、戦というものに疎い私のような読者には、かえってわかりにくくなるように思います。紙芝居のように潔く場面転換していく先生の戦闘シーンには、ちゃんとついていけるし、何よりカッコいいんです。
北方 何十年も戦の場面を書いてきたから、習熟したのかもしれない。
美村 ほんとうに、先生はずっと大長編を書いてこられて尊敬します。
北方 書くというのは不思議なことです。友人の作家・船戸与一は、『満州国演義』の一巻を書いたところでがんになったんです。あと一年と余命宣告を受けて、抗がん剤をやりながら書き続けるんだけど、二巻を書き、三巻を書いてもまだ死なない。ほとんど緩みなく最後の九巻まで書き上げたところで、炎がすうっと小さくなるように亡くなりました。その姿を見て、小説の神様はいるんだな、と思いました。俺にもいるのかな。そうしたら、『森羅記』を書き終わるまで死なないで済むなと思っています。

勝敗にもいろんな色がある
美村 長編を書いていると、こうする予定じゃなかったという展開になったり、内容的な矛盾を回避するために仕方なく出した人物が、妙に人気が出るといった不思議な流れに乗ることがあると、以前、ある小説家のかたにお聞きしました。北方先生にもそういうことはありますか。
北方 私の場合は全部そうです。たとえば『水滸伝』のはじまりで、群衆をどう表現するかを考えたんです。たくさんの人を描写するのではなく、〈頭ひとつ、出ていた〉と書きました。そこから乗っちゃって、十九巻、最後まで変なところに行きっぱなし。でも、そのほうがいいような気がします。
美村 最近一緒に仕事をした映画のプロデューサーに、「今度、北方先生と対談するんです!」と自慢したんですよ。そうしたら「いいですね。僕は北方先生の本の頭の一文と、終わりの一文を、毎回メモしています」と言っていました。
北方 そういうことをしてくれる人がいるんですね。
美村 あらためて冒頭と最後の一文を読み返すといい文章ばかりですが、〈頭ひとつ、出ていた〉は私も印象に残っています。それ以来、背の高い人を見ると注目する癖がついてしまいまして(笑)。
物語の登場人物でいうと、私は右腕キャラや参謀役に憧れるんです。子どもの頃、「キユーピー3分クッキング」のアシスタントをじっと見ていたんですよ。この人は料理家の先生をサポートしながら、カメラマンやスタッフと目を合わせて時間通りに進行している。現場で何もかもわかっているのはこの人だ。こんな大人になりたい、と思っていたので、どの物語を読んでもリーダーの隣にいるような人に惹かれるんですが、先生の物語は、どんな人にも人間的な弱さや、ぽろっと零れ落ちるほころびがありますよね。二巻ではクビライや時頼の寂しさも描かれていて、だからみんなに興味が湧いてしまうんです。
北方 意図して書いているわけじゃないですよ。作者の私が生殺与奪の権利を持っていると思われがちですが、持ってないんです。小説を書くってつまり人を書くわけだから、書いている間にそいつが立ち上がってきて、自分の性格なり感覚なりを身につけていきます。そうすると、作者にはどうしようもなくなっちゃうんですよ。
美村 人間は調子がいいときよりも、どん底のときに真価がわかるとよくいわれますけど、その通りだなと先生の本を読むと思います。『チンギス紀』でも、負けた男たちのその後が味わい深くて。
北方 私は負けてばかりの人生でしたからね。勝って輝くということは全然考えないんです。ただ、敗者といっても、『チンギス紀』では、戦いに負けた後、南方に逃れて、惚れた女と一緒に大商人になる男を書きました。そうすると、そいつは勝者かもしれない。勝敗にもいろんな色があるんだろうと思いますね。
美村 そうですね。人生において勝ち続けるなんてないから、多くの負けと、ちょっとの良きことというか、勝ちと考えてもいいのかな、という解釈的な勝ちが重なりあうのが人生なのだと、小説に教えられています。

役者は誰かの願いをかなえる仕事
――美村さんはさきほど、役者として演じてみたい場面に付箋を貼ったとおっしゃいました。たとえばどこでしょうか?
美村 特に試してみたいのは一巻の、安達景盛が目を開いたまま泣く場面です。
北方 人間って、目を開いたまま泣けますか?
美村 泣けると思います。が、相当こみ上げるものがないと生理的に無理だと思うので、その激って止まらない心情も含めて演じてみたいなと。
北方 ある女優さんが、カメラを向けられた片方の目だけから涙を出せると言っていました。そんなことができるのかと驚きましたね。
美村 できる人はいるでしょうね。私はそこまで器用ではないですが、身体のコンディションと役につながる記憶や感情のかけあわせで、涙を出すタイミングや量をコントロールできる日はあるんです。蛇口を自由に開閉するような感じですね。身体的には塩分濃度が高く、かつ血流が良くないと出しにくいので、毎回うまくいくとは限らないんですが、泣く芝居の前は体を温めて、水分量もピークにもっていくようにしています。
北方 役者さんってすごいなあ。
美村 監督のご要望にはできるかぎり応えたいんです。昔、カトリーヌ・ドヌーヴがインタビューで言っていました。役者というのは自己表現と思われているけど違うのよと。役者の仕事は誰かの――監督や、作家や、見ている人たちの願いをかなえる仕事なんだと。素敵な言葉だな、ずっと覚えておこうと思いました。
北方 言葉といえば、美村さんは文章も書かれるし、短歌も詠まれるんですね。言葉に対して、すごく鋭敏なものと繊細なものを持っておられると思いました。歌集『たん・たんか・たん』の中から、いくつかメモをとったんです。
美村 ありがとうございます。お忙しい中、読んでいただいて嬉しいです。
北方 メモをした一つがこれです。
独りきり月夜の晩を好み砥ぐ夜伽のごとき包丁砥ぎ
夜伽と包丁砥ぎをかけているんですか。
美村 ちょっとだけ。月夜に刃物を持っていると、若干、セクシーな気持ちになるんです。刃物を研ぐのが好きなんていうと、危うい女に思われるかもしれませんが、道具の手入れが好きなんですよ。
北方 私も研ぎ魔だから、その気持ちはよくわかります。
美村 よかったです。本来の能力を引き出された刃物の働きぶりって、いじましいですよね。あるとき満月の夜に包丁を研いでいたら気持ちが盛り上がってきて、よし、月が出ている夜に研ぐことにしようと思って作った歌です。
北方 文章以上に、短歌にはその人の言葉の感覚が表れますね。
美村 ばれちゃうので怖いです。もともと私は、作文は学校で褒めてもらうことが多かったのですが、短歌は全然ダメだったんです。でも出版社に声をかけていただいたので、下手なんだからこういうときは千本ノックだと思って数を作っていたら、楽しくなっていったんですね。同時に、数をこなした後にしか出てこないどうしようもない自分、へとへとになってスカスカになった自分こそが、私の本性だということがわかってきました。65点の歌を作るのが自分のスタイルだなと、ようやく思えるようになって。
北方 いいんじゃないでしょうか。傑作は、書こうと思って書けるものじゃないんです。小説も同じです。65点を書き続けていると、あるときぽつんと120点が出たりするんですよ。
美村 そうですね。自分の中では65点でも、人によってすごく好きと言ってもらえることがあるのも創作の面白さだと思いますし、ありがたいです。ただ自分ができるのは65点を継続していくことだなとも思っています。

美村さんが惚れるような船頭を
美村 先生の作品の表現で好きなのは、なんともいえないような感覚がシンプルに表されているところです。二巻には、タケルについて〈なぜか、そういう思いが全身を包んできた〉という文章が出てきますが、こうした「なぜかそう思う」「理由はないが、今はそう感じる」といった表現が、『森羅記』でも他の作品でもよく出てきますよね。人間、理性的でありたいとは思うんだけど、判然としないまま何かをして、あとになって理屈がついてくるとか、行動したあとに腑に落ちるとか……人生ってそういうときのほうが多いなあと私は思うんです。
北方 そうですよ。今日、こうやってお話ししていますが、書くことだってすべてを論理的に説明できません。男と女も同じですよ。好きになってから、なぜ好きになったのかと考えるんです。
美村 今回、ポップな三角関係が出てきますね。満子とタケルと繁安の。
北方 男がバカなんですよ、二人とも。
美村 そして満子さんがまたかわいいんですよ。〈口に掌を当てて、満子が笑い声をあげた〉に、演じたい「オレンジ」の付箋を貼りました。この一文だけで、彼女のかわいさが伝わります。
北方 でも、だんだんかわいくなくなっていきます。
美村 (笑)。先生の書く女性はだんだん強く、男性とはまた違った面で鍛え上げられていきますものね。それにしても二巻に入り、モンゴルでも鎌倉でも動きが活発化して、本格的な戦闘も始まりますよね。シリアスなシーンとのバランスという意味でも三人の群像劇は楽しくて、この先の恋模様も楽しみです。
北方 男同士の友情っていつまでも引きずるんですよ。お互いの情けなさがよくわかるしね。でも彼らは卑怯なことはしなかった。
美村 そうですね。私はとくに、安東繁安が好きですね。天然で行動的な人だけど繊細さも持ちあわせていて、宗教的だったり哲学的なことを図らずも言いますよね。仇を討たれても仕方ないと思うのは〈命の借りを作った〉からとか、〈命は不条理なもの〉とか。魅力的です。
あと、気になるのはやっぱり水夫ですね。私、大好きな児童文学がありまして、『黒ねこサンゴロウ』という、黒猫の船乗りの物語なんですが。自分が大切に手入れしている船で荷物を運んだり、盗賊と戦ったり、時には危ない仕事もしたりという、子ども向けにしてはけっこうハードボイルドなお話で、海に生きるサンゴロウは陸に上がって二日もすると干上がったような気分になり、海に戻りたくなるんです。『森羅記』にも、これと近い心情が書かれていると思いました。『チンギス紀』には「人馬一体」のカッコよさが詰まっていましたよね。新しいシリーズでは、船の乗りこなしとか、波の読み方とか……水夫たちの活躍に、海を愛する人間としては期待しています。
北方 そうだ。美村さんは釣りもされるんでしたね。
美村 はい。夫がやっていたので一緒に渓流釣りから始めて、海釣りもやるようになりました。実はいま、釣ったクエを家で飼っているんです。
北方 クエを釣ったんですか! 俺、釣ったことないです。
美村 クエは本当に知能が高くて、すぐに私と夫の見分けがつくようになりました。餌をあげるハンドサインも覚えていますし、私の執筆中ずっと見ていてくれて、休憩時間に手を上げて合図を送るとご機嫌になったりします。私にとっては大型犬のゴールデンレトリバーみたいで、かわいいんですよ(笑)。
北方 すごいな。私は船もやるんで船釣りです。これ、何だかわかります?(スマホの写真を見せる) 最近釣ったアカムツです。
美村 すごい! 船、いいなあ。うちは陸っぱりなので、根魚狙いなんです。
北方 よし、美村さんのために船頭を書きましょう。美村さんが惚れるような船頭を。今はまだ、おじいちゃんくらいしか出てきていませんからね。梶原水軍の育成をしている老人なんだけど、うらやましいやつです。
美村 孫みたいな年齢の女性と暮らしている里見資慶ですよね。
北方 そう。だけどそろそろ死ななきゃいけない歳なので、どういう死に方をさせようか考えているところです。
美村 自分の死期について考えている人もけっこう出てきますね。
北方 私の歳になるとそういうことを書きたくなるんですよ。
美村 そういうものなんですね。それから、二巻には船を操る人だけでなく、船をつくる技術者たちも個性豊かな面々が登場しますよね。最近、ドクターヘリの整備士不足によって運航休止が続いているという記事を読みました。AIが世の中を席巻するようになったけど、手を動かす技術者がいなくなると文明は倒れてしまうかもしれないと思って。そういう意味でも技術者の重要性が描かれる先生の歴史小説は今につながっているんですよね。自分たちの「土地」を守るために命を懸けるという戦争の本質だって、鎌倉時代も現在も変わっていないとわかります。
北方 日本は元寇の際に、土地を守るために海上で戦ったわけですが、海の上がどれほどつらかったかは、今まであまり書かれてこなかったんです。これから一番苦しい立場になるのが佐志将監です。ネタバレになるからこれ以上は言えませんが期待していてください。
美村 はい! あと、リーダーたちの話でいうと、時宗の成長が待ち遠しいのと、クビライは、二巻のラストでショックな知らせを受けたので心配です。優秀な部下たち、支えてあげてくれよと願っています。そして、惚れるような船頭を楽しみにしています!
プロフィール
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北方 謙三 (きたかた・けんぞう)
1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部卒業。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。83年『眠りなき夜』で第4回吉川英治文学新人賞、85年『渇きの街』で第38回日本推理作家協会賞長編部門、91年『破軍の星』で第4回柴田錬三郎賞を受賞。2004年『楊家将』で第38回吉川英治文学賞、05年『水滸伝』(全19巻)で第9回司馬遼太郎賞、07年『独り群せず』で第1回舟橋聖一文学賞、10年に第13回日本ミステリー文学大賞、11年『楊令伝』(全15巻)で第65回毎日出版文化賞特別賞を受賞。13年に紫綬褒章を受章。16年第64回菊池寛賞を受賞。20年旭日小綬章を受章。24年毎日芸術賞を受賞。18年5月に新シリーズ『チンギス紀』を刊行開始し、23年7月に完結(全17巻)。『三国志』(全13巻)、『史記 武帝紀』(全7巻)ほか、著書多数。[写真/長濱 治]
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