
作家・寺地はるなさんによるエッセイ連載。食べて眠って働いて……日々をやりくりしている全ての人に贈る、毎日がちょっと愉しく、ちょっと愛おしくなる生活エッセイです。
第13回:目標は小さいほうがいい
2025年03月07日
このエッセイが公開されるのが何月何日になっているのかわからないが、書いている今日は一月二十日だ。おとそ気分もすっかり抜け、そろそろ周囲の人も確定申告がどうとか言い出して私をむだに焦らせる頃合いである。
「お正月はどう過ごしていましたか」といろんな人に訊かれたのだが、とくにいつもと変わらず過ごしていた。つまり、毎日せっせと原稿を書いていた。
昔父が「元旦にあくせく働いていると、一年中あくせく働くことになるぞ」と言っていたのだが、一年中原稿を書いて過ごせるならこんなに幸せなことはないんじゃないかと思う。
父はこのほかにも「元旦に○○すると(あるいはしないと)〇〇になる」というような、謎のオリジナル元旦ルールをたくさん持っていた。代表例として「おせちを食べる前に新年の抱負を言わなければ、つまらない一年になる」がある。
「一年の計は元旦にあり」ということわざもあるので、父の完全オリジナルとは言えないかもしれないが、この「おせちを食べる前に」という付加要素が厄介だった。なんせ、言わないと食べられない。
このルールは、目の前にあるものに気をとられて思考がとっ散らかりがちな子どもであった私にとっては、かなりきびしいものがあった。元旦の食卓には気が散るものがたくさんある。一年に一度しか目にする機会のない、おとぞ用の器。箸もいわゆる「祝い箸」で、いつもと違う。あるいはテレビの上に置かれた干支の置物、真新しいカレンダー、テレビ画面にうつる海老一染之助・染太郎。そうしたものが次々と視界に入り、私の思考は「えーっと、新年の抱負……そうだなあ、学校を休まない、いや、ピアノの練習を……あ、重箱の蓋の模様がきれいだな……カレンダーの写真の犬かわいい……」という具合に千々に乱れる。
頭の中は騒がしいのだが、傍目にはただ虚空を見つめてぼんやりしているように見えていたようだった。のちに母から「あんたはときどき『無』になるね」と言われて、そのことを知った。
抱負を言う順番は「最年少の者から」と決まっていた。つまり末っ子である私が言わなければ食事がはじまらないわけだが、いつまでたっても虚空を見つめているだけなので次第に家族もイライラしはじめる。新春イライラ初めである。
ようやく私がなにか言った頃には全員新年の抱負なんぞどうでもよくなっており、勝手に食べはじめるやら酒を飲むやら、黒豆がうまいだの昆布巻きがかたいだのという話になってすべてうやむやになる。
この新春イライラ初めは毎年飽くことなく繰り返されたが、中学生になる頃には私も年末のうちに「新年用抱負コメント」を用意することを覚えたため、スムーズにおせちにありつけるようになった。
父はずいぶん前に亡くなり、もう私に新年の抱負をたずねる人はいない。しかし今は自主的に、新年どころか毎週小さな目標を立てている。手帳の空欄に「今週の目標 〇〇」と書き、「達成できた」と思ったら、ピャッとマーカーで塗りつぶすのだ。
目標と言っても「メールにすぐ返信する」とか「お菓子を食べ過ぎない」とか、その程度のことだ。後から手帳を見返すと、自分の意識というか興味の変遷が確認できておもしろい。「眠くなったら寝る」と書いた週もあった。
今週の目標は「『ちょっとそのへんに置く』をやめる」だった。結婚以来ずっとなぜ我が家の居間はいつも雑然としているのだろう? と考えていたのだが、昨年ようやく「物の置き場所が適当過ぎるから」ということに気づいたのである。
はさみを使ったらもとの位置に戻す。メガネやスマートフォンは所定の位置に置く。ダイレクトメールの類は読んだらすぐに処分する。そのおかげで、今週の居間はかつてないほどに秩序が保たれていた。来週はちょっとどうかわからないけれども。
忙しく生活していると「今週はなにもできなかったな……」と無力感に苛まれることがあるのだが、なにかたったひとつ達成できただけでも、まあいいか、と思えるのだ。まあいいか、と思いたいがために目標を立てている感もある。そのため、目標は小さければ小さいほどいい。だってさ、達成できなかったらまた落ちこんじゃうもんね!
プロフィール
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寺地 はるな (てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞、2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞、2024年『ほたるいしマジカルランド』で大阪ほんま本大賞受賞。『大人は泣かないと思っていた』『こまどりたちが歌うなら』『いつか月夜』『雫』など著書多数。
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