
作家・寺地はるなさんによるエッセイ連載。食べて眠って働いて……日々をやりくりしている全ての人に贈る、毎日がちょっと愉しく、ちょっと愛おしくなる生活エッセイです。
第15回:大切な存在だからこそ
2025年03月21日
若い頃、美容院がものすごく苦手だった。十代の時にはじめて行った美容院で「これぐらいの長さに」と写真を見せたら「あなたはくせ毛だからね、これと同じ髪形にはなりませんよ!」と叱責するように言われ、、それ以来苦手になった。なんだよなんだよ、「これぐらいの長さ」って言っただけじゃないかー。同じ髪形にしてくれなんてひとことも言ってないじゃないかー。
たぶん、その美容師さんは私を叱責したわけではないのだと思う。私の小心、緊張、いろんなものが悪い方向に作用し、そう受け止めてしまっただけなのだろう。いやでも、その後五回ぐらい「くせ毛だから切りにくい」「縮毛矯正をおすすめする」と言われたし、叱責されてなかったとしてもやはり苦手にはなっていたと思う。
美容院が苦手過ぎて、その後自分で髪を切るようになった。昔の写真を見ると、だいたい前髪がギザギザだ。あるいは期せずしてアシンメトリーみたいな髪形をしている。
四十代になった頃に、ふと「今なら平気かも」と思い立って近所の美容院に行ってみた。年配の女性が担当してくれたのだが、「くせ毛やから、切りやすいわ」と言われて、ほんとうにびっくりした。もしかしたら二十年の時を経てくせの具合が変化したのかもしれないけど、なんだか涙が出そうなぐらいうれしい言葉だった。自分の美容院への苦手意識が金色の光に包まれて天に召されていく情景が見えたほどである。あいつ、安らかな笑みを浮かべてたな……。
美容院が苦手だった理由はくせ毛問題だけではない。「他人と喋るのが苦手」という定番中の定番お悩みもあった。他人との会話中にへんなことを口走って微妙な空気にしてしまうようなことがあるとその晩は眠れないほど気に病み、その後もしつこく反芻してはウワァァァとのたうちまわる、私はそんなヤングだったのである。
でも最近は他人と話すことについて、とくになにも感じなくなった。へんなことは口走るが、すぐ忘れてしまうというか、まあ私ってこんなもん、とすぐに思うようになった。うまく喋れないのがスタンダード。いちいち気に病むのは時間の無駄だ。
頭髪は専門家に切ってもらうようになったが、いまだ自分で切らざるを得ない毛も依然として存在する。そう、鼻毛のことだ。
大阪に引っ越してから、鼻毛の伸びるスピードが異常にはやくなった。三十一年ものあいだ、山村のきれいな空気しか吸ったことのない鼻だ。街の排気ガスやそこらじゅうをとびかう菌やウイルスにびっくりしてしまい、急速な進化を遂げたのに違いない。そう考えると、涙が出そうになる。なんていじらしいやつなんだ。毎夜やさしくブラッシングして絵本を読み聞かせてあげたいぐらいだよ。
そんなかわいい鼻毛を、私は定期的にハサミでジャキジャキと、容赦なく切ってしまっている。なぜなら、それが身だしなみというものだからだ。鼻毛が出ているのは、マナー違反だからだ。「鼻毛? なんですかそれ?」みたいな顔をして生きなければならない、そういうことになっているのだ。心が痛む。こんなにお世話になっているのに。
鼻毛はさまざまなものから私たちの身体を守ってくれる、大切な存在だ。それがちょっとばかり外に出ていたからといってなんなのだ。堂々と出していこうぜ! ほんとうはそんなふうに言いたい。でも、ここまで書いてきて思う。大切な存在だからこそ見えないように隠しておくという考えかたもできるな、と。
どんなに立派な鼻毛が生えているからって、じまんげに見せびらかして歩いていたらいつ鼻毛強盗みたいなやつに襲われるかわからない。
真理にたどりついた。これからは心の痛みを覚えることなく、鼻毛を切ることができると思う。
プロフィール
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寺地 はるな (てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞、2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞、2024年『ほたるいしマジカルランド』で大阪ほんま本大賞受賞。『大人は泣かないと思っていた』『こまどりたちが歌うなら』『いつか月夜』『雫』など著書多数。
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