
作家・寺地はるなさんによるエッセイ連載。食べて眠って働いて……日々をやりくりしている全ての人に贈る、毎日がちょっと愉しく、ちょっと愛おしくなる生活エッセイです。
第19回:みちみち
2025年04月18日
二○二四年の七月ぐらいから年末まで、休日というものがなかった。原稿を書かない、という日はもちろんあった。でもゲラを確認するとか、打ち合わせをするとか、あるいは調べ物をする、というようなことをしない日はなかった。
一日の労働時間としては数十分~数時間だし、毎日八時間寝ているので、体調的にはまったく問題がなかった。
私は文章を書くのが好きで、小説やエッセイを書くことでお金をもらっているという現在の状況を類まれなる幸運だと思っている。そして、小説に関する以外のことすべて、なるべくやりたくないとも思っている。
講演などの依頼はすべて断っている。人前で話すのが苦手だからという理由もあるが、講演の準備などに時間をとられて原稿を書く時間が減るのがどうしても嫌だからだ。毎日、毎日、これから書く小説のことだけを考えていたい。
だから休みがないことは、つらくなかった。でも、そんな生活を続けているうちに、なんだか自分の書く文章がスカスカになっていくような気がした。
なにも書けない、ということはない。でも書いたものを読み返してもさっぱりおもしろくない。前にもこんな文章を書いたんじゃないか、と思う。こんな場面も、前にも書いた。これでは「新作」として世に出す意味がない。
私はこの状態を「スランプ」だと思っていたのだが、同業者に話したら「そんなものはスランプと呼ばない!」と怒られたので、違うらしい。でも、あんまりよくない傾向であることはたしかなので、二〇二五年からは週に一度、かならず休みをとることにした。どんなに仕事が溜まっていても、かならずだ。
家にいると隙あらば「ちょっとプロットだけでもつくっておくか……」などと働こうとするので、むりやり外に出る。
最近はひとりで美術館や寺社仏閣などに行くことが多い。と言ってもまったく知識がないので、「これはなんかおもしろいなあ」とか、「よくわからないけどきれいだなあ」とか「へえ、かっこいい」とか、そんな感じで絵画や仏像を見ては好き勝手に楽しんでいる。歴史的背景などをしっかり調べてから鑑賞にのぞむこともあるが、小説のネタとして使うため、と思うとあまり楽しくなくなるため、あくまで自分が楽しむためだけにしておく。
遠くに出かける時は、あえて急行などではなく普通電車に乗る。ゆっくり本が読めるからだ。わりと乗り過ごすことが多い。誰かと約束しているわけではないので、目的地を変えてしまっても問題ない。乗り過ごしに気づいた駅で降りて、知らない町を歩くこともある。
このエッセイのネタになるようなおもしろいことなんか、ぜんぜんおこらない。知らない町の公園で、ベンチにぼーっと座って「空、きれ~」とか思っているだけだ。
なにも得られない。気づきも、学びもない。でもそんなふうに過ごすと脳内に新しい部屋ができる。部屋ができると、そこに住む人が現れる。スカスカだった頭の中が、みちみちになる。
住人たちは最初はみんな無口で、常に部屋のドアを閉めきっている。だがしばらくすると、そのドアを開けて、私に話しかけてくる。
彼らが語る言葉がそのまま小説になるわけではない。それができたら苦労はしない。でも、頭の中に住みついた人が喋り出すと、あ、書けるな、と思う。私はまだ、小説が書ける。
プロフィール
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寺地 はるな (てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞、2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞、2024年『ほたるいしマジカルランド』で大阪ほんま本大賞受賞。『大人は泣かないと思っていた』『こまどりたちが歌うなら』『いつか月夜』『雫』など著書多数。
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