
作家・寺地はるなさんによるエッセイ連載。食べて眠って働いて……日々をやりくりしている全ての人に贈る、毎日がちょっと愉しく、ちょっと愛おしくなる生活エッセイです。
第9回:かなしいポイ活
2025年02月07日
すべての判断を間違う日、というのがある。たいていは余裕がない時だ。
たとえば、人と待ち合わせをしているとする。遅刻をしないようにはやめに家を出ようと考え、出発予定時刻の一時間前に、前日に用意しておいた服に着替える。でも鏡を見ると、なにか違う。実にもっさりしている。服じゃなくて体型の問題なのかもしれない。あーあ! 私がバーバパパだったら、一瞬で体型を変えられるのになぁ! とうだうだ考えはじめる。
バーバパパになれない(すくなくとも現世では)私は、しかたなくここで別の服に着替えることにするのだが、そうすると今度は持って行こうとしていたバッグが服に合わない。アクセサリーも靴も選び直しだ。迷っているうちにどんどん時間が過ぎていく。
焦りつつマンションのエレベーターのボタンを押すも、なかなか来ない。ようやく最上階から降りてきたと思ったらでかい台車が積まれていて乗れない。イライラしながら、階段で降りればよかった、と思う。
イライラしたっていいことないから、落ちついてゆっくり歩きましょ、と懸命に自分に言い聞かせながら歩いていると、乗る予定だった電車が通り過ぎていく。走れば間に合ったのかもと思う。
電車に乗ったら遅刻しちゃうかも、と考えはじめ、タクシーに乗ったはいいが今度は渋滞にはまる。これなら電車に乗ったほうがよかったと後悔する。
しかしなんとか待ち合わせ時間の十分前に到着し、ああよかったと思い、この十分間をつぶそうと適当に入ったショップで店員につかまり、長々と説明を受けて結局相手を数分待たせる、といった具合だ。ひとつひとつは些細な選択ミスなのだが、着実に自分の心に負の感情ポイントがたまっていくのがわかる。こんなかなしいポイ活あります?
こういうことがあると、若い頃はいちいち「私はダメなやつだ……」と暗く落ち込んでいた。しかし最近は、「自分がダメなんじゃなくて、今日はたまたまそういう日なんだ」と思えるようになった。
一杯ひっかけてさっさと布団かぶって寝ちまおうぜ、といきたいところだが、そういうわけにもいかない。仕事もあるし、家事もある。だからこのうっかりたまった負の感情ポイントをうまいこと消費しなければならない。
私の知人は嫌なことがあるとバイクを飛ばして夜の海を眺めたり、ひとりでカラオケボックスに行って大声で歌ったりするという。私はバイクや夜の海およびカラオケボックスのような密室に強い恐怖を感じる。自分に合っていない消費法は、よけいに負ポイントがたまるので要注意だ。
自分はなにをしていると気分が落ちつくのか、あるいは気分が晴れるのかをふだんから意識して覚えておくとよいと思う。それも「おいしいものを食べる」みたいな漠然としたものではなく、「ルマンド(言わずとしれたブルボンの名作おかし)を食べる」とか、なるべく具体的なほうがいい。比較的低予算・短時間で済むものならもっとよい。
ちなみに私は今のところ「未開封の片栗粉の袋を握ってそのギシッとした感触を楽しむ」、「お気に入りの練り香水をススンスンと嗅ぐ」といった感覚刺激系、少額の募金やそのへんのゴミを拾って捨てるという小さい善行をすると、負ポイントが消える。
自分の負ポイントを消したいから募金なんてのは偽善だよ、と不快に思う人もいるかもしれない。でも、暗い気分を引きずったままだと周囲の人に迷惑をかけるので、自分ではけっこう悪くないやりかただと思っている。
プロフィール
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寺地 はるな (てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞、2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞、2024年『ほたるいしマジカルランド』で大阪ほんま本大賞受賞。『大人は泣かないと思っていた』『こまどりたちが歌うなら』『いつか月夜』『雫』など著書多数。
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