『驚愕の事実とフィクションの融合』

 本書は、国際的な注目を集めているベラルーシの若手ロシア語作家サーシャ・フィリペンコ(一九八四年生れ)の二冊目の長編翻訳である。一冊目の邦訳『理不尽ゲーム』(奈倉有里訳、集英社)も今年の春出たばかりなので、立て続けに二作紹介されることになった快挙をまずは祝福したい。

『赤い十字』は、第二次世界大戦時に赤十字からソ連当局に送られた、捕虜に関する貴重な書簡を取りこんだ小説である。ドキュメンタリーの要素とフィクションが見事に融合しているのみならず、老齢のタチヤーナの筆舌に尽くしがたい凄惨な経験(過去)と若い主人公サーシャの絶望的なほど不幸な状況(現在)が重ね合わせられ、立体的な構成となっている。物語は、外務省で働いていた若き日のタチヤーナが捕虜名簿に夫の名前を見つけたあたりから俄然面白くなる。深刻な史実に衝撃を受けると同時に、作品のそこかしこにきらめくユーモアと愛に救われ、深い感銘を受けた。

 大戦時のソ連では、スターリンが捕虜を「裏切り者」であると見なして以来、捕虜は見殺しにされたも同然だった。戦後帰国したソ連人捕虜たちがさらにソ連国内の収容所に送られたことは、ノーベル文学賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの著作で広く知られるようになったが、本書では、赤十字が捕虜の取り扱いに関して再三人道的な提言をしていたのに、ソ連側がそれをことごとく無視していたという驚愕の事実が浮かびあがってくる。

 タイトルは一義的にはこの赤十字のことを指しているが、カザフスタンである人のためにタチヤーナが立てた、錆びついて赤く見える気高い十字架のイメージも鮮烈だ。そして、アルツハイマーでしだいに失われていく記憶を呼び起こすかのように自らの過去を語る気丈な彼女が「目印に」と家の扉に描いた赤い十字。重層的なシンボル性を帯びた赤い十字には、現在のベラルーシを生きる人々の悲しみと希望と祈りが、すべて込められているように思われる。

沼野恭子(ぬまの・きょうこ)

『青春と読書』12月号より