直木賞受賞後インタビュー

小川哲さんの『地図と拳』が、第13回山田風太郎賞に続き、第1‌6‌8回直木賞を受賞。受賞発表から一週間、各種取材でご多忙の中、お話を伺った。

 担当編集者と一緒に受賞の報を受けたときには嬉しさよりも「ホッとした」ほうが大きかったという小川さんだが、やはり直木賞という賞の重さを日々実感しているという。
 本作は、義和団事件から第二次世界大戦後までの満洲(中国東北部)のある都市で繰り広げられた知略と謀略を描いたものだが、そこには「戦争」という問題が大きく横たわっている。戦争を描くには事実を正確に押さえておくことと同時に、「戦争から時間が経てば経つほど、当事者として考えることがどんどん薄れてきてしまう。そういう遠くなってしまった戦争と、今生きている自分たちを当事者として結びつけることは重要で、昔の戦争が実は今とつながっているんだということを感じるために必要な回路を、フィクションは提供できると思っている」と。
 ただその回路は日々更新されているので、その時代時代の作家がそれぞれの時代に合わせて戦争というものを問い直していくことが大切だとも。だから今回の作品でも「ぼく自身が今戦争を書くことのリアリティを追求しようということは、ずっと考えていた」という。
『地図と拳』という構えの非常に大きな作品に、三十代前半の今の時期に挑めたのは良かったし、作家として必要だったという。今後四十歳くらいまでは、「いろいろな書き方を試しつつ、ぼくができることとできないことを見定めていきたいと思っています」。
 学生時代、岩波文庫の古典名作の千本ノックを受けたという小川さん。『地図と拳』にはイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』に触発された挿話が挟まれているという。今後の作品で、どのような形で千本ノックの成果が結実するのか、大いに楽しみだ。

「青春と読書」2023年3月号転載

読書ガイド

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対談

刊行記念エッセイ

ぼくらの第二次世界大戦

小川哲

 「第二次世界大戦」を初めて学んだのは、小学校で社会の授業を受けていたときだったと思う。何十年も昔、僕の両親が生まれるよりも前に、日本はアメリカを相手に戦って敗北した。軍隊が解散して、新しい憲法ができた。先生の話を聞いて、当時の僕は率直にこう思った。

 「アメリカと戦っても勝てるわけがないのに、どうして戦争なんか仕掛けたの?」

 僕だけでなく、それなりの数の人がそう感じたのではないか。第二次世界大戦における日本の味方はドイツとイタリアだ。それに対して、敵はアメリカ、イギリス、ソ連、中国……。味方の強さと敵の強さを比較したら、どちらが勝つかなんて目に見えている。そんなことくらい、小学生にもわかる。日本は負けるべくして負けた。勝ち目のない戦争を仕掛け、こっぴどく敗北した。日本は日清戦争に勝った。日露戦争に勝った。第一次世界大戦に勝った。そこまではわかる。でも、第二次世界大戦に負けた。意味がわからない。

 大人になっても、その疑問が完全に晴れることはなかった。日本のような小国が、アメリカを相手に戦争をして勝てるわけがない。もちろん、勝てる見込みがあるなら戦争をしてもいい、という話ではない。戦争をしてはいけない。だが、もっと単純な問題として、つまり戦争そのものの善悪とか、日本が戦時中に犯したさまざまな非人道的行為とか、天皇の存在とか、そういった話以前に、僕はシンプルに理解できなかった。勝てると思ったから戦争をした――間違った発想だが、理解することはできる。きっと戦争に勝つことで得られるものも存在するのだろう。でも、勝てる見込みがない戦争をする意味はわからない。ボクシングを習いはじめて一年の喧嘩自慢が、メイウェザーに殴りかかるようなものだ。

 しかしそれでも、八十年以上前、日本は実際に戦争をしたのだ。

 僕たちの世代にとって、戦争は他人事だ。なぜ他人事なのかというと、なぜ戦争をしたのかわからないからだ。昔の日本人は獰猛で、異常で、貪欲だった。小学生でも負けるとわかる戦争をするくらい馬鹿だった。だから他国の人々や自国の人々にひどいことをした――漠然と、そういう風に理解している人も多いと思う。

 しかしその一方で、僕たちは他人事ではいられない。戦争はまだ終わっていないのだ。「戦後」という抽象的な意味でもそうだし、戦後補償も完全には解決していない。海の向こうでは実際に戦争が起こっていて、その戦争には第二次世界大戦の影響がある。八十年以上前、僕たちが生まれるよりもずっと前の人たちによる愚かな行為の代償を、どういうわけか僕たちも引き受けなければならない。「日本が、、、戦争をした」という文章を「僕たちが、、、、戦争をした」という文章に読み替えなければならない。

 そのためにはまず、かつて起こった歴史上の戦争を「理解」しなければならない。「馬鹿だったから愚かなことをした」というところで歩みを止めず、「たしかに、こういう状況に追い込まれたら戦争に向かってしまうかもしれない」という地点まで進まなければならない。

 戦争を「他人事」ではなく「自分の身にも起こりえること」だと理解すること。愚かな行為に至るまでの過程を知ること。「敗戦」というのが最終的な答えであるならば、その途中式を描くこと。そして何より、小学生の僕が抱いた疑問に応えること――それが『地図と拳』を執筆しようと思った根本的な動機だ。『地図と拳』は満洲(現・中国東北部)と日本の半世紀の関係を描いた小説で、うまくいっているかどうかは別にして、僕なりのやり方で小学生の自分が抱いた疑問の答えを見つけようとした。

 僕はSF作家としてデビューした。SF小説は多くの場合、未来の社会を描く。現代より発展したテクノロジーが利用され、現代とは違った統治形態があって、現代とは違う価値観の中で生活する人々を描く。現代と未来を接続するために、僕たちは理由を考える。なぜ人々は新しい政治形態や新しい価値観を受けいれたのか。現代におけるどんな問題が顕在化した結果、社会が変化したのか。SF作品の強度は、現代と未来を接続する過程にかかっている。過程に説得力があれば、作品内で描かれる架空の未来社会が、この世界の延長線上にあるのだと感じられる。「未来の架空の話」が「僕たちの話」に変わる。

 歴史小説も同じだと思う。過去と現代を接続することで、「過去の日本の話」が「僕たちの話」に変わる。そして、そうやって接続することでしか、僕たちは戦争を理解することができない。

 昨年、祖父が九十六歳で亡くなり、昨日は一周忌だった。祖父は学徒動員で戦争を経験している。つまり、「戦場」を経験した最後の世代だ。祖父だけでなく、戦争において何が起こっていたのか、自分の経験として語ることのできる日本人は、今後数年ですっかりいなくなってしまうだろう。だからこそ僕は、それぞれの世代が、それぞれの世代にしかできないやり方で、過去の戦争と現代を接続するべきだと思っている。そのことは、現代に存在するさまざまな戦争の萌芽に目を向け、僕たちなりの反戦活動をするために必要なのではないか。そんなことを考えている。

「青春と読書」2022年7月号転載

『地図と拳』試し読み

お知らせ

・【受賞】第13回山田風太郎賞を受賞しました!

・【受賞】第168回直木賞を受賞しました!