語りなおしシェイクスピア

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【書評】現実の脆さを反映した『リア王』改変

評者:武田将明

 

 不滅の人気を誇るシェイクスピア作品のなかでも、特に現代人にとってリアルなのは『リア王』だろう。ブリテン王リアは高齢のため隠居を決意するが、甘言を弄する長女と次女には領土を半分ずつ与え、お世辞を嫌う三女には何も渡さない。ところが、権力を手にした長女と次女はリアを迫害し、三女だけが彼の味方となる。一見、国家規模の壮大な悲劇のようで、実は財産相続のトラブルや老親の介護という、あまりに身近な問題が扱われている。
 そしてエドワード・セント・オービンこそ、『リア王』の現代版を書くのに最適な作家であることに疑いの余地はない。彼の代表作であり、ベネディクト・カンバーバッチ主演のドラマにもなった『パトリック・メルローズ』シリーズには、性格の破綻した上流階級の人々が登場するが、今回の『ダンバー』も負けてはいない。なかでも主人公の長女と次女の無軌道かつ残忍な振る舞いは、著者の面目躍如である。さらに、ブリテン王ならぬメディア王ダンバーを主人公にすることで、封建時代の領土紛争がグローバル時代におけるメディア界の権力闘争へと巧みに書き換えられている。
 シェイクスピアとの相違点も興味深い。原作では悪党のなかで善を貫く長女の夫が、本作ではただの日和見主義者に変更され、長女と次女を手玉に取る野心的な悪徳貴族は、欲に目の眩んだ小賢しい医師に貶められる。他方、原作では善人すぎて印象の薄い三女には、人間味あるエピソードを加筆する。こうした工夫の結果、本作には圧倒的な悪も善も登場せず、権力者も一般人も運命に翻弄される道化にすぎない。もちろん、原作でも国王が道化同然に落ちぶれるのだが、この現代版で強調されるのは、両者の落差というより近さなのである。ポスト・トゥルース時代における、現実の脆さを反映した改変といえようか。
 なお、リッチでセクシーでありながら虚無感を漂わせる原文を、瀟洒な日本語に移した訳文は見事というほかない。  

 

   たけだ・まさあき●英文学者

(『青春と読書』2021年4月号より)