書評

流行りを作り出した出版人の生涯

細谷正充

 吉川永青が、江戸の地本問屋・つたじゅうざぶろうを題材にした。これは見逃すことができない。なぜなら作者は以前、重三郎が売り出した絵師・とうしゅうさいしゃらくを主人公にした『写楽とお喜瀬』を刊行しているからだ。この作品で、写楽と深く関係するある人物の設定が大胆なもので、読んだときは仰天した。だから本書でも何かやってくれると思い、ワクワクしながら本を開いた。
 吉原の妓楼「尾張屋」の養子であり、貸本屋を営む重三郎。吉原の火事の混乱の中で、人の心の本質と、それを動かす要諦を摑む。そんな重三郎が目指すのは、人々を動かすほどの流行を作り出し、世の中を楽しくすることだった。再建された吉原でひき茶屋も始めた「尾張屋」の一部屋を、間借りの店にして「蔦屋耕書堂」を開いた重三郎。吉原ガイドブックの『吉原さいけん』を出版するなどして、しだいに世に認められていく。
 本書は、蔦屋重三郎の生涯を描いた、オーソドックスな歴史小説だ。しかし、ユニークな点がふたつある。ひとつは地本問屋として成功するまでの過程が、克明に綴られていること。「尾張屋」の上客として絵師の北尾重政と知り合いだったり、その北尾から人気戯作者のほうせいどうさんを紹介してもらったりと、人脈には恵まれていた重三郎。しかし単なる貸本屋で、資金があるわけではない。そこから知恵を絞り、いままでにない本や絵を出し、流行を作っていく。後半で曲亭馬琴や東洲斎写楽も登場するが、扱いはそれほど大きくない。サクセス・ストーリーと、成功してからの幕府の狙い撃ちのような弾圧を通じて、自らの理想を追い続けた男の一生を、巧みに描いているのである。
 さらに、重三郎の女房のお甲をクローズアップしているのも、ユニークな点だ。貸本屋の上客の遊女で、年季が明けると、重三郎の押し掛け女房になったお甲。なにかと喧嘩しながら、一方で重三郎にインスピレーションを与える。彼女の気持ちのいいキャラクターも、大きな読みどころになっているのだ。

「青春と読書」2025年1月号転載