プロフィール
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宮内 悠介 (みやうち・ゆうすけ)
1979年東京都生まれ。作家。著書に『盤上の夜』(日本SF大賞) 『ヨハネスブルグの天使たち』(日本SF大賞特別賞)『彼女がエスパーだったころ』(吉川英治文学新人賞)『カブールの園』(三島由紀夫賞)『あとは野となれ大和撫子』(星雲賞[日本長編部門])『遠い他国でひょんと死ぬるや』(芸術選奨新人賞)など。
『黄色い夜』刊行記念エッセイ
『黄色い夜』の旅、二〇〇五 – 二〇二〇
宮内悠介
これまで発表した小説のうちいくつかは、まず「旅」が先にあり、そののちに言葉が生まれてきたものだ。 今回刊行する運びとなった『黄色い夜』も、まさにこのタイプにあたる。 それどころか、原型となった短編は、その旅の途上で書かれたものですらあった。 そこで今回はこの場を借りて、『黄色い夜』の源となった旅の思い出をつづってみたい。
二〇〇五年のことだ。 転職の狭間の一ヵ月、ぼくはイエメンとジブチ、そしてエチオピアを訪れた。 イエメンは“古きよきアラブ”が残るとされる、アラビア半島南端の国。 そこから紅海を渡り、ジブチ、エチオピアと南下していく行路は、詩作をやめたアルチュール・ランボーのその後の足跡をたどるものだ。
当時、ぼくは二十六歳。 いわゆる「客先常駐」か、ないしは「協力会社」の一員として(こうした言葉はいまもあるのだろうか)、カーナビゲーションシステムの開発に携わったあとだった。 日々に追われ、創作に割(さ)ける時間はほとんどなかった。 もしかしたら、自分は小説家にはなれないのかもしれない──。 そんな思いが、実感を伴ってきたころだ。
だから、ランボーなのだった。 筆を折ったランボーは、その後どういう景色を見ていたのか? 要するに、ぼくはどう生きればいいのかわからなくなり、詩作をやめたあとの、商売人ランボーを一つのロールモデルとしたのだった。
まずイエメンの観光地を回り、それからランボーが拠点の一つとした港町アデンを訪ねた。 海路で紅海を渡ってアフリカ大陸へ行く一般的なルートは、港町のモカから。 でもできるなら、ランボーが使っただろうアデン港から出発したかった。 貨物船が出ているのだから、ついでに人を乗せるケースはあるはずだ。 そう考え、エージェントを探したものの、どこも「違法なので」と門前払い。
ただここで、ソマリア難民の通訳を得ることができた。 ケニアで生まれ、ソマリアで結婚したという壮年の男性だ。内戦が終わらず、いったん、妻を置いてイエメンに逃(のが)れてきたそうだ(女性は殺されないと言われる内戦だった)。通訳で生計を立てているものの、内戦はいっこうに終わらない。だから近々ソマリアに戻り、妻をつれてケニアの家族を頼るということだった。
やがて人を乗せているらしい船舶会社が見つかったが、部署をたらい回しにされ、また最初の窓口に戻されたところで、諦めてモカ港へ向かった。アフリカへ船で渡ろうなどという観光客はぼく一人で、あとは皆、現地の乗客だった。まずジブチという小国に上陸し、そこからエチオピアを目指す予定だ。ジブチを選んだのは単に消去法で、ほかの候補はというと、エリトリアが紛争中でソマリアが内戦中だった。
驚かされたのが、これから乗るという木造船だ。大量の積み荷を載せ、ほとんど水面ぎりぎりまで沈みこんでいる。そしてとにかく古い。聞けば、五十年前にインドで作られたもので、ここでは七年目だという。エンジンはヤマハ製で、現在八代目。救命具はというと、浮き輪が一つ二つ目に入るくらい。別の乗客と二人、とりあえず天に祈った。船が出て日が暮れると、ほかの船がぽつぽつと光を灯し水平線のカーブを描いた。
アフリカ大陸に渡ってからは、まずランボーの拠点、エチオピア東部のハラールという町へ。ランボーが住んでいたとされる家は記念館のように改装され、壁一面に「酔いどれ船」の原文が書かれていた。その後は首都のアジスアベバに向かった。安いということでブンナベッドと呼ばれる売春宿に泊まったものの、併設のバーから一晩中音楽が流れ、よく眠れなかった。
それからまたイエメンに戻り、地方から首都サナアに向かう乗り合いタクシーに乗ったときだ。走り出したと思ったら豪雨に降られ、皆で屋根の荷物にカバーをかけ、芯まで冷え切った。やっと雨がやみ、雲越しに光の筋が降りはじめたころ、目前に迫る黄色い壁──砂嵐のなかへ車が突入した。
通常四時間で着くところ九時間かかり、首都の光が見えたのはほぼ深夜。宿の門を叩き、道中で買いこんだカート(イエメンでの社交に欠かせない若干の覚醒作用のある植物)を差し出すと、「よく来た」とご馳走をふるまわれた。
この旅の後半、ぼくは夜ごとにノートを開き、熱に浮かされでもしたように短編を一つ書き殴った。旅のさなかに見た景色は、そのまま小説に取りこまれた。結局のところ、潔く筆を折ろうという気などさらさらなかったことが再確認されたとも言える。冒頭部に出てくる「元フランス領」としか示されない国も、ここまでに登場した国のどれかだ。
イエメンの内戦が勃発したのはその十年後、二〇一五年のこと。内戦は泥沼化し、二〇二〇年現在も、足を踏み入れるのが難しい国となってしまった。あのソマリア人は夫婦でケニアにたどり着けたのかどうか。そのことが、いまだに小さな棘(とげ)のように気にかかっている。
(「青春と読書」2020年8月号より転載)
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