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水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ

水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ

水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ

野崎歓 著
2018年8月3日発売
ISBN:978-4-08-771149-3
定価:本体2200円+税

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思いっきり後ろむきで、
命がけで脱力しよう。
井伏鱒二、生誕120年。
僕たちの新しいイブセがはじまる。

対談 野崎歓×堀江敏幸「友釣りのエクリチュール」

*本対談は、「すばる」2018年3月号に掲載した対談の再録です。本書の元になる連載が完結した際に行われました。

 

野崎歓さんの新刊は今年生誕120年を迎えた井伏鱒二についてのエッセイ集です。
いま、なぜ井伏鱒二なのかをめぐって、同じく井伏に強い思いを寄せつづけている作家の堀江敏幸さんと対談して頂きました。
構成=江南亜美子

■山川草木との一体感

堀江 「すばる」誌上での井伏鱒二論(二〇一六年五月号から一七年九月号まで隔月連載)の完結、おめでとうございます。これまでの井伏論とはまったく違う、織物でいえば杼(ひ)をさあっと走らせるような、見事な論考でした。

野崎 ありがとうございます。堀江さんも、日経新聞で連載なさっている「傍らにいた人」というエッセイで井伏さんのことを取り上げてらして(二〇一七年三月一八日、二五日付)、たいへん興味深く読みました。実はひそかに、堀江さんには井伏文学の継承者という側面があるのではないかと考えておりまして、今日はお話しできるのを楽しみに来ました。

堀江 こちらこそよろしくお願い致します。まず、最初に伺いたいのは、なぜ井伏鱒二を論考の対象に選ばれたのか、ということです。日本文学の作家論として、『谷崎潤一郎と異国の言語』という谷崎論をお書きになっていますが、これとはアプローチの仕方が異なって見えます。

野崎青柳いづみこさんが「新阿佐ヶ谷会」を始められたとき、声をかけていただいて、青柳さんのお住いの旧青柳瑞穂邸に何度かお邪魔する機会がありました。堀江さんともご一緒したことがありますが、井伏も太宰治も足繁く通っていた場所で往年の「阿佐ヶ谷会」の雰囲気を味わえたこともきっかけのひとつです。しかし井伏文学に正面から取り組みたいと思ったのには、ちょっと違う文脈もあったんですよ。それは釣りです。

堀江野崎さんと釣り。これは、まったく新しい文脈ですね。

野崎いまでも、棹先に当たりが来て、リールを巻くときの感触や、玉浮きがびくっと沈んだときの気持ちなど、たまらなくいい思い出です。実家のすぐそばが海でしたし、川もあったので、小学校から中学校ぐらいまでは友人たちや弟たちとしきりに出かけたものでした。いつしか足が遠のいてしまったのですが。

堀江そうでしたか。僕は海のない土地の出身なので、川釣りしか経験がないんです。しかも釣りそのものより、道具のほうが好きでしたね(笑)。近所に釣り具屋があって、よく竹竿を眺めに行きました。グレードが上がるにつれだんだん細工が立派になるんですね。でも、買うのはオモリだけ。

野崎それは堀江さんらしいな。僕は道具を放りっぱなしにしてしまう子供でしたが、井伏用語でいう、山川草木との一体感というのは確かにあった。そのことを近年、懐かしく思い出したんです。管啓次郎さんがネイチャーライティング、環境と文学といったテーマに取り組んでいて、面白そうだなと興味を引かれたこともあります。そうした主題と文学と、どのように折り合いがつくのか、自分でもやってみようとしたのがこの井伏論です。

堀江たしかに、外遊びをしたり生き物にさわったりする経験は、いまの都会の子供たちから失われているかもしれませんね。

野崎ええ。井伏さんの作品をまとめて読むと、はるか昔の記憶の層から生き物にさわった感触などが掘り起こされる気がしました。井伏さんの最も初期の短編である『鯉』は、青木南八との友情物語とも読めますが、青木からもらった白い鯉は決して殺しはしないと約束します。堀江さんは、さっき言った日経新聞のエッセイで、この作品にある「殺す」という言葉遣いが異様だと鋭く指摘なさっています。と同時に、釣りの現場における殺傷の残酷さというのはたしかにあるんですよね。

堀江釣りを扱った本と言えば、開高健の『オーパ!』をよく読んだものですが、正直に言えば、こんなにカラフルな魚は釣りたくないな、と思っていました(笑)。まるで外車に乗っているみたいな釣りなんですよね。アマゾンの華麗な川釣りと、針で傷つけてしまった小さな魚が血を流すのを見て恐ろしくなるような川釣りでは、体験としての質がぜんぜん違う。

野崎テトラポッドの突堤でキス釣りをしていると、クサフグばかり釣れてしまう。ぷくっと膨れてかわいいのですが、肝臓に猛毒を持っている魚だと子供も知っているので、踏んで潰すんです。その悪行のさまなども思い出すと、到底いまはやれない。井伏さんが最も打ち込んだのは鮎の友釣りで、あれもなかなか残酷です。彼が友釣りを学んだ富士川は日本三大急流のひとつに数えられていた川ですが、その急流にふんどし一丁になって入っていって釣る。しかも流されないように大きな石を入れたリュックを抱えて釣るというのだから、釣師自身に対してもすごく過酷です。

堀江「友を連れた釣り」みたいに聞こえますが、鮎の友釣りとは、要するに、おとりを使った漁法ですからね。弱った鮎には仲間も寄ってこない。だから、おとりの鮎の活きがいいように見せるために、体にオモリを仕込んだりする。

野崎縄張りの本能を生かして、魚同士が友愛ではなくそこで戦闘を行なうように仕掛けるわけでしょう。釣る側も、鮎と同じ生態環境に身をさらして、へとへとになって釣る。井伏さんを始め多くの文学者が戦中のあの時期に友釣りにあれほど打ち込んだことには、ある種のまがまがしさも感じます。

堀江少しおおげさかもしれませんが、疑似戦争のようなものだったかもしれませんね……。あまり運動能力があるとは思えない井伏鱒二に、友釣りを貫徹する強さが潜んでいた事実は、見落としてはならないと思います。

野崎そうですね。たしかに、井伏さんの一般的なイメージは、どてら姿でのんびり釣りをして、釣りが終われば酒を飲んだり、将棋をしたりしているおじさんといった和やかなものでしょう。しかしそのイメージに反して、富士川の激流にも喩えられるほどの厳しい時代を、石を抱えて生き抜いてきた人だった。それが今回、よくわかりました。

堀江話が飛びますが、野崎さんの井伏論には、ふたつの方向性があると思うんです。まず、彼の反戦の意思を読み解くこと。そしてもうひとつは、野崎さんが「友釣りのエクリチュール」と名付けた彼の文章に投影されている、釣りのイメージを探ること。とくに、翻訳や原テクストを使った二次的な創作について書かれた章で、井伏が生のままのテクストと、オモリを仕込んだテクストの二種類を上手に使い分けている点を、見事に指摘された。

野崎いや、その二分法は堀江さん独自の読みであって、そこまで鮮やかに解明した自信はありませんが(笑)。

■翻訳者・仲介者として

堀江井伏鱒二の学生時代のエピソードから、書き起こされていますね。

野崎中学高校時代について書かれたものを読むと、当時の日本はやはり変だったなと思います。井伏少年はどんどん近眼の度が強くなるのですが、眼鏡をかけるだけで「生意気だ」と言われ、壊されたりしていた。やがて、福山から上京し早稲田大学の文科に入学しますが、田山花袋以来の自然主義文学が危険視されるなか、その牙城であった早稲田に行って、自分は貧乏文士になりたいんだという学生たちが続々集まってきているわけですよね。井伏もそのひとりとなる。時勢を鑑みても、のちのち楽に生きられるわけがありません。

堀江井伏の場合は、お兄さんが良い意味で変わった人で、絵描き志望の弟に小説を書くよう勧めていた。当時としては考えられない後押しですね。早稲田にいたのは、穀潰しの穀もないような連中だったわけですから。

野崎そういう連中が何か確信を抱いて上京してしまう。

堀江定番の作品を読んでいるだけでは、見えて来ない像がありますね。むしろそちらのほうが面白い。しかし、ある時期以後、若い読者と井伏鱒二の作品との出会いは、多くの場合、国語の教科書に載っている短編を介してのことになっていきます。『山椒魚』か『屋根の上のサワン』。僕自身もそうでした。

野崎『山椒魚』はフランス語だと「サラマンドル」ですが、女性名詞なので代名詞も「彼女」で受けるほかなく、イメージが変わって困ります(笑)。そもそも魚という字もなくなってしまうし。「魚を尊ぶ」という鱒の字を筆名に選んだ井伏の世界は、とにかく魚が一貫して大事なテーマですが、そのなかでも山椒魚はしぶとい生命力をもつ、ごつい魚なんですね。井伏文学のエンブレムとしてもちろん大事な作品ですが、『山椒魚』と『サワン』があまりに有名になりすぎて、誰も井伏鱒二の全体像なんてまず考えない。

堀江早稲田大学仏文科の恩師である、平岡篤頼先生の遺稿集に寄せた文章に書いたことですが(「解けない霙」、『余りの風』所収)、高校三年のとき、『神屋宗湛の残した日記』の連載が開始された『海燕』の創刊号を買ったんです。井伏鱒二がまだ現役作家であることすら僕は知らなかった。この作品は、小瀬甫庵の『太閤記』を原典で読み、大半を忘れたのちに吉田豊の現代語訳で読み返した、と始まるのですが、言葉通り、本物か偽物かわからない原典を用いて語るわけですから、二次創作になるんですね。先ほどの例で言えば、友釣りのおとりが死んでいるのか生きているのかわからないのに、それを使って書いている。

野崎そうですね。死んでいる魚を生かして見せる、あるいは魚の生死は意外と決めがたくて、ちょっとたたいてみると、ふっと体を振って泳ぎ出したりする。ある意味では蘇生術としての書き方というのが、井伏的エクリチュールの特徴にもなっているんです。

堀江そうなんですね。面白いのは、平岡先生の演習で読んだ、アラン・ロブ=グリエの『ジン』のなかに、「ひびの入ったテクスト」という表現があったんです。どこか言葉のレベルで、つねにひびが入った状態を保ちながら書く作家たちがいる。八〇歳を過ぎてなお、不完全な、真偽の曖昧な原典を出発点にしようとした井伏鱒二の過激さは、『山椒魚』からは想像できない。しかし、よく読むとヌーヴォー・ロマンのテクストのような側面がある。

野崎井伏さんは翻訳者であり、仲介者であったと思います。彼の文学はつねに先行テクストとの関係のうちにある。いま「ひびの入ったテクスト」とおっしゃったわけですが、たしかに井伏さんが一次資料として使ったものには真偽をめぐっては迷宮入りするしかないような、正体の決めがたいテクストがひじょうに多いんですね。その点も含めて短気な読者は、これはインチキじゃないか、盗作なんじゃないかと言いたくなってしまう。でも、それこそ井伏文学の核となる面白い部分なんだと抗弁したい。それにしても、『神屋宗湛の残した日記』をお目当てに『海燕』創刊号を買って読んだ高校生っていうのもすごいですね(笑)。もう参りましたという感じです。

堀江大学受験の年の冬だったんです。進研ゼミをやっている福武書店が、今度新しい文芸誌を創刊するというチラシを図書館で見たんですよ。創刊号だけ買って、あとは時間がなくて追えなかった。早稲田大学に入学して、しばらく経った頃、続きを読んでみようと思って『海燕』を手に取ったら、そこに平岡篤頼の『消えた煙突』という小説が載っていたんです。

野崎平岡さんの小説家としての代表作ですね。

堀江それが仏文科の先生だというので、授業にもぐってみた。

野崎もはや井伏ワールドだか堀江ワールドだかわからない味わいのあるお話ですが、こう伺っていると、やはり井伏さんと堀江さんをむすぶ運命の糸のようなものがあったんだなと感じます。エッセイにも、『鯉』に早稲田のプールが出てきたことで、ほぼ進路は定まったということをお書きでした。

堀江じつはプールなんかどこにもなかったんですけれどね(笑)。

野崎前途有為な青年たちが釣り上げられて、幻のプールで養われる。あらためて井伏さんの人脈を見ると、とにかく早稲田文学部が作家を輩出してやまない、あまりに魚影が濃い太い川であることがわかります。しかし井伏の場合は、やむなく中退したこともあって、大学との関係ははかなく終わってしまう。

堀江指導教官だった教師にセクハラまがいのことをされ、追い出された上に復学もかなわなかった。いきなりぽんと大海に放り出されたようなことを言っていますが、結果的にはそれがよかった。

野崎仏文にいたのは結局一年半でしかない。それでも大学時代の記憶は彼のなかで特別の輝きを放っていたようです。『休憩時間』という短編は岩波文庫の傑作選にも入っていますが、理想の文学部の姿が活写されています。みんなで文学や芸術を語り合い、〈こんな面白いことがまたとあるものではない〉と。

堀江クラスメイトと「アイズル会」なんていう集まりを結成するんですね。

野崎この雰囲気はどうですか、堀江さんもこれを求めて早稲田に進まれた?

堀江それはないですね。井伏鱒二の時代の「アイズル」な空気は、もうどこにもなかったでしょう。字義通りの怠け者はいくらでもいましたけれど。

野崎僕らの世代からすれば、『休憩時間』の楽しさは夢のように美しく見えます。バンカラな気風もありながら、でもそのわりには語学がみんなよくできて。各々が好きな詩を黒板に書いていくのですが、フランソワ・ヴィヨンを「ヴイロン」と表記している。まだ辞書も整っていないような状況だからこそ、みんなが文学に対する本能的、直感的な部分で競い合う。その感覚はすごく大切なものだと思います。

堀江そうですね。辞書も限られていたし、語学学習の環境は比べものにならないくらい悪かったはずです。しかし、文学の翻訳に関しては、環境がよくなったことで消えたものがある。

野崎井伏の最初の単行本は翻訳です。ズーデルマンというドイツの作家の翻訳ですが、訳文は立派なもので、いまでも十分通読に耐える。翻訳を足がかりにして自分の日本語を広げていくスタンスが間違いなくあっただろうし、そこから推せば、堀江さんがおっしゃったような、ある種の言語実験の作家という側面が明らかにあるんです。

堀江やることがすべて実験になるような環境ですしね。翻訳の土台には、日本語力があるわけですから。

野崎井伏は中学生のころ、鴎外が新聞連載中だった『伊沢蘭軒』の記述に疑義を呈する内容の手紙を出し、返事をもらっています。それがそのまま『伊沢蘭軒』に引用されるほどの見事な候文だったというエピソードが残っていますが、そうした日本語力に加え、漢籍や中国の古典に関する知識は深いですね。しっかりした教養が、西欧文学に関する届きたての知識と合体していく点に、時代のダイナミズムを感じます。でも同時に、井伏は自分が東京からはるかに遠い田舎出身である意識を、終生持ち続けていたと思います。

堀江そうですね。

野崎標準語は外国語で、言葉の差異、ズレをつねに感じさせるものだったはずです。それが逆に、『朽助のいる谷間』などを始めとする彼の作品の魅力の源になった。

堀江野崎さんは新潟で、僕は岐阜。岐阜には岐阜の言葉があるのですが、テレビが完全に普及してから育ったので、標準語に脅かされるという感覚はありませんでした。東京に出てきたかつての同級生と話す機会があると、標準語があいだにあるせいか、むかしの言葉にはすぐに戻れない。

野崎ええ、よくわかります。

堀江地方出身者にとって、東京暮らしには、まず標準語への翻訳が必要なんですね。東京育ちの人には、こういう二カ国語を使う感覚がよく馴染まないかもしれない。自然に翻訳を意識せざるを得ないんです。井伏のように、都会の言葉との対決とまではいかないのですが。

野崎井伏が都会に出てきたとき、はやく都会言葉をマスターしたくて、電車で一緒になった紳士からコツを学び取ろうと耳を澄ます。すると語尾に「ね」をつけるとわかり、彼の作品に出てくる若い都会人は「ね」を多用します(笑)。ところがまた、福山の田舎でも当時、英語はすでに入ってきていたし、出稼ぎをしに国外へ出て帰郷した人も周囲にはいた。複数言語的な言語環境があったんですね。『朽助のいる谷間』は初期の傑作だと思いますが、ハワイでの出稼ぎ経験のある老人からの手紙に「オータム吉日」と書いてあるんですね。これがいいんだなあ(笑)。英語と福山なまりをちゃんぽんにして使って、未知の言葉が生まれる。

堀江言葉をちゃんぽんにする感覚が、とても鋭いんですね。あだなの付け方も、またひどくうまい。

野崎とぼけた味がいいですね。言語活動が翻訳であるということをかなり自覚的に意識し、そこで生まれ出てくるものを作品の糧としていた作家だと思います。

■完結しない物語

堀江井伏の本質が仲介者であるという話を続けると、彼は完結したテクストを作ろうとする方向にはいかず、つねに、すでにあるものへのオマージュを捧げると同時に、自身の作品も次の人に手渡していく「開かれたテクスト」を目指していたとも言えますね。

野崎その点がこれまであまり注目されてこなかったところだと思います。

堀江誰もが知っている『ジョン万次郎漂流記』、あれも歴史の教科書でジョン万次郎について知っても、彼を助けた船の乗組員の日記を読もうなんて気にはならないでしょう。井伏鱒二の日本語を通すと、そこまで読みたくなる。ジョン万次郎の周辺に自然と関心を寄せてしまうような力があるわけです。野崎さんも論考の最後に書かれていますが、一九七〇年代以後、「テクストはテクストだけで自立し自足する」といった、テクスト内部だけで作品を捉える読み方が、研究者のあいだでも幅を利かせてきた。

野崎ええ。閉ざされた体系としてテクストを読み解くというものですね。

堀江ところが、先の「ひびの入ったテクスト」の書き手であるロブ=グリエが、一九八〇年代に自伝的な作品を発表し始めて、読者が分析してきたテクストの内部の要素のある部分は、じつは外にあったもので、現実を反映していたのだと、あっさり言い出した。深く読めば読むほど、書き手の周辺にあった現実の豊かさみたいなものが、逆に可視化されてくるんですね。もちろん作品は作品として読むべきです。同時に、その文章を成り立たせている環境、匂いや肌触り、そういったものも感じていかなければならない。

野崎一方でまた、作品は絶対的なオリジナリティをもつものでなければならないという観念の縛りも強いですから、先行テクストをもつテクストというのはそれだけで、まがい物とみなされかねないところがあった。しかし文学理論がひと回りして、間テクスト性や翻訳、引用こそ文学の根幹にあるという見方が主流になってきた。いまや、いろいろな角度から、井伏文学を新たに捉え直すことができそうです。
僕にとってとりわけ井伏文学は、テクストだけで完結するものではありえません。いかに五感で感じとり、生きた経験を汲み取るか。たとえば井伏は、自分という人間はぎりぎりのところ、お米の炊ける匂いとみその匂いと、そして井戸水から出来上がっているんだと書いていますけれども、東京に来ても彼は井戸のある家に住んで井戸水で顔を洗っていたんですね。九〇年を超える一生の「水」とのつながりがどれほど彼の作品を潤しているか。祖父との関係も見過ごせません。父親代わりだった祖父に関して、井伏はあれほど頑固な人はいないと思っていたなどといいながら、自分とは関係のなくなりつつある前時代的なものを決して切り捨てませんでした。ちゃんと骨董趣味は引き継いでいて。

堀江祖父はまがいものの骨董ばかりつかまされていたようですが(笑)。

野崎そして自身は、まがいもの的なテクストをせっせと書いていた(笑)。

堀江骨董の、とくに陶芸の世界では、完全形だけではなく、「ひびの入った」ものや、かけらを珍重することがありますね。古い時代の名工が、気に入らないと言って壊して捨てた破片が、窯の近くから発掘される。テクストが本物なら、破片ですら価値を持つ。逆に、その原テクストにまがいものを仕込むこともできる。新しいものを壊して土に埋め、それらしく変容させて、まがいものをつかませることもあるわけです。そちらのほうが、本物らしく見えることだってある。

野崎『珍品堂主人』に描かれていますが、けっこう騙し騙されの世界でもあるんですね。そこにもまた真偽をめぐる迷路がある。

堀江本物の破片、本物の傷には、やはり味わいがある。井伏鱒二は、それを知っていた。偽物をたくさんつかまされても、本物が一つ二つあればいい、というようなところもあったでしょう。

野崎しかも、自分の使う器は「十銭ストア」の安物で十分だとも書いています。『珍品堂主人』では、本物の美を求道的に追求するというより、真偽の境で踊らされる人々の様子に焦点が当てられていますね。若くして枯淡の境地に達したかに思われがちですが、井伏の目に映る人間世界は本当に生臭いものだった。それに対する絶妙な距離の置き方からあのユーモアがにじみ出てくるんですね。

堀江生まれた時からおじいさんだったような印象がありますが、若い井伏鱒二がいたことを考え直さなければならないですね。

野崎文学は基本的に若さと結びつけて価値があると捉えられがちでしょう。たとえば太宰治の文学の魅力は若さと切り離せない。ぜひ井伏を論じたいと思った裏には、太宰に比べてあまりに論じられなくて不公平じゃないかという気持ちもありました。太宰人気は今後も衰えることはないでしょうし、現在の若い作家たちも口々にオマージュを捧げている。大学の国文の授業で太宰を扱うと、百人、二百人の単位で学生が集まるようですが、井伏さんでは十人、二十人ほどがせいぜいでしょう(笑)。忘れられすぎていると思います。

堀江まずは早稲田の人間が井伏を論じるべきでしたね(笑)。太宰にしても、私小説風のベールに包まれた身辺雑記のほうに関心が行きがちです。

野崎井伏さんは、愛人と心中したりするようなタイプから一番遠い人間でしょうから、そのぶん人生にドラマがない。

堀江井伏自身はあくまで受け身で、絡まれる人だった。そして、絡んだ人間はどんどん死んでいく。

野崎太宰しかり、そして早稲田の先輩作家である牧野信一にもずいぶんな絡まれ方だったようです。牧野も自殺してしまったわけですが。井伏は、人生を犠牲にし、破滅させることと引き換えに私小説の根拠を与えるというパターンの作家とは違います。そうでなければ、イデオロギー化して左傾するパターンもあったわけだけれど、それも彼にはできなかった。同時代を通してみても、ほかになかなかいないポジションだったと思います。

堀江井伏は言葉で言葉をつくっていくタイプの作家です。人生を犠牲にして、というポーズは取らない。それが同時代的には、むしろ大変な決断だった。

野崎まさにそのとおりですね。井伏との関係でいうと、太宰の慧眼は恐るべきものですね。『山椒魚』の原型となった『幽閉』という作品が同人誌に載っているのを太宰がたまたま読んで、喝采を叫んだのが中学生のときだったとか。また、井伏の最初の作品集である『夜ふけと梅の花』が刊行されたときに、内容からしてどうにも暮らしが苦しそうだからと、太宰はファンレターに為替を入れて送った。高校生読者に為替を送られるというのも情けない話だけど(笑)、その後、太宰が東大の仏文に入り、会ってくれないと死ぬという内容の手紙を井伏に送ってきて、それから交流ができていきます。

堀江やっぱり巻き込まれ系だ。

■運命だけでつながっていく

堀江今回の野崎さんの批評で、戦争体験が滲む作品の重要さを再認識しました。たとえば『遥拝隊長』では、戦時中に精神をおかしくした男が、戦地から田舎に戻されます。郷里でもまだ戦地と錯覚して、道行く人に「突撃に進めえ」とか「ぶった斬るぞお」とか号令をかける。ああいうせりふに、井伏自身が戦地で見聞きしたものが生かされていた。『遥拝隊長』には印象的な場面がたくさんありますが、ひとつ挙げると、隊長が脳に損傷を受けた際のエピソードですね。トラックの荷台で部下を叱っているとき、急に車が動き出して、後部から転げ落ちたのが原因なんですが、運び込んだ野戦病院で状況説明をしたら、細部の矛盾を軍医にあっさり見抜かれてしまう。

野崎走っていた車両が障害物に乗り上げたときに振り落とされた、とか微妙な嘘で言い繕うんだけれど……。

堀江軍医はそんな状況はありえないと看破し、真相を白状させる。井伏鱒二は、語り手ではなくて、その軍医なんです。物事の仲裁もするけれど、冷静沈着な傍観者でもある。事実をしっかり見据える。不思議な立ち位置です。

野崎そうそう、まさにそこが井伏のもっとも変わらなかった部分でしょう。ドクトル的でもあるんですね、『本日休診』の医者のような。

堀江『貸間あり』に出てくる代書屋もそうですね。野崎さん命名の「ドクトル・イブセ」という、翻訳者の立場もまさにそれですし。戦後に書かれた作品の主人公は、代書屋、通訳、軍医、旅館や骨董屋の主人、『本日休診』の先生など、要するにみんな「Do Little」、ドリトル的存在なんです。自分はほとんどなにもしない、わずかなことしかしない、傍目には、なまくらなアイズルなんですね。ドゥ・リトルとは、すなわちアイズルです。

野崎アイドルはアイズルと崩すことでいっそうなまくらになっていますよね。

堀江そのなまくらを崩すのが、周りの人がときどき持ち込んで来るトラブルなんですね。主人公はそこに巻き込まれる。『ドリトル先生』シリーズの先生が、戦争中に書かれた作品でありながら敵味方をはっきりさせないのも、じつに井伏的と言えそうです。

野崎作者のロフティングは従軍先からふたりの子供に向けた手紙のなかで、あの物語を紡いだ。戦争も、敵味方の激しい対立も出てこない、こうした戦争文学の書き方もあったということに、井伏も舌を巻いたんじゃないかと思います。  これまで、『ドリトル先生』の翻訳にどこまで井伏が関わったのかという疑問があって、何しろ本人が自分はほとんどなにもしていない、あれは石井桃子の仕事だとしばしば書いているので、あまり積極的に評価してはいけないのかなと感じていたわけです。のちに石井さんの評伝が出て、井伏さんの痕跡というか、影響力が大きかったということを証言されていて、またこのパターンかと思い直しました。つまり、自分の作品から立ち去ろうとする人ですからね、井伏さんは。今回、あらためて他の作品と照らし合わせながら読んでみると、『ドリトル先生』のシリーズはやっぱり井伏文学とみごとに通底していると感じました。

堀江ロフティングのポジションは、目の前の敵味方の関係ではなくて、もっと大きい敵を相手にしていると言えるわけでしょう。その構図を井伏はロフティングからもらっているんですね。

野崎そうです。だから、井伏作品を戦前、戦中、戦後と見てあまりに変わってないことに驚きます。ぶれようのない世界が確立されている。戦中の作品に戦意発揚、侵略賛美的なものが感じられないのは、こちらがひいき目で見ているせいもあるかもしれませんが、たとえば『花の町』はシンガポールが陥落した直後に彼の地に入って書かれていながら、翼賛的な要素が実に乏しくて、シンガポールの町の看板といった、言葉に関する繊細な観察に力が注がれています。井伏は戦地でも言葉の作家であり続けようとしたんですね。

堀江制度的な要請であったとしても、翼賛的な雑誌に一度でも寄稿すれば、戦争協力の作家とみなされ、断罪の材料となります。あのまど・みちおさんにすら、そのような詩があったわけですからね。シンガポールの町の美しさをあとから言うことは容易いはずです。でも、井伏は戦中にそれをやっている。ぶれなかった。先ほどの『遥拝隊長』も、息子がああした状況になってしまった母を描くことで、反戦の文脈が示されている。おかしくなってしまった息子でも、経済的には頼らなければ立ちゆかない母親の複雑な事情も、淡々と書かれています。決めつけをしない、観察者の目が光っている。

野崎ナチスのプロパガンダ部隊に倣ったかたちで、一九四一年に作家や出版人、編集者が徴用されて、宣伝班として南方に送られた。井伏も大阪城本丸に集められた一人で、そのときはこれからどこに派遣されるのかもわからなかったようですね。井伏は、小栗虫太郎と二人で白髪を抜き合ったと書いていますが、いかにも役に立たなさそうな覇気のない連中を束ねて仕切らなければならなかった軍人も大変だったろうなと気の毒になるくらいです。ただし、そうした無駄の多さも含めた戦争というものの本質が、今回よく見えてきた気がします。
井伏は、それまでの自分の書き方をみじんも変えなかったし、むしろそれを確固たるものにしていった。その傾向は戦後になると一層強くなります。彼は軍国体制から解放されたという喜びというものをほとんど表わさず、戦争とは何だったかをいっそう深く考え続けたように思います。これは彼が非常に記憶力のいい人だったということとも関係しているのでしょう。忘れられないんだと思う。それゆえに最晩年まで徴用中のことを書き続けざるを得なかったんですね。

堀江記憶力だけでなく、耳がとてもいいですよね。自分の生活圏の外にある「異語」としての軍隊言葉を、みごとに転写している。ゆがみや濁り、語調を再現するのに長けていた。

野崎再現が本当に巧みですね。だからその点でも、そうした資質を受け継いでいる現代の作家とは誰かと考えていくと、やはり堀江敏幸という名前がここで浮上してくるんじゃないでしょうか。

堀江いやいや、それはぜんぜん。

野崎耳のよさということに続けて言えば、井伏はもともと画家志望でした。耳なれない言葉に対してとりわけ集中度が高いこともそうですが、細部への執着が強い。

堀江人が見ていないところをしっかり見ている。野崎さんが詳細に分析されているとおり、『黒い雨』でも、原テクストとしての日記にはない、付け加えた箇所のふくよかな感じ、全体の流れに資する表現を内的に見出す記憶のパターンは、絵画的と言っていいと思います。『徴用中』にも、川に身を沈めている水牛の角に鳥が止まっているといった、本筋とは関係ない、しかし印象的な描写がすっと入ってくる。それが特徴ですね。

野崎ええ。それが本当に初期からの特徴ですね。『鯉』でも、自分がハンカチを干していたところに青木南八が白い鯉を持ってくる、そのハンカチの白と鯉の白というのが純白な友愛を象徴するような感じで美しい。

堀江青木が白い鯉を持ってきた、と書けばいいんです。けれど、ハンカチの白さが大事なんですよね。そうは書かれていなくても、鯉を運んでいく洗面器の水の揺れや、なかの鯉の動きや重みといった、出来事の前にある、モノの記憶が大事なんでしょう。

野崎たしかに。その洗面器には水藻みたいなものがちゃんと入れてあるんです。だから、絵になっているんだな。

堀江「鯉を持ってきた」では、それで終わってしまう。でも小説の妙味は、洗面器の持ち重りした感じをいかに出せるかにかかっている。

野崎筑摩書房版全集を三十巻とおして読んでいくと、あれは全部編年体の編集ですから小説も随筆も全部一緒にして続いていく。すると、これは小説、これは随筆と書かれていないので切れ目がない。井伏の作品の場合はとくに、ノンシャランな書きぶりが多くて分類に困るのだけど、堀江さんが登場してきたころ「純文章」ということを清水良典さんが言われたのを思い出します。

堀江井伏の作品で、これいいなと思って初出を見ると、『小説新潮』のような読みもの系の雑誌に書かれたものであることが多いんですね。

野崎むしろそちらに自在なものがたくさんある。

堀江かつて中間小説という言葉がありましたけれども、それこそ中間層にある言葉を吸い上げて排出していくのが巧かった。

野崎『へんろう宿』など、僕は本当に絶品だと思いますけど、あれはたしか『オール読物』だったかな。自分の作品が活字になる際に、周りの作品とどのような関係を結ぶかまで考えて書いていたのかもしれません。『へんろう宿』にしても、出だしは旅の随筆みたいなんですが、でも読み終わると、ああ、いい小説だったなと思える。そんなふうに作品のなかで文章の次元が変わっていく感覚が味わえるものが多いです。

堀江幻想が入ってくる感じですね。ほんとに不思議な話で、「うば捨て山」の反対というか。

野崎まさにそうです。宿に子供を捨てちゃうわけですから。

堀江血縁ではなく、運命だけで人と人がつながっていく物語。それは、井伏が「原典」を扱うやり方と同じです。血のつながりはないけれど、状況だけでつながっていくテクストを探してくる手際が絶妙なんです。

野崎なるほど。テクストとの関係と同じというのは、過去の資料を掘り出してきて書き直してみたり、一次資料として引用したりする、その手つきが似ているということですね。

堀江そういえば、むかし、ゴキブリがリーンリーンって鳴いているから、どうしてだろうと思って事情を訊ねたら、鈴虫に育てられたっていう、ギャグがありませんでしたか?

野崎え、何ですか、それ。意味のわからないギャグが突然出てきたんですけど(笑)。

堀江『へんろう宿』にずっといる子供は、小学生のころからそこにいるおばあさんの仕草や言葉遣いを覚えていくわけですね。子を育てきれずに捨て去った親の文化より、いまある環境の言葉に染まり、吸収していく。あの設定は、いかにも井伏らしいと思いますね。

野崎いま、ちょっとびっくりするほど素晴らしい『へんろう宿』の読解を伺いましたが、たしかに捨てられたものは、そこで死んでしまうのではなく別のかたちで育っていく。生命の継続なんですね。

堀江本来、僕はそれしかないと思っています。大学の教育だってそういうものですから。

野崎ああ。みんな一度捨て子になっている。それを早稲田大学文学部が集めているという。

堀江そうそう、捨て子なんです。

野崎いまのアイディアをお借りすると、『黒い雨』でも、彼と同郷である広島の年下の人物で、釣り友だちでもあり井伏文学のファンでもある人が、どうしても自分の日記を見てくれといって、ある意味、自分のところに日記を捨てにやってくるわけです。それが出発点となり、他人の言葉を使って、テクストが紡がれていく。それまで井伏文学がやってきたことの総決算です。

堀江フィクションの世界でそれまでやっていたことが、本物のテクストを呼び寄せてきた。友釣りが成功したわけですね。文学が釣りそのものになってくる。

野崎『多甚古村』も、自選全集の解説によればある村の駐在さんから日記が送られてきたのでこれを元に小説を書いたのだと。そういうことが本当に多いんですね。でも、駐在さんの日記って、本来他人に見せたりあげたりしていいものじゃないはずですよね(笑)。

堀江あり得ないですよ。

野崎何とも不思議。読者はどこまでそういう説明を受け入れて読むべきなのか。しかも、『多甚古村』などという村は存在しない。命名からしていかにも絶妙です。堀江さんのところにも、見知らぬ人から日記を読んでくれと、小包みが届くなんてことがあるんじゃないですか?

堀江さすがにそれはありません。

野崎いかにも適任だと思うけどなあ。つまり自分のところに、自分が書いた日記を死蔵していてもつまらないという気持ちはわかるんです。例えば太宰の『女生徒』なんか、もとの日記と太宰の書いた部分はそっくりなんでしょう。でも、やっぱり太宰が一筆入れると輝きが違ってくる。だったら自分の日記も、誰かいい作品にしてくれないかな、やっぱり堀江敏幸かなと思ったとしても不思議はない。

堀江おもしろいですね(笑)。

野崎しかも、堀江さんはご自身で書いたものを他人のテクストだというかたちで、自作に登場させるパターンはお得意ですよね。井伏の『さざなみ軍記』のパターンです。これは平家の若君の日記を翻訳したものだというのですが、そんな日記はどこにもない。でも、僕なんか無知だから、ほんとじゃないかと騙されて読んだものですよ。堀江さんは『その姿の消し方』という小説において、まず誰も聞いたことのないだろうフランスの詩人の詩を引用しています。もちろんこれを創作と決めつけてはいけなくて、堀江敏幸は早稲田仏文を出ただけあって、フランスの知られざる詩人を紹介しつつおもしろい小説を書いてくれたという読み方もできるし、いや、これは原作のない翻訳という、井伏鱒二やボリス・ヴィアンもやったようなやり方だなという読み方もできます。

堀江どっちなんでしょうね(笑)。フランスの小説では、コンスタンのように「拾った手帳」という道具立てがありました。日本の小説家なら、辻邦生の作品がそうですね。架空の日記の、さらにその翻訳という設定をする。これは、釣りにおけるオモリの仕込み方、友釣りの方法です。珍しいやり方ではないと思いますね。

野崎とはいえ、かなり手の込んだご苦労であることは間違いない。フランス語のテクストと日本語とをああいうふうに相互に交通させることは、架空のテクストであれ、実在のものであれ、かなり厄介なことですよね。堀江さんには、面倒な言葉の現場を引き受け、そこから小説を立ち上がらせようとする意志がある。そこが井伏鱒二的ですね。まあ、へたな解釈は『その姿の消し方』の楽しみを減じさせてしまうのでここまでにしましょう。

堀江少なくとも、ドリトル的ではあります。いつも「押しつ押されつ」という感じです。三〇代に入ったばかりの頃、ある文章で「押しつ押されつ」を扱ったんです。どちらにも属さない存在のあらわれの一例ですね。日和見や両面性ともちがう、僕の用語で言えば「回送電車」的なものです。あの頃は、井伏鱒二を軸にそんな話をしても、誰も聴く耳を持ってくれなかった。だから、人が乗ってないけれど役には立っている電車を軸にして、仲介者的な立場に焦点をあてていました。

野崎「押しつ押されつ」は、『ドリトル先生』に出てくる珍獣Pushmi-Pullyuの井伏訳ですね。

堀江今も当時もですが、押しつ押されつの態度というのは、判断を下さず、右左を言わないまま、なあなあで済ますといった、ネガティヴなものと捉えられがちです。でも、それはちがう。もっとポジティヴなものだし、それを自分の口から言ってしまうと駄目になる、板挟みの状態なんです。

野崎なるほどなあ。

堀江本人は戦っているはずです。鮎で戦い、ペンで戦い、遊びのように見える仕事で戦った。流されるふりをして、つねに戦闘状態にある。

野崎文芸批評用語で言えば、闘争のエチカですね。

堀江ええ。例えば『本日休診』が良い例でしょう。医者は「本日休診」という札を出し、いちおう休みという体裁にしているけれど、急患は受け入れる。井伏さんはずっとこの立場だったと思います。

野崎見事な新しい井伏像が建立されたという感じです。

堀江だから、丸顔でベレー帽で和服が似合うお爺さんになれたらと夢見ることがあるんです(笑)。

野崎井伏の時代は、とりわけ敵と味方をはっきり分ける時代だったから、押しつ押されつの苦しさもひとしおだったでしょうね。彼の言葉でいえば、敵前逃亡ではなくて「敵前迂回」。できる限り迂回し続ける。でも、ある意味で敵と共存しているともいえます。

堀江敵がいなければ迂回もできない。自分の身を脅かす敵というよりは、井伏さんの磁場に入ってきた、自分を豊かにしていく敵と言いかえてもいいでしょうね。

■自分をちぎってオモリにする

野崎井伏は、小林秀雄に始まり、河上徹太郎や牧野信一といった人物評のエッセイの達人でしたね。ただしそれはあくまで風貌を描くのであって、敵だったのか味方だったのかはわからないように書いています。例えば牧野信一は、酒の席で絡んできて、「今日は一丁もんでやる」と、井伏さんが泣いて逃げていくまでやめないひどい人なのだけど、それを糾弾するエッセイにはなっていない。

堀江好きだったのか嫌いだったのかがわからない。もちろん書いたからには好意を持っていたんだろうとは思いますが。自分のためではなく、人のために書くのが「風貌」なんでしょうね。魅力があるのはそのせいかなと思います。

野崎奥行きの深さにうかがい知れぬものがあるのは、太宰との関係です。太宰についてはたくさん書いていますけれども、熱烈な賛辞は一切ない。ただ、あれだけ長きにわたって絶えず書いているのだから、よっぽど別格であることも間違いありません。なかなか理解しきれないところがある。

堀江野崎さんふうに言うと、太宰につけ入れられやすい性質を井伏は持っていた。

野崎しかもそんな太宰がかわいい、愛おしいと思う気持ちも伝わってくる。例えば将棋です。文学論を始めてしまうと正面からの戦いになってしまうからか、彼らはつねに将棋の戦いにかたちをかえて関係を築いていきます。指しつ指されつですね。

堀江将棋というのは、僕の理解では、詰め将棋は別として、やっぱり相手があってはじめて成り立つものですね。ふたりで棋譜をつくる。テクストを共同執筆するわけです。しかも、棋譜はどこでやめるかによって、模様がぜんぜん違ってくる。負けるのがわかっていても、あと何手指すと形として美しくなるか、を考えて投了する。美しい盤面で終わりたいという意識が働く。自分が美しいと思う負けの手順を許容してくれる相手が必要なんです。息の合った棋譜があり、ここで終わらざるを得なかったという棋譜ではそれが美しい盤面になる。井伏さんは戦地での体験もふくめて、終わりのかたちとして美しくない死に方をたくさん見てきたんでしょう。これなら許容範囲だという線を明確に持っていたはずです。それに対して、押しつ押されつになる。なにはともあれ、将棋の盤を挟んだ対話が楽しいんでしょうね。

野崎なるほど。だからとにかく対面してずっと座っていたかったと。井伏と他の作家たちは、家を訪ねると、何も言わないのに相手が将棋盤を出してくるような関係ですが、どうしてそういうふうになっていたのか腑に落ちる気がしました。

堀江井伏は太宰との関係において、嘘を言われていても、長い時間をかけてそれを飲み込む度量があった、と野崎さんは書いておられます。あわてて訂正してまわらないんですね。それから、映画の切り返しのショットのように、外部的な視点を使って状況を描き出しているという指摘もされた。当事者でありながら、どこか他人事にするような、冷徹な目を感じることがありますね。

野崎太宰にとことんつきあい、そしてまた迷惑もかけられたあげく、ああした最期に立ちあった人間がそれについて雑文を書くとしたら、井伏以外ならばもっとセンチメンタルなものになったと思うんです。また自分だけが長生きをしたら、追慕の念もどんどん高まっていったと思う。これは井伏の奥さんの証言ですが、太宰をしのぶ会のときほど、井伏が泣いたことを見たことがなかったそうです。つまりほとばしるエモーションはあったんですね。でもそれが文章からうかがえるかといえば、そうではない。むしろ、ある種の突き放した感じを受けます。井伏は冷たいところもある人なんですよ。

堀江テクストに仕込まれたオモリというのは、そういうものなんでしょうね。そのへんに転がっている石や、釣り具屋で買った鉛ではなく、自分をちぎって入れていく。そういうオモリがあるかどうかで、文章の質は違ってくるんだと思います。そこで踏ん張った跡があるかどうか。太宰は井伏にとってもちろん唯一無二の大事な存在ですけれど、文章に書く際には別物になっている。

野崎そうなんですね。

堀江だから、冷たいことと温かいことは、押しつ押されつ、ひとつのものの両義なんだと思います。

野崎それは、魚との関係にも言えること。結局、魚や川をあそこまで愛した人でしたけれど、魚や川は非人間的なものの象徴でもあると思います。それこそ太宰と一緒に伊豆に泊まって釣りをしたとき、洪水になってみんな死ぬかと思ったというエピソードがありますね。川は人間のことなどかまっていないんですよ。ひとたび何かあったら、人間を追い詰め、呑み尽くして終わる、残酷な存在です。その際のところで、踏ん張っていられるかどうか。そこがやはり、彼の長きにわたる文学の強さだと思います。

堀江戦争も、非人間的なものに含まれるかもしれません。

野崎そう思います。

堀江井伏鱒二が自分に冷たいオモリを仕込んででも、テクストを釣り上げていく勁い作家だということが、今日はよくわかりました。僕も早稲田的へんろう宿の捨て子のひとりとして、その精神を受け継ぎたいと思います。

(2017.12.28 山の上ホテルにて)
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プロフィール

野崎歓のざき・かん
1959年、新潟県生まれ。東京大学大学院・文学部教授(フランス文学)。主な著作に『ジャン・ルノワール 越境する映画』『赤ちゃん教育』『異邦の香り ネルヴァル『東方紀行』論』、訳書にウエルベック『地図と領土』、サン=テグジュペリ『ちいさな王子』、スタンダール『赤と黒』など多数。

堀江敏幸ほりえ・としゆき
1964年、岐阜県生まれ。主な著作に『おぱらばん』『熊の敷石』『雪沼とその周辺』『河岸忘日抄』『なずな』『その姿の消し方』『オールドレンズの神のもとで』、訳書にソレルス『神秘のモーツァルト』、ドアノー『不完全なレンズで 回想と肖像』、ユルスナール『なにが? 永遠が 世界の迷路III』など多数。

水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ

水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ
野崎歓 著
2018年8月3日発売
ISBN:978-4-08-771149-3
定価:本体2200円+税

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