第37回小説すばる新人賞を受賞し、この度『グッナイ・ナタリー・クローバー』がついに刊行となった須藤アンナさん。
霧の町チェリータウンが舞台の今作は、須藤さんの空想力が詰まった一作です。
新時代の書き手の魅力をご紹介します。

――このたびは小説すばる新人賞受賞おめでとうございます。受賞作『グッナイ・ナタリー・クローバー』は、父親に支配されている十三歳のソフィアが、風変わりなよそ者・ナタリーと出会い、自分を取り戻していく物語。須藤さんの受賞の言葉は、映画『ラ・ラ・ランド』の空中浮遊のシーンとご自身の受賞の喜びを重ねるなど、短い中に読者を楽しませる工夫がちりばめられていて、それだけでもう筆力を感じました。一つ、ショックな部分もありましたが……。

須藤 私、なにかやらかしちゃってましたか?

――『ラ・ラ・ランド』を観たのが中学生の時だということに、お若い! と驚いたんです(笑)。現在は社会人一年目の二十三歳。受賞作『グッナイ・ナタリー・クローバー』を執筆したときはまだ大学生だったそうですね。

須藤 はい。大学生のときに書きました。

――それ以前も、様々なジャンルに挑戦してきたと伺っています。文学との出会いはいつ、どんなジャンルから?

須藤 母が地域の読み聞かせ活動をしていて、壁という壁に本棚があるような家で育ちました。覚えているのは幼稚園年少の頃に読んだ『ファーブル昆虫記』です。

――年少で? その歳で文字が読めるだけでもすごい!

須藤 上にきょうだいたちがいたので、負けたくなくて背伸びしていたんだと思います。内容はフンコロガシくらいしか覚えていないので、「読んだ」と言えるかどうか怪しいですが(笑)。
 母の真似をして絵本の音読をしていたら、「須藤さんは読むのがうまいね」と褒められ、小学校一年生のときの学芸会でナレーター役をやらせてもらったことも。本を読んでいると人から褒められるんだ、と気づき、その頃から褒められたがりだったので、どんどん文学の世界にのめり込んでいきました。

――お話を作るようになったのは、いつごろから?

須藤 幼稚園生の頃、家にうさぎのスタンプがあって、折り紙の裏にそれを押して、お話をつけて、絵本にしたのがはじまりだと思います。「うさぎの庭」というシリーズでした。

――すでにシリーズ物なのがすごいですね。賞に応募するようになったのは?

須藤 きっかけは中学一年生のクラスで取り組んだ読書感想文コンクールです。自分の得意とする文章で賞をもらえるんだ、ということに気づき、どうせだったら賞金がもらえるものがいい、というやらしい下心で(笑)、『公募ガイド』を読んでは標語や川柳に応募するようになりました。
 でもかすりもしなくて 、お話を作るほうが向いてるのかも、とまずは応募枚数が五~十枚と短い童話の賞を目指してみることに。中三のときに、中学生部門で奨励賞を頂き、手ごたえを感じたのですが、高校生になって一般部門での応募になると、また全然通らなくなって。高校一年生のときに短編小説の賞で特別賞を頂いたのが、初めての成果でした。

――標語、川柳、童話とジャンルがさまざまですね。

須藤 恋愛小説だけは恋をしたことがないので苦手なのですが、それ以外だったら児童文学、青春文学、SFとなんでも読みますし、書きます。漫画のネーム賞やアニメの脚本にもよく応募していました。今回の『グッナイ・ナタリー・クローバー』は、児童文学のつもりで書いたんです。小説すばる新人賞の応募要項にあった「ノンジャンル」という言葉を過信して(笑)、応募しました。

――バラエティ豊かな歴代受賞作の中でも、今作は異色の存在だと感じましたが、まさかご本人にとっては児童文学だったとは。大人向けとして通用する強い物語だったからこそ受賞したのでしょうね。着想はどこから?

須藤 じつは思いついたのは高校生のときなんです。小中高一貫の学校に高校から入学したのですが、外部から来た私はうまく溶け込むことができなくて。排他的、閉鎖的な雰囲気にすっかり嫌気がさして、隙があれば都立高校に転入する方法を調べる毎日でした。もともと人づきあいが苦手なのですが、その時期はますます内向的になって、家で本やアニメ、映画をひたすら摂取していました。その作品たちに影響を受けて、友情の物語を書きたいと思ったのが始まりです。

――なるほど。本作の舞台・チェリータウンは、よそ者のナタリー・クローバーを警戒し、主人公のソフィアに見張り役を命じるような町。須藤さんがその頃学校に抱いていた閉塞感にも通じていますね。影響を受けた作品というのは?

須藤 本ですと、L・M・モンゴメリの『丘の家のジェーン』 とパトリック・ネスの『怪物はささやく』。アニメでは『少女革命ウテナ』と『まわるピングドラム』。この二つはいくはらくにひこ監督の作品なんですが、私は監督の大ファンなんです。今、映像関係の会社に勤めているのですが、職場ではことあるごとに監督の作品について熱弁しています。
『少女革命ウテナ』は友情の物語で、『輪るピングドラム』は愛の物語。友情とか愛とか、どちらも口にするとちょっと気恥ずかしい単語ではあるのですが、テーマとして突き詰めていったことで永遠に心に残るようなものになる、ということを学びました。とくに『ウテナ』は閉鎖的な学園の中で主人公のウテナが革命を起こしていく物語。当時の自分の状況とも重なって、すごくのめり込んだし、本作も大きな影響を受けています。

須藤アンナ

――選評でも宮部みゆきさんが触れていましたが、チェリータウンはアメリカやカナダを思わせる町で、登場人物も全員カタカナ名。なぜ日本を舞台にしなかったのでしょうか。

須藤 その質問をよく頂くのですが、私はこの物語の舞台を日本にする必要性を感じなかったんです。物語というのはなんでもできて当たり前だと信じているので、だったら架空の町でいいじゃないかと。へんに日本の町にするよりは、海外の架空の町にしたほうがかえって身近に感じられる気もしました。

――これまで書いてきたものも海外が舞台のものが多かったのですか。

須藤 学生時代に賞を頂いた童話では、北欧が舞台だったり動物が主人公だったりしたので、日本や現代を舞台にしたことのほうが少ないですね。

――読むのも海外小説のほうがお好きなんですか?

須藤 大学から現在進行形で安部公房大先生を読みふけっているので、そうとも言い切れません。最初に読書って面白いと思ったのは中学生の時に読んださくらももこさんのエッセイ『もものかんづめ』ですし。
 ただ、日本の現代小説はあまり読まないですね。それこそさくらももこさんだったり、万城目学さんや朝井リョウさんなど、エッセイは好きでよく読むんですが……。自分が日本に住んでいるというのもあまり意識していないんです。子どもの頃って転校で簡単に人間関係がリセットされるじゃないですか。二度転校をし、それを味わったので、土地に執着がないのかもしれません。私にとっては今いる日本も海外も、小説やアニメなどの物語の世界も、それぞれの間に明確な隔たりがないと言いますか、レイヤーが違うだけで同等なんです。

――だからなのかな。最初、これは海外在住の方が書いた小説かなと思ったんですよ。ソフィアがパパに作る朝食のメニューや、ナタリーの短パンに袖を破いたようなトレンチコートという奇抜な格好、バーのお客のブラックジョークなど、細部にわたるまできちんと海外の匂いがして。なにかモデルがあるのですか。

須藤 私、八〇年代のアメリカのドラマ「フルハウス」が大好きで。好きすぎて卒論のテーマにしたくらい。 高校生のときに短編小説賞の賞金でDVDを買ったんですが、家に届いた日はあまりに嬉しくて、仮病で学校を休んで一日中観てました。あれはサンフランシスコが舞台なんですが、霧が出る町で橋があって……、その組み合わせが好きでチェリータウンも霧と橋の町として描きました。

――チェリータウンのモットー「壊れていないなら直すな」がたびたび登場し、大人たちの理不尽さを際立たせています。これはどこから?

須藤 高校の授業でアメリカの州ごとにモットーがあることを知って、面白いなと思ったんです。アイオワ州の「我らの自由を尊び、我らの権利を守る」とか、メリーランド州の「強くふるまい、優しく語れ」とか。「壊れていないなら直すな、見なかったことにしろ」というモットーは、実際は州のモットーではなく、べつで知った英語のことわざです。当時、自分が何を考えていたかまでは思い出せませんが、プロットノートの最初のページにこの警句が書いてありました。その頃自分が感じていた閉塞感と、大人は頼りにならないという決めつけがあって、この言葉にかれたのかもしれません。

――冒頭の一節、「子供は誰だっていつだって、親にとって一番の自慢でありたいと願う。だって、親は世界のすべてだから。もし期待に沿えなかったら、鏡を見ながら、自分で自分のおでこに『ダメな子』と泣きながら書かないといけない」から始まるソフィアの独白が痛切です。

須藤 「自立」というのもこの物語の一つのテーマです。子どもの息苦しさのほとんどは、親と周囲の環境にあると思います。ソフィアもそうですけど、友達がいないと相談ができないし、本当に親の存在がすべてになってしまう。友情によって少しずつ自我や自分の輪郭を獲得して自立する、という構成にしたことで、自分の中で物語とテーマがかみ合い、腑に落ちました。

――ソフィアだけでなく、兄・エディは父親にいないものとして扱われ、両親のいないナタリーは親戚中をたらいまわしにされた過去があります。エディの友人・ノアもまた大人の身勝手に傷つけられた子どもです。子どもたちの鬱屈は当時の須藤さんと重なっているのでしょうか。

須藤 あの頃、感じていたのが、大人の都合によって子どもとして扱われるときと大人として扱われるときがあるという理不尽。子どもというモラトリアムの息苦しさだったり、だからこそできる好き勝手だったり、そのいびつさや矛盾も強く印象にありました。ソフィアやナタリーは十三歳ですが、その年頃から自我が成長して、だんだん他人がいることに気づき始め、劣等感が生まれ、不自由さや不満、嫌悪感が生まれる。あの時、こういう本があったらよかったな、と思ったのも書き始めた動機の一つです。
 冒頭の一節は高校生の時にすでに書き上げていて、そこからほとんど変えていません。ただ、その先を今の自分ではまだ書けないと思い、寝かしておいたんです。大学三年になって、もっと本を読んだり、外での経験を積んだことでやっと書けるようになりました。

――なぜ高校の時に中断したものと、もう一度向き合おうと思ったのですか。

須藤 大学一、二年のときはコロナ禍でオンライン授業ばかりで友達もできず、家の中で遊んでいるだけの生活をしていました。三年生になって、このままじゃいけないと、夏に初めて留学をしたんです。デンマークのオーフスという町で、現地の学生たちと映画を作るというプログラムでした。その時に、やってみればなんとかなる、というへんな度胸がついたんだと思います。今作はある意味、過去の自分との合作です。

須藤アンナ

――ナタリーは、一週間ごとに記憶をくしますが、この設定は最初からあったんですか。

須藤 はじめは、何かしらの事情を抱えた子がよそから来る/向かいに越してくる、ということだけが決まっていました。プロットを一通り書き終えた後、つじつま合わせのようにして出てきたのがこれでした。

――週ごとにナタリーのキャラが変わるところが面白いですよね。

須藤 だからソフィアは毎週いちから友達になり直さないといけない。友情がテーマの物語なので、友情を試すようなつくりにしたんです。ナタリーからソフィアだけでなく、ソフィアからナタリーにもいい影響を与えていく関係にしたかったので、付箋に二人の間に起こるイベントを書いて、二週目にしようと思っていたイベントを一週目に持ってきて……と試行錯誤しました。

――ナタリーが記憶を補うために毎日出かけて町の地図を作る、というところも素敵でした。

須藤 ありがとうございます。『グーニーズ』に出てくる宝の地図のようなワクワク感を出したかったというのもありますが、地図を作ることにすれば、二人が町を巡り、町についてソフィアがナタリーに説明することになります。地の文で説明するよりも自然だし、しかも小出しにできるので読者の興味を惹きつけられるかな、というメタ的な意図もありました。

――高校生でそこまで考えられるのがすごい!
 ソフィアはナタリーと出会う中で、自分が本当は小説家になりたかったことに気づき、ディーン・フェイという名前を自分に付けます。「ファミリーネームはない」というところが痺れました。名前って、いろんな童話で奪ったり隠されたりするものとして出てきますが、「新たに自分を名づける」という発想はどこからきたのでしょう。

須藤 私自身、あまり自分の名前にこだわりがなくって。よく苗字を間違えられるんですが、誤って呼ばれても修正するのがめんどくさくって、「はーい」と応えちゃう。ペンネームもコロコロ変えてきましたし。また、作中でも少し触れていますが、大学受験の時に読んだ英語のテキストで、名前を社会的役割ごと交換する民族の話があったんです。配偶者とか村での地位とかもそのまま交換するそうで、そのとき、いいなって思ったんですよね。みんな、自分の好きな名前、名乗っちゃえばいいじゃんって。


――そしてこの作品で、須藤さんはご自身に「須藤アンナ」という名前をつけたわけですね。ペンネームの由来は?

須藤 アンナもそうですが、ストウも意外に海外にある名前でして。『アンクル・トムの小屋』の作者のハリエット・ビーチャー・ストウですとか、女優のマデリーン・ストウですとか。 国籍不詳感というか、アンナ・ストウというペンネームなら海外でも通用するかなという、捕らぬ狸の皮算用です(笑)。

――ソフィアは詩や物語を書くことでつらい現実から救われます。これは須藤さんご自身にも言えることですか。

須藤 そうですね。たとえば日記のように思いをそのまま書くと、思ったより面白いこと考えてないなという現実を突きつけられるので、いつも物語に昇華させてきました。もっと面白い書き方ができないかと試行錯誤するうちに、そっちが楽しくなってきちゃう。とにかく面白いことをしていたいという思いだけで今日も生きています(笑)。

――町長さんやお向かいに住んでいるブラックさんなど、陰でソフィアを心配している大人たちも描かれます。完全な「子ども対大人」の対立構図にしなかったのはなぜでしょうか。

須藤 勧善懲悪はあまり好きではなくて、誰にでも都合があるし、ソフィアにもひねくれた部分がある。人間は一色じゃなくてグラデーションがあって、時によって見える部分がまた変わってくると常々思っているので、単純に倒していい悪は出てこないように意識しました。

――ナタリーは自分のことを「僕」と言ったり、逆立ちで歩いたり、ジェンダーが曖昧に書かれていますが、これはなぜでしょうか。

須藤 それも名前と一緒で、私自身にそこまで性別にこだわりがないからだと思います。大学にもジェンダーフリーのトイレがあって、それが自然に感じられる環境だったのもあるかもしれません。あとは、一人称で週ごとの違いというかバリエーションを出したいという、メタ的な話です。

――須藤さんのお気に入りのキャラクターは誰ですか。

須藤 いません。 誰かに肩入れしてしまうと、読者よりも作者の愛が強くなって読者の熱が冷めてしまいますし、テーマに対して物語のバランスが悪くなってしまうと思うので、極力フラットな目線でいたいんです……と、かっこよく言ってみましたが、これは漫画『呪術廻戦』のあくた下々げげ先生の受け売りです。いろんな人の創作論を読むのが好きで、よくノートに写したりしています。贈賞式の挨拶では、アーシュラ・K・ル=グウィンさんのエッセイ『ファンタジーと言葉』、安部公房大先生の『死に急ぐ鯨たち』から引用させていただきました。

――ネタバレになるので遠回りしてお尋ねしますが、ラストシーンが意外な展開でした。

須藤 プロットを練っている段階では、ソフィアとナタリーが手と手を取り合って逃げ出す、というアイデアもあったのですが、それだと逃亡であって前進ではないと思い、あのラストになりました。自立も一つのテーマなので、ソフィアの依存先が親からナタリーに替わっただけでは何の解決にもならないという思いもありました。そして、家族という関係を完全否定しない、やり直しの利くものとして描きたかったので、ある人物に頑張ってもらいました。

――その先はぜひ本編でお楽しみに。社会人一年目の須藤さん。この先は執筆と仕事のバランスをどう取っていきますか。

須藤 学生時代は通学中のバスの中で、膝に原稿用紙を置いて書きなぐっていました。今も会社へ向かうバスの中でパソコンをパチパチやっています。だから、社会人になったからといって、小説との距離は変わらないのかなと思っています。

――お話を伺っていて、須藤さんはそれこそ『ラ・ラ・ランド』で宙を舞う人たちのように自由で遊び心のある方だと感じました。国や性別、名前にさえこだわらない須藤さんが、次にどんなものを書かれるのか、とても楽しみです。

須藤 ありがとうございます。『ナタリー』を読み返したら、思ったより遊びやユーモアの少ない話だと感じたので、今度はとことんばかばかしい話を書きたいです。ジャンルにもこだわらず、出すたびに「こいつ、また変なものを書いてるよ」と言われたら本望です。

須藤アンナ

「小説すばる」2025年3月号転載