内容紹介
熱を帯びた薫りは、絡みついて、重く残る――。
『透明な夜の香り』『赤い月の香り』に続く、「香り」シリーズ最終作!
江戸時代から続く京都の香老舗・瑞雲堂。社長の娘である真奈には、飛びぬけた香の才能を持つ妹・丹穂がいた。亡くなった彼女の遺体を荼毘に付す際、あたりを満たしたのは、するはずのない最高級の沈香・伽羅の薫り。
葬儀から数か月後、真奈の前に「伽羅の骨」を探す男・新城と、生前の丹穂との約束を果たしに来たという調香師・小川朔が現れ……。
香りのサロンを開く前、二十代の朔を描いた前日譚にして完結編。
プロフィール
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千早 茜 (ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で第21回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。翌年、同作にて第37回泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞、23年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。『ひきなみ』『赤い月の香り』『マリエ』食エッセイ『わるい食べもの』シリーズなど著書多数。
書評
天才調香師と香りが導く謎と秘密
瀧井朝世
まさか三作で終わるとは。
やはり三作で終わるのか。
千早茜の「香り」シリーズが、新作『燻る骨の香り』で完結すると知った時、そんな気持ちが交じり合った。そもそも第一作の『透明な夜の香り』は、これしかないと思える完璧な形で結末を迎えた作品だった。それでも、この世界をもっと読みたいという多くの読者の要望に応えて書かれたのが『赤い月の香り』で、著者が続篇を書くのは初だった。これは長期シリーズ化するのかと期待したが、すでに完成された作品をいたずらに引き延ばすことをしないのは、著者の美意識と、作家としての矜持だろう。
坂道をのぼり、針葉樹の林を抜け、市街地を一望できる高台を過ぎ、人工林とは異なるほの暗い森を行くと見えてくる古い洋館。両側に三角の屋根があり、生クリーム色の壁とチョコレートブラウンの窓枠を持つそれは、絵本のお菓子の家を重々しく上品にしたような建物だ。裏にはたくさんのハーブが植えられた菜園のような庭もある。そこが、天才調香師、小川朔の住まいであり仕事場だ。
やってくる依頼人の要望に応えて、自在に香りを調合する朔。彼は人並外れた嗅覚の持ち主で、それゆえ雑多な匂いが混じりこむ街中では暮らせず、風上である高台のこの洋館でひっそり暮らしている。彼によって香りに関するマニアックな知識もたっぷり披露され、読者の嗅覚を刺激する。
第一作、第二作は、朔に雇われた人物の目を通して、顧客たちとのエピソードが語られていく。朔が匂いを嗅いだだけでさまざまなことを言い当てる様は、数少ない手掛かりから真実を解き明かす名探偵のよう。終盤にはなにやら事情がありそうな視点人物たちや朔自身が抱える謎や秘密が明かされる。
第一作『透明な夜の香り』の主人公は一香。仕事に行けなくなり部屋にこもっていた彼女が、偶然求人の貼り紙を見つけて得たのが、この洋館での家事手伝い兼事務の仕事だ。
人生に疲れ切った女性が、素敵な洋館でミステリアスな調香師の傍らで働くことになり……というとロマンスの予感を抱いてしまうが、二人の関係は微妙。朔は会うなり一香が家に閉じこもっていたことを言い当てる。しばらく体を動かしていない人特有の汗の匂いがしたのだというのだ。また、館で働く条件としてボディソープやハンドクリームなど身体や髪や衣服を洗うもの、肌に塗るものはすべて朔が調合した品を使うように指示、さらに月経日は休んでほしい、とも。また奇妙なことに、「決して噓をつかないこと」という条件も。彼は人の噓の匂いを嗅ぎ取ってしまうらしい。ここまで言われると、文字通り近寄りがたく感じるというもの。ここまで従業員の匂いを厳重に管理しているといえば、パワハラ雇用主にも思えるが、そうしないと彼自身が穏便に暮らせないのだから、お互いになんとも窮屈である。
主要人物には他に、洋館の庭の手入れを任されている源次郎や、朔の古くからの友人である新城がいる。新城は粗雑で煙草の匂いをプンプンさせている男だが、朔のよき理解者で、朔の仕事の窓口もしている。そんな彼が一香に言う。「あんた、朔に惚れるなよ」、惚れたら「ここを辞めさせられるぞ」と。一香は答える。「大丈夫です」「恋愛感情とか、よくわかりませんので」。
一香は毎日ここに通い、支給されたシャツワンピースに着替え、朔に指定されたレシピで料理を作る。庭のハーブを使った料理や、トーストやベーコンエッグといったシンプルな料理も描写で読ませ、心くすぐる。
洋館にやってくる顧客が依頼する香りもさまざまで、「亡くなった夫の体臭」といったものもある。各章、依頼の謎とその真相、それに対する朔の対応が描かれていく。そして終盤は、一香が抱える辛い事情や、朔の幼少期の心の傷、そして二人の関係の変化にも迫っていく。
第二作『赤い月の香り』はその後日譚で、今度は満という青年が従業員として雇われる。前作同様さまざまな顧客が登場するが、繊細で内省的な一香ではなく、思考するより感情で動くタイプの満目線のため、作品のトーンも若干異なる印象。満は朔に「怒りの匂いがする」と言われており、こちらも何か事情がある様子だ。一香と同様、彼もまた、朔との関わりを通して自分の過去と対峙していく。
完結作である『燻る骨の香り』は、前二作の前日譚だ。京都を舞台に、朔が二十代だった頃の出来事が語られる。モチーフとなるのは香水ではなく、お香だ。
主人公は京都の香老舗を営む一族の長女、真奈。彼女は現在、社長である父親に代わって会社を切り盛りしている。というのも香の天才だった妹、丹穂が亡くなり、そのショックのためか父が自室から出てこなくなったのだ。丹穂の葬儀から数か月後、「伽羅の香りの骨」を探しているという新城という男が、続いて生前の丹穂と交流のあった調香師、小川朔が現れる。朔は丹穂との約束を果たすために来たといい、しばらく京都に滞在するという。
真奈自身がお香のプロであるため、本作では香道や香原料についての情報が盛り込まれて楽しい。連作短篇集だった前二作とは構造が異なり、今回は長篇のなかで“華麗なる一族”に秘められた愛憎が浮かび上がり、真相にも驚かされる(香りを使ったトリックに「!」)。このシリーズがミステリにカテゴライズされるかどうかは読む人の判断次第だが、人の心の謎を香りが解く、という意味では、十分ミステリといえるシリーズだと思う。
三作を通じたテーマとなっているのは、「執着」だ。顧客たちがなんらかの香りに執着している姿が描かれるから、というだけではない。第一作では朔自身が、執着と愛情の違いについて思い悩む。第二作では執着と愛情と加害性の問題が浮上する。そして第三作では、朔が一族の執着劇を目の当たりにする。彼が執着というものに関心を寄せるきっかけとなった出来事が描かれている、といってもいいだろう。
第一作で朔は、「香りは脳の海馬に直接届いて、永遠に記憶される」と語っている。たしかに何かの香りを嗅いで「なんだか懐かしい」「記憶をくすぐられる」と感じた経験のある人は多いはず。もしそれが不快な記憶と繫がる香りであったなら、嗅いだとたんに気分がマイナスの方向に振れるかもしれない。また、本人にとっても思いもよらない執着を湧き上がらせるかもしれない。香りは人の脳に直接作用し、理性では制御できない感情を引き出してしまうのだから。そんな危うさをも、本書は描き出している。
香水やお香の物語といえば、うっとりする世界をイメージしそうだが(いや、パトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』のような作品もあるけれども)、このシリーズは体臭であったり、遺骨から立ち昇る匂いだったり、人の醜い部分だったり、なかなかグロテスクな場面も多い。なのに全体的に決して下品にならず、静謐で清潔な印象なのは、女性の月経日まで分かってしまう朔に、 いやらしさがまったくないことが大きいだろう。体臭も骨も生理的現象も醜悪なものととらえるのではなく、人間が持つ当たり前のものとしフラットに受け止めている印象だ。また、第一作で朔が、意外にも洋館に花瓶がない理由として、「切り花は駄目なんです。花の傷んでいく匂いが気になってしまう」と語っているように、徹底的にこだわりが貫かれていて清々しいのだ(聞けば著者も同じ理由で切り花はあまり好まないそうだ)。
千早茜の著作はどれも確固たる美意識に基づいてガジェットが選ばれている印象だが、本シリーズはそんな著者の“嗅覚”が、朔に託されて存分に発揮されている。そのブレない美意識、世界観があるからこそ、読者は心地よく耽溺できるのだ。無理強いはしたくないけれど、またいつか、著者がこの洋館を書きたい気分になってくれよう願っている。
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