なつうぐいす』の主人公・滝田蓮三郎のモデルとなった幕末の武士・瀧善三郎。彼の生涯をめぐり、赤神諒さんと、善三郎の顕彰活動や舞台化に取り組む後藤さんに熱く語り合っていただきました。
史実と創作の間で生まれた物語の魅力、そして現代に伝えたい「希望」とは――。

構成/タカザワケンジ 撮影/朝日塾中等教育学校(ACT)

赤神諒対談

「夏鶯」というタイトルにぴったりの主人公

――後藤さんは赤神さんの新作『夏鶯』にとって重要な方だそうですね。

赤神 そうなんです。私、タイトルから小説を構想することがありまして、ある時出会った「夏鶯」という言葉を気に入って、江戸時代の武士を主人公に書きたいと思いました。鶯は春を告げる鳥。夏に鳴く鶯は、大事な時を逃しているんですね。この言葉にふさわしい題材は何かないかな、と二、三年探していました。そんな時に、幕末の武士、瀧善三郎の偉業を説明する看板が、岡山の御津みつ金川かながわにあるななまがり神社に新設された、というニュースに接したんです。それが、後藤さんの瀧善三郎の顕彰活動だったんですよ。
 瀧善三郎について調べたら、まさに私の構想にぴったりの人物ではないかと。
 大政奉還後の神戸居留地付近で、警備のために西宮へ向かっていた備前岡山藩の行列を、フランス人水兵が横切ってしまう。それがきっかけで銃撃戦になり、英仏など六カ国の陸戦隊が神戸を占領して、深刻な外交問題に発展してしまいました。いわゆる神戸事件です。その責任を一身に背負って切腹した武士、それが瀧善三郎でした。彼のおかげで新政府は外交上の危機を免れて、神戸が香港化しなかったとも言えると思います。
 明治維新がすでに成って、武士の時代が終わり始めていた頃、日本のため、藩のために切腹をした侍。何かの事情で時代に遅れて、結局、幕末の志士になりそびれた侍。そんな姿が頭に浮かんで、構想が一気に具体化しました。草稿を書き上げて、後藤さんにご連絡差し上げたところ、すぐにレスポンスをいただき、善三郎のご子孫や地元の方々を紹介くださったおかげで、小説に深みが出せました。
『夏鶯』では、瀧善三郎をモデルにした主人公を「滝田蓮三郎」としています。あくまで神戸事件をモチーフとしたエンタメ小説なので、史実をベースにしながらも、かなり創作しています。それで、登場人物や藩の名前を変えてるんですね。
 それはともかく、後藤さんは瀧善三郎関係のキーパーソンで、しかも劇団歴史新大陸を岡山で主宰し、瀧善三郎を描いた舞台『ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO』(脚本・天沢彰)を演出・主演で上演していらっしゃいます。
後藤 ご紹介ありがとうございます。赤神先生の『夏鶯』を拝読し、究極の切ない読後感を味わいました。読み返そうと思ってページを開き、少し読んだだけで「ああ」とまた切ない思いがよみがえってくる。もちろん切なさだけではなく希望もあるんですが、主人公の蓮三郎の心境が痛いほど伝わってきて、心をバッと持っていかれる作品でした。
 少し自己紹介をさせていただくと、私は二〇〇八年に歴史劇を専門に上演する劇団歴史新大陸を東京で立ち上げました。コロナ禍をきっかけに故郷の岡山に本拠地を移し、演劇活動のほかに伝統芸能の継承や、子供向けの体験教室、歴史ツアーなどを行っています。そこで七曲神社さんとご縁ができまして、境内にあった義烈碑を見たことがきっかけで瀧善三郎の存在を知りました。
 私のように岡山出身で、歴史劇専門劇団をやってきたような人間でもそれまで瀧善三郎を知りませんでした。調べてみると新渡戸稲造が『武士道』を書くきっかけになった人物であり、国内よりもむしろ海外のほうが知名度が高い。その功績にふさわしい顕彰が地元でされていないのはもったいないと思い、私にできることはないかと考えました。
 私は歴史上の人物を好きになったら、わーっと突っ込んでいくタイプなんです。瀧善三郎のお墓をお参りしたり、善三郎が最期を遂げた神戸などゆかりの地を回ったり、子孫の方にお会いしたりと、どんどんのめり込んでいきました。そして、この人のことをもっと発信しなくては、と思うようになり顕彰活動を始めました。
赤神 そして、お芝居までつくられたんですね。
後藤 そうですね。瀧善三郎のことを知った当初から、いずれお芝居にするだろうとは思っていましたが、子孫の方々や町のみなさんと瀧善三郎の顕彰活動をしていく中で、いよいよ機が熟したというか、ここでやっておこうというタイミングになりました。そこへちょうど赤神先生から瀧善三郎のことを小説にしたいというご連絡があったんです。
 昨年、赤神先生が「小説すばる」で連載を開始されて、今年の二月に我々の劇団で演劇作品『ラストサムライ』を上演し、その同じ年に赤神先生の『夏鶯』の単行本が出る。今年は善三郎イヤーになりました。実際に地元でも盛り上がっています。
赤神 『夏鶯』の発売前に、後藤さんのDVDが出ますし、ほかにもコラボ企画があります。岡山の足守あしかりに株式会社板野酒造本店という老舗の酒蔵がありまして、「夏鶯」というお酒を単行本と同時発売してくださいます。瀧善三郎の義烈碑がある七曲神社さんに御神酒おみきを納めていらっしゃる蔵元さんなんです。
 作中では、蓮三郎がお酒を「夏鶯」と命名して、親友と盃を交わす印象深いシーンを書きました。ぜひ本と美酒を一緒に楽しんでいただきたいですね。

必要だった「えいちっきょ」という創作

――後藤さんが「究極の切ない読後感」とおっしゃっていましたが、『夏鶯』は後半に行くほど感情がたかぶっていく場面が増えますね。ご苦労されたのはどのような点でしょうか。

赤神 この物語は、最後に主人公が切腹すると史実で決まっています。どのような設定と展開を経て、その場面と登場人物たちの心情を、最大のクライマックスへ持ってゆくか。どうすれば、切腹シーンが最も崇高なものになるか。限りなく残酷だけれども美しく、敵も味方も関係なく、読者をも巻き込む神聖なシーンにできるのかを考えました。
 そのために人物造形を工夫しています。
 後藤さんにご紹介いただいた瀧家の方々や、語り伝えられている人となりからすると、彼はやはり優秀な武士だったようです。でも、最初から最後までずっと立派な人だったというのでは、小説として面白くならない。
 平たく言うと、主人公の第一印象を、あえて傲慢で嫌な感じの人物にしました。師匠に向かって「俺はおおとりになる」と言い切るような、荒ぶる嫌われ者の若侍として登場させる。抜群の有能さを見せつけたうえで、順風満帆の上り調子から、どん底まで落とす。そこからい上がろうとしても、さらに落とす。いろいろな試練を経て、彼は武士として成長していく。そして、最後、まさに完成した武士として腹を切る。そういうアップダウンをつくりました。
後藤 赤神先生がおっしゃるように、主人公の蓮三郎にハラハラさせられました。京都に遊学して帰って来て自信たっぷりに振る舞っていたかと思えば、理由が明かされないまま永蟄居という処罰を受けて家から一歩も出られなくなる。これ以上蓮三郎に試練を与えないでくださいという気持ちになりました。しかし、その浮き沈みこそが最後の切腹の場面を美しく描くための最高の演出になっていて、こういう持っていき方をされたら、読者は納得するしかないですね。
赤神 本作のテーマは、希望なんです。VUCAの現代は先が見えずに不安で、希望を持ちにくい時代かもしれません。だからこそ、絶望の中でも、人は生きていけるのか、どこにどうやって希望を見つけ出しうるのか、という問いに取り組んでみたんです。それで、家から出ることが許されない「永蟄居」という設定を考えました。
 永蟄居は無期懲役みたいなものですから、いつ出られるかわからないし、一生出られないかもしれない。先の見えないトンネルなんですね。人間はそんな状況になったら、自分が何のために生きているのか、自問せざるをえなくなる。
 蓮三郎は若い頃、日本のため、藩のためと理想をうたいますが、実は自分の野心のために生きていた。しかし、延々と蟄居が続くうち、考え方が変わり始める。人は希望なしでは生きていけない。でも、たとえ絶望的な状況でも、自分以外の誰かのために生きることができれば、それ自体が希望となりうる。彼はそういう生き方を、死と隣り合わせの武士道の中に見いだしていきます。
 フィクションではありますが、この設定が『夏鶯』にぴったりだなと。優秀な人間に、春に鳴きそびれてもらうには、永蟄居が最適でした(笑)。
後藤 『夏鶯』の連載が始まる前に赤神先生から構想をお聞きしていましたが、気になっていたのは、まさにその部分、主人公がゆえありて永蟄居を受けるということでした。そういう史実はありませんからどうお書きになるんだろうと思っていました。
 連載が始まり永蟄居となってからの蓮三郎の姿を見ていると、人生が暗転したことによって人間性が変わっていくことがありありと描かれていました。こうして培われた人間性があったからこそ、人生の最後にああいう大舞台が用意されたのでしょう。

赤神諒対談

史実と創作の間で必要な心遣い

――蓮三郎の永蟄居は創作とのことですが、史料とのバランスはどのように考えられたんですか。

赤神 実は、神戸事件以前の瀧善三郎については、あまり記録がないんです。小説でも使っていますが、分かっているのは、少年時代に大砲の事故で怪我をしたとか、お父さんが早くに亡くなったとか、京都にお兄さんと遊学したけれど、お母さんの病気が理由で戻ってきたとか。
 また、岡山藩――『夏鶯』では吉備藩ですが――が幕末に何をしたかというと、大藩なのに結局、ほとんど何もできなかったんですね。幕末の岡山藩なんか描く小説家は、私くらいじゃないでしょうか(笑)。それをどう面白くするか、史実とにらめっこしながら考えました。
後藤 おっしゃるとおり、岡山藩は幕末であまり目立った動きはしていないんです。神戸事件を知っている我々からすると、こんな大事件があったじゃないかと思うんですけれども、知らない人からすると「岡山って幕末、何してたっけ」みたいな話になります。
 幕末の岡山藩のことを知っている立場で言えば、赤神先生はよく調べられているなと思いました。たしかに実名は使っていませんが、藩主の動きや、藩の中での政争など史実を下敷きにしつつ、面白い物語にされています。緻密に構成をつくられて書いたんだろうなと思いました。
赤神 子孫の方の手前、実在の人物を勝手に悪役にしたくありませんし、史実通りに書くとやたら複雑になるので、統合とか省略とか、技術的に苦労しました。
後藤 岡山には山陽道があり、人、物、金、情報が通るので、幕府につくか、朝廷につくかという時に旗色を鮮明にしづらかったと思うんですよ。そこで藩の中でも意見が割れた。どっちにつこうが絶対に何かが降りかかってしまうので、当時の岡山藩も苦労したでしょうね。
赤神 そう思います。薩摩藩の島津家出身で婿養子に入った藩主や、水戸藩の徳川家から養子となり藩主になった人物がいたのは史実です。現に「ヒラヒラ蝶」と馬鹿にされて、尊王と佐幕の間で揺れ動き、終始受け身に対応して、時代に取り残されていく。その状況を、藩内の政争に振り回される登場人物を通して描いてみました。

――歴史に材を採った小説、演劇として、現代人に対してどうアピールするかお考えですか。

後藤 極力難しい言葉は避けたり、できるだけシンプルなストーリー展開にするように心がけています。あとは、緩急をつけて飽きさせないようにしていますね。笑いあり涙あり。その二つの要素があると見ていて長く感じないんです。『ラストサムライ』も休憩を入れて前後編合わせて二時間半ぐらいあったんですが、終演後のアンケートで「あっという間でした」という声をたくさんいただきました。前半は善三郎と家族の物語、後半は神戸事件から一気に加速して最後の切腹までという構成です。
赤神 私は連載ものでも、いちおう最後まで書いてみてから、キャラ設定に手を加えてゆく場合があります。この流れで行くとキャラがかぶるから設定を変えようとか、ここに着地させるにはこういうキャラである必要があるけれど、一本調子ではつまらないから途中でこう変えよう。そのために、何か契機となるようなエピソードを入れよう、とか。
『夏鶯』で悩んだのは例えば蓮三郎のお兄さん、源五郎のキャラクターです。彼はいい人なんだけど、頼りない。愛すべきキャラになりましたので、源五郎に子はなかったんですが、子孫がいらしたとしても、お許しいただけると思います。
後藤 しくもお兄さんのキャラクターは、うちの『ラストサムライ』でも似た感じなんです。二人兄弟で、二人とも優秀では面白くありません。凡庸だけれど愛すべき一面がある男と立派なことをして果てた男という対比をどうしてもつけたくなります。
 赤神先生がおっしゃるように実在の人物の場合は歴史上の人物とはいえご本人や子孫の方々への配慮は欠かせませんね。
 劇団歴史新大陸でも、実在の人物を演じてもらうことが多いので、役者一人ひとりにそれぞれ人物と歴史的背景の研究をしてもらうようにしています。また、演じる役への敬意を表するために、役者を連れてその方のお墓参りに行くようにしています。
赤神 後藤さんは史実を大切にする方で、善三郎さんのお墓はもちろん、ゆかりの場所を調査するためにあちこちへ行かれています。
 それだけ知り尽くされたうえでエンタメとして仕上げるプロでもある。そんな方から『夏鶯』を評価していただけたのは嬉しいですね。

赤神諒対談
ごとう・かつのり◉78年岡山県倉敷市生まれ。大阪外国語大学(大阪大学)卒業。俳優・演出家・プロデューサー歴史研究家。一般社団法人歴史新大陸で代表理事を務める。「 桜田門外の変」や「新撰組」など、歴史を題材とした舞台に多数出演。

史実に忠実に描いた切腹シーン

――『夏鶯』の中で後藤さんがお好きな場面をもう少しお聞かせください。

後藤 いっぱいあるんですけど、やっぱりさっきおっしゃった、ゆえありて永蟄居、の「ゆえ」が明かされる部分が印象的ですね。
赤神 ラストですね。ちょくちょく伏線を入れてはいるので、読者の心に少しずつ引っかかっていると思いますが。
後藤 なんと言っても『夏鶯』最大の謎ですから。最後に種明かしをしていただいたことで、読者も救われましたし、蓮三郎の魂も救われたんじゃないかなと思います。最後のシーンが一番好きなんですけど、ネタバレになるので、語れないのが残念です。
 ほかに好きなのは、周囲の大切な人たちが亡くなっていく。その死を間近で見ていることしかできなかった蓮三郎の胸のうちを想像すると、心をぎゅっぎゅっと締め付けられるようでした。胸が詰まりましたね。隣家の幼馴染で親友の準之介と最後に二人で岡山の城下町を歩くシーンも絶品です。
赤神 読者に気づいていただけると嬉しいんですが、若い女性が談笑しながら行き過ぎるんです。彼女たちは、実は岡山が蓮三郎によって守られることを知らずに幸せを謳歌しているんですね。映像化することがあれば、ぐっとくる場面になると思います。

――『夏鶯』では切腹についても、かなり詳しく書かれていますね。

赤神 切腹のシーンは何度も書き直しました。
 神戸は現に列強の軍隊に占領されていましたし、一歩間違うと香港のようになったかもしれない。いざ切腹という時に、六カ国の検証人がずらりと並んで、うわさに聞くハラキリとはどんなものか、と興味津々で見ていたはずなんです。そこでみっともない切腹なんかしたら、武士も、日本という国も軽んじられて、下手をすると神戸を失っていたかもしれない。皆が驚嘆するような切腹であったことが列強を黙らせ、日本を救ったとも言えるんです。
後藤 切腹については、当時のイギリスの外交官のアルジャーノン・ミットフォードという人が間近で見ていて、かなり詳しく書かれています。
 瀧善三郎が眉一つ動かさずに見事に切腹した様子が書かれていて、僕はその記録を参考に、舞台でほぼ完全再現のようなかたちで演じました。
 赤神先生がおっしゃるとおり、武士道の迫力や覚悟、気迫によって国際紛争を収めたというのは本当にすごいことです。いわゆる欧米列強の当時の砲艦外交――軍艦を並べて大砲で狙って脅す――のまっただ中で、大砲に対して短刀一本で勝ったようなものですから。それは世界中に広まるだろうと思いますね。
赤神 私もミットフォードが書いた時系列に沿って、誰がどこにいたのかという配置の記録なども参考にしました。もともと登場人物も、最終的に介添人、介錯人など切腹場面に立ち会うことになる人々を、主人公の周りに配置したんです。
 史実に基づくという点で言えば、『夏鶯』には具体的な地名も入れてあって、登場人物の名前にも使っているので、ぜひ御津金川に聖地巡礼していただきたいですね。せっかくの歴史的コンテンツですので。

――今年の七月には『夏鶯』にも登場している七曲神社の「七曲七夕みたま祭り」で、赤神さんと後藤さんのトークショーが開かれるなど、瀧善三郎の地元で盛り上がっているようですね。

赤神 そうなんです。最後にぜひ申し添えておきたいのが、後藤さんと地元の皆さんの活動のすばらしさです。瀧善三郎の慰霊は、七曲神社の宮司さんと禰宜ねぎさんが毎年たった二人きりで、ずっとされていたそうなんですね。そこへ後藤さんが現れて、その熱量に多くの人が感化されて、慰霊に参加される方がどんどん増えていった。三年前からは「七曲七夕みたま祭り」が四百五十五年ぶりに復活して、多くの人たちが集まっています。
 地元の皆さんも本当にすてきな方たちで、今日、この対談の撮影をしてくださった朝日塾中等教育学校の生徒さんたち、ご指導されている熱血先生方もイベントに関わって、地元を盛り上げようとされています。
 後藤さんもDVDを出されるだけでなく、『ラストサムライ』の次なる上演も予定されているんですよね。
後藤 来年の七月十九日と二十日に倉敷市の倉敷市芸文館で上演します。その時には神戸の方々もお呼びして、いずれは神戸でも上演したいですね。この人が神戸を守ったということを広く知ってほしいです。
赤神 瀧善三郎は日本人が知らないだけで、世界的に有名なラストサムライです。私も『夏鶯』で瀧善三郎の武士道を世界に向けて発信していきたいですね。

「小説すばる」2025年11月号転載