『しっぽのカルテ』刊行記念インタビュー 村山由佳「動物のことは噓偽りなく書ける。それが私の強みだと気づきました」
信州の有名な別荘地の隣町にある、女性ばかり四人が働くエルザ動物クリニック。森の中にひっそりとたたずむ病院に、今日はどんな動物がやってくるのか――。
大正デモクラシーを駆け抜けた婦人解放活動家、伊藤野枝を描いた『風よ あらしよ』、昭和の猟奇殺人「阿部定事件」の阿部定の真実に迫った『二人キリ』と、立て続けに評伝小説の力作を発表し高い評価を受けた村山由佳さん。
注目の最新小説『しっぽのカルテ』は、個性的な院長がいる動物クリニックを舞台に、人と動物との関わりを描いた作品です。
『猫がいなけりゃ息もできない』『もみじの言いぶん』などのエッセイ集で愛猫たちとの日々を愛情たっぷりに描いてきた村山さんが、小説で動物たちと人間を描いたのはなぜなのでしょうか。作品完成までの裏話をお聞きしました。
聞き手・構成/タカザワケンジ 撮影/露木聡子
動物を象徴する“しっぽ”
――『風よ あらしよ』や『二人キリ』と歴史に残る女性をとことんまで描いたハードな作品が続きましたが、今回は現代の自然豊かな森の中にある動物クリニックのお話です。猫や犬、インコ、ウサギなどのペットから、モンゴルの草原を駆ける馬、野生動物のタヌキまで登場します。この作品をお書きになろうと思ったのはなぜでしょうか。
集英社で続けて重量級のお仕事をさせていただいて、もちろんその路線で書きたいものはほかにもいっぱいあるんですけど、何か別のものも書いてみたいなというのが始まりでした。私、飽き性なんですよ。いろんなものをやらないと楽しんで書けなくなるので、この辺でまったく違う題材の小説を書かせてもらってかまわないかと編集者に相談しました。何を書こうか。うちには何匹も猫がいて動物病院の先生と親しくさせていただいていて、人と動物の不思議なお話や、オーナーさんとのやりとりをうかがったりして――もちろん守秘義務に触れない範囲内で――これは物語になるなというか、小説にしたいなって思ったんです。
――なるほど。『しっぽのカルテ』というタイトルがまたかわいいんですよね。どうやって思いつかれたんですか。
ほんとうに、村山どうした? っていうぐらいかわいいタイトルですよね(笑)。タイトルだけで、動物の話、それも動物病院が舞台の話なんだとわかってほしい。かといって「森の中の動物病院」みたいなものだとあまりにも生なので、どうやったら短いタイトルの中にその両方を落とし込めるか。ここしばらくで一番悩んだタイトルだったかもしれません。
――読み終えてあらためていいタイトルだと思いました。しっぽって人間にはないなって思ったんです。老犬の最期をめぐる物語「それは奇跡でなく」の中で「人間の大人用オムツも、しっぽのところに穴を開ければ使えるよ」というアドバイスがあって、あっ、なるほどと。
たしかにそうですよね。しっぽは大抵の動物にあるけれど、人間にはない。名残がほんの少しあるだけ。犬や猫だけでなくいろいろな動物が出てくるので、しっぽが動物を象徴してくれるかなあ、と思ったんです。
――これまで村山さんはエッセイでは動物のことをたくさん書かれてきましたが、動物が中心になった小説はあまり書いていらっしゃらなかったですよね。アフリカが主な舞台の長編小説『野生の風』が一九九五年。ちょうど三十年前に出ていますから、長年にわたって興味のある題材だったと思いますが。
『野生の風』は、アフリカに取材に行けたから書けたんです。集英社が「書きたいものがあるならどこでも行ってきなさい」と取材費を出してくれて。いい時代でしたね。動物が中心になっているのは『野生の風』と、あとは乗馬のエンデュランス競技のことを書いた『天翔る』くらいですね。短編なら少しあるし、作品の中にちょこちょこは出てくるんですけどね、犬とか猫とか。
――そうですよね。エッセイではずっと書かれていましたから、エッセイのファンにとっては、『しっぽのカルテ』を読んで、小説ではこういう物語が展開するんだ、という楽しみがあると思います。
そうだと嬉しいですね。図らずも満を持して、みたいな形になりました。

動物と関わることで、人間の美しさも醜さも増幅される
――村山さんのエッセイの中にも行きつけの動物病院が出てきて、院長先生のこともよくお書きになっていますよね。『しっぽのカルテ』の院長のプロフィールは、その方とはちょっと違っていて、三十代後半の女性で、ぶっきらぼうにしゃべる北川梓という人物。しかも生い立ちがユニークです。登場人物はどのようにつくっていかれたんでしょうか。
あの院長のキャラクターをどうやって思いついたか、実は記憶にないんですよね。最初に書いたプロットみたいなものには、あんな男言葉で話す女性だなんて書いていなかったんですよ。書いてみたらあの人だったんです。『しっぽのカルテ』にとってちょうどいい人物が勝手に出てきてくれたという感じです。お世話になっているリアル院長先生に監修をしていただいたんですが、「私は飼い主さんに『あんた邪魔』なんて絶対に言わない!」って(笑)。
――小説ですからね(笑)。
そこは我慢していただきました。
――『しっぽのカルテ』の舞台となる「エルザ動物クリニック」は院長と動物看護師二人、受付事務が一人。四人とも女性です。動物に対する愛があって、こんな動物病院があったらいいなって思われる読者がたくさんいると思います。
くだんのリアル動物病院も女性四人で運営していて、そこは崩したくなかったんです。私はその良さを知っているので。ただ実在の動物病院に寄せすぎてしまうと、病院に迷惑がかかるだけでなく、私自身が書くうえでの自由度がなくなってしまう。それもあって院長がちょっと変わったキャラクターになったのかもしれません。女性四人の動物病院の良さを取り入れつつ、実在の人たちとは離して書きたい。その距離感が難しいところでもありましたね。どうやって現実から離れたところでフィクションをつくるかが。
――なるほど。生まれたばかりの赤ちゃん猫を抱えてクリニックに現れる土屋高志は、フィクションを駆動する存在かもしれません。第一話の「天国の名前」から登場し、全体を通した五人目のレギュラーメンバーになります。
第一話を書いた時点では、高志がこんなふうに全編出ずっぱりになるとは思っていませんでした。「エルザ」を訪れるいろんな人たちの中の一人だろうと。でも、高志を含めて登場人物たちが勝手に動き出したんです。これは史実に縛られる歴史物を書いているときにはない感覚です。そういう意味では、今回は本当に自由に書かせていただきました。高志がまだ出たがっているようなので、どんどん仕事を割り振って「エルザ」に来てもらったりして。
――「エルザ」は森の中にあって、院長は動物病院のかたわら畑仕事もやっています。外構工事職人の高志に、院長はハーブガーデンの庭仕事をはじめ、畑仕事の手伝いとか、ちょっとした仕事を頼むんですよね。それで女性ばかりの動物クリニックに作業服を着た彼が出入りするようになる。
これ、お話ししていいことかどうかわからないですけど、高志は誰とくっつくのがいいか編集者と打ち合わせしたこともありました(笑)。エルザの四人のうち既婚者は一人だけですから、誰と恋に落ちても不思議ではない。院長という線もあるかもしれないとか。受付の深雪ちゃんじゃないかとか。
――高志がまた、出てくるたびにいいところを見せるんですよね。
ちょっといいやつすぎますけどね。いまどきこんな朴訥な男はいるのか、みたいな。
――朴訥で、なおかつ繊細なところもありますよね。院長の手術の邪魔にならないように、クリニックのトイレをなるべく使わないようにするとか。その対極が第三話の「幸せの青い鳥」に登場する直輝ですね。新婚の妻が大切にしているインコをぞんざいに扱って、しかもそのひどさに気づいていない。
『しっぽのカルテ』は動物の話なんですが、飼っているのは人間。人間が書けないなら動物の話を書いてもしょうがないなっていうところはあるんですよね。動物との関わりを通して人間の中にある何かがあぶり出されてくる。そこには人間相手では見せない美しさもあれば醜さもある。動物と関わることで、美しさも醜さも増幅されて出てくるような気がするんですよ。動物が書きたいというよりは、動物を間に挟むことによって浮き彫りになる人間を書きたいんです。
子供のときからずっと横に動物たちがいた
――猫、犬、インコ、ウサギ、馬といろいろな動物が出てきますが、ほとんどの動物は人間よりも寿命が短い。『しっぽのカルテ』の中にも動物の死が描かれていますね。村山さんは長年生活をともにしていた愛猫のもみじを見送った経験をエッセイに書かれていますが、ほかにも動物の死に立ち会ってこられました。小説として書くにあたって思われたことはありますか。
もみじのときはつらくてつらくてという気持ちがあって、もっとしてあげられることがあったんじゃないかという後悔があったんです。でも、この間、看取った銀次に関しては、最後の最後までやれることは全部やったと感じました。つらくないわけではないんですけど、見送るときの感触がもみじのときとは違ったんですよね。
銀次の看取りよりも先に、老犬のロビンの話(第二話「それは奇跡でなく」)を書いたんですが、もみじの死がこんなふうだったらよかったのにとか、一番年寄りの銀次を見送るときにはこうであってほしいと思いながら書いたので、エッセイでは書けなかったことが書けました。こうだったらいいのにとか、飼い主としてこうありたいとか、逆にこうはなりたくないとか。小説の中で動物のいる風景を書くことで、人間と動物に共通する命のこと、生や死やそれに関わるたくさんのことが書けると思いました。ほかの何を題材にするよりも。
私は子供を持ったことがないので、子育てについてはリアルに想像ができないところがあるんですよ。調べてそつなく書いても、「これが本当だ」って私の中で言い切れない弱みがあります。読者は気づかないかもしれないですが、自分の中で確信が持てないんですね。でも動物だったらその生と死について自信を持って書けるんです。子供のときからずっと横に動物たちがいてすべてをこの目で見てきたので噓偽りなく書ける。それが私の強みなのかなと気づきました。
行き当たりばったりだと、なぜか何かが降ってくる
――小説としての面白さという点で、最後の物語「見る者」でモンゴルの話が出てきたことに驚きました。森の中の動物病院からモンゴルの少女と馬の話につながることで、物語のスケールが一気に広がりました。どうやって思いつかれたんですか。
院長の北川梓はなぜこういう人になったんだろう、という話を編集者としていたんです。どういう過去を持ってる人なんだろうねって。異国育ちなのかな、くらいのところまでは話していたんですが、どこの国でどう育ったのかはまったく決めていなくて、その間に原稿締切が迫ってきてしまった。やばい、どうしよう、という状況で、いきなり「そうだモンゴルだ」と。
――いきなりですか!
モンゴルだったら行ったことがある。馬に乗って旅をしたこともある。NHKの番組だったんですけど、ここから先は車では行けないというところで、車のライトの前でモンゴルの人たちがヤギを捌いたんです。まさに小説に書いたようなやり方で。テレビではその場面は放映しませんでしたが、次の日にそのヤギの肉を食べたんです。そのときの経験を思い出して、そこからするすると院長先生とつながりました。ああ、これなら書けるし、物語全体の説得力も増すんじゃないかなと。よくぞ降ってきてくれました、みたいな感じでしたね(笑)。
――鳥肌ものですね。モンゴルの草原と日本の森が時空を超えてつながって。
このシリーズはぜひ書き続けたいと思っているんですが、そう言いながら、どんだけ行き当たりばったりなんだ(笑)。でも行き当たりばったりだからこそ、追いつめられると、なぜか何かが降ってくるんです。
――モンゴルの伝統的な人と動物とのつながりが描かれたことで、動物と人間というテーマが深まりましたよね。現代の日本のペットと飼い主というところにとどまらず、文化的にも歴史的にも視野が開けたように感じました。しかも院長の核にあるものに触れることができました。
よかったなと思うのは、意外にも、「小説すばる」連載中に、院長のキャラクターを読者から受け入れていただけたことですね。最初に書いたときには、これだけぶっ飛んでいたら、読者が気持ちを乗せられないんじゃないかって心配していたんです。
――一話読むごとに登場人物たちの輪郭がはっきりしてきて、しかもいろんな側面が見えてくる。院長の推し活とか(笑)。登場人物たちをだんだん好きになる。そういう小説だと思いました。
そう読んでもらえるとうれしいです。「エルザ」の動物看護師二人の話もまだ書けてないので、いずれ書きたいと思っています。まだまだ書きたいエピソードがたくさんあるので、楽しみにしていてください。
「青春と読書」2025年12月号転載
プロフィール
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村山 由佳 (むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学文学部卒。会社勤務などを経て作家デビュー。1993年『天使の卵――エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞、2003年『星々の舟』で直木賞、2009年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞、2021年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。エッセイ『命とられるわけじゃない』『記憶の歳時記』、小説『二人キリ』『PRIZEープライズー』など著書多数。
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